奥に秘そむ優しい怖い

うなぎ358

奥に秘そむ優しい怖い




 村で一つきりの小学校の校舎が、赤く染まりだす夕暮れ時。教室内も光が差し込んで、オレンジ色に照らされている。




キーンコーンカーンコーン!




「四時半になりました。まだ居残っている児童は帰り支度をしてください」




 クラスのみんなが、教室で賑やかにおしゃべりをしたり鬼ごっこをするのを、下校時間を知らせる放送が聞こえるギリギリまで見てるのが、最近のボクのお気に入りで楽しみだ。




 本当は、もっと一緒にいたい。




「あ! もう帰らなきゃ!」


「俺ん家、今日外に食べに行くんだぜ!」


「良いなぁ〜。あ! でも僕の家はカレーだって言ってた!」


「カレー良いじゃん!」


「オレん家は唐揚げって言ってた!」


「うわ! 良いな肉! 肉! 肉〜!!」




 夕食の話をしながらランドセルを背負ってドタバタと走りだす。ボクもそのあとを追う。




 見えない壁に邪魔をされて進めなくなって、下駄箱で立ち止まる。




「ボクは、ここから先には行けない……」




 小さくつぶやき、うつむきながら再び教室に戻る。




 教室に戻って窓を開けて外を見ると、夕焼けが次第に群青色に変わりつつある。鬼ごっこの延長なのだろう走りながら、後ろの子が前を走る子の背中にタッチして「捕まえた!」と言ってはしゃぎながら校門を抜けていく。






「家に帰るのが怖い……。早く明日なんねーかなぁ……」




 不意に、真っ暗な教室の隅から弱々しい声が聞こえてきた。そちらの方を振り返るとロッカーを背に、ランドセルを抱え込むようにして座り込んでいる、黒縁眼鏡をかけた茶髪の男の子がいた。




「どうして怖いの?」




 なんだか気になってしまって、思わず声をかけてしまった。




「誰だ!?」




 誰もいないと思っていたんだろう。ビクッと体を震わせキョロキョロ視線をさまよわせてから、ボクの姿を見つけるとホゥと息を吐く。




「驚かせてごめんね」




 ボクが謝ると、男の子は床にランドセルを置いて立ち上がり首を傾げる。




「それはいいけどお前、オレのクラスのヤツじゃないよな?」


「うん。隣のクラス」


「そっか。でもなんで違うクラスにいるんだ?」


「ここからの方が夕焼けが綺麗なんだ!」


「あぁ! 分かる! 校舎の一番端っこだからよく見えるよな!」


「うん!」




 男の子がボクがいる窓際まで歩いてきて、今はもう真っ暗な外を一緒に見る。




「さっきの話だけどさ。オレの家、なんかがいるんだ……」




 外から入る風に、髪の毛を揺らしながらポツリと言葉を漏らす。




「何かって? 泥棒とか?」


「笑うなよ?」


「笑わないよ」


「……なんかさ。たぶん人間じゃない気がするんだ」


「幽霊とかお化けみたいな?」


「そんな感じ。父ちゃんと母ちゃんが、お祓い頼んだりしたんだ。でもさ、まだいるんだ」


「どんなのがいるの?」


「信じてくれるのか?」


「うん。話してみて」


「分かった。家具の隙間から人影がこっち見てたり、金縛りって言うのか? 動けなくて目が覚めると目の前に血まみれのドクロが居たり、家の周りに砂利があんだけどジャリジャリって歩き回る音はするのに見に行くと誰も居なかったり……他にも色々……」




 震える声で怯えるように、両手で自分の体を抱きしめた。たしかにそんな事が毎日起こったら一人で留守番は怖すぎる。




「もしかして校舎に居残ってたのって、それが理由?」


「うん。八時には父ちゃんたち帰って来るからさ。それまで学校にいるんだ」


「でもこんな真っ暗な所で怖くない?」


「家にいるよりかマシ! でもさ、恥ずかしいから先生とか友達には内緒な」


「分かった。秘密にしとく」


「サンキュ! あっ! そろそろ帰らねーといけね!」




 黒板の上にかけられた薄らぼんやり光を放つ時計を見て、慌ててランドセルを背負って教室を飛び出していく。




「オレはソウタ。お前は?」




 足踏みをしながらボクを振り返る。




「ボクはタカト、ソウタまた明日ね!」


「タカトまたな!」




 挨拶を終えると駆け足で教室から出ていく。




 下駄箱の並ぶ玄関先まで行って、次第に小さくなっていくソウタの姿を見送った。ボクは何故だか学校から出ることが出来ないから、ここまでしか一緒にいられない。






「初めましてのはずなんだけどなぁ……」




 不思議な事にボクは、ソウタとは初めて会った気がしなかった。











 次の日も隣の教室を覗くと、ソウタは教室に居残っていた。今日は椅子に座って、スマホを操作している。




「こんばんはソウタ」


「タカト……」




 スマホを机の上に置いて溜息を吐く、ソウタは昨日よりも元気が無い。ランドセルがロッカーに、入ったままなのも気になる。




「どうしたの?」


「父ちゃんと母ちゃん同じ工場で仕事してんだけど、今日は急ぎの仕事があるとかでさ。帰って来れねーってメールがきたんだ」




 うつむきながら両手で震える膝を抱える。さみしさもあるんだろうけど、やっぱり家が怖いんだと分かった。




「ソウタの家は、どの辺にあるの?」


「サンカク川のそばだから、学校から10分くらい」


「凄く近いんだ」


「まぁな。でも今日は帰りたくねーからさ。コンビニで何か買ってきて学校に泊まろうって思ってる」


「じゃ! ボクも一緒にいていい?」


「付き合ってくれるのか?」


「うん! ソウタともっと沢山、話がしたい」


「サンキュ! だったら今からコンビニ行ってくるな! タカト何か欲しいもんあるか?」


 


 先ほどまで震えていたのに、今は嬉しそうに楽しそうにランドセルをロッカーから持ってくると、机の上に乗せて財布を出して手に持つ。




「ボクは大丈夫だから行って来て」


「分かった。けど……」




 何かを言いかけ、ソウタは再び不安そうな顔をする。




「待ってる。帰ったりしないよ!」


「……行ってくる」




 何度も何度もボクを振り返りながら、ソウタは教室から出て行った。




 ボクはソウタの椅子に座って、机の上に置いてあるランドセルを、両手で抱きしめるようにして目を閉じる。




「早く帰って来ないかなぁ」




 ソウタのランドセルからは、懐かしい匂いみたいなのを感じる。






 しばらくすると、ガサガサとビニール袋の音が静かな廊下に響きはじめ。




「タカト色々、買って来たぜ!」


「うわぁ! 本当に沢山買ってきたね」




 月明かりが差し込むだけの暗い教室が、ソウタが帰ってきた途端、パァッと明るくなった気がする。




「なぁ! なぁ! どれ食べる?」


「何買ってきたの?」




 大きなビニール袋、レジ袋をガサガサ言わせ、ご飯になりそうなパンやおにぎり、そしてポテチやチョコレートやゼリーといったオヤツを出して見せる。コーラとかオレンジジュースまである。




「オレはポテチから食べるぜ!」


「じゃ! ボクはゼリー食べていい?」


「おぅ! もちろんだ」


「ありがと!」




 パリパリパリ、ポテチを食べる音が美味しそうに聞こえる。




「ポテチも食うか?」


「うん! じゃ、ボクのゼリーも半分こ」




 二人で分け合って食べる。おにぎりもパンもチョコレートも全部、仲良く半分こ。




「こんな楽しい夜は初めてだぜ〜!」


「ボクもだよ!」




 コーラを飲みながら、ボクとソウタは色々な事を話した。手を繋ぐと温かみが、じんわりボクに伝わってくる。そして二人で床に寝込んで窓から見える夜空を見上げる。はしゃぎ疲れたのかソウタはすぐに、スゥスゥと寝息をたてはじめた。






 優しいソウタ。




 出来る事なら、ソウタが怖がっている”何か”から守りたい。




「ソウタを失いたくないから……」




 眠るソウタの、ふわふわの髪の毛に手を伸ばし撫でる。











 それから毎日のように放課後は、ソウタと過ごすのがボクの楽しみになっていた。




 今日もソウタの買ってきた、お菓子とジュースでお泊り会だ。




「家族といる時間より、タカトといる時間の方が長いかもな!」




 誰もいない薄暗い教室で、机の上に座ってニカッと笑うソウタは太陽のようだ。




「うん! そうだね!」




 ずっと気になっている事がある。それはソウタが、あまり家族の事を話さない。と言うより話題にしようとすると話をそらしてしまうのだ。






ピロローン! ピロローン! ピロローン!




 静かな教室内に着信音が響く。




「オレのスマホだ」




 弾んだ声で机の上に置いてあった、スマホを手に取ってメール画面を開く。




「悪りぃ! 父ちゃんが帰って来いって言ってるから今日は帰る! お菓子は食べといて!」




 焦ったような表情で、ロッカーからランドセルを取り出し背負うと、慌ただしく走って教室から出て行った。




「うん! ありがと! またね!」


「おぅ! また明日な!」




 ボクがお礼を言うと律儀に一旦、戻ってきて手を振ってから帰って行ってしまった。




 真っ暗で鎮まりかえった教室。




 ソウタと出会うまでは、一人で過ごす事が普通だった。




 なのに今は。




 残されたポテチを一欠片、パリッと口にするけど全く味がしない。ソウタと二人で食べるから美味しかったのだと気づく。




 ブラックホールにハマったかのように、身体全体にさみしさが絡みついてくる。




「ソウタ……さみしいよ。早く明日にならないかなぁ……」











 その日以後、ソウタは一週間経っても学校に現れない。




「また明日」の、約束は果たされていない。




 ボクは心配になって、ソウタのクラス五年B組の教室に向かう事にした。昼間に学校を歩き回るのは、初めてで凄く緊張する。




「ソウタのヤツどうしたんだ?」


「風邪こじらせてるって先生が言ってたぜ」


「アイツ前の日まで、めっちゃ元気だったじゃん」


「みんなでお見舞い行かない?」


「そうしようぜ!」


「でもさ、お見舞い行かないでくださいって先生が言ってたぜ?」




 ザワザワとしゃべる声に混じり、ソウタの話題が聞こえきた。気配を消して忍び足で教室の前に行って、ドアを音を立てないようにソッと開けて様子を伺う。




「なんで?」


「よく分かんねー。先生に聞いても教えてくれねーし!」


「あのさ、この村の病院って言えば俺ん家の隣にあるサンカク医院しかないじゃん?」


「だな! もしかしてソウタいたのか?」




 男の子たちの中心にいる子が、首を左右に振りながら更に続ける。




「俺の爺ちゃん、用も無いのに毎日行ってんだ。だから聞いてみたんだけどさ、爺ちゃんソウタは見てねーって言うんだ」


「街の方にある、もっとデッカイ病院に行ってんじゃね?」


「じゃあ、入院とかしてんのかなぁ……」


「だとしても教えてくれたって良いじゃん!」


「だよな! 変だよなぁ」




 ソウタは一週間の間、行方が分からない。先生はお見舞いに行かないようにと言ってる。理由は教えてはくれないらしい。




「変って言えばさ。隣のクラスのハヤシタカトってヤツが家族ごと行方不明なんだってよ」


「え!? なんだよソレ? 事件じゃん!」




 ハヤシタカト……。




 それはボクの名前。それに家族まで行方不明ってどういう事?




「ボクは此処にいるよ」




 思わず教室に入って、男の子たち全員に聞こえるように大きな声で話しかけた。




 つもりだった。




 けど、誰もボクを見ないし、ボクの声さえ届いていないかのように”普段通り”なのだ。




「みんなにはボクの姿が見えてない? どういう事……なの?」




 ヨロヨロとした足取りで教室から出る。




 ボクは一体、何なんだろう? 何か忘れてる事があるのかな?




 思い出さなきゃいけない気がする。






『思い出してはダメよ』






 不意に生暖かい柔らかな風が吹き抜け、懐かしい声が聞こえたような気がする。




『タカト、良い子だから思い出さないで』




 頭を抱えて思い出そうとするボクを、しかるかのように頭を激しい痛みが襲ってくる。




「ごめん。でもボクは知りたい!」




 風が、フゥっと小さな溜息を吐いたのが分かった。




『……仕方ない子ね』




 声のする方を見ると、風をまとう実体の無い母さんがいた。




『何があっても何を知っても、タカトである事を見失わないって約束出来る?』


「よく分からないけどボクは大丈夫だよ!」


『なら早くソウタくんの家に行きなさい』




 サラッと風に溶けるように、母さんの気配は消えた。




「なんだか嫌な予感がする」




 今まで一度も現れなかった母さんが、ボクに話しかけてきた。と言うか、母さんには身体が無かった。




 やっぱりボクは、重大な何かを忘れてるんだ。











 今朝までは見えない壁に阻まれ、通る事が出来なかった学校の玄関。




 ゆっくりとした動作でドアを開けて、まずは一歩ずつ足を運び玄関をくぐり抜ける。




「通れた」




 母さんはソウタの家に行きなさい、と言っていた。ソウタの家はサンカク川の側だって聞いている。




 夜の闇が迫る中、走り出す。




 初めて行くはずなのに、ボクの足は迷わない。まるでソウタの家を知っているかのように全力で走り抜ける。




 村を走り続ける。




 サンカク川を渡った辺りで、村の住人らしきクワを持った老夫婦とすれ違う。




 試しに、老夫婦の前に立ち止まる。




 けど教室の時と同じで、誰もボクを見ない。




 いや。




 ボクの事が見えてないのだと、分かってしまった。




 不安と絶望感が、ボクにジワリと迫ってくる。でも今は、自分の事よりソウタの事が心配だ。頭をフルフル振ってから、再び走り出す。




 赤い屋根の目立つ外観をした、二階建ての洋風の少し小洒落た家が見えてきた。




「見つけた」




 直感でソウタの家だと分かった。




 家の玄関の前に立ち止まると、ドアが数センチほど開きっぱなしになっているのに気がついた。






「おじゃましまーす」




 小さな声で挨拶をしてから、靴を脱いで忍び足で室内に入る。




 奥の部屋から、テレビのバラエティー番組の賑やかな音が聞こえてくる。ソウタと家族がいるのだろうか?




 賑やかな声と、明かりが漏れる部屋のドアを開けると。




「もう……やめて! も……もう……いい…でしょ?」




 血塗れの女性が、ソウタを守るようにして両手を広げて震えながらヨロヨロと立っている。その女性の傍らには既に息絶えている、と分かる男性が倒れていた。




「ワシは自首なぞせんわぁ!」




 そして対面側には、目を血走らせツバを撒き散らすザンバラ白髪のお爺さんが、女性に向かってカマを振り下ろした。




 ザシュっと、鈍い音と共に鮮血が飛び散り周囲を赤く染め、女性の命の炎が悲鳴を上げながら消えていった。




 ギロギロと妖しい光を放つカマが、ソウタに向けられる。




「ソウタごめんな。せめて苦しまんようにするからな」




 ソウタは目を見開き恐怖で声も出ない上に、真っ青になって呼吸さえ上手く出来てない。




 ジリジリと、ソウタに死が迫る。




 まるで獲物を前にヨダレを垂らす獣ように、血を滴らせたカマが振り下ろされる。




「ソウタを死なせたくない! 母さん! 父さん! 助けて!!」




 ボクはソウタの前に立ち、魂の底から全力で叫んだ。




 その瞬間、室内にも関わらず温かみを含んだ風が巻き起こる。




「ぐぁ! なんじゃ貴様ら! 放さんか!」




 そして風は、お爺さんに絡みつきギリギリと締め上げる。




ガラガラン!!




 大きな音を立ててカマが床に転がって、刃先がバキバキッと砕け散る。




『タカト今よ。早く! この人を縛りあげなさい』




 母さんの声がボクを急かす。




 縛りあげられるモノ? 




 ふと目についたのは先ほどから、この惨劇の場にそぐわない明るい笑い声が響かせ続けるテレビ。そのコンセントを引っこ抜き、お爺さんに巻き付けキツくギュウギュウに縛り床に転がしておく。






「タ、タカト……その声の人たちって、もしかして……」




 硬直したまま、か細い震える声でソウタが問いかけくる。




 村人たちにはボクは見えていなかった。けど最初から”ソウタだけ”はボクが見えていた。だからなのか、ボクの家族の気配も感じとる事が出来たようだ。




「うん。ボクの母さんと父さんだよ」


「そっか。そんな気がしたんだ」


「……ソウタは分かってたんだね」




 コクンと、ソウタが頷き「なんとなくなんだけどさ。もしかしたら俺が家に近づかねーように、誰かが怖がらせてんじゃないかって思ってたんだ」と、ポツリと零した。




 間違いなく、その誰かはボクの両親だ。優しくて正義感の強い父さんたちなら、ソウタを守ろうとするに違いない。




 ドクン! と、無いはずの心臓が跳ねる。




 薄々そうなんじゃないかと思ってた。でも真実を認めたくなくて気づかないようにしてた。けどもう答えからは逃げられない。




 ボクも両親も、既に死んでしまっていると言う事実からは……。




「このリビングの絨毯の下に地下室がある。そこにタカトの……」




 部屋の中央にある、不自然な真っ黒な絨毯をソウタが指差す。




 再び、ドクン! ドクン! と、胸の奥が鼓動する。




 ボクは、ゆっくりと近づき絨毯の端を掴んで引っぺがす。すると部屋の隅にクボミがあり、扉の取手らしきモノが床に付いていた。それを両手で上に引き開けると地下室へと続く階段が現れた。途端に、なんとも形容し難い匂いがリビングに広がる。




「ここ?」


「……うん」




 ボクがソウタに問いかけると、顔面蒼白のまま頷く。床に転がったままの、お爺さんがジタバタしながら言葉にならない叫びを上げてる。




「行ってくるね」


「……気をつけて……な」




 真っ暗でジメッとした土壁づたいに、人一人がやっと通れるくらいの細い階段を、鼻を手で覆いながら降りていく。どんどんと匂いは酷く強烈になっていく。




 そして階段を降りきると、二人分の木製の箱が並べられただけの狭い部屋に辿り着いた。




 心臓が、あり得ないくらい煩く脈を打ち始める。




「どう言う事? 一つ足りない」




 更に息まであがる。




 ハァ! ハァ! ゼィ! ゼィ!




 耳鳴りがして、その場に思わずうずくまってしまう。




「タカト!!」




 後ろからソウタが、ボクに駆け寄って背中を優しい手つきで、さすってくれる。











 半年程前。




ピロリン! ピロリン! ピロリン!




 五時間目の授業が終わり、ロッカーからランドセルを持ってきて帰り支度をしていると、スマホが着信を告げた。




【私たちが迎えに行くまで、今日はソウタくんと学校にいてね。絶対、帰って来ては駄目よ。母さんより】




 メッセージを開くと母さんからのメールだった。しかも今までとは何となく違う雰囲気の文章に、ボクは戸惑いながら隣のクラスに向かう。




「ソウタ!」


「あ! タカト一緒に帰ろうぜ!」




 ボクの姿を見ると、ソウタはニカッと笑いながらランドセルを背負い走ってきた。




「それがさぁ。今日はもう少し学校にいないといけないみたいなんだ」


「え? なんで?」




 首を傾げるソウタに、先ほど母さんから送られてきたメールを見せた。




 するとソウタは視線を泳がせるようにしてから、無言でボクの手を握って歩きだした。手を引かれるままついて行くと、屋上に辿り着いた。




「たぶん俺が、タカトの母ちゃんに家の事、相談したからだと思う」


「ソウタん家、なんかあったの?」


「うん。あのさ、俺ん家の爺ちゃん知ってるよな?」


「昔よく街まで遊びに連れて行ってくれたりしたよね。最近はあまり見ないけどお爺さんがどうかしたの?」


「……最近、家族にさ。暴力を振うんだ」


「え?」


「ギャンブルで負けて帰って来ては酒を飲んでさ。そのたびに暴れて手当たり次第、物も投げてくるし、父ちゃんにも止められねーくらい酷いんだ」


「そっか。それでボクの母さんたちなんだ」


「うん。ごめん。勝手に相談した」




 ボクの両親は警察官だから、村の人々から頼りにされて色々な事を相談されるのだ。だからソウタが相談に来るのは、間違ってないし普通の事なんだと思う。




「謝る事ないよ。きっと今頃は上手くソウタのお爺さんと話をしてると思うよ!」


「お酒、やめてくれっかなぁ?」


「うん! きっと大丈夫だよ」




 たとえお爺さんが暴れても、父さんと母さんは強いから絶対負けたりしない。と、この時は思っていた。




 いや。そう思おうとした。




「でもさ。何か心配なんだよなぁ」




 ソウタも何かを感じているようで、不安そうにソワソワと屋上を歩き回る。




「やっぱりソウタん家、行ってみていい?」


「もう少し待ってみる」


「うん。そうだね」




 虫の知らせとでも言うのだろうか? 父さんも母さんも警察官で凄く強いと分かっていても、次第にジッと大人しくなんてしていられなくなってくる。




 二人で屋上を、ウロウロソワソワと歩き回る。




「タカト、やっぱ俺ん家に来てくれねーか?」


「うん。行く!」


「と、その前に父ちゃんと母ちゃんにメールしとく」


「分かった」




 嫌な予感は消えないどころか加速する。




 ランドセルを教室に取りに行って、ソウタの家に向かって走り出す。




 既に、村は夜の群青色に包まれていた。






 ボクとソウタは幼馴染だ。だからお互いの家にはよく行き来してる。道に迷う事なく十分もかからず到着した。




「ただいま」


「おじゃましまーす!」




 玄関を入って靴を脱ぎ、いつものようにリビングに二人で向かった。




 ボクがリビングのドアを開け、ソウタと一緒に入った瞬間。




「うわぁーーー!!」




 ソウタは大絶叫の後、腰を抜かし床にへたり込む。




 床の上には、ボクの両親が血塗れで折り重なるようにして倒れていた。




 ボクは、ヒュー、ヒュー、と荒く浅い息が漏れて、息苦しい。




 逃げなきゃ! 




 と、思うのに足が金縛りにあったように動かない。




 目だけ動かし見た室内には赤が飛び散り、血の滴るギラギラと鈍く光るカマを持った、お爺さんが目に昏い光を宿しボクたちに今にも襲いかかってきそうだ。




「見られたからには、お前たちも道連れにしてやる!」




 刃先が、ソウタに向かって振り下ろされる。




 ボクは父さんや母さんみたいな、強くて優しい警察官になりたいと小さな頃から思っていた。




 だから、勇気を出すなら今しかない。




 早く動け! 足!




 届け! ソウタを護る為の手!




 ボクは、ソウタだけでも守るんだ!!




 自分でも驚くほどの速さでソウタの前に立ち、振り下ろされたお爺さんの刃を自分自身の身体で受け止めた。











「思い出した」


「俺も……なんで忘れてたんだろ……」




 涙がポロポロ、溢れて止まらない。ボクとソウタは、しゃくりあげながら泣き出した。




「けどボクは、やっぱり死んでたんだ……」


「いや。タカトは死んでないよ」


「え!? でもさ、ソウタ以外の村の人たちには、ボクの姿が見えて無かった」


「俺にだけ見えてたんなら、お前を失いたくないって消えないでくれって思ってたからじゃダメか?」




 人の強すぎる想いは時に、幻を超えて現実になって現れると、村では伝わっている。それが本当の言い伝えなら、奇跡が起きたのかもしれない。




「ダメじゃない! ソウタの想いがボクを生かしてくれてたなら嬉しいよ」


「それにさ、俺が生かしてんじゃねーよ! お前は本当に生きてんだ」


「本当に? 本当にボクは生きてるの?」




 ボクが不安を隠す事なく聞くと、ソウタが力強く頷く。




「思い出したんだ。タカトが俺をかばって倒れた後のことも全部」











「タ、タカト!! 爺ちゃん、もうやめてくれ!」




 かばって倒れた血塗れのタカトに、俺は上手く動かない手足を必死にもがくようにして近づく。




「今更、止められる訳なかろうが!」




 再び爺ちゃんのカマが俺に振り下ろされる直前、玄関のドアが開く音が響き、そして。




「爺さんやめろ!」




 俺の父ちゃんが廊下から勢いよく走ってきて、爺ちゃんに体当たりした。その拍子に、カマも爺ちゃんの手から離れてガラガラと部屋の隅に飛んでいった。




 よろけたお爺さんを床に押し倒し、手に持っていたビニール紐で縛りリビングの隅に座らせる。




「お爺様、なんて事をしてしまったの」




 父ちゃんの後ろから、母ちゃんも恐る恐るリビングに入ってきたけど、この部屋のあまりの惨状に気を失って倒れてしまった。




「このままにはしておけないな……。寝室に寝かせてくる」




 倒れた母ちゃんを抱きかかえ、父ちゃんは一旦リビングから出ていった。数十分後には、手にスコップとかバケツや雑巾を持って戻ってきた。




「ソウタ、悪いが手伝ってくれ」




 雑巾を渡され、床や壁を漂白剤で綺麗に拭いていく。父ちゃんはリビングの中央の床板を外し、あらわになった床下の土をザクザク掘っていく。




 額を汗が伝う。




 涙が止まらない。




 鼻水を拭き取る余裕もない。




 心も身体もぐちゃぐちゃだ。




 と、その時。




「ソ……ウタ? ……ダイ……ジョブ……か?」




 消えてしまいそうな小さな声が、俺の耳に届いた。




 声が聞こえてきた足元を見る。




「タカト!! 生きてる!!」


「……よ、よか……た」




 ハァハァと荒い息の中タカトは、俺を見て嬉しそうに満足そうに、ニコッと微笑んだ。




「父ちゃん! タカト生きてる! タカトだけでも助けてくれよ!! 俺がタカトの家族に、爺ちゃんの事を相談さえしなければ、こんな事にはならなかったんだ!!」




 全身を震わせ父ちゃんに頼む。




「分かった。口の硬い知り合いの病院に連れて行く。母さんと一緒にいてやってくれ」




 地下への穴掘りをやめてスコップを床に置き、父ちゃんは着ていたコートを脱いで、タカトを包み込んで抱き上げると足速に家を出ていった。




「分かった」


「じゃ、行ってくる。しっかり部屋の鍵をしてな」


「うん」




 それから母ちゃんの部屋に行って鍵を閉めて、父ちゃんが帰って来るまで閉じこもっていた。爺ちゃんは縛られてるって分かっていても、やっぱり怖くてトイレにすら行けず震えて待つしか出来なかった。




 数時間後、玄関のドアが開け閉めされる音で父ちゃんが帰って来たのに気がついたけど、そのまま俺は母ちゃんの部屋で寝てしまっていた。






 次の日の朝。




「おはようソウタ」


「今日は雨が降る、傘持ってけよ」




 微笑みながら朝食を用意してくれる母ちゃん、新聞を読みながら朝食のパンを食べる父ちゃん。怖いくらいに普段通りの両親。




 いつも通りに、酒浸りの爺ちゃんが顔を赤くしてリビングで寝転がっている。




「おはよ。母ちゃん父ちゃん」




 違いがあるとすれば、リビングの絨毯の色がクリームからブラックに変わっていた事くらいだ。




 昨日の事を聞く勇気は無い。




 家族が変わらない態度なら、このままでいい。




 忘れてしまおう。と思ってしまったんだ……。











「ボクは生きてる?」




 ソウタの話を聞き終え、手で自分自身を触って確かめる。




 暗闇の窓に写るのは、ソウタの姿しかない。




 ボクには実体がない。




 その時。




『タカト貴方の身体は、隣街の総合病院に眠っているのよ』




 生暖かい風が、ボクにまとわりつく。




「母さん!」




 優しく誘導するように、ゆるゆるとボクの背を押す。




『お前は、これからも長い人生を生きていくんだ』




 ボクの右手を風が掴んで引っ張る。




「父さん……」




『『私たちが見守ってるからな』』




 ドンッと、背中を一気に押し出される感覚がした。






「俺とタカトの父ちゃんと母ちゃんは、もういない! だけどタカトと一緒なら生きていける! だから戻って来い!!」




 ソウタの絶叫を聞いた瞬間、心臓が飛び跳ねるようにドクンッと大きく激しく鼓動した。











ぴっ! ぴっ! ぴっ! ぴっ! ぴっ!




 規則正しい電子音で、ゆるゆる目が覚めた。




 けど身体は固まったように、あまり動きが取れない。視線だけで辺りを観察する。




 風に揺れるカーテンの隙間からは朝日が差し込み、ボクはベッドに横たわって色々な管が繋がっている。検温に来ていた看護師さんが、ボクの視線に気がついて医者を呼びに走っていった。




「ボクは本当に生きてたんだ」











 夜になってから、ソウタがボクに会いに来てくれた。




「爺ちゃんは逮捕されたよ」




 少し悲しそうに、ツラそうに拳を震わせる。




「本当に、ごめんな……タカト」




 うつむく事なく、ボクの目をしっかり見て謝った。




 心の整理は、まだつかない。




 死んでしまったボクの両親と、ソウタの両親は生き返ったりはしない。




「許せない」




 ビクッと、ソウタの体が怯えたように震える。




「でもさ、ツラいのはソウタも一緒だと思う」




 死んだ人は戻らないけど、ボクとソウタの両親が、命を懸けて守ったソウタは生きてる。




 だから……。




「ソウタが生きてて本当に良かった」




 ボクが、そう言った途端、ダムが決壊したかのようにソウタの瞳から涙が止めどもなく溢れだした。




「今度、何かあったら、俺が命を懸けてタカトを守る」


「命懸けはダメだよ。ソウタに死んでほしくないからね」




 ソウタは眼鏡を外して袖で涙をぬぐいながら、ボクを真っ赤になってしまった瞳で見つめる。




「ありが、ひっく、とう、ひっく、ひっく」




 ソウタは、しゃくり上げながら泣き続ける。ボクはベッドからゆっくりと起き上あがり、ソウタの手を両手で包んで撫でる。




「この先、何があったとしてもソウタとなら頑張れる気がする」


「オッオレも、だよ!!」






 同じ死線を、くぐりぬけてきたんだから……。

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