tenth・It's an assault

 羽坂たちが銃口を向けた白衣の男は、まるでそれを楽しむかのように口角を歪めた。


「ククッ、実に見事だ。ここまで来た者は初めてだよ。だが、この先は通れない。少し面倒なことになりそうだが…まぁ、楽しませてもらおうか」


 そう言うと、男は懐から小さなリモコンのようなものを取り出し、スイッチを押した。周囲に警戒する羽坂たちの目の前で、空間が歪むような波紋が広がり、次の瞬間、そこに一人の女性が現れた。


 その姿に羽坂たちは一瞬、息を飲む。青い髪をツインテールに結い上げた少女のような容貌。だが、彼女が着ているのはメイド服という奇妙な格好だった。両手には鋭い光を放つナイフを握りしめており、その瞳は強烈な敵意を宿している。


「ご命令を、御主人様」


 彼女は白衣の男に向かって一礼し、敬語で話した。その声は澄んでいたが、どこか底知れぬ不気味さがあった。


「掃除の時間だ、リリス。彼らを片付けておくれ」


 白衣の男が嬉々として命令を下すと、彼女は視線を羽坂たちに向けた。その瞬間、表情が一変し、冷たい笑みが浮かぶ。


「お掃除ですか...汚らしいゴミを、すべて切り刻んでやりますわ」


 リリスと呼ばれたメイドが敵意をむき出しにしながらナイフを構えると、羽坂たちは即座に構えを取った。


 羽坂が最初に反応した。彼は鋭い動きで銃を発砲するが、弾丸はリリスの姿を捉えることなく空を切る。リリスはその場から消えたかのように見え、次の瞬間、羽坂の背後に現れると、ナイフを一閃した。羽坂は間一髪でかわしたものの、制服の背中が裂け、冷たい汗が伝う。


「この小娘、動きが速い...!」


 浅井が叫びながら援護射撃を試みるも、リリスは驚異的な速度で弾道を読み取り、まるで舞うように回避していく。


「あなたたち、射撃の腕も大したことないのねぇ。憲兵隊なんてこの程度?」


 リリスが挑発的に嘲笑を浮かべる。


 佐藤は動き回るリリスを目で追いながら必死にデータのコピーを続けていたが、次の瞬間、彼の背後にリリスが現れた。


「さて、あなたが最後かしら?」


 リリスが囁くように言いながらナイフを振り上げたその瞬間、羽坂が咄嗟に間に割り込む。


「お前の相手は俺だ!」


 羽坂がナイフの刃をギリギリで銃身で受け止める。しかし、リリスの力は信じられないほど強く、羽坂の腕は痺れた。


 戦いが数分も続かないうちに、羽坂たちは追い詰められていた。リリスの速度と正確な攻撃の前に、浅井も佐藤も戦闘不能にされ、羽坂も傷だらけで床に膝をついた。


「うふふ、みなさん情けない姿ねぇ。お掃除完了といったところかしら」


 リリスが冷たく言い放つ。


「十分だ、リリス。彼らはどうせここでは何もできない」


 白衣の男が満足げに微笑みながら歩み寄る。そして自らの能力を発動した。


「さぁ、君たちには『お帰り』いただこう。せいぜい無力感を味わうんだね」


 次の瞬間、白衣の男の手が宙を掴むように動き、羽坂たちの身体が光に包まれた。強烈な眩しさの中で視界が遮られ、次に目を開けた時、羽坂たちは見覚えのある事務所の捜査室に投げ出されていた。


「ここは...?」


 羽坂が呻きながら起き上がる。周囲を見回すと、事務所の壁や机、見慣れた風景が広がっていた。


「転送されたのか...奴の能力で」


 浅井が呻くように言う。


 佐藤は何も言わず、ただ拳を握りしめていた。彼の手の中には途中で中断したデータコピー用の端末が残されていたが、そこにはエラー表示が出ており、何も記録されていなかった。


 羽坂は強く拳を机に叩きつけた。

「チクショウ…奴らを逃がしただけじゃなく、何一つ掴めなかった…!」


 一方、研究エリアではリリスが白衣の男に微笑みを向けていた。


「お役に立てましたか、ご主人様?」


「もちろんだとも、リリス。君の力は完璧だ」


 白衣の男が彼女の髪を撫でると、リリスは幸せそうに微笑んだ。


 白衣の男――霜野大紀は、まるで観劇の幕が降りた後のような満足感に浸りながら、微かに整ったネクタイを直した。鮮やかな青い髪を揺らすリリスが、主人である彼の隣に並び立つ。


「さて、リリス。今日の仕事はこれで終わりだ。君には感謝しているよ。本当に素晴らしい働きだった」


 彼はリリスに向けて柔らかな笑みを浮かべた。


 リリスは、その言葉に満足げな表情を見せながら一礼した。


「ご主人様のためなら、何でもいたします。それが私の存在意義ですから」


 その言葉には従順さが滲み出ていたが、同時に冷たく鋭い一面を持つ彼女の本質が垣間見える。霜野はそんな彼女の言葉に目を細め、少し考え込むように唇に指を当てた。


「ふむ、それならば、少し休憩しようか。我々の努力に見合うだけの時間を過ごすべきだろう」

 霜野が片手を軽く掲げると、壁際に設置された扉が音もなく開いた。扉の向こうは、研究施設特有の無機質な白い廊下が続いていた。


「リリス、ついてきてくれ。今日は君に一つ新しい企画を見せようと思う。いや、もちろん、それだけではない。君ともっと…特別な時間を過ごすための準備がある」


 霜野の言葉は、含みを持ったものだったが、リリスは何の疑問も挟まなかった。ただ深々と頭を下げ、言葉に従った。


「承知しました。ご主人様に全てをお任せします」


 霜野の白衣が廊下を揺らしながら進む後ろで、リリスは軽やかな足取りでついていく。廊下の薄暗い照明が二人の影を長く伸ばしていた。


 二人の足音が廊下に響く中、霜野はリリスの方を振り返り、微笑みながら低く呟いた。


「君と共に築く未来が、いかに美しいものか。楽しみだよ、リリス」


 その言葉に応じるように、リリスはごく僅かに微笑み、静かにその背を追った。


 霜野大紀とリリスが自室へ向かう途中、廊下に設置された通信端末が突然鳴り出した。淡い赤い光が壁を照らし、霜野は立ち止まってそれを見つめた。


「おや、主任からの呼び出しか。タイミングが悪いな」


 彼は小さくため息をつきながら、リリスに手で待機を指示した。リリスは一歩下がり、無言でその場に留まる。


 霜野が端末の前に立ち、スクリーンに手をかざすと、瞬間的に暗い画面が点灯し、そこに一人の男の顔が映し出された。男は無機質な黒いスーツを着込み、鋭い目つきで霜野を見下ろしている。


「霜野、さっきの侵入者たちについての報告を受けた。君が彼らを研究施設から送り返したことは知っている」


 上司の冷淡な声が廊下に響く。その声音には怒りこそ含まれていなかったが、何かを突きつけるような圧力が感じられた。


「ええ、もちろんです。こちらとしても、彼らを研究室内で始末することは簡単でしたが...事務所に送り返すことで、こちらの真の目的から目を逸らさせる意図がありました」


 霜野は淡々と答える。まるで自分が全てを計画通りに進めていると信じて疑わない様子だ。


 だが、上司はその言葉を遮った。


「必要以上に手間をかける必要はない。彼らを生かしておくこと自体がリスクだ。我々の計画のどこかに手を伸ばされる前に、完全に排除しろ」


 霜野の顔に一瞬、不満の色が浮かんだが、それを表に出すことはなかった。


「つまり、追い打ちをかけて、皆殺しにしろということですね?」


「その通りだ。だが、君の能力があれば問題はないはずだ。即時行動に移れ。時間をかけるな」


 その言葉を最後に、通信が切れた。スクリーンが暗転すると同時に、霜野は小さく舌打ちをした。


「まったく、意思を理解しない連中だ...」


 彼が肩をすくめながら振り返ると、リリスが冷たい目で彼を見つめていた。


「ご主人様、あの連中を始末すれば良いのですね?」


「そういうことだ。君にはまた働いてもらうことになるが…問題はないだろう?」


 リリスはわずかに微笑んだが、その笑みには冷酷さが漂っていた。


「もちろんです。ご主人様のご命令なら、何度でも汚物を掃除します。それに…あの憲兵たちの無様な顔をまた見られると思うと、楽しみでなりませんわ」


 霜野は軽く笑い、リリスの頭に手を置いた。


「ならば、期待しているよ。準備ができたらすぐに向かおう」


 リリスは深々と頭を下げると、再び鋭い視線を浮かべ、淡々とした足取りで廊下を進んでいった。その背を見送りながら、霜野はふと呟いた。


「さて、もう一幕楽しむとしようか。彼らがどれほど抗えるか、見物だな」


 霜野大紀はリリスを従えながら、自分の研究室の中央に設置された奇妙な装置の前で立ち止まった。装置は円形の台座に無数の管や光のパネルが組み合わさったもので、その中心に輝く青白いエネルギーの球体が浮かんでいた。


「さて、ここからが面白いところだ」


 大紀は自信満々の笑みを浮かべ、リリスに手を差し出した。


「リリス、準備はいいかい?少しだけ身体が浮く感覚に慣れる必要があるが、それ以外は何の問題もないはずだ」


 リリスは一歩近づき、躊躇なく彼の手を取った。その顔にはわずかな緊張もなく、逆に期待の色が浮かんでいる。

「ご主人様、私はいつでもお供しますわ。どこであろうと、貴方のお側に」


「素晴らしい。君はいつも頼りになるな」


 霜野は微笑みながら装置に手を触れ、いくつかのスイッチを押して操作を始めた。すると、装置の球体が明るく光り出し、低く唸るような音が室内に響き渡る。


「これが私の能力『高移動』を具現化したものだ。目標地点に瞬時に到達するだけでなく、環境の安全も完全に保障されている。まさに、科学と異能力の融合の結晶だよ」


「さすが、ご主人様。完璧ですわ」


 リリスは頷きつつも、視線は光り輝く装置に釘付けだった。その瞳には興味と忠誠が入り混じっている。


 霜野が装置の制御盤に最後の操作を施すと、球体が急速に膨張し、光が二人を包み込んだ。


「それでは行こうか、リリス。我らが客人たちに、少々お仕置きをしてあげるとしよう」


 次の瞬間、彼らの足元がぼやけるように揺らぎ、周囲の光景が急速に変化した。眩い光の中を通り抜ける感覚が続き、それが止まったときには、大紀とリリスは既に大和連邦憲兵第一三五班事務所の近くに立っていた。


「ふむ、計算通りの到着だな」


 霜野は周囲を見回しながら満足げに頷いた。彼らがいるのは事務所の裏手にある廃墟となった建物の影で、周囲には人影一つ見当たらない。


「さて、リリス。この先が戦場になる。準備はいいか?」


 リリスはリボンでまとめた青髪を軽く揺らしながら微笑む。

「もちろんです、ご主人様。彼らの首を捧げる準備は万端ですわ」


「ならば、始めようか」

 霜野は軽く手を振り、リリスはナイフを手にして一歩前に出た。彼女の足取りはまるで舞うように軽やかだが、その瞳には冷徹な殺意が宿っていた。


 大紀は、リリスが羽坂たちと思わしき敵の一団を相手に繰り広げる戦いを悠然と見守っていた。だが今回は、さすがのリリスも少し手こずっていた。敵たちは事前に奇襲に備えていたらしく、リリスのナイフを避けながら連携して反撃を仕掛けてきた。


「なるほど、少々訓練されているようだな」


 霜野は興味深げに頷きながら、装置の記録機能を作動させ、戦闘の様子を収めていた。


 リリスは鋭い身のこなしでナイフを振るい、次々と敵を仕留めていく。しかし、完璧な笑みの下には若干の疲労が見て取れる。


「ご主人様、彼ら、少々しぶといですわね」


「安心しろ、リリス。君がやつらを仕留めることに疑いの余地はない。だが、少し奇妙だ。私に向かって叫んできた男の気配を感じない」


 大紀の言葉にリリスも目を細めた。敵の大半を倒しきったものの、確かに一人たらない。


 その時だった。遠くから、重低音が響き渡ったのは。


「なんだこの音楽は?」


 霜野は眉をひそめた。耳を澄ましていると、音楽は徐々に大きくなり、その歌詞が明瞭に聞き取れるようになる。


 鉤旗掲げて進撃だ

 銃隊を先頭に突撃だ  

 一心の千万隊伍を率いて進む その姿は先軍の旗幟だ  

 突撃 突撃 突撃前へ  

 総統の革命方式は  

 白頭山の稲妻のように突撃

 大和峰の雷の...


 大音量で流れるその歌声は、周囲の空気を震わせるほどだった。そのメロディーと歌詞はどこか異様な高揚感を掻き立てるが、同時に不気味さも漂わせていた。


 霜野が音の方向に目を凝らすと、そこには狂気そのものの姿があった。


「な......なんだあれは!」


 大紀は目を見開き、リリスも一瞬息を呑む。


 なんと、最後の一人の男がついに現れたのだ。しかし、その男は全身に手榴弾と銃弾を巻き付け、頭と腕、さらには足に無数のナイフをゴムバンドで括り付けている。血走った目が暗闇の中でギラつき、その顔には常軌を逸した笑みが浮かんでいた。


 その背後には西籤がスピーカーを抱えて立っていた。大音量で『突撃戦だ』を流し続ける彼は、数歩おくれながら羽坂を小走りで追いかけている。


「おい、待て待て待て......これはどういう冗談だ!」


 霜野は慌てて後ずさる。


「ご主人様、あの者、明らかにただ者ではありませんわ!」


 リリスも一瞬警戒の表情を浮かべるが、すぐにナイフを握り直して構える。

 羽坂は大声で笑いながら叫んだ。


「我が事務所にようこそ、クソ野郎ども!お前らの死を祝う歌をプレゼントしてやる!Уpaaaaaaaa!」


 そして次の瞬間、羽坂は全速力で突進してきた。その動きには狂気の中にまみれており、とてもまともな人間の行動とは思えなかった。


「リリス、奴を止めるんだ!」


 霜野が叫ぶや否や、リリスが羽坂の前に飛び出した。ナイフを構え、瞬時に迎え撃つ姿勢を取る。しかし、羽坂はその動きにすら怯むことなく突き進んだ。


「貴様を捻り潰してくれるぅ!」


 羽坂は叫びながらリリスに突撃し、周囲に凄まじい衝撃を巻き起こした。ナイフが絡み合い、金属音が鳴り響く中、リリスも必死に応戦するが、羽坂の執念に押され始めていた。


「こんな奴......」


「ば、馬鹿な!私の最高傑作が...」


 リリスの声に混じって霜野の焦りも増していく。


「サッサとお釈迦になってくれッ」


 羽坂の攻撃にリリスは全神経を集中させていた。次々と繰り出されるナイフの斬撃と、身体中に巻き付けられた手榴弾や銃弾が作り出す威圧感は、彼女ですら息を飲むほどだった。


「くっ!この男、ただの狂人ではありませんわ!」


 リリスは羽坂の執念深い攻撃に必死に応じつつも、冷静に反撃の機会を探っていた。


 しかし、その間にも西籤栄治は羽坂の背後で静かに動いていたのだ。彼はスピーカーを地面に置き、リリスの注意が羽坂に完全に奪われている隙を狙って、慎重かつ大胆に霜野大紀の背後に接近していた。


「ふん、貴様らの愚行もここで終わりだな...」


 霜野は羽坂に気を取られ、自分の状況を全く理解していなかった。


 次の瞬間、静寂を破るように西籤が背後から霜野の首を力強く掴み、その口に無造作に手榴弾をねじ込んだ。


「うがっ...?」


 霜野の目が恐怖に染まり、信じられないという表情を浮かべる。


「楽に殺されるだけありがたいと思え、馬鹿野郎」


 西籤は冷ややかに言い放ち、手榴弾の安全ピンを素早く引き抜くと、霜野を乱暴に突き飛ばした。


「うがっ、うぐおがぁ!ひひふ!」


 パァン!グワァン!


 霜野は必死に口から手りゅう弾を取り出そうとし、リリスに助けを求めたが、言葉は爆音にかき消されてしまった。


 爆発音が轟き、霜野大紀の身体が粉々に吹き飛ぶ。血と肉片が辺りに飛び散り、その場にはただ静寂と煙が残った。


「ご主人様......?」


 リリスがその音に驚き、羽坂への集中を一瞬解いた。目を向けた先には、無残な最期を迎えた主人の死体だけがあった。

「ご主人様!」


 リリスは叫び声を上げ、霜野が立っていた場所に駆け寄った。しかし、そこには彼の痕跡は何一つ残っていない。ただ、地面に飛び散った血液と破片が、ほんの数秒前まで彼が存在していた事実を物語っていた。


 リリスの表情は、怒りと悲しみ、そして驚愕に満ちていた。目は血走り、全身は震えていたが、その手はなおもナイフを強く握りしめていた。


「許さない...許しませんわ!」


 リリスの声は怒りで震え、周囲の空気が彼女の殺意で冷え込むようだった。


「貴様ら...よくもご主人様を!」


 リリスは羽坂たちの方に鋭い視線を向ける。その目には、ただでは済まさないという決意が宿っていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異能士記 ――INOSHIKI—— Mr.First @YFAS

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画