学校裁判長。

@StudioAMONE

第1話 始まりの朝。

8月の朝。カーテンの隙間から零れ落ちる光が、寝室の静謐を破るように彼の瞳を刺激した。

電子音のアラームが部屋に響くと、彼は機械的に腕を伸ばし、停止ボタンを押下する。


AM 7:00 -


一瞬、再びまぶたを閉じるが、すぐに呼吸を整える。肺に深く空気を送り込み、その後ゆっくりと身体を起こした。


「ふぅー・・・」


彼のため息混じりの深呼吸は、倦怠と規律の狭間を彷徨う心の揺らぎを物語るかのようだった。布団を押しのけると、彼は窓辺へと足を向け、カーテンを一気に開放した。

晴天の空。絹のような薄雲が青を引き裂くように流れる。洗濯日和、という言葉が浮かぶ。


「おはようございます。今日の天気は晴れのち曇り。」


AIアシスタントの無機質な声が彼に朝の訪れを告げる。


「平均気温は27度。」


何も応じることなく、台所へ向かいポットに水を注ぐ。点火スイッチを押すと、青白い炎が静かに踊り出した。


「絶好のお天気日和となることでしょう。」


洗面台で水で顔を洗って眠気を流しとる。


「和人さま、今日の予定はいかがなさいますか?」


「今日は休日だ。のんびりやるよ。」


AIからの質問に冷たく返し、蓋が震えているポットにかけている火を消した。

和人は棚からコーヒーの粉を取り出しそれをカップに入れてお湯を注いだ。


「今日はインスタントですか?」


「たまには一から作らずこうゆうのもいいだろう。」


彼の声には自分自身への言い訳にも似た響きがあった。湯を注ぎ、完成したコーヒーを手に取ると、その表情には一抹の溢すことへの警戒も見せず、堂々とベランダへ向かう。


「おすすめの曲を流してくれ。」


「かしこまりました。本日のあなたは少しお疲れのようですね。」


部屋の中には、切なくも澄み渡る旋律が流れ始める。その音色には、彼の疲労を溶かすような柔らかさがあった。


「外に出るが、音楽は止めるな。」


「かしこまりました。ごゆっくりしてくださいね。」


サンダルを履き、ベランダに配置されたテーブルと椅子へ向かう。微かな音楽が室内から漏れ聞こえる中、彼は椅子に腰を下ろした。


「まずいな・・・」


新発売のインスタントコーヒーをいっぱい口にして呟いた。普段は豆を潰して作るのだが、新発売という言葉に誘われるがままに購入したこのインスタントは、期待を裏切るというか裏切らないというか、何とも言えない味をしていた。


彼は新聞を広げ、ゆっくりとページをめくる。空に浮かぶ雲の影が、ベランダの床を静かに移動していた。


AM 7:30 -


洗面所に足を運び、無言で洗濯物を洗濯機へと放り込み、さらに風呂場の掃除を始めた。その手は機械的に動き、日常のルーティンを淡々とこなしていく。


「和人さま、七瀬洋子様より、あなた宛にメッセージが届いております。再生いたしますか?」


「ああ。頼む。」


そう告げると、AIは映像を壁に映し出し、そこに洋子の声と姿が現れる。


「和人くん、新しいインスタントコーヒーの味、どうだった?明日は土曜日だし、ゆっくり休んでね。あとね、あなたが帰宅した後、民警民間警察の犯罪捜査一課の捜査官が裁判所に来て、和人くんのことを尋ねて回ってたよ。飯島って言うんだって。和人くんと同じ高校生で、聞き込みって大変そうだよね~。あとね・・・」


「相変わらず、洋子はお喋りだな。後で詳しく聞くから、一旦停止してくれ。」


「かしこまりました。」


AIの機械的な返答の後、ホログラムは消え去り、次のメッセージが表示される。


「もう一件、メール形式で届いております。民間警察の犯罪予防部犯罪捜査一課、飯島翔太課長からです。」


「読み上げてくれ。」


その瞬間、ほんのりとした焦燥感を覚えながらも、動きを止め、足元に視線を落としながらAIがメッセージを読み上げるのを待つ。


「・・・先日、あなたに対する殺害予告と、裁判所に対する爆破予告が統警に届きました。民警は犯罪防止のため、犯罪捜査一課があなたの監視を行い、治安維持部隊による周辺警備を行いたいと考えております。必要書類にサインを頂かなければ、警備は実行できませんので明日の昼頃、あなたの自宅へ伺います。」


深いため息をつき、心の中で呟いた。


「はぁ・・・ゆっくりしようと思ったのに・・・」


ソファーに飛び込むように身を投げ出し、頭を後ろに垂らして天井を見上げた。空調の微かな音が耳に響く中で、彼の独り言が静かに空間を満たした。


「事務作業ばかりで、心身共々すり減る一方だ。これじゃまともに休養なんて取れやしない。」


言葉にすると、重く垂れ込めていた疲労感がいくらか和らいだように思えた。だが、それは束の間の安息に過ぎなかった。次の瞬間、AIの音声が再び静寂を破る。


「和人さま、先ほどのメッセージの続きについてですが、再生いたしますか?」


「・・・いや、待て。少しだけ頭を空にしたい。」


彼は手のひらで顔を覆いながら、大きく息を吸い込む。感情を整えようとしているのか、それとも現実逃避の一環なのか、自分でもよく分からない。しばらくの間、無言で体を沈めていたが、ふと瞼の裏に思い出がよぎった。洋子の笑顔、裁判所の廊下、そして飯島の険しい顔。


「AI。」


彼は静かに顔を上げ、再び声をかける。


「明日の予定をもう一度確認してくれ。」


「かしこまりました。午前中は・・・」


AIの音声が淡々と予定を読み上げる中、和人は頭の中で計画を立て始めた。何かが起ころうとしている。それが確信なのか予感なのか、彼自身も分からないままに。


「最近、この学務指定区域で立て続けに確認されている『スパークSEXV - 2058』よる薬物中毒症例の検挙が、殊更学生世代に偏在して、深刻化の一途を辿ってる。」


薄暗い室内に響く声は、民間警察学務支部・犯罪捜査一課の飯島による報告であった。その厳しい口調には焦燥と苛立ちが滲み出ている。


対する課長補佐である黒岩は、資料が散乱した机に手を置き、肩越しに視線を投げかけた。


「つまり、従来親の世代で問題となっていた乱用の形態が、学生層へと世代移行している、と。しかし、供給源に繋がる具体的な端緒はいまだ霧中、というわけですね」


「その通りだ。」


額を押さえながら低く呻いた。


「近隣地域にしいた捜査網は、統警統合警察治安維持当局治安維持部隊が協調して拡充を図っているが、流通経路や供給元に関する有力な手がかりはいまだ得られず、暗闇に針を探しているような状況だ。」


黒岩は微かに眉を顰めながら資料をめくり始めた。


「スパークの化学的構成や作用機序に基づく分析では、従来の覚醒剤よりも遥かに低濃度で強力な依存性を引き起こし、摂取者の神経伝達機能に直接作用する特異性が示唆されてる。そいれがこの地域で根を張り始めたとするなら、対策の遅延は取り返しのつかない事態を招く恐れがありますね。」


飯島は沈痛な面持ちで頷いた。


「分かっている。だからこそ、学務地域という特性を最大限に活かして内偵を進める必要がある。学生層の行動特性やネットワークの解析に重点を置き、心理的、社会的側面からもアプローチを試みるべきだ。」


室内の空気は重く、二人の間に張り詰めた沈黙が訪れる。その中で、黒岩は一枚の報告書に目を留め、思案深げに口を開いた。


「課長、この区域で先週摘発された被疑者の供述内容、確認しました?彼らが口を滑らせた『プラネット』――供給元に関与している可能性が指摘されていますが。」


飯島の表情が険しさを増す。


「『プラネット』か。最近裏社会で頭角を現しだした信仰組織。だが、その実態は未だ詳細不明の存在だ。そいつを炙り出すことが、この膠着状態を打破する鍵になるかもな。」


課長補佐は目を細めながら静かに頷き、手元の資料に視線を戻した。そして思い出したかのように言った。


「そういえばこのあと裁判長の所に行くのでは?」


「ああ、もうそろそろ行くか。身支度しとけ。」


「了解、」


黒岩は飯島の物忘れを相変わらずかといった感じで受け止め、資料をまとめ始めた。


AM 8:30 -


外は休日もあいまって人々の声で賑やかだ。


「休日出勤か・・・労基に訴えたいな・・・」


飯島は皮肉交じりに呟いた。そして電気のスイッチを下げ、捜査一課の扉を開けた。

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