手堅く愛人の座を目指していたのに婚約破棄されて計画が丸つぶれです!
青柳朔
王太子妃なんてごめんなんですけど!?
ここは由緒正しき貴族子息や令嬢が通う王立学園のなかにある裏庭だ。時に秘密の逢瀬を交わしたり、決闘が行われたり行われなかったり――まぁつまりそんな感じの場所なわけである。
「ヘルトルーデ・イダ・カウペロス! おまえとの婚約は今ここで破棄する!」
その裏庭で、私は声高らかにそう宣言した王子に腰を抱かれ強く引き寄せられた。
「僕はマノンとの真実の愛に目覚めた。彼女を王太子妃とする!」
……は?
……はぁ?
なに言ってるの? なに言ったの? なに言っちゃったの!?
庶民育ちの私に王太子妃とか無理に決まってるでしょ!?
私は愛妾あたりにうまくおさまって公務とかめんどうなことはやらずに自由気ままな愛されライフを送り、飽きられそうになったらお金を貰えるだけ貰ってとんずらしようと思っていただけですけどぉ!?
この人、馬鹿なの!?
……私はマノン・アッケルマン。伯爵家の庶子である。正妻が亡くなり、お父様が愛人だった母さんを後妻に迎えた。
十四歳まで庶民として暮らしていた私は、ある日突然伯爵令嬢になったわけ。
伯爵家といってもうちは中の下。経営の才能がまったくないお父様はご先祖様が貯めたお金をどんどん浪費し、念願の貴族の妻となった母さんは散財しまくった。
私も頭がいいほうではないけど、アッケルマン伯爵家はこのままだと借金まみれになって潰れるってことはわかる。
両親に関しては自業自得。お金は無限に湧いてくるわけじゃないって、少なくとも母さんは知っていたはずでしょうに。
だから私は伯爵家を出て自分だけはお金に苦労しないようになるんだと奮闘した。形ばかりの伯爵令嬢になったといっても、実家は潰れる寸前。まともな貴族の正妻の座はとても望めない。なら少しでも上の家柄の愛人を目指すのがベストだ。
……そう思って頑張った結果、まさかの王子をおとせたわけなんだけど。
「だいたいおまえはまったく可愛げがない。口を開けば小言ばかり。そんなおまえと添い遂げるなど絶対にごめんだ!」
……え? それが婚約破棄したい理由なの?
可愛げがないだの小言だの、それは王子が馬鹿だからじゃないの?
ヘルトルーデ様って優秀だものね。学園でも首席で、氷魔法がお得意で、文句の付けようがない淑女。この馬鹿を支えるために優秀にならざる得なかったのかもしれないけど。
「……殿下、わたくしとの婚約は王家と公爵家が取り決めたものです。殿下の一存で破棄できるものではございません」
うん、そりゃそうよね。
ヘルトルーデ様はこんなときにも冷静だ。尊敬しちゃう。
「僕は王太子だぞ!」
「殿下は確かに王位継承権をお持ちですが、陛下はまだ王太子をお決めになっておりません」
あ、そうなの?
でもこの人の弟の第二王子って愛妾の子だったわよね? だからほとんどの人がこの人が王位を継ぐって言ってたけど……。
ところでいいかげん離してくれないかしら。まるで私が婚約破棄させることを望んでいるみたいじゃない。裏庭には他に人がいないからまだいいけど、誰かに見られていたら最悪だわ。
「あいつが王になれるはずがない!」
「殿下……」
呆れたような顔のヘルトルーデ様。そんな顔にもなりますよね。
ていうか、王太子になることが確定していないならなおさら、ヘルトルーデ様との婚約は破棄したらダメでしょ。庶民育ちの伯爵令嬢なんかより公爵令嬢のほうがいいに決まっている。そんなこともわからないの? この王子は。
「おまえはそうやっていつもいつも僕を馬鹿にする! 僕を誰だと思っているんだ!」
馬鹿王子ですね。
ふぅ、と私はため息を吐いた。あーあ、こんなに頑張ったのになぁ。全部おじゃんだ。
仕方ないからプランBへ変更しよう。この国を捨てて隣国のいい男を見つけるのよ。伯爵令嬢という身分は紙切れ同然になるけど、もとは庶民だもの、それは問題ない。王子を陥落させた手練手管を使えばそこそこ収入があってそこそこのいい男を見つけるのなんてきっと難しくないわ。
「ねぇ、殿下」
「なんだいマノン」
甘えるような声を出せば王子はころりと機嫌が良くなりデレデレした顔で私を見つめてくる。
「私、殿下のお嫁さんになれるんですよね? 殿下にとっての唯一無二に。それなら……この場限りでいいんです。どんな不敬もわがままもお許しくださる?」
「もちろんだ! どんな言葉でも君から送られるものなら嬉しいよ」
よし、言質はとった。
まぁとらなくてもここにいるのは王子と私とヘルトルーデ様だけ。ヘルトルーデ様が見なかった聞かなかったことにしてくださればいいんだけど、念には念をって言うじゃない?
すぅ、と息を吸い込んで。
私は思いっきり王子を突き飛ばして叫んだ。
「馬っっっっっ鹿じゃないの!?」
いきなり突き飛ばされ尻もちをついた王子は呆然とした顔で私を見ている。
「あんたがそんなに馬鹿だから賢いヘルトルーデ様みたいな婚約者が必要だったんでしょうよ! それなのに可愛げがないだの小言が多いだのくっだらない理由で婚約破棄!? あんた頭下げてでもヘルトルーデ様に婚約者でいてくださいお願いしますって言わなきゃいけないくらいでしょうよ! だいたい私がいつ王太子妃になりたいだなんて言ったのよ!? いつも『そんな……私には不釣り合いです』って言ったでしょ!? あれなんだと思ってたわけ!?謙遜してたとでも!? 庶民育ちの伯爵令嬢に王太子妃なんてつとまるわけないじゃない馬っっっ鹿じゃないの!?」
ここまで一息で言い切った。
あーーーーースッキリした!!
「んっ……ふっ……」
ヘルトルーデ様は肩を震わせて笑いを堪えていらっしゃる。淑女はそんなときですら品があるのね。私ならブファ!と吹き出しちゃうわ。
王子は顔を真っ赤にしてふるふると怒りで身体を震わせていた。で? そろそろ立ったら?
「こ、この無礼者! 不敬罪で処刑してやる!」
「あらやだ。どんな不敬もお許しくださるとおっしゃったのに。殿下はつい数分前のことも覚えていらっしゃらないの?」
私は首を傾げながらそう言った。前なら目を潤ませて上目遣いでやるところだけど、王子が立ってくれないから見下しちゃうわごめんあそばせ?
「貴様ァ!」
数分前までは真実の愛だのと言っていたくせに、王子は立ち上がると拳を振り上げる。
ふんだ、一発くらい我慢してやるわよ。庶民育ち舐めないでよね。男の人に殴られるなんて経験済みなんだから。
むしろ私の顔が腫れ上がったらあんたの評判なんてガタ落ちじゃない? 女に手を上げるクソ野郎ってね。
怯えたりする姿を見せたくなくて王子から目を逸らさなかった。すると王子は「ぐっ!?」と言って動かなくなる。
「いけませんわ殿下。ご自身が言ったことはきちんと守らなければ」
少し低めの綺麗な声が楽しげにそう言った。ヘルトルーデ様だ。
見ると王子は足元や腕が凍りついている。
「ヘルトルーデ! 邪魔をするな!」
「邪魔? なんのことでしょう? 殿下は先ほどしっかりのマノン嬢へどんな不敬も許すとおっしゃったではありませんか」
……ヘルトルーデ様が味方してくれている?
ゆったりとした足取りでヘルトルーデ様は私と王子の間に入る。こうして近くに並ぶと、ヘルトルーデ様って背が高いのよね。
「そうそう、わたくしたちの婚約についてでしたね。もともと幼い頃に殿下から熱烈に求愛されて決まったものでしたのに……残念ですわ。婚約は破棄いたしましょう」
頬に手をあてながらそう告げたヘルトルーデ様に、王子は青ざめた。私の本性も知った今、ヘルトルーデ様との婚約が白紙になるのは困るって気づいたんだろう。遅いよ。
「ま、待てヘルトルーデ、それはまた話し合って――」
「可愛げがなく小言の多い女はお嫌なんでしょう? 代わりの婚約者が見つかると良いですね?」
まぁ見つからないでしょうねー。
誰だって容姿端麗、文武両道の完璧なヘルトルーデ様の後釜なんて嫌じゃない?
くすりと笑ってヘルトルーデ様は振り返る。
うわぁ……間近で見ると本当に美人。さらさらの銀の髪も、深い青色をした瞳も神秘的で。なんでこんな美人を捨てようとするかなぁ?
「行きましょう、マノンさん」
「え、あ、はい」
でもあの、王子は凍ったままですけどいいんですか?
するりと伸びてきたヘルトルーデ様の手が私の腕を掴んだ。……あれ?
「……ヘルトルーデ様」
「ヘルトでよろしくてよ」
「……ええと、ヘルト様」
手、おっきいんですね?
なんていうか、その、さっき腰を抱いてきた王子とあまり大差ないっていうか、むしろそれよりたくましい気がするっていうか。なんか声もだんだん、男の人みたいな気がしてきたんですけど――。
「ふふ、さすがにそろそろ婚約解消しなければいけなかったから助かった」
「おっ」
男の人じゃん!?
と叫びそうになったけど大きな手が私の口を塞いだ。しー、と人差し指をたててヘルト様が私の顔を覗き込む。
「まだ秘密。黙っていてね?」
こくこくこくと必死に頷くとヘルト様は手を離してくださった。
「君、どうして王子の恋人になっていたの? さっきの様子からすると好きだったわけじゃないんでしょう?」
「……アッケルマン伯爵家の財政状況は最悪なんですよ。加えて私は庶民育ちです。まともな縁談なんてありえません。だから少しでも地位の高い男の愛人になって、飽きられそうになったらお金をもらってとんずらしようと思ったんです」
そしたらまさか王子を籠絡できたわけで。
だから私はこれっぽちも王子のことは好きじゃなかった。扱いやすくてちょっとお馬鹿な人(ちょっとどころじゃなかったけど)で助かったな~って感じ。王子は顔は悪くなかったし、可愛子ぶっていればデレデレしてきたけど優しかったし。
「ふぅん? じゃあ未練はないんだ?」
「ありませんよ。これから国外に逃げて他の国でいい男を見つけます」
あの場ではとりあえずヘルト様がいたから助かったけど、王子に噛み付いておいてこれから私が平穏に過ごせるとは思えない。さっさと逃げるに限る。お父様やお母様は勝手に頑張ってほしい。
「それは少し待ってくれる? そうだね、卒業式まで。大丈夫、あの馬鹿に余計なことはさせないから」
「そりゃ……ちゃんと卒業できるなら卒業したいですけど」
王立学園卒っていう肩書きがあるのとないのとでは、やっぱり違うと思うし。
卒業まであと一ヶ月くらい? まぁそれくらいならヘルト様の助けがあればなんとかなるかな?
*・*・*
……とまぁ、そんな感じに暢気に考えていた頃が私にもありました。
「どうしたのマノン? その紅茶は口に合わなかった?」
「まぁはいそうですねお高級すぎて逆に味がしないっていうか……」
私の向かいに座って微笑む銀髪の美男子。
そしてここはカウペロス公爵邸の一室である。
「それなら今すぐに淹れ直させよう」
「イイエ大丈夫デス!」
「遠慮しなくていいよ? 君は私の婚約者なんだから」
……そう。
なぜかあのあと私はカウペロス公爵子息と婚約したのである。ヘルト・イダ・カウペロス様と。
つまりはあのヘルトルーデ様と!
なぜそんなことになったのかって?
私にもわからない。未だによくわからない。
王子との婚約破棄の一件のあと、ヘルトルーデ様は諸々を国王陛下に報告。陛下はたいそうお怒りになり王子は王宮の一室でみっちり再教育されたらしい。学園には卒業式まで戻って来なかった。
そして王子とヘルトルーデ様の婚約破棄……いや形の上では円満なので婚約解消? どっちでもいいけど、とにかく婚約はなくなった。
もともと王子とヘルトルーデ様の婚約は、幼い頃に王子が女の子の格好をしていたヘルト様とこの公爵邸でたまたま出会い、王子が一目惚れしたことがきっかけだったらしい。
ヘルト様のお祖母様が小さい頃のヘルト様をよく着せ替え人形にしていたのが原因だ。
この国の貴族って、子どもが七歳になるまでは公表しないのよね。だから女の子だと思われちゃって、王子溺愛の王妃からのゴリ押しもあって、仕方ないからとりあえず婚約を受け入れてそのうち死んだことにしようってことだったらしい。
ところがどっこい、王子の出来があまりにもよろしくなく、それを知ったカウペロス公爵家はこれは少しでもまともにしなければと考えたらしい。
……まぁ無理でしたけどね!
でもいつまでも女装を続けている訳にも行かない。
卒業後にヘルトルーデ様は公爵領へ移り住むことになり、その道中でまさかの事故死。誰もがヘルトルーデ様の死を悼んでいたところに現れたのが生き別れの双子の兄だというヘルト様である。
……そんな話を信じちゃう人がいるのかって? 信じちゃったんですよ! 皆!
「……あの、ヘルト様? 私は何度も申し上げているとおり、愛人とかそんな感じでいいんです。庶民育ちの女が未来の公爵夫人だなんて、ねぇ?」
王太子妃よりはマシかもしれないけど、公爵夫人も似たようなものじゃない!? 教養のない娘がやすやすとなっていいもんじゃないと思うのよね!?
「気にすることはないよ。君は地頭はいいからこれから勉強すれば大丈夫だし、環境にもすぐに慣れるよ」
「確かに適応力の高さには自信がありますけれども……!」
庶民から伯爵令嬢になった女ですからね! 環境の変化には強いですけれども!
「……でも、ヘルト様ならもっと素敵な女性を選べるでしょうに」
思わず本音がぽつりと零れた。
だってそうでしょう? 私なんかより相応しい人はたくさんいる。それなのにどうして? という疑問はいつまで経っても消えない。
「他にどんな女性よりも君がいい」
「私、そんなにヘルトルーデ様と親しくなかったと思いますけど」
実は私に惹かれていましたとか、ちょっとありえないと思う。だって私は婚約者に近づく目障りな女だったわけだし?
いやヘルトルーデ様にとっては王子と婚約解消するちょうどいい理由になるなと思われていたかもしれないけど。
「そうだね、君がいいと思ったのは殿下と婚約破棄したあの時だから」
「……はい?」
「王子を突き飛ばして啖呵を切った君が素敵だなと思ったから」
「……特殊な性癖をお持ちですか?」
ふふ、と笑うヘルト様に私はひくりと頬を引き攣らせた。
問題はヘルト様は大変優秀なので、外堀を埋められまくった私に逃げ場はないということである。
……まぁ少しだけ、悪くはないかもと思い始めているので私も既に絆されているんだろう。
手堅く愛人の座を目指していたのに婚約破棄されて計画が丸つぶれです! 青柳朔 @hajime-ao
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