迷彩アプリが全てを暴く

本懐明石

迷彩される社会

 全自動運転車が開発された。だから迷彩アプリが開発された。されてしまった。


 というのも、さしもの全自動車様でも、見えないものを回避するのは難しい。曲がり角から飛び出してくる子供とか自転車を、絶対に轢かないという保証はなかった。


 そこで開発されたのが、ナントカ波ブザーとかいうアプリだった。


 このアプリをスマホに入れ、モードをオンにしておくと、そのナントカ波とやらがスマホから発され、……それを全自動車側が感知すると、減速もしくは停車するように自動制御するというメカニズムである。


 いつぞやのパンデミックが起きた時のごとく、国家レベルでアプリケーションの導入が国民に促され、現在はあらゆるスマートフォンに標準アプリとして最初から入っている、このナントカ波ブザーであるが、しかしこのアプリには重大な欠陥があった。


 それは、「人間から感知されにくくなる」というものだった。


 アプリをオンにしていると、車からは感知されやすくなる代わりに、他人から認識されにくくなる。……要は、ナントカ波というそれ自体が、いわゆるのような性質を有するのだ。


 アプリをオンにすると、スマホからモヤが出るというイメージ。……モヤが出るから他人から認識されにくくなるが、「そこにモヤが立ち込めている」ということ自体は確かなので、全自動車は視界不良の中を用心して走行するようになる。大体こんな具合である。


 だから、迷彩アプリ。


 ナントカ波ブザーとして幅を利かせていたツールは、段々と「他人から認識されにくくなる」という性質の方をこそフォーカスされるようになっていき、現在では迷彩アプリと呼ばれるまでに至った。




 そんなわけで、私は原野丸学園の裏門の隅で突っ立っている。


 木陰で日差しは多少マシでも、大気そのものが蒸し暑くては世話がない。いっそこのまま帰ってしまおうかとすら思う。


 が、何やら右頬のあたりが、濡れたこんにゃくでも宛がわれたような、得も言われぬ感じがして、私をその場に留める。


 右を見るが、……誰かそこにいることは分かるが、それが誰であるかとかは認識できないし、……何か呼びかけているような雰囲気はあるが、それが何を言っているのかは分からない。


 私はもう、いつものことなので大して動転もせず、


「オフになってないよ」と伝える。


 すると、蜃気楼は何かアタフタした感じになり、……いきなりそこに出現したとしか形容しようのない、パッとその場に登場した。


 私と同じ制服姿の、茶髪パーマの女子高生、マツリ。右手にはスマホ、左手にはスポーツドリンクを携えており、「あっちゃー」という具合に舌を出している。


「ごめんごめん、気配隠して生きるのがクセになっててさ」


「別にいいけど、……それ、もらっていいの?」


 スポーツドリンクを指差すと、マツリは「待たせすぎちゃったんでね。これで勘弁してくれる?」と上目遣いになる。


「あなたが謝ることないのに。まあ貰うけど」


 受け取り、半分ほど一気に飲み干して、「じゃあ帰ろうか」と帰路につく。


「サチコちゃんはさ」


 マツリはパーマがかった髪を指先でクルクル遊びつつ、


「学校楽しい? 楽しめてる?」と尋ねてくる。


「私にそれ聞く?」


「そりゃもう、アタシらの仲だもん」


「…………」


 私は、意図的にちょっとズラして答える。


「迷彩アプリをさ、校則に組み込む時点でどうかしてると思うよ」


「そう? でも今はどこの学校でもそうらしいよ? 登下校時は車に轢かれないようにアプリをオンにして、学内では学生同士の健全な交流を育むためにアプリをオフにしましょうって、どこもそうやってるよ」


「じゃなくて、謹慎の方。分かっててすっとぼけてるの?」


「あー、『学内謹慎』ね。分かってる分かってる。アレはクソだよねー」


 マツリはけらけら笑って誤魔化す。


 彼女にはそういうところがある。当事者意識が欠けているというか、他人事というか。




 迷彩アプリの導入が普遍的になってからしばらく経つと、迷彩アプリが各方面でルール化されていった。


 大体の学校は校則の中に、「使」と書き加えていった。……まあ、そもそも大体の学校はスマホ禁止だから、無意味なルール設定と言えばそうなのだが、世に無駄なルールなどありふれていて、その内の一つというだけのことに過ぎない。


 理由はマツリが言った通り、学内での健全な交流を育むためである。


 当たり前だが、アプリをオンにした状態でマトモなコミュニケーションなど不可能だ。……お互いにモヤを外した状態でなければ友達になれない、交友できない。だからしないべきという、考え方としては真っ当だ。無駄ではあるけど。


 ただ、一方ではその迷彩アプリを、制裁の手段として用いようという考えも普及していた。


 すなわち、何か校則違反を犯した生徒に対して、校内での迷彩アプリ使用を命ずる。


 従来では、校則違反者は自宅謹慎処分されることになっていた。……早い話が、「一人になって頭を冷やせ」というもので、社会から隔絶させることを罰としていたわけだが、それも遠い昔の話。


 今では、違反者を学校に出席させつつ、迷彩アプリによって校内コミュニティーから隔絶させるのが主流になっている。


 表向きの理由としては、「校則を違反したからといって学習の機会を奪うのはいかがなものか」と騒ぎ立てるモンスターペアレンツへの配慮であり、後ろ向きの理由としては「社会の中に存在するのに無視され続ける方が堪えるだろう」という、要は厳罰化であった。


 学内謹慎。


 出席しながらにして謹慎させるという、矛盾した歪んだ仕組みである。




「大変だよ。プリント回すのも一苦労だし、ちょっとボンヤリしてたら教室に鍵かけられて閉じこめられるし、……これならいっそ、不登校になろうかと思うよ」私はぼやく。


「災難だったよね。学校内でのイジメを動画に撮って報告しようとしたら、『学校内でのスマホ使用は校則で禁じられている』って謹慎食らったんだもんね。そりゃねえよ先生って。ねぇ?」




 迷彩アプリがクソなのはもう一つある。


 というのも、迷彩アプリという単語を「言い訳」として出す人間がいるのだ。……これはアプリが悪いというより、人間の性根が悪いと言った方がより正確なのだが、とにかく。


 事の発端は、私が学校内でイジメを目撃したことに遡る。


 私はもちろん、そのことを担任の教師に報告したが、その場ではうやむやな回答で済まされ、以後も彼がイジメに対処することはなく、痺れを切らして「どうして何もしないんですか」と詰め寄ったところ、




「俺にはイジメなんてどこにも見当たらんがなぁ。迷彩アプリで見えないようにやってるんじゃないか?」




 そんなことはない。私には見えている。何度も見かけた。一件だけじゃない。


 でも、教師はする。「きっと迷彩アプリで見えないようにイジメをしているんだ」、「だから俺には見えない」、「見えないものはどうしようも出来ない」。


 どこまでも、イジメに対処するのを面倒がっている。それが教師としての責務であるにも拘わらず、のらりくらりと問題から逃げ続けるその態度が、私は気に食わなかった。


 だから私は、イジメの現場をスマホで撮影し、それを教師に見せることにした。


 誰がどう見てもイジメの現場だ、これを見て「俺には見えない」と言い逃れすることは出来ない。さあ動け。責務を果たせと、再度、担任に詰め寄ったところ、




「学校内でのスマホの使用は校則で禁止されている。明日からは学内謹慎するように」




 クソである。何がクソかって、「スマホの使用を咎めるクセにスマホアプリを使った謹慎をさせるのかよ」という、杜撰な管理体制にも不満がある。いい加減に仕事しすぎだ。




 マツリに対しても申し訳ない気持ちだ。


 私の向う見ずに巻き込まれる形で、彼女まで迷彩アプリをオンにしたまま学校生活することを余儀なくされていた。快活な彼女が周囲の人間みんなからことごとく無視されつつ生活するなど、拷問にも等しいだろうに。


「別に気にしてないよ。見られてないなら別に、何してもいいわけだしね」


「何それ。なんか変なこと企んでないよね?」


「んー? さあどうかなぁ」


 こうやって与太話するのも、迷彩時代では物珍しい。


 車に轢かれないようにと登下校時はアプリのオンが推奨されているから。……真面目な学生は、学校内でのみ友達と談笑し、行きと帰りはバラバラである。アプリのせいでお互いがお互いを認識できず、交流の仕様がないから。


 私は感性の方が平成だから、友達と談笑せずに登下校するというのは、どうにも性に合わない。学内ではオンにしていたスイッチを、学外ではオフにする。他の生徒とは全くアベコベに。


「謹慎っていつまでだっけ?」マツリが口走る。


「今日までだよ。先生から言われなかった?」


「えー、あのクソ先公がアタシに声かけてくれるわけないじゃん。自明だよねぇ」


「……まあ、それもそうか」


 声をかけるわけがない。


 その通りだ。そうでないと困る。




 体育館に、全校生徒が集められる。


 冷房は完備してあるが、申し訳程度にしか稼働していない。ぬるい。


 そして、地べたに座らされている。……まあ、わざわざ全校生徒分の椅子を出すまでもないという判断である。あくまでインスタントな。


 この会を催したのはマツリである。


 通常、学内謹慎を終えた生徒はそのまま何事もなかったかのように謹慎を解除し、通常の学校生活に戻ることになっているのだが、マツリはそれに異を唱えた。


 校長に直談判し、


「アタシが校則違反をしたことでご迷惑をおかけした諸先生方や全校生徒それぞれに、きちんとお詫びの言葉をお伝えしてからでないと、アタシは皆様に合わす顔がありません」と。


 校長はこれに感銘を受けたらしく、「なんと立派な生徒に改心したのだね」と大喜びし、全校生徒ならびに全教師を体育館に招集した。マツリ一人のためだけに。


 私は全校生徒の隅っこの方で、壇上の方を眺める。


 誰かしらそこに登っていく気配はするが、それが誰であるか分からない。ボンヤリとしたものがそこにふわふわと漂っているだけ。


 モヤは壇上の中央で静止すると、そのまましばらくジッとしていた。


 校長が、


「もうアプリを切っていいからね。じゃないと誰にも何も伝わらないからね」


 と声を張り上げ、一同はクスクスと笑う。


 すると、蜃気楼は何かアタフタした感じになり、……いきなりそこに出現したとしか形容しようのない、パッとその場に登場した。


 私と同じ制服姿の、茶髪パーマの女子高生、右手にはスマホ、左手には何かテレビのリモコンのようなものを携えており、「あっちゃー」という具合に舌を出している。


「すみません、気配を隠して生活するのがクセになっているもので」演台のマイク越しにレスポンスする。


 一堂がドッと噴き出し、マツリは本題に入る。


「さて、本日みなさまにお集まりいただきましたのは他でもありません。……不肖アタシが、愚行のために皆様に多大なるご迷惑をおかけしました段、謹んでお詫びさせていただければと存じ、朝の会のお時間を拝借させていただきました次第と相成ります」


 敬語なのかなんなのか分からない言葉遣いをする。マツリにはそういうところがある。


「まずこちらをご覧に入れてください」


 彼女がリモコンを操作すると、スクリーンが壇上の天井から降りてくる。「ここまで大掛かりなことをするのか」と生徒がざわめき、映写機がまっさらなスクリーン上に、







 と表示する。


 マツリはわざとらしく深く息を吸い込み、こう告げる。


「アタシはこの謹慎期間の間、勉学に励みつつもその傍らで、不肖ながらパトロールをしておりました」


「愛すべき我らが原野丸学園で、不逞を働く輩がいないかと目を瞠っていたのです。それがせめてもの罪滅ぼしになると信じて」


「そうした結果、実に数百件にも及ぶ校則違反行為を、アタシは目撃しました」


「ですがアタシは学内謹慎中の身分、モヤのような存在ですから、アタシが見聞きした真実を話そうとしても、誰もそれに耳を傾けてくださいませんでしょう」


「そこでアタシは、それら違反行為を映像として残すことにいたしました」


 一堂は、この段になって全てを察した。


 もう、あと何か一つでも刺激があれば、バンと爆発するだろうくらい、どよめきが増していって、……マツリは人の悪い笑みを浮かべると、


「暴徒を鎮圧した方の映像は公開しないようにいたします。もしブレーカーを落とすなど上映会そのものが中断されるようなことがございましたら、当該映像は丸ごとネット上に公開します」


 はい始め、の号令を皮切りに、体育館内はパニック状態と化した。


 興味深いことに、マツリの言うところの「暴徒」にあたる人物はほとんど現れず、……それよりはむしろ、映像設備を死守しようと映写機を取り囲んだり、壇上に繋がる階段の前で立ち塞がったりする連中の、「上映会を止めるな」運動が、狂乱そのものであった。


 暴徒を鎮圧した者の映像は公開しない。という約束。


 俺はこんなにも上映会に協力的なんだから、俺の秘め事は公にしないでくれと、自分の学年からクラスから出席番号からフルネームまで絶叫しつつ、映像設備を死守する手合いもいるほどで、浅ましいことこの上ない。


 私はスマホでSNSを確認する。


 既に全員分の悪行が、ネット上に公開されている。それはもう、悪逆たる。


「………………………………」


 教師らは、比較的穏やかであった。


 勿論、パニック状態に陥る生徒らを宥めようという姿勢は見せていたが、いずれも平静を装っていていけ好かない。我々には関係のないことだと言わんばかり。


 でも、担任だけは違った。


 ミナミ担任だけは、体育館の脇に突っ立ったまま、呆然と壇上を眺めていて、……そして、オロオロと戸惑う校長からマイクを取り上げると、


「お前、誰だ?」


 マツリに向かって問いかけた。


 会場はその刹那、ピタッと静寂するのだが、……彼女の方は何の気なしに、


「へえ、アタシがサチコちゃんじゃないことは分かるんだ。しばらくぶりの再会なのにね」


 と返した。


「……へ、」


 ミナミ担任が段々と絶叫する。


「返事は、返事になっていないぞ、……お前は誰なんだ。お前は花村サチコじゃない。…… ……花村サチコは謹慎期間中も欠かさず学校に来ていたはずだ。出席だって取ってある。……でも、違ったのか? 教室に来ていたのはお前だったのか? 映像を集めたのは誰だ! 


「そんなに騒ぎ立てなくても、みんな聞こえてますよ」


 私は立ち上がる。今やその場にいる全員が立ち上がっていたから、最後になる。


 もはや静まり返っていて、マイクなんか要らない。アプリをオフにしたから、私の声はクリアに聞こえているはずだ。


「だから観念しましょう、先生。……みんな聞こえているんです。あなたが『ここなら聞こえないだろう』『生徒は授業中のはずだからな』と高を括って、あのの中に顔面を埋めつつ、気色の悪い喘ぎ声を漏らしていたのは、みんな私が聞いているのです。記録しているのです」


「…………花村、サチコ……」


 ミナミ担任は顔面が真っ青になり、大馬鹿のようにポカンと口を開けると、マイクを落とし、スピーカー越しに衝突音とハウリング、……そしてしょんぼりとスマホを弄り、モヤとなった。


 マツリは上映会を始める。私はアプリをオンにして、早々に体育館から立ち去った。

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