至る先
それから綾子さんの店に折を見ては通うようになった。
距離はあったが気にも留めず遠距離恋愛の恋人のように毎週金曜日の仕事帰りに新幹線に飛び乗っては店へと伺う。
最初は客として、そして、お客さんの少ない時は料理を教わる生徒として。
失った味を手にいれるために拝み倒して指導を仰ぎ、綾子さんは快く引き受けてくれた。3年目の秋に互いに思い合い、惹かれ合っていることに気がつくと、仲が深まるまでにはそれほど時間を必要とすることもなく、私達は恋仲となった。
「この写真!」
「ああ、これは昔のお婆ちゃんのお店で撮った写真よ、この数日後に店じまいして引っ越したの」
「ここに写っているのが祖母だよ」
「これが私のお婆ちゃん」
綾子から見せられた古いアルバム、そこに祖母の枕元にあった同じ写真を見つけ驚いて声を上げてしまう。
それはふる里の味を忘れないで欲しいと綾子のお婆ちゃんの母親が移転前まで開いていた料理教室での一枚であった。
上段の棚にあった【小料理屋 子狐】が掛けられた店で、沈み消えゆく故郷の味を伝えたいと、集った若者達に男女を問わずに教えていた。
「でも、すべてを守っていく必要はないとも言っていたそうです」
「そうなの?」
「私達の世代はそうでもないですけど、お婆ちゃん達の世代は、嫁ぎ先の味を守る、ということもありましたし、それに新しいところへ出て行く人たちはそこの味にも触れる。だから、無理をして守らなくてもいいと。でも、一品か二品だけはふる里の味を覚えておいてくれたらって」
「残る味か…‥‥」
「ええ、感慨深さは違うでしょうけど……」
「感慨深さ?」
「私達にとっては祖母の手料理の味、この写真に写った人々にとっては、野山と川と人の暮らしが心に息づくふる里の味……」
「それは……そうだね」
当たり前のこと。でも、失念していた気がする。
それぞれにふる里は違う。
別の地で生まれ育てば、その土地がふる里となるのは自明の理だ。
でも、受け継がれてきた味を覚えておくことは良いことだ。
日々の暮らしの中に受け継がれた味を。
そしてふと考えることになる。
『そこを訪ねてみよう』と。
辿りて至る 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます