第3話 教会襲撃
それが起こったのは、レンが居なくなって少し経った頃だった。
大教会が揺れた。耳を劈くような轟音と共に、窓ガラスが全て割れるほどの衝撃に身を打たれた。それは執務室で書類仕事をしていたルナリア達にも伝わっていた。
「なんだ!? 何が起こった!」
モルドレッドがすぐに状況把握へと動き出した。
執務室の扉へと向かい、外に出ようとしたタイミングで丁度よく一人の騎士が焦りを隠せない様子で執務室へと飛び込んできた。
「モルドレッド卿、ルナリア様っ! ここから早くお逃げください! 何故かは知りませんが、騎士団がこの大教会を襲撃してきました!」
「なんだと……っ!? 騎士団がこの大教会を襲うだと!? 正気の沙汰じゃないぞ! こっちには《聖女》が居るというのに!」
騎士たちの襲撃。明らかな異常事態に、モルドレッドも困惑を隠せないでいる。
無理もない。騎士団が独断専行で動くことなどあり得ない。そして、騎士団を動かせる権力を持つ人間も一人しかいない。
辿り着く結論はとてもじゃないが信じがたいものだ。
「国王が……『大教会の襲撃を企てた』だと!?」
モルドレッドは聡明な男だ。この状況下でなお、自身の平静を保ちながら頭を赤熱しそうなほど酷使する。
国王の真意は不明。それを国王自身に問いただす時間など当然ありはしない。そして、王城に呼び出されたレンもまた同様に襲撃に遭っている可能性がある。
レンが戻って来られる可能性は最初から除外した方がいい。
「…………状況は最悪、か。おい、戦況はどうなっている。被害の状況も端的に言え」
「唐突な襲撃だったため、護衛の騎士の大半は死亡。残りの者たちでなんとか抑え込んでいますが、それでも長くは保ちそうにありません。後は……修道女がおよそ十人ほど……」
「そうか……」
モルドレッドは歯噛みした。
執務室がある部屋は地上二階だ。一階部分にある大講堂を押さえられてしまえば、ルナリアを逃がせる場所など無くなってしまう。
上へ逃しても、結局は袋の鼠。状況が好転することなどあり得ない。
「…………貴様たちは、何としてでも一階を死守しろ。ルナリア様を逃すまでの時間を何としてでも稼ぐほかあるまい」
「わかりました。モルドレッド卿もお気をつけて」
護衛の騎士は疑問を挟まず、すぐに首肯を返した。そうして死地へと赴く者の背中を見送った後、視線を後ろで書類作業を放り出したルナリアへと向ける。
「さっきの話はどういうこと……? 何故よりにもよって、騎士団が大教会に襲撃を? しかも、同じ騎士団に籍を置く護衛の騎士たちまだ殺すなんて……」
「ルナリア様。今は疑問を言っている暇も、その疑問に対する回答もありません。一先ず、この場から離れることを最優先にしてください」
「モルドレッド! それだけじゃないの! レンは……王城に行ったレンはどうなったの!? もう、戻ってきてるの!?」
「それは…………」
モルドレッドにも分からない。この状況で彼が間違いないと確信しているのは、王城の方でもレンが襲撃を受けているだろうということだ。
現に、大教会――《聖女》の命が脅かされているこの現状で、レンは未だにその姿を見せていないのが何よりの証拠だ。
「……一先ず、ここから避難することが最優先です。レンの事は後にでも……」
「――モルドレッドッ!」
ルナリアが涙を薄らと浮かべた眦を吊り上げ、目の前に立つ枢機卿の名を叫んだ。
「…………正直に言いましょう。王城には……いや、王の側には聖王国最強の騎士が控えています。城には他にも騎士を待機させているでしょう……」
「…………それじゃあ――」
「――ですから、今は逃げるのです。もしも、レン殿がやられてしまったら、城にいる騎士の全軍が来てしまう。そうなってしまえば、いよいよ逃げられなくなる。だから、今は……」
逃げてくれ――簡単に言えるが、目の前の少女はきっとそれを良しとしない。
ルナリアにとって、レンという騎士がどれだけ大きな心の支えになっているか。それを推し量れないほど、モルドレッドは鈍感ではない。
レンが生きている可能性はある。だが、それに賭けていられるほど状況は良くない。生きている可能性が少しでもあると知れば、少女はレンを置いて逃げることを是としないであろう。
だからこそ、モルドレッドは残酷な――絶望的観測を告げることで、ここからの逃亡を促した。
「…………」
拳が堅く、強く握りしめられている。少し長く、鋭く伸びた爪が掌の皮を裂き、血が滲んでいた。
顔を伏せ、何を言うもせず黙秘を貫く少女をモルドレッドは無言で見る。
「…………逃げましょう」
少女が顔を上げる。
そこに色づく《聖女》の顔を見て、モルドレッドは静かに頷いた。
「レンは生きてる。私はそう信じている。だから、レンとまた会うために…………って言うのは、希望的観測すぎるかな――?」
頬を引き攣らせ、強がっていることが分かってしまうくらい、とても下手くそに笑うルナリア。
彼女は元より、レンが生きていることを信じていた。だからこそ、自分のすべき事も理解していた。
「いいえ。レン殿なら、必ず生きています」
「私たちも。レンさんは生きていると思います」
それは慰めの言葉などではなかった。
モルドレッドも、修道女たちも信じているのだ。レンならば――ルナリアの護衛騎士ならば、必ず生きて戻ってくると。
そして、二人は執務室にいた三人の修道女と共に、執務室の外へと出た。
『――なんとしてでも、ここを守れッ! 上に行かせるなァアアッ!!!!』
階下から騎士たちの咆哮が轟いた。甲高い音が教会中に木霊する。噎せ返りそうなほど血の匂いが充満している。劫火が世界を熱気に包んでいる。
戦いの苛烈さを目で見ずとも、耳で、鼻で、肌で――五感の全てが悟らせる。
ルナリアは下唇を噛み、それを見兼ねたモルドレッドが彼女の肩へと手を置いた。
「一先ず、空中庭園まで行きましょう」
「……空中庭園?」
モルドレッドはルナリアに空中庭園――大教会の最上階へ行くことを促した。
下ではなく、上へ。
モルドレッドは一切の迷いなくそう言った。その真意をルナリアは理解できないでいる。いや、ルナリアだけではない、修道女たちも困惑の表情だ。
無理もない話だ。
逃げるという結論を先程出したばかりだったにも関わらず、逃げ場のない上に行くことを進言するなど、気でも狂ったのか――そう思われても仕方がない。
だが、モルドレッドは至って真剣に、至って真面目にそう提案した。
「アソコには……今は使われていない『地下へと続く階段』があります。そこを経由すれば、下水道に出ることができます。そこまで来れば、下水道から王都の外に抜け出せる」
過去、戦争が起こった際、大教会から安全に逃げられるようにと造設された地下への隠し階段。王にすら教えられていない緊急を要する際の脱出通路。
それがまさか、最上階のそれも花畑の中に隠されているなど、誰も知り得ないだろう。
モルドレッドがそこを知っていたのは、大教会を管理する《枢機卿》という立場だったからだ。
「それじゃあ……そこを使えば……」
「比較的、安全かとは思います。無論、確約された安全ではありませんが」
それでも死地と化した一階を経由するよりかは、幾分か安全であることに変わりはない。
「ですから、早く階段を登って――」
階段の手前まで、彼らは歩みを進めた。この階段を後、二階分上がればそこは最上階。
希望が見えた。教会を守護する騎士たちが命を賭けて紡いだ時間が。この階段を登るまでの、《聖女》を逃すための時間を稼いだ。
――かに、思えた。
『――――――ッッッッ!!!?』
ズドン……! と、一度。
大地が震えた――そう錯覚を覚えるほどに重い衝撃が体の芯を殴りつける。
立っていられないほどの振動。
その場にいた全員が、階段の手前で体勢を崩した。
「な、なにが起こったの!?」
「音が……」
「……消えた?」
修道女たちが呆然としながら呟いた。
「まさか、今のは『魔法師団』の……? いや、だが仮にそうだとしたら……王はどれだけ……!」
全てを悟った枢機卿は戦慄した。
そして、聖女の目は――その光景を捉えてしまった。
「嘘、でしょ?」
階下の大広間。騎士たちが犇めきながら、乱戦の体裁を取っていた戦場。死線へと身を投じていた騎士たちが、地面から伸びた杭に刺し貫かれていた。
敵味方を問わない大量虐殺。
そして、それを為した者たちが、ゆっくりと階段を昇ってきていた。
「ッ、何故だ……。何故、こんなにも惨いことができるッ……! 答えろ、ラウデアッ!」
現れたのは全身を重鎧で包み込んだ大男。
聖王騎士団・副団長――ラウデア・グールホーン。
彼の手に握られているのは、人の頭ほどの大きさのある球状の頭部に、無数の棘が備え付けられた
「吠えるな、モルドレッド。邪魔な障害は即座に取り除くのが吉…………違うか?」
兜で隠されて見えないその相貌が、残酷に歪んだ――そう錯覚させるほど、その声音には享楽的な、破滅的ななにかが入り混じっている。
「ふざけるな……! 自分の部下までも巻き込んでよくも抜け抜けと言えるなッ! 貴様はどれだけ腐っているんだ、ラウデア!!!」
脳みそが沸騰しそうなほどに、モルドレッドは激情に駆られていた。
仲間を仲間とも思わぬ鬼畜の所業だ。
それを指示できる人間も、それを実行できる人間も。もはや人の域を外れた外道。
「お前だって分かるだろう? 『無能な仲間』がどれほど足を引っ張るのか。この国に従事し、『魔法師団団長』としてその手腕を振るったお前なら」
「分からんな! 仲間を平然と切り捨てられる、貴様のような外道の考えなど!」
ラウデアの問いに、モルドレッドは更に怒った。
瞋恚を燃やす相貌が、鬼のように歪んでいく。
「……ルナリア様、早く上へ」
モルドレッドは階段を登り、近付いてくる大男の眼前に立ちはだかった。
「モルドレッド……?」
――いつもと、雰囲気が違う。
モルドレッドの中に燻る……いや、もはや地獄すら生温い激憤が、魔力の渦となって漏れ出している。
有無を言わさぬ圧迫感が場を支配している。
神へ仕えることを決め、一度はその杖を折った一人の魔法師が、外道に堕ちた騎士と戦う覚悟を決めた。
「……ルナリア様、仲間を作りなさい。生きて、生きて、生き延びなさい。…………例え全てを失おうと。そして、次回の『聖王祭』までにこの国を取り戻すのです」
「待って……待ってよ、モルドレッド……」
それじゃあ、まるで――。
その先の言葉をモルドレッドは言わせてはくれなかった。
伸ばされた手を振り払うかのように、地面がけたたましい咆哮を上げながら、二人の間を別つ壁を生み出す。
「モルドレッドォォォオオオ――!!!」
慟哭が、響き渡る。
最後に見た、一人の少女は泣いていた。
顔を背ける修道女たちは、側へ駆け寄ろうとする少女を抑え、上へ。
聖女の目から溢れ落ちる雫を一瞥し、モルドレッドは眦を決した。
「なぁ、モルドレッド。俺はお前を評価している。お前はとても優秀だ。優秀な奴が俺は大好きだ。だから……《聖女》を捨てて、俺たちに付けよ。好待遇を約束してやるぜ?」
「つけ上がるなよ、ラウデア。私は確かに一線から退き、若者に地位を譲った。だがな、これでも魔法師団の団長として、この力を奮ってきた自負がある。私の経験が作り上げた誇りを……私の心に燃える信念を! 貴様に抜け抜けと預けると思うなッ……!」
「そうか。残念だよ……」
その心にあるのは、『誓い』。
かつて、己が主とした先々代の《聖女》との『約束』
かつて、自らが愛したただ一人の女性と交わした『契り』。
(……大丈夫。あの娘は強い――私が居なくても、きっと立ち直れる)
いつの日か、『本当の家族』になれる事を望んでいた。
いつの日か、全ての真実を伝えようと考えていた。
今となっては、それはもう全てがあとの祭り。
ならば、せめてこの老骨に鞭を打ち、一人の少女が旅立つまでの時間を稼がなくてはならない。
「行くぞ、ラウデア! そして、刮目しろ若き魔法師たちよ! 私は……《枢機卿》モルドレッドだ!」
――戦火は、拡大する。
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