第2話 王城の罠
レーデス聖王国・王城――人が五人ほど横に並んで歩いても余裕のありそうなほどに広い廊下を、レンは一人で歩いていた。
床に敷かれた赤い絨毯と白亜の壁で囲まれた一見シンプルながら、王の住まいを彷彿とさせる豪奢な装飾の数々に目を惹かれる。
(王城……久しぶりに来たな……)
最後に来たのは三ヶ月ほど前だろうか。
レーデス聖王国で一年に一度開催される『聖王祭』の式典を執り行う際に一度足を運んだきりだ。
その時は王城の客間までの廊下が開放され、各国の来賓客と守衛を務めていた騎士たちで溢れかえっていた。だが、今この廊下を歩いているのはレンただ一人のみ。
(なんか……静かすぎるな……)
いつもならメイドや騎士とでもすれ違っているはずなのだが。王城に入ってから、誰一人とも遭遇していないことに一抹の不安を覚える。
レンは違和感を覚えながら一歩、また一歩と歩みを進めていく。
そうして誰とも会わないまま一人で歩いていると、ふとレンの頭に銀の少女の顔が思い浮かんだ。
(…………『ルナ』かぁ)
懐かしい呼び方だ、とレンは昔を思い出していた。
レンとルナリアは幼い頃――彼女が《聖女》になる前――に何度か顔を合わせては、その度に夢中になって遊んでいた。時折一人で教会を抜け出して街に繰り出していたルナリアとレンは気付けば友人となっていた。
良き友人関係だったと昔を振り返れば、そう思える。
だが、二人はそもそもの立場が違った。
レンはただの平民。ルナリアは教会の《聖女》。
どうしようもない壁が二人の仲を引き裂き、二人が共に遊ぶことはなくなってしまった。だが、その最後の時にレンはルナリアに誓った。
『ボクがキミの騎士になる! だから、それまで待っていてくれ!』
その日からレンは努力を重ね、宣言通りルナリアの護衛騎士となったのが今から三ヶ月ほど前。
折角、仲の良かった友人の側へと戻れたのに、その関係は昔のようにはならなかった。
「なんか……よく分かんないけど、気恥ずかしさがあるんだよなぁ……」
レンとしても二人の時くらいは『ルナ』と昔のように呼んでも良いのではと考えていたが、どうにも口にしようとする度に恥ずかしさが勝り堅苦しい口調にしかならない。
どうすれば昔のようになれるのか。そんな事を考えながら、王城の謁見の間に続くまでの道を歩いていると、目の前から一人の騎士が歩いてきた。
「……あれ、ダイナか?」
「ッ……レン……?」
金髪三白眼という人相の悪い騎士――ダイナだった。
ダイナはレンの顔を見ると、どこかバツの悪そうな顔をした後、早足でレンの横を通り抜けようとした。
「あ、おい! どうしたんだよ、ダイナ!」
したのだが、レンがすかさずその肩を掴んだ。
レンとダイナは同時期に『聖王騎士団』に配属された同僚だ。レンは騎士になってすぐにルナリアの護衛騎士となった事で関わりが減ったが、それでも仲は悪くなかったはずだ。
「久々に顔を合わせたんだ。なにか話でも……」
「話なんか……ねぇよ……」
しかし、ダイナはレンに目を合わせようとしない。意図的に逸らされている。
「なぁ、なにかあったのか? それとも、俺がなにか……」
「だから、何もねぇって!」
ダイナが声を荒げながら、レンの手を振り解いた。
レン自身、自分がなにかしてしまったのかと考えた。だがそんな記憶はこれといってない。
なぜダイナがここまで自分のことを邪険にするのか、レンには皆目検討も付かない。
「…………わかったよ。じゃあ、もう何も聞かない。それじゃあ、俺は行くよ」
「…………っ」
ここでダイナと何か話をしようとしても、無駄だとレンは判断して、謁見の間へ向けて再び歩みを始めた。
そんなレンの背中を見送りながら、ダイナは苦虫を噛み潰したような表情をしていた事を、レンは知らない。
そして、ダイナの様子に違和感を抱きながら、レンは謁見の間の扉の前に立っていた。
扉を挟み込むように立っている二人の兵士によって止められたレンは、ちらりと廊下の窓から見える空模様を見て胸騒ぎを覚えていた。
(雨、か……。さっきまで晴れていたのに……)
雷が落ちる音が響き渡る。雨の勢いは激しさを増していき、先程までの穏やかな晴れ模様は一変していた。
まるでこれから悪いことが起きる前兆のようにすら思えて、レンは唾を飲み込んだ。
「入れ。王がお待ちだ」
「…………わかった」
兵士の一人がそう言うと、扉の前で交差させていた槍を手元に引き寄せ、扉を開放した。
ゆっくりと開かれる荘厳な扉の向こう。煌びやかに宝石や黄金で装飾された玉座に、その人は座っていた。
口周りに蓄えられた白い髭。彫りの深い威圧感のある顔立ち。頭の上に置かれたルビーが一際輝く王冠を被ったその人こそ、レーデス聖王国第十二代国王アルバート・グラニス・レーデスである。
そして、その横に立つことを許されたのは、筋骨隆々の老夫。聖王国最強とも名高い聖王騎士団団長ドルナ・ノーラである。
「レン・アルスター。拝謁、感謝します」
レンは謁見の間の中央まで進んだ後、その場に跪いて身を低くした。
「単刀直入に言おう。今日、貴様を呼んだのは他でもない。《聖女》ルナリアのことよ」
「…………と、言うと?」
ルナリアの名前が出たことにレンは顔を顰めた。
「なに、簡単な話だ。とある情報筋で『聖教』が我に刃を向けようとしていると入ってきてな。その首謀者として担がれているのが、《聖女》であると言うのだ」
「…………は?」
「我も最初聞いた時は信じられなんだ。だが、最近の『聖教』の連中は勢い付いている。その力は我にも届き得るだろう。そして、そこに《聖女》が付くとなれば、この国の未来は暗いものとなる。それは許せん」
レンの中の確証のない胸騒ぎが確かな形を帯びていく。廊下で不自然なほどに人がいなかった疑問が、ダイナに覚えた違和感が、よりはっきりとしていく。
脳内が警鐘を鳴らし始めていた。なぜ自分がここに呼ばれたのか。その理由がわかってしまったからだ。そして、それが正しいなら――
「よって、先程騎士団の総力を上げて、
「――――な!?」
――これはレンを嵌めるための罠であるという事。《聖女》を守る護衛騎士となったレンを、ルナリアから引き離すための謀略であると。
「そして、貴様にも裏切りの疑惑がある。よって、ここで物言わぬ屍となれ」
「…………っ!!」
その言葉と共に、陰に潜んでいただろう騎士たちが一斉にレン目掛けて攻撃を仕掛けた。
それをレンは反射的に引き抜いた剣で斬って、払いのけながら、後ろへと跳躍して距離を離した。
総勢十二名の騎士…………いや、王の側で控えるドルナを含めれば十三名の騎士を前に、背筋が凍っていく感覚をレンは覚えていた。
「何で――ッ!」
「やれ、騎士たちよ」
レンが疑問を挟む余地もなく、騎士たちの猛攻が始まった。
十二の銀線が閃く。洗練された騎士の連携から繰り出される攻撃は、味方に当たることはなく、的確にレンのみを狙って放たれている。
それをレンは辛くも凌いだ。襲いくる斬断の嵐の中、その軌道を逸らしながら、出来た隙間に体を捻じ込み被弾を極力少なくする。
(クッソ! 凌ぐので精一杯だ! 早くコイツらを倒さないと!)
心の中に焦燥が色づき始めていた。
ここでレンが足止めを食えば食うほど、大教会の被害は大きくなってしまう。
ルナリアを守れる人間が居ない今、ここで時間を食い潰してる暇はない。
なのに、なのになのになのに――!?
騎士たちの連攻の嵐に囚われて、レンは動けないでいた。
逃げ出そうと無理にでも突破口を作ることも不可能ではないのだろう。
しかし、たとえ突破口を作り出せたとして、そこを潜り抜ける間に他の無数の斬撃がレンの身体を切り刻んでいくという結果は想像に容易くない。
(かと言って、魔法を使えば仲間を殺してしまう――いや、今はそんな事を考えてる場合じゃない)
この状況を打開するには魔法しかない。
個々人が有する魂の形を魔力というエネルギー炉を以てして、外界に顕現させる秘法。仲間を殺してしまう可能性に怯えている暇はない。
「燃えろぉ!!!」
『ぐあっ!?』
瞬間、爆炎が地を奔った。
解き放たれた熱の奔流が周囲を取り囲んでいた騎士たちを吹き飛ばし、気づけば包囲網は完全に瓦解していた。
「なんたる才よ……」
アルバートはその光景を目の当たりにして、一言そう呟いていた。
そして、隣に立つ老騎士へ視線を向けた。
それだけで王の言いたいことを理解したのか、ドルナは剣を抜きながら一歩、踏み出した。
「――っ! 団長……」
一歩。たった一歩だ。不自然な行動をしたわけではないにも関わらず、身体の奥底から恐怖が湧き上がる。
足を床に縫い付けられたかのようにレンは動けない。ゆっくりと歩み寄ってくる老騎士をただ傍観しながら、冷や汗を流す。
「レン」
剣が抜き放たれる。
ごく自然の動作だった。
警戒すら許されないほどに自然に。
そして、それが当然だというようにレンの脳裏に次の光景が映し出された。
――首が落ちる。血飛沫が舞い散る。レン・アルスターは……ここで死ぬ。
「…………っ!?」
悪寒が全身を駆け抜けた。嫌な想像が現実味を帯びていくのを感じる。
それと同時、ドルナの姿が霞のように消えた。
目でも捉えきれないほどの速さ。予備動作も無しに最高速度へと達し、絶殺の刃を振るう。
「――ぐあっ!?」
それを防げたのは、偶然だった。
刃が首に触れる寸前。
だが、衝撃までは殺しきれずに、レンは左方向へと吹き飛んだ。
「今のを防ぐか。ならば、次だ……」
再び、姿が霞へ。
現実にあった筈の肉体が、虚構へと帰っていく。
次の攻撃は偶然では防ぐことは不可能。だが、結局は実体を持つ人だ。
姿が認識できずとも、必ず何処かにはいる。
「それなら、辺り一体を燃やすッ!」
レンの『魔法』――【炎獄】は至極単純明快な能力。
どんなものですら燃やし尽くす『地獄の炎』を操るだけの魔法だ。
紅蓮よりも紅く、業火よりも熱い焔が世界を覆い尽くす。仲間と呼んでいた者たちへの、せめてもの慈悲すら投げ捨てた『炎熱地獄』をその場に顕現させた。
「やってくれる……」
体に軽い火傷を負ったドルナがその姿を現した。
レンを中心に渦巻く狂熱の嵐。ドルナを以てしても突破が容易ではない、レンが誇る最大出力の魔法により、攻撃の手が僅かに緩んだ。
「…………逃したか」
地面に残る焦げた蹄跡を見て、老騎士は呟いた。
扉へと続く焔の残滓。焼け焦げ、溶け落ちた扉を見て、呆然とする間もなく。
その慧眼が次の指示を飛ばす。
「大教会へ――」
◆
走る、走る走る走る走る――。
足裏に爆炎を炸裂させながら、豪雨の中を駆ける。
煙を噴き上げる街道。街への被害を考慮する段階はとうに過ぎ去った。
「急げ、急げ急げッ!」
己を駆り立てる焦燥。
それを更なる推進力に変えて、レンは疾走する。
建物の屋根へと飛び移り、迂回など一切せず、可能な限りの最短距離で。
街並みが壊れていく音を聞きながら、それでも『魔法』を行使し続ける。
「早くしないと、早く――ッ!」
大教会へと騎士が派遣したと、王はそう言っていた。
王の命令で、騎士たちは大教会にいる敬虔なる修道女や司教を殺して回るだろう。そして、そんな彼らの目下の目的は――《聖女》ルナリア。
護衛の騎士はレン以外にもいる。だが完全に油断し切っている無防備なところを叩かれれば、護ることなどできぬ間に殺されてしまうだろう。
だからこそ、その足を止めることは許されない。
「っ、見え、た……」
ようやく見えた大教会。
レンはその惨劇を見て、絶望した。
大教会の前に転がる無数の屍。それは大教会の守護を任された騎士たちだ。
より、凄惨に。より、悲惨に。より、残忍に。
ある者は四肢を杭で打たれ。ある者は臓腑を外へと引き摺り出され。ある者は関節ごとに分かたれ。
手で目を覆いたくなるほどの惨状が広がっている。
「……悲しんでいる暇はない。早く、中へ――!」
涙は流さない。
今はただ、この先で待つルナリアを救うために。
「待ってろ、
崩れ始めた大教会の中へと、レンは突撃した。
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