【連載版】裏切り聖女の護衛騎士

ホードリ

第一章 聖王国逃亡編

第1話 聖女と騎士

 大理石で作られた純白の廊下に春の陽が差し込む。

 大理石に反射し、目に入り込む光は少しだけ痛い。

 鳥の囀りが聞こえる。開け放たれた窓からは暖かい微風が流れ込み、頬を撫ぜていく。安穏とした空気感を孕む陽気に少年は歩みを止めた。


「今日も平和だなぁ」


 窓から覗く空は青く澄んでいた。雲の影一つ見えない快晴だ。そんな穏やかな空を透き通るような白い羽を携えた鳥が一羽、空を翔んでいる。


「あぁ、でも……サボるには丁度良すぎる日だなぁ……。サボってなきゃ良いけど……」


 少年は苦笑を浮かべながら、廊下の先にある一室――そこに居るであろう少女を思い浮かべた。

 自らが仕える一人の少女。美しく、可憐に微笑むその顔を思い浮かべるだけで、自然と胸が弾む。


「早く行かないと」


 窓の外の情景を眺めるために止めていた足が自然と動き始めた。一歩、また一歩と足を出していくたび、次の一歩を踏み出す速さが上がっていく。

 もはや走っていると言っていいほどの速さで前に出される足。先程まで感慨に耽っていた景色を置き去りにしながら、廊下の突き当たりにある扉まで一直線に進んでいく。


 しばらく進むと、目の前に大きな木製の扉が見えた。

 少年よりもおよそ二倍ほどの大きさを誇る両開戸だ。装飾は一輪の花の金細工と備え付けの叩き金のみというとてもシンプルなものながら、余りある荘厳さを醸し出している。

 少年は扉の前に立つと、備え付けられている叩き金を手に取り、三度扉を叩いたあと、扉の先にいるであろう少女へ向けて声を掛けた。


「ルナリア様、いらっしゃいますか?」


 数秒ほどの沈黙が場を支配する。部屋の中で何かが動く気配もしていない。となれば、この場にはいないのだろうか――と、普通なら考え及ぶだろう。

 だが、少年は扉の前から下がる素振りを見せず、もう一度叩き金で扉を一度叩く。


「――合言葉は……?」


 すると、中から鈴の音のように綺麗な声色が聞こえてくる。扉で遮られているせいか、静かに顰められた声で『合言葉』を要求される。

 その声に安堵を覚えながら、少年は迷いなく少女が決めた『合言葉』を口にした。


「――『花は月。流れに逆らわず』」


 少年は一度、この『合言葉』の意味が分からず、少女にその意味を質問したことがあった。その際、少女は笑いながらこう言った。


『だって、花も月も時間の経過でその姿を美しくしていって、また時間がその美しさを終わらせていくでしょ? つまりは風情だよ、風情!』


 との事らしい。今となっては、少年にもこの言葉の意味が少しだけ分かってしまう。美しいもの、素晴らしいには限りがある。それは花も月も変わらないのだと。

 そして、それを『合言葉』にした少女に尊敬の念を抱いたのを、今でも覚えている。


「……よし、入りたまえ」


 閉め切られた扉がゆっくりと開いていく。外へと吹き抜ける風に乗せられ、微かに甘い香りが鼻腔を掠めていく。


「失礼します」


 それだけ言うと、部屋の中へと足を踏み入れた。

 中に入って、まず初めに目に入るのはとても室内とは思えないような、一面の花畑であった。咲き誇る花の形、色、香りも多種多様。

 楽園のようだと思えるほどの絶景。心が浄化される美しい花園だ。

 そして、その中心に座する一人の少女が満面の笑みで部屋への来訪者を歓迎した。


「いらっしゃいませ!」


 ――《聖女》ルナリア・テルステラ。


 レーデス聖王国で広く信仰されている『聖教』のトップに立つ人間であり、魔法とはまた違う特殊な力を持っており、王都に魔除けの結界を張るという、先祖代々から受け継がれた仕事を熟している少女だ。

 夕陽に照らされた麦穂のような黄金色の長髪も、優しく細められている翡翠の瞳も、慎ましやかな胸も、少し小柄な背格好も、その全てがルナリアの可憐さを、その内に秘めている神聖さを際立たせている。


「レンもお昼寝しに来たの? ならなら、私もそれを歓迎するよ!」


 ルナリアは両手を広げて、目を輝かせている。まるで『共犯者』を見つけたとでも言わんばかりに。

 だが、残念ながらレンがここに来たのは惰眠を貪るためではない。


「俺は貴女を探していただけですよ。なので、仕事をサボって昼寝してやろうという気は一切ないですね」


「……おーけー。全てを理解した。だとしたら、少しだけ攻め手を変えるからそのための時間が欲しいかもしれない。だから、少しだけ待って破しいの」


 眉間に皺を寄せながら、こめかみ部分を拳でぐりぐりと押している。

 そうして、時間にして十秒ほど経ったころ。ルナリアは咳払いを一つ挟んだ後、天井を見上げた。視線の先に広がるのは、この部屋を照らしている青空に燦然と輝く太陽の姿。


「いやぁ〜、今日も穏やかだよねぇ〜。これだけ穏やかだと、少しだけ眠くなると思わない?」


「そうですね。今はちょうど春ですし、これだけ空も晴れ渡っていますから。うたた寝をするには絶好の天気でしょうね」


 聖王国の王都リゼルバに立つ、王城の次に大きな建物である『大教会』。その最上階――壁を全面ガラスで覆われたその一室で、ルナリアは床一面に咲き誇る花を愛でる素振りを見せながら、自分の隣まで歩いてきた少年に声を掛けた。

 赤髪の少年だ。年の瀬はおよそ十七ほどだろうか。ルナリアと同い年のように見える。少年は汚れのない純白の騎士服に身を包み、腰にはささやかな宝石の装飾が施された剣を帯剣している。


「だよね! なら、私ももうすこぉーしだけ、寝ちゃっても大丈夫……」


「じゃないです。まだまだやらなきゃならない仕事は残っていますから」


「ぶぅ……レンのケチ……」


 ルナリアは頬を膨らませながら抗議の視線を自身の少し後ろに控えている少年へと目を向けた。

 レンと呼ばれた少年は、ルナリアの抗議の意を汲み取ったのか苦笑いを浮かべた。


「そう言われても俺にはどうも出来ませんよ。ただでさえルナリア様はサボり癖があるんですから。ここでまたサボってたら、枢機卿に次会った時なんと言われるかわからないですからね」


「わかってますぅ、だ! レンはお堅すぎるの! 大体聖女なんて肩書き。私にはすこぉーしだけ重いと思うの! もっと……こう、楽な仕事がしたい!」


 ただそんな神聖さの塊のようなルナリアにも欠点があり、それがこのサボり癖だ。

 レンが少し目を離せば居眠りは当たり前。酷い時はこうして大教会の最上階にある『空中庭園』で、花を愛でながらまったりとしている。


「とにかく! 今日は仕事してください! 昨日も一昨日もサボっていたせいで仕事が溜まりにたまっているんですからね!」


「えぇ…………じゃあ、手伝って?」


「うぐっ!?」


 キラキラとした瞳で、子供が親に甘えるような仕草でルナリアはレンを見た。

 可憐、美麗、優美、神聖――後光が差していると錯覚するほどの愛らしい表情に、レンは胸を抑えてフラフラとその場に倒れた。

 これはいつもレンに面倒ごとを押し付けるためのルナリアのお願いの方法だ。毎度毎度、今日こそは断ろうと心に誓ったレンの固い固い意志を、簡単に瓦解させる恐ろしい技だ。


「ダメ……?」


「――ッ、ダメ、です!」


「…………ふぇ?」


 ただ今日だけは違った。

 今日、初めてレンはルナリアの『お願い』を断ってみせた。ルナリアもまさか断られると思っていなかったのか、気の抜けた声と共に唖然としている。

 だが、これには理由がある。どうしてもルナリアの『お願い』を断らねばならない理由が。


「実は……今日、俺は国王からの招集を受けているんですよ……」


「招集……? どうして、急に……?」


「詳しいことは何も聞いてないです。ただ、話があるとだけ伝えられていて……」


「そう……残念」


 事情が事情だけに、ルナリアも駄々を捏ねる訳にはいかないと分かっている。

 国王からの命令。それはこの国で生きていく上で、絶対の権限を持っている。特にレンは元を辿れば聖王国に所属する騎士の一人だ。ルナリアの護衛騎士となったのも王からその栄誉を賜ったからだ。

 その王の命令に背けば、レンの騎士としての立場が危うくなってしまう。

 だからこそ、ルナリアは肩を落とし、テンションを底辺にまで落としこそすれ、それ以上を口にすることはない。


「ところで……」


「…………?」


「まだ『ルナ』って呼んでくれないの?」


「――っ!?」


 ただせめてもの意趣返しとして、ルナリアはレンの耳元に瑞々しく潤った唇を寄せて囁いた。

 顔を真っ赤にしたレンを見て、ルナリアは悪戯っ子のように笑った。


「アハハ、顔真っ赤! そんなに恥ずかしがる事ないのにぃ〜!」


「か、揶揄わないでください! そもそも俺は貴女とは立場が違いすぎます! なので、呼び捨て……それも愛称で呼ぶなんて出来かねます!」


「えぇ……私はそう呼んで欲しいんだけどなぁ……」


「うぐっ!?」


 ルナリアの上目遣いがレンに突き刺さる。とんでもない破壊力がレンを襲った。先程の甘えるような顔とはまた異なる、どこか妖艶さを感じさせる少女の麗美な表情にレンは膝から崩れ落ちた。

 この少女は自分の端正な顔立ちが持つ圧倒的な攻撃力を理解してしまっている。しまっているからこそ、こうして時折レンを揶揄うために自分の顔を武器とする。

 防御不可能、回避不可能。非常にタチの悪い攻撃だ。


『ルナリア様! いらっしゃいますね!』


 レンが悶絶していると、部屋の外から男の怒鳴り声が聞こえてきた。

 ルナリアが何かを答えるよりも早く勢いよく開け放たれる扉。眦を吊り上げながら姿を現すのは、黒い修道服と最高位の聖職者にのみ着用が許される法衣を身に纏った壮年の男性だ。


「げっ……モルドレッド……」


「全く、仕事を放っぽり出してまーたこんな所でサボっているとは! 息抜き程度なら私も見逃しますが、こんなにも頻繁に居なくなられると私達も困ります! さぁ、早く仕事に戻ってください!」


 この人こそ『枢機卿』であり、ルナリアの仕事の管理を任されているモルドレッド・ノーマンだ。

 モルドレッドはとても厳格な人物として知られており、できるだけ楽をしていたいルナリアにとっては天敵中の天敵だ。

 ルナリアが部屋に入ってきたモルドレッドに対して、露骨に嫌そうな表情をするのも、その理由があるからだ。


「……レン、助けて!」


「え、えぇ!? た、助けてって言われても……俺も枢機卿の命令で貴女を呼びに来たわけですし……」


「こらっ! そうやって、レン殿になんでも頼ろうとするのはお辞めなさい! 聖職者として恥ずかしい行為だと思わないのですか!」


「頼るのが恥ずかしいなんて事無いですぅ! レンは私の騎士だし!」


 レンを挟んで二人が火花を散らし始めた。それはもうバッッッッチバチである。売り言葉に買い言葉。自信を間に挟んで行われる言葉の応酬の中で、レンは心の中で悲鳴を上げていた。


(頼むから喧嘩するなら、俺を挟まないでくれ――っ!?)


 レンは引き攣り笑いをしながら、密かに襲いくる胃痛に涙を流す。

 しかし、二人はそんなレンの心境など露知らず。


「そうやって貴女は……いつもいつも……! とにかく、早く仕事をしてください! 今も執務室に書類の山がそれはもう沢山積み上がっているのですよ!」


「分かってますぅ! 今、レンに言われたからやろうかなぁ……って思ってたところなんですぅ!」


「だったら早く執務室に行ってください! 扉の前に付き添いの修道女も待機させていますから! ほら、早くしてくださいっ!」


 モルドレッドの言葉通り、控えめに開かれた扉の先には見慣れた修道服を着た女性二名が待機していた。

 恐らく、レンが呼びにいっても何かしらの理由をつけ、また別のところでサボると考えたモルドレッドが、ルナリアの監視役として彼女たちを呼び寄せたのだろう。


「それじゃあ、レン。私はいやぁ〜なお仕事をしてくるね。だから城から帰ってきたら、絶対に手伝って! わかった!?」


 ビシッと、人差し指を突き出してそう言ってくるルナリア。彼女のその言葉に思わず溢れそうになる笑いを抑えながら、レンは一度だけ軽く頷いた。


「うん。わかった。絶対に手伝うよ」


「約束だからね! 破っちゃダメだよ!」


 ルナリアはそう言いながら、扉の前に待機していた修道女たちと共に執務室へと向かっていってしまった。

 空中庭園にはモルドレッドとレンの二名だけが取り残され、互いに顔を見合わせる。


「レン殿も大変ですな」


「そう……ですか? 俺は全然大変だと感じたことはないですよ?」


 モルドレッドは先程までの険しかった顔付きが一転。柔和な微笑を浮かべていた。

 同じ苦労を分かち合う仲間へと向けられた同情の視線とでも言うのだろうか。しかし、レンはルナリアに頼られることはこれっぽっちも苦と感じていない。むしろ嬉しいとさえ思っている。

 だが、続くモルドレッドの言葉に、レンは妙に納得してしまった。


「あんなに信頼されてしまうと……やはり大変ですよ」


 それは『聖教』のトップに立つ《聖女》――その最高顧問として、レンとはまた別角度からルナリアを支えているモルドレッドだからこその言葉だ。

《枢機卿》という役職は、なにも年功序列で決まるようなものではない。人から勝ち取ってきた信頼の積み重ねが、モルドレッドを今の地位まで押し上げたのだ。

 信頼の重みを知るモルドレッドだからこそ、ルナリアからレンに寄せられている『無垢の信頼』に同情してしまっていた。


「信頼に応えるのは難しいですからね。でも、俺はその信頼が心地良いと思っています」


 だからこそ、レンも自信を持って言える。

 迷いも淀みもなく。側仕えの騎士としてではなく、一人の人間として。


「そうですか」


 まるで眩しいものを見るかのように目を細める。

 信頼に忌憚なく応えようとする少年に、モルドレッドはただただ笑った。


「レン殿。これからもどうぞ、ルナリア様のことを宜しくお願いします。あの子をこれからも……この先もずっと、守ってあげてください」


「任せてください。俺は――ルナリア様の『騎士』ですから!」


 左胸に手を当て、宣誓する。

 この心臓の鼓動が尽き果てるその時まで、約束を違えることはないと。

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