第5話 王都脱出

 業火が世界を覆った。

 崩壊した空中庭園が更なる地獄へと変容する。

 騎士たちを呑み込んだ焔。そこにはもう一切の躊躇いなど無かった。


「…………っ、くそが!」


 自分を焼く獄炎を振り払いながら、ラウデアは悪態を吐いた。

 ようやく、ラウデアは自爆した修道女の賭けが、《聖女》の護衛騎士の筆頭であるレン・アルスターが戻るための時間稼ぎだったのだと遅まきながらに理解してしまった。

 そして、その賭けは成功し、この場において最も厄介な存在が舞い戻ってしまった。


「よくあの包囲網を抜け出してきたな、レン……」


 レンは王城で始末する手筈だった。あそこには最強の騎士であるドルナもいた。大教会を壊滅させるにあたって、最も厄介な障害となるレンであっても、ドルナには勝てないと踏んで。

 だが、実際はどうだ。レンは多少の手傷を負いながらも大教会に戻ってきてしまった。しかも、ラウデアは先の自爆に巻き込まれて瀕死の状態である。

 戦闘になれば、今のラウデアでは手も足も出ないまま殺せてしまうだろう。


「ラウデアさん。ドルナ団長を倒したと思われてるのでしたら、それは勘違いですよ。俺はただあそこから逃げ出して、ここまで来ただけですので」


 レンは顔を強張らせるラウデアを見ながら、一言だけ静かにそう告げた。


「…………遅れて、ごめん」


 レンはラウデアから視線を外し、倒れた仲間たちの姿を見て、相貌を歪めた。

 死体は計。二つは修道女たちのもの。そして、残りの一つは枢機卿だったもの。そして、レンの知る由もないが、一人の修道女が死体すら残さず命を落としている。


「俺が遅かったせいで……ごめん…………!」


 仲間だから手に掛けられない。レンの優しさ……いや、甘さが大教会に居た聖職者たちの命と、大教会を守護していた騎士たちの命を奪った。

 きっと誰もレンのせいだと言う事はない。だが、他ならないレンは自分のことを許すことはできない。それは勿論、この惨劇を起こした者たちに対しても同様だ。


「もう、あなた達を仲間とは思わない。これだけの暴虐を働いたんだ。もう、殺すつもりで戦う」


 それはこの惨劇を起こした、騎士――襲撃者に向けられた宣告。

 ここから先、レンは殺しを躊躇わない。

 剣を抜き、動こうとしていたラウデアに向けて、レンは淡々とそう告げた。その宣言にラウデアは心身から凍りつくのを感じた。


「ルナ、無事?」


「うん……大丈夫……」


 ルナリアの元へと歩み寄ったレンはその身を抱き上げながら、そう質問をした。

 それに対して、ルナリアは大丈夫とだけ返した。頭から血は流れているし、体も上手く動かせないほどの激痛に襲われているが、それでもレンに心配かけまいと気丈に振る舞ってみせた。


「レン……来てくれて、ありがとう……」


「当たり前だよ……俺は、君の騎士だ」


 レンの言葉に、ルナリアは胸の奥が熱くなる感覚に襲われた。このむず痒い衝動は今の状況に相応しくないと、ルナリアも理解している。

 だから、今はこの衝動はしまい込む。


「やっと……ルナって、呼んでくれた……」


「うん。やっと、だ。そして、これからも君をルナと呼び続けるよ」


 そのために――レンはそう言葉を続けて、ルナを抱き抱えながて背後に視線を向けた。

 そこに立っているのは一人の老齢の騎士。王の側に立つことが許された最強の騎士ドルナ・ノーラ。そして、取り囲むようにして立っている騎士たちの姿もある。


「ここから逃げよう。二人で」


「うん……」


 その言葉を皮切りに、騎士たちは一斉に襲いかかった。それを炎の壁で遮りながら、目の前でただ此方を見ているだけの老騎士へとレンは目を向けた。


「……来ないんですか?」


「……その前に……これは私からの提案だ。今ならば降伏も受け入れよう。《聖女》を置いて、この場から立ち去れば、それ以上はお前に手を出さないと約束する」


「……それじゃあダメなんですよ。俺はルナの騎士だ。貴方も……アンタも王に仕える騎士ならわかるはずだ。この人を守るために命だって賭けられる、この気持ちが」


「分かるとも。だが、彼女は王ではない。この国の主に対して、そういう感情を抱くならまだしも、それはただの女だ。王を守る騎士のように命を賭ける道理はないだろう」


「ルナはこの国に魔除けの結界を張っている。それがこの国にどれ程の利益を齎しているか、アンタだって知っているはずだ。《聖女》を失えば、その結界の維持だって……」


「だが、それはあくまで『魔除け』だろう? 王都を守護する完璧な結界ではない」


 このままではただの押し問答だ。

 なにをレンが言っても、ドルナはまるで聞く耳を持とうとしない。この状況がどれだけ異常なのかを理解などしてくれないだろう。


「分かりました。では、俺はやはりあなた達の敵になるしかない。ルナと……ここから逃げる」


「ここから逃げた所で、お前らは追われ続ける身だ。ならば、今ここで楽にしてやるのが俺の役目か」


 ドルナは剣を抜き放ち、二人の距離を隔絶していた炎の壁を切り裂いた。

 だが、それ自体にレンは驚愕しない。

 相手は聖王国最強の騎士だ。それくらいの芸当できて当然だろう。そして、この数を相手にルナリアを守りながら戦うのは論外。逃げる道もない。

 なら、どうするのか。

 単純だ。逃げる道が無いなら、作ればいい。


「団長。俺はルナを守る。だから、今は逃げさせてもらいます。次、もし会ったとき。その時に決着を着けましょう」


「逃げられると思うか?」


 王城での戦闘時とは比べ物にならない圧を放つ老騎士を前にしても、レンの頭はどこか冷静だった。

 もう、迷いは払拭できた。

 信頼していた国に裏切られ、多くの仲間たちを殺された今、戸惑いも疑念も全てが怒りへと変化している。


「逃げますよ。俺はルナの騎士だ。ルナを生かすためならどんな恥も忍んで、この場から逃げてみせる。それが……モルドレッド卿や他の人たちが望んでいたことだから」


「そうか。あくまでも、主人の命を優先するか。ならば守り通してみせろ。俺がお前たちを生かしては通さないがな!」


 ドルナは剣を構え、殺気を放つ。

 ルナリアを横抱きにして、レンは一歩を踏み出した。


「残念ですけど、真正面から逃げるつもりはないので」


「――なっ!?」


 レンは一言だけそう言うと、踏み出した足の裏から爆炎が噴き上げた。空中庭園の一角が破壊され、レンの体は下へと下がっていく。

 驚愕の表情を浮かべるドルナを見上げながら、レンはさらに下へ。

 気付けば、大教会の一階の広間へと降り立っていた。目の前にあるのは、壊れていない閉じたままの大扉。


「ルナ、ここから先は少し手荒になるけど、大丈夫?」


「うん。だって、レンが守ってくれるんでしょ? なら、私は安心して任せられる」


「じゃあ、行こうか」


 レンは扉を燃やして、外へと飛び出した。

 身を打つ冷たい豪雨が降る外には、教会の外周を取り囲むようにして立ちはだかる騎士の大軍。王城で控えていた騎士たちの全てを集めて、ドルナが待機させていたのだろう。

 いや、よく見れば騎士だけではない。魔法師たちも所々混じっているのが見える。


「出てきたな、罪人共!」


 一人の騎士がレンたちの姿を認識するや、手に持っていた笛を吹いた。

 その合図の後、騎士たちは抜剣し、レンたちへとその刃を向けた。


「――掛かれ!」


 号令の声が高らかに響き渡る。

 それを聞いた騎士たちが、一斉に四方八方からレンたちに向けて剣を振り上げた。

 だが、その程度でレンの足を止める事は叶わない。


「……押し通る」


 地面が爆ぜる。

 レンの体は空へ。三百六十度全方位に逃げ場が無いというのなら、誰の攻撃も届かぬ上へ飛翔する。空は剣の届かない間合いだ。だが、魔法は別。


「魔法師団、構えっ! ――発射せよ!」


 例え空中であろうと、魔法ならば関係なく狙い撃てる。炎が、稲妻が、突風が、水流が、土塊がレン達を狙い撃つ。

 だが、それすらもレンは躱してみせた。足裏に爆炎を生じさせる事による無理やりの方向転換。それを以てレンは全ての魔法を回避してみせた。


「なんだ、それは……!?」


「生憎と、俺は焔に『祝福』されてるんでね」


 それは誰よりも焔に愛され、誰よりも焔と親和した騎士にのみ許された異次元の『空中機動』。レンは業火を纏い、地面に向けて踵を落とした。

 その瞬間、巨大な火柱が上がると共に周囲にいた騎士と魔法師たちを吹き飛ばし、逃げるための一本道を作り出した。


「ルナ、しっかり捕まってて。ここからは全速力で行くから」


「わ、わかった!」


 ルナリアはレンの首に回していた腕に力を込めて、より全身を密着させる。ぐんっと体に多大な重力が掛かったと感じると同時、たった一回の踏み込みで大教会との距離が五メートルほど開いた。

 二歩目、次は大教会から十五メートルほど。三歩目、大教会から三十メートル――一歩を踏み出す毎に敢行される急激な加速に、ルナリアは目を瞑ってしまっている。


 最大速度に達したのは、十歩目を踏み出したとき。その時にはすでに大教会からはおよそ三百メートルほど離れた所まで来ていた。

 その時にはすでに街の景観を置き去りにするほどの速さで、レンは爆走していた。舗装された街道に炎熱の足跡を残しながら。


「ルナ、もう少しだけ辛抱してくれ」


「う、うん! こんなの、これっぽっちも苦じゃないから気にしないで!」


 そんな強がりを口にしながらも、ルナリアは振り解かれそうになる腕に更に力を込める。

 暫く走ると、目の前に王都の外に出るための門壁が見えてきた。そこにも聖王騎士団の騎士たちが門番として立っている。

 門番たちは自分たちの元へと駆け抜けてくる業火の侵攻を前にして、


「――止まれっ!」


 武器を構え、停止を促した。

 しかし、レンの全速力を前にして、そんな警告は意味を為さない。


「おい、止ま――」


 停止など、あり得ない。

 更なる焔を纏い、速度を落とさないまま突き抜ける。


「…………っ、回避ーッ!?」


 一切速度を落とす事なく、焔の化身となったレン達の進撃を前にして、門番をしていた騎士たちも顔を真っ青にしてそう命令を下した。

 堅く閉じられた門すらも焼き尽くし、【炎獄】に身を包んでいたレンとルナリアは遂に王都の外へと脱出した。

 そうして、この日レンとルナリアはレーデス聖王国の王都を脱出し、叛逆者として聖王国中に指名手配される事となったのだった。

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【連載版】裏切り聖女の護衛騎士 ホードリ @itigo15

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