第4話 粉砕

 暗雲が空を支配していた。

 散りゆく戦士たちを惜しむかのように、空から溢れ落ちる雨の雫は勢いを増していく。

 安穏とした空気を孕んでいた昼間の花園が今はまるで嘘のようだ。


「モルドレッド……」


 死地に、一人残してきてしまった。

 本当なら自分も残って、共に戦いたかった。

 だが、それは許されなかった。他ならないモルドレッドの意志によって。


 飛び出そうとした自分を押さえて、最上階まで登った修道女たちに対して恨み言を吐くことはしない。

 モルドレッドの意志を尊重した彼女たちの行動を、ルナリアが責める権利はない。


「ルナリア様、急ぎましょう……。追手が来ないうちに、教会を早く抜け出さないと……」


 モルドレッドの決断が、覚悟が――無駄になる、と。

 言葉にせずとも、修道女の一人が言外に訴えかけてくる。ルナリアもそれは分かっている。

 だが、それでも後ろ髪を引かれてしまう。

 全てを犠牲にして、自分だけ生き残ることが正しいのかを思案してしまう。


「…………行きましょう」


 だが、逡巡している時間は当に失われてしまった。

 今だけは絶望に咽び泣くことは許されない。自分を逃すために、騎士が、修道女が、神父が、そして枢機卿が決死で戦っている。

 それを無駄にすることは許されないと。今は、残酷で冷酷な悪女となる。


「絶対に……生きて、この国を出ましょう……」


「はい……」


 それが自分が生かされる故の、責任だ。

 ルナリアは赤くなった目尻を一度拭うと、地下へ続く階段があるという場所へと歩みを進める。

 咲き乱れる千寿菊マリーゴールドの花の海を進んでいく。夕陽を連想させる橙色の花びらが舞い、ルナリア達を目的地へ誘っていく。


「もう少しで、地下の階段に……」


 だが、絶望は連鎖する。

 抗うものを絡め取り、更なる地獄へと引きずり込んでいく。

 人の足掻く姿を嘲弄するように。


「どこへ行かれるつもりですか、聖女様?」


 聞き覚えのある声が、背後から掛けられる。

 ――あり得ない。あり得ない、あり得ないッ!

 そんな事があり得て良いはずがない。声の主が動くたび、金属の擦れる音が響く。


「せっかく、手土産まで用意したというのに――」


 限界まで引き延ばされた時の中。

 戦慄と絶望に支配されながら、恐る恐る後方へと目を向ける。

 そこに立っているのは、全身を鎧に包んだ大男。

 モルドレッドと相対していたはずの、聖騎士団副団長ラウデア。


「ほら、受け取ってくれ。俺からアンタに送る餞だ」


 ラウデアが肩に抱えていた何かを目の前の地面へと放り投げた。


「…………うそ」


 修道女が呆然と呟いた。


「……ぁ、ぃや」


 聖女はその姿を見て、狼狽えた。

 地面に転がるのは、頭が潰れて消えた『貌無しの死体』。本来そこにある筈の頭部を失った首から、夥しい量の血液が滝のように溢れ出していた。

 その『死体』はその身に纏う白い法衣を、真紅の色に染め上げていた。


「さぁ、存分に感謝してくれ。お前たちを守ろうした――枢機卿様モルドレッドと会わせてやったんだからな」


 信じたくはなかった。信じられるはずがない。

 だが、その服装が、背格好が、どうしても否定したいと叫ぶルナリアの心すらも砕く。

 ラウデアの言うことが本当なのだと、彼がここにいることが唯一の証明となり、目の前で力無く斃れる『死体』が無二の証拠となる。


「それじゃあ、そろそろ終わりにしようか――」


 ラウデアは死刑を宣告する。

 彼は自分の後ろに控える騎士と魔法師たちを一瞥し、聖女の側にいる修道女たちへ目線を動かす。

 現時点での戦力差は、ラウデア側が彼含めおよそ五十名余りに対し、聖女側はたったの四人。


 ――鏖殺だ。蹂躙できる。


 確実な勝利が約束された戦力差に、ラウデアは兜の奥で酷薄な笑みを浮かべる。

 血に塗れた棍棒メイスを何度か素振りし、弱者を虐げる準備を進めていく。


「――ッ、ぁぁぁぁぁアアアァ!!!」


 青髪の修道女が、吠えた。

 目尻に涙を浮かべ、絶望に駆られる心を奮い立たせる。


「――【ノルザ】ッ!」


 魔力を凍てつく冷気へと変化させる。

 眼前に生み出された水を凍らせ、一本の氷杭スパイクが生み出された。


 自分よりも魔法を極めていたモルドレッドを打ち破った騎士に、今更こんなものが通用しないと、修道女も理解している。

 それでも、彼女は吠える。

 散っていった仲間たち。彼らに報いるべく、せめて死ぬまで抵抗せんと。

 空中で固定された氷杭スパイクが放たれた。風を切り、距離を圧殺しながら、鎧の中心――人の心臓部目掛けて。


「ぬるいな」


 ラウデアが棍棒メイスを一薙ぎした。

 それだけで氷は砕け散り、霞となった。

 されど、攻撃の波濤は治らない。


「シッッ!」


 放たれた氷杭スパイクの陰に隠れ、ラウデアの背後へと回った赤髪の修道女が、その首元目掛けてナイフを一閃した。


「それも見え透いているぞォ!」


 されど、刃は頸部に届かない。

 振り抜かれたナイフと、鋼鉄の籠手が火花を散らす。

 ならばと、金髪の修道女が真正面下方から、ラウデアの腹部目掛けて拳を放った。


「これなら、どうだァ!!!」


「ぐふっ!?」


 ナックルダスターを付けた拳が炸裂した。

 鋼鉄の鎧に罅を刻むほどの威力に、ラウデアも思わず呻き声を漏らした。

 そうして、生まれた隙を逃がすまいと、さらに拳を振り上げ――連打。


「まだ、まだだぁああああああ!」


 正拳、昇拳、側撃、裏拳、ランダムな角度から放たれる拳の応酬は、ラウデアの堅い装甲へと亀裂を生じさせ、中の肉体へと衝撃を伝播させる。爆撃のような猛打が着実に、ラウデアの体を穿っていく。


「舐めるな、小娘ども!」


「ガッッ!?」


 無理に振り払われた棍棒メイスが、猛攻を続ける修道女を打ち砕いた。

 深紅の飛沫が四方に散る。

 奇しくもモルドレッドと同じく、頭部を砕かれた金髪の修道女の肉体がルナリアのすぐ側に落ちた。


「…………めて」


 そして、次の標的となったのは――ナイフを振るった修道女だった。

 あまりにも呆気なく失われた命を前にして、体を硬直させていた彼女の頭を鷲掴み、頭上に円弧を描いて花畑へと叩きつける。


「ガ、ァッ!?」


 花が散った。

 背中から堕ち、地面を爆砕した痛みが修道女を蝕む。

 痛覚など意味をなさない程の衝撃に悶える間もなく、振り下ろされるは鉄の靴裏。

 鳩尾目掛けて振り下ろされた絶殺の一撃は、骨を砕き、盛大な血潮を噴き上げさせながら、修道女の腹部を通過し、地面へとめり込んだ。


「――――――」


 悲鳴を上げる間もなく、また一つの命が終わろうとしている。

 口から溢れ出る血の濁流。もはや痛みすら感じられなくなってしまった己の身体を、執念で突き動かす。


「…………っ、し、ねぇぇぇ!!!」


「ぐぅっ!?」


 鎧の間隙を縫い、自身を踏み貫いた足へ、ナイフを突き立てた。命が消えるまでのせめてもの抵抗。致命傷にはなり得ないだろうが、足が傷付けば機動力は削がれる。

 足を刺されたラウデアは堪らず、血液で赤黒く染まった鉄靴を引き抜き、跳躍した。

 栓を失った穴から、さらに血流が漏れ出す。今から治療されても、もう助かることはない。力無く斃れたその瞳には、もう二度と光を灯すことはなかった。


「…………ゃめて」


 ラウデアの蛮行は終わらない。

 二人の命を瞬時に刈り取り、残るは青髪の修道女とその後ろで愕然としているルナリアのみ。

 先の二人よりも、よっぽど早く、より簡単に殺せる。


「くそおおおおおおお!!」


 最後の修道女が怒号を撒き散らしながら、再び魔力を掻き集め始める。

 魔力は『熱』を帯び始め、やがてそれは『爆炎』へと姿を変容させる。


「燃えろッ! 【デア・アルガ】!」


 放たれたるは、一条の熱線。

 焔を凝集した、一本の炎槍。

 周囲の草花を燃やし、目の前の仇敵を討たんと牙を向く炎槍が、ラウデアに着弾した。


「…………はぁ?」


 修道女は目の前で起こった出来事に自分の目を疑った。

 確実にラウデアに当たったはずの、炎槍。

 それが齎す結果は、爆発、燃焼、焼失――のはずだった。にも関わらず、ラウデアに触れた【デア・アルガ】は爆発どころか、そのまま霧散した。


(あり得ない……! だって、今当たっただろうが!)


 ――理解不能。

 目の前で起こった不可解な魔法の失踪に、修道女は思考が停止した。盾で防がれたのならまだ理解はできる。棍棒メイスで弾かれてもそれ自体に驚きはしない。

 だが、ラウデアは完全に無防備だった。

 防御を捨てて、此方に突撃してくるだけのただのまとと言ってもいい。


 なのに、なのになのに――!

 こんな事があり得るわけがない!

 魔法が弾かれるんじゃなく、掻き消された!

 一体、何故――!?


「混乱しているのか? 攻撃の手を緩めれば、お前に待つ未来は『死すること』のみだぞ!」


「……ぁ」


 死が迫る。

 振り下ろされた鋼鉄の塊が大きくなっていく。

 それが齎す彼女の末路は――破壊。砕かれ、潰され、ひしゃげ、壊されて終わる。他の二人のように鮮血を撒き散らしながら、美しい花を穢す残骸へと成り果てる。


(いやだ……)


 まだ、後ろには《聖女》がいる。

 自分が死ねば、次は《聖女》が殺されてしまう。

 命を賭し、その身を犠牲にしたモルドレッドと二人の修道女が遺した希望も潰える。

 約束を果たせないまま、その身を骸に変えてしまう。


(ダメだ……!)


 死が迫る瞬間――時間は遅延していく。

 相手の動きが遅く見えたところで、死の威圧に怯えてしまった体を動かす事などできるわけもない。

 動け、動けと念じようと、その意思に反して体は身震いを起こすだけ。


 ――終わった。


 そう知覚する。

 眼前へと差し迫った『死』は、まもなく訪れる。

 抗えない。終わりだ。このまま、諦めるしかない。

 修道女の胸中は諦観に支配されていた。


「ダメぇえええええっ!!!!」


「――――――っ!?」


 絶叫が木霊する。

 張り裂けんばかりの慟哭を聞き、修道女の意識が再燃する。

『死』を回避することはできない。何もかもが遅すぎたのは理解している。だが、それでも死の間際に自分も何かを遺さなくてはならない。


 最後の時間稼ぎを。

 死して尚、後に繋げるように。

 今、この場に居ない未だ姿を見せない、ただ一人の騎士の姿を思い描く。


なら、きっと来ますよね……)


 これは、賭けだ。

《聖女》を逃すための最期の賭け。

 今のこの状況で、ルナリア一人を地下通路に向かわせてもすぐに追手に追い付かれてしまう。

 それだけは、絶対に避けなくてはならない。


「さぁ、これで……終わりだ!」


 だから、彼女は動き出した。

 迫り来る『死』を前にして、選択したのは後退――ではなく、前進。

 棍棒メイスの痛打が、左腕を打ち砕く。


「…………っ、ぁぁぁぁアアアァ!」


 左腕から波及する痛苦に止めそうになる足を、激痛ねんりょうによって赤熱し続けている脳で突き動かす。


「お前らの思い通りになんてさせて堪るか!」


 涙が止まらない。怒りが収まらない。悔しさが増幅していく。


「お前らの一人勝ちなんて絶対に許さないっ!」


 散った花弁が渦を巻く。折れた茎が起立する。血を浴びた花が睨め付ける。


「お前らだけが笑う結末なんてあり得ないっ!!!」


 鬼神の如き咆哮が上がる。

 室内にも関わらず、風が吹き荒んでいた。


「だからわたしの命全てを賭けて、お前らの勝利の美酒を叩き割ってやるッ!!!」


 更に高め、更に練り上げ、内部へと溜め続ける。ひたすらに内へ内へ。荒れ狂う魔力は既に制御権を失っていた。しかし、制御はできずとも

 身体がひび割れる事など関係ない。抑えきれない魔力が外に漏れ出すのもどうでも良い。

 目から、鼻から、肺から、全身の穴という穴から血の噴流を感じながら、修道女は歪に微笑んだ。


「お前、まさか――!?」


 ラウデアはその日、初めて戦慄した。

 足を止めず、醜い悪鬼と化した修道女に。聖職者としての道理を全て棄て去った悪魔に。


「……もう、おそい――」


 後退りしようとするラウデアの腰に手を回し、自分の全身を密着させる。

 もう、限界だった――。


「一緒に、地獄を見よう――」


 魔力臨界――。


「待っ……!?」


 魔力が解き放たれる。

 大時化の荒波のように、暴風渦巻く大嵐のように。修道女の中で暴れ狂っていた『暴魔』の解放。

 世界が極光に包まれる。全ての音を掻き消す轟音、全てを吹き飛ばす衝撃、全てを破壊し尽くす熱量。


 ――『魔力暴走』。


 これは魔法ではない。

 力の根源である魔力の制御をかなぐり捨てた、ただの自爆特攻。

 修道女を起点として起こる暴悪な熱量、衝撃――爆発と呼ぶことすら憚られるほどの脅威的な威力。起点となった修道女の体は既に


『――――――――ッ!!!!』


 誰よりも近くで『魔力暴走』に晒されたラウデア。

 防御態勢すら取れず、目の前で巻き起こる暴虐の嵐にその身を打ち砕かれていく。

 彼は甘く見ていた。人の執念の強さを。命を棄て去る覚悟をした人間が、どれほど壊れているのかを見誤っていたのだ。


『――ざまぁみろ』


 既に、落命した修道女の声が聞こえた。

 嘲笑する修道女の姿を幻視した。


「………………っ、ぁぁぁ」


 極光が晴れていく。花は燃え、地面は抉れ、鎧は既に砕け散っている。途方もないダメージを負いながら、されどラウデアは斃れなかった。

 露になるのは左顔面が焼け落ち、全身から赤い噴煙を上げるスキンヘッドの大男の姿。


「私のせいで……また、死んだ…………。あの子が命を賭けたのに、それでも……倒せないなんて……」


 ルナリアはその場に泣き崩れた。

 あまりにも理不尽すぎる。色んな人が命を賭けた。自分のために命を棄てた。その事実が、ルナリアの心に罅を入れた。


「ラウデア様……!」


「俺に、構うな……っ。早く、聖女を……殺せっ!」


 ラウデアは自身の側に駆け寄ってきた騎士たちに、焦った様子でそう命令した。

 もう、状況は詰んでいる。

《聖女》を逃がせる人間はこの場にもう居ない。ルナリアは孤立し、大教会も落ちたはずだ。なのにも関わらず、ラウデアはどうしようもない焦燥に駆られていた。


(なん、だ……? あの女は……俺を殺すために自爆したのか? いや――)


 ――なにか、違う。

 あれは自分を殺すためのものではないのではないか。

『魔力暴走』に巻き込まれてラウデアが生きていたのは、彼の特殊体質のおかげだ。そして、その体質をあの修道女が知るはずがない。なにせ、誰にもその体質のことを伝えていないのだから。

 なら、先の自爆はラウデアを殺すためと考えた方が自然だ。自然すぎるほどだ。


「えっ? で、でも……もう、俺らの勝ちじゃ……」


「はや、く……やれっ!」


 それでも、その自然さがあまりにも――

 この危機感の正体がなんなのか、まるで掴めない。

 だが、ラウデアは叫んだ。戸惑う騎士の胸ぐらを掴み、睨み付ける。


 それと、同時――が窓を溶かし、ラウデア含めた騎士たちを呑み込んだ。


――――――――――――――――――――


 少しだけ、設定というか修道女達について語らせて下さい!

 彼女たちにも一応名前があります。この作品中だと名前を出す機会や、設定に触れる機会が恐らくないと思いますのでここで触れます。


・ルージュ

 赤髪の修道女です。ラウデアの足を突き刺した人ですね。彼女は修道女三人娘の中で最も足が速いです。機動力に長けたアサシンという立ち位置だと思ってください。あと、背が一番小さいです。


・ブラウ

 青髪の修道女です。最後に自爆した人ですね。彼女は実は他の二人に比べて運動が苦手です。ただ魔法に関して二人がからっきしなのでそこで差別化してます。最後までどんな最期にするか悩んでたキャラですね。この人のせいで投稿が遅れてました(言い訳です)。あと、三人娘の中で身長とか含めて諸々一番大きいです。


・ジョーヌ

 金髪の修道女です。鎧の上からぶん殴ってラウデアをボコボコにしてた人です。三人娘の中でも一番の脳筋です。頭も一番悪いです。三人娘の中で一番強いのがこの人です。とある部分だけこの人が一番小さいです。


 この三人は色々掘り下げられる過去があるのですが、それは長過ぎるので割愛します。

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