言葉の細工師 「文章の中の草原の緑は、実際の緑よりも、青々としている」
九月ソナタ
リスボンへの夜行列車
前回、グルリットが三十年間ともに暮らした絵画コレクションのことを書きましたが、そのうちの全くナチスとは関係ないと確定された三百点あまりは、スイスのベルン市立美術館に寄贈されました。
でも、今日はその絵画の話ではありません。
ベルン市には、中世の雰囲気が残る旧市街があり、アーレ川には大きな橋がかかっています。そこは有名なのですが、私が今日書とりあげるのは、もうひとつの目だたないほうの橋です。
私はその日、もう一方の橋を渡ってみたかったのです。
私は「リスボンへの夜行列車」という本を読んだばかりで、その小説は、赤いコートの女性が、その橋から身を投げようとするところから始まるのです。
その本の作者はスイス人で、彼はここの場面を使ったのかと思いながら歩いていくと、「飛び降りる前に電話を」という四角い表示があり、その下に電話がありました。
これはあの小説の影響かしら、と笑ってはいけない場面とは知りつつ、笑ってしまいました。
今日はその映画と原作について書きたいのですが、原作の中から詩を引用をする際の著作権はどうなのでしょうか。
調べてみたところ、
(著作物が自由に使える場合)
私的使用のための複製(第30条)
自分自身や家族、ごく親しい少人数の友人など限られた範囲内で使用することを目的とする場合、著作物を許可なく複製することができる。
この30条が当てはまりませんかね。
私のエッセイを読んでくれるのは、少人数に限られているので、そのように解釈して、とにかく、始めてみます。
*
ポルトガルにはフェルナンド・ペソア(1888-1935)という国民的詩人がいます。リスボンには彼が通った喫茶店が残っていますし、グッズも売られています。
といっても生きている時は、詩人としてはほぼ無名。亡くなった後に、トランクの中からたくさんの原稿が出てきたというのは、宮沢賢治に似ています。
かなり前の話なのですが、私はその時、二度目のポルトガル行きを前に、今度はペソアのことを勉強していこうと思っていたところ、「リスボンへの夜行列車」という映画を見つけました。まずタイトルが魅力的ですよね。
映画には同名「Night Train to Lisbon」という原作があり、それはスイスの作家パスカル・マルシェが書いた世界的ベストセラーなのでした。
パスカルは哲学者でもあり、詩人ペアソを深く恭敬し、映画の中ではペアソの言葉が使われていると解説にあったので、飛びつきました。
DVDが届いたので、さっそく見たところ、
期待以上におもしろい映画でした。
まず、映画の概要を少し書いてみます。
スイスのベルンに住んでいるライムンド・グレゴリウス(ジェレミー・アイアンズ)は名前のとおりの堅物で、高校でラテン語とギリシャ語を教えています。
彼はひとり、本に囲まれて、日々、味気のなく暮らしていますが、別に不幸だとは感じてはいないようです。
夜はひとりでチェスをして、時計が知らせれば眠り、朝にはお湯をわかして、ティーバッグが切れていたら、ゴミ箱から昨日の飲み捨て箱から捜し、時刻になればギムナジウム(高校)に行く、そんな日々です。
ところが、ある雨の日、学校に行く途中で、橋から身投げをしようとしている若い女性を助けるのです。その女性は学校まではついてくるのですが、途中で、赤いコートを残して消えてしまいます。
そのコートのポケットに、一冊の本がはいっていて、そのタイトルが「言葉の細工師(A Goldsmith of Words) 」です。
著者はアンデゥ・デ・プラドという医師で、本には感じのよい青年の写真が載っています。
本の中には、リスボン行きの切符がはいっており、出発時刻にあと十五分だったので、ライムンドはコートをもって駅に駆けつけます。
ホームにはあの女性はおらず、ライムンドはちょっと本を覗いてみました。そこには、
「我々は現在、ここで、生きているのだ。
以前のできごとも、他の場所で起きたことも、すべては過去のこと」
と書かれていました。
その言葉の選択におやっ、アンデゥという人物はただ者ではないと感じます。
彼女は現れず、ライムンドはクラスに生徒を置き去りにしたまま、その列車に飛び乗ってしまいます。
こんなことは、今までの人生で、一度もありませんでした。
ベルンからリスボンまでは一日以上かかりますから、夜行列車の中、彼はその本を読んでいき、夢中になります。
そこには、こんなことが書かれていました。
「今、目の前にあることに対して、
何をすべきか、何ができるのか。
それはぼんやりとしていて、形がない
でも、羽根のように自由で、
鉛のように重い感情
それを望んでいるのか、
夢のような場所へ、
懐かしい場所へ
人生のあの時点に、
もう一度、立つことができるのか
今とはまるで違う方向へ行くことができるのか
自分があるべき場所に
行くことができるのか」
そこには、厳選された言葉が並んでおり、それはライムンドがいつも思っていたことでした。自分は思ってはいたけれど、しかし言葉で表現できなかったことが、本の中で文字にされていたので、彼は衝撃を受けます。
ライムンドはラテン語とギリシャ語が専門で、それまで自分は「言葉の達人」だと思っていました。でも、それは死んだ過去の言葉ではないのかとさえ思い始めます。
この「言葉の細工師」の著者アマデゥ・デ・プラドという人はいったい、どんな人なのだろうか。彼はアマデウに、ぜひ、会いたいと思うのです。
あの自殺しかけた女性を捜すはずでしたが、リスボンに着くと、女性のことは眼中にありません。
そして、彼の「アマデウ」探しが始まるのです。
アマデゥの妹には会えるのですが、彼女はアマデゥのことは多くは語りません。でも、メイドがそれとなく教えてくれて、その場所に行ってみると、そこには立派な霊廟がありました。
アマデゥは心臓に持病があり、53歳で、亡くなってしまっていました。独身でした。
彼の墓碑には、
「独裁主義がなされている時、革命は義務だ」と刻まれていました。
ライムンドはますますアマデゥに惹かれて、教師、仲間、親友、そして、愛した女性のところを訪ねていきます。
途中で、自転車にはねられて、眼鏡を壊してしまうのですが、その時に出会って、軽い眼鏡を作ってくれた女医さんが重要な役割をします。
このアマデゥがどんな人物だったのかという謎解き、ミステリーを期待して見に行くと、それほどのでんでん返しとかはありません。
そこに描かれているのはポルトガルがサラザールの独裁主義の下(1828-1974) 、人々が抑圧されていた時、反体制運動に参加していた若者たちの姿です。
映画の中で、アマデゥが書いた文章が何度も出てきます。
これらの言葉は詩人ペアソに心酔するマルシェ・パスカルの創作のようです。
映画の中で、ペソアの名前と彼自身の詩は、一度だけ、出てきます。
それはライムンドが眼医者のマリアナをディナーに誘い、自分のことを語る場面でした。
彼には五年半前まで妻がいたのです。ある時、友達を招いて、パーティをしたことがありました。その時、客のひとりがペソアの詩の一行を読み上げます。
「文章の中の草原の緑は、実際の緑よりも、青々としている」
その男はその表現を美しいと言うのですが、誰よりも言葉の解釈には自信があるライムンドはこう言うのです。
「もっと深い意味があるのだ。それは、誰にでも、簡単に、わかるものではない」
すると妻は「あなたは、その選ばれたひとりというわけね」と言い、バーティは白けてしまいます。その後、妻から「あなたは退屈な人」と言われ、離婚されてしまったのです。
さて、アマデゥのことですが、父親は判事で、彼は上流階級のおぼっちやんでした。もともとは哲学者になりたかったのですが、父親の希望で医者になったのです。心優しく、ナイーブで、理想を語る人、言葉というものを大切にしていた人でした。
アマデゥにはギムナジウム時代から親友、労働階級出身のジョルョがいました。薬剤師になったジョルジョは、反体制運動に加わり、仲間のエステファニアという女性を愛しています。彼女はすべての同士の名前と連絡先を記憶しているという特殊才能の持ち主です。
アマデゥは人々から慕われる医者でしたが、ある夜、大怪我をした秘密警察のメンデスの命を助けます。メンデスはリスボンの肉屋と呼ばれ、新体制の人を捉えて、残酷な拷問で有名な人物だったのです。そのことで人々から責められ、その罪悪感から、アマデゥは運動に参加します。
そこで、アマデゥはエステフアニアと会うのです。
ある集会の夜、秘密警察が乗り込んできます。すべての情報を記憶しているエステフアニアが捕まれば、ひどい拷問にかけられて、すっかり白状させらてしまうだろうか。それを恐れて、ジョルジョは彼女を殺そうとさえします。
アマデゥはエステフアニアを連れて逃げます。しかし、その後、アマデゥはひとりリスボンに戻ってきて医者を続け、あの時、ふたりの間に何があったのかは誰も知りません。
ライムンドはエステフアニアがスペインのサラマンカに住んでいて、歴史を教えているということを突き止めます。彼はどうしても彼女に会いたくて、マリアナの運転する車で出かけます。
そこでエステフアニアが話してくれたことは、こうでした。
ジョルジョを愛していたはずの彼女でしたが、アマデゥを見た瞬間から、彼を好きになってしまいました。その気持ちはどうしようもありませんでした。
あの夜、警察に追われた時、拳銃を向けてきたジョルジョを捨てて、ふたりは逃げますした。車中で、アマデゥはエステファニアに多くのことを聞きます。生い立ちとか、すべて。
ふたりはなんとか国境の関門を抜けて、スペインにたどりつき、車中で一夜を過ごします。
翌朝、アマデゥは、ふたりで遠くに行こうと言います。
アマゾンに行って、ふたりだけで暮らそう。そして、ふたりだけがわかる言葉を作ろうと言うのです。
現実的なエステフアニアはそれはできないと答え、サラマンカまで送ってほしいと頼みます。
アマデゥは彼女を送った後、リスボンに帰って、医者を続けて、病気で死にます。
彼のお葬式の日はちょうど革命の日、人々はその象徴である赤いカーネーションを彼に捧げました。
映画の終りのほうで、アマデゥが海を見ながらノートにベンを走らせている姿が映ります。
「その場所を立ち去る時、人は自分の何かを、そこに残していく
たとえ、どこへ行ったとしても、そこに残っているはずだ
そして、そこに戻った時にだけ、それを見つけることができる
旅をするたびに、ぼくらは自分の人生を広げていく
その旅が、それがどんなに短い距離だとしてもね
しかし、旅をする時、ぼくらは孤独というものと対峙しなければならない
ぼくらがやっていることって、すべてが、孤独を恐れてのことではないのだろうか
だから、ぼくらは旅をしないで、
人生の終りに、後悔するのではないだろうか」
「言葉の細工師」という本は、アマデゥの死後、妹が兄が書き留めたものを見つけて、その中のいくつかを選び、百部だけ出版したのでした。
実際、あのペソアの場合も、死後に、トラングいっぱいの書き物が見つかったのでした。ペアソはあのチェコのカフカとほぼ同年で、よく似た生き方をした人です。
アマデゥの本との出会いにより、ライムンドの人生はどう変わるのでしょうか。ベルンに帰って、また教師を続けるのでしょうか。でも、学校では代りの教師を雇ってしまったかもしれません。
映画は彼がベルンに向けて発とうとする時、鉄道のホームで、マリアナから「ここにいれば」と言われるところで終ります。
書き忘れるところでしたが、赤いコートの女性はあの残酷な秘密警察長の孫娘でした。ライムンドがチェックアウトしようとする時、彼女はホテルに現れます。
彼女はあの本を読んで、大好きだったおじいさんが冷酷無残な人だと知り、発作的に自殺しようとしたのでした。しかし、事実を受け入れて、生きていこうと決心しています。
アマデゥの本のタイトルは「言葉の細工師」でしたが、それはペソスのことであることは明らかです。
了
言葉の細工師 「文章の中の草原の緑は、実際の緑よりも、青々としている」 九月ソナタ @sepstar
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