第13話 10億(アメリカドル)
ソルジャービーは倒された。
クインビーが用意していた巣は見るも無残に取り壊されて、志葉が通信環境の修繕に取り掛かり始めている。
「いや、あの、ちょっと待ってください」
来宮は突っ込みたいことがたくさんあり、頭を抱えた。
「志葉さんのシリンダーって、魔道具ですよね」
「はい」
「それも、ダンジョン産のやつですよね?」
「そうですね」
「なんでそんなものを2本も持っているんですか?」
ダンジョンからは時折、現代科学では説明できないアイテムが出土する。
いわゆる、魔道具と呼ばれる物品だ。
魔道具は市場にはほとんど出回らない。
というのも、その出現が極めて希少だからだ。
発見報告はほとんどなく、日本では年に片手で数えられるほどしか公式には記録されていない、需要と供給が致命的に乖離している品物の一つだ。
それを何故この人物は二本も保有しているのか。
「ご、誤解です、来宮さん」
いくら他人の感情の機微に鈍感な志葉でもわかるほど、来宮は怒り心頭に発していた。
だから志葉が目に見えて狼狽し、必死の弁明の態度を見せる。
「誤解? 何が誤解なんですか」
来宮はどんな言い訳が来るのだろうかと思案を巡らせた。
(5年も潜っていたら2本くらい出る、とでもいうんじゃないでしょうね? 魔道具ってそんなポンポン出るものじゃありませんからね?)
どんな言い訳をしたとしても納得してやるものか。
来宮は強く決意した。
しかしその決意は、予想とは別の形で崩れ去ることになる。
「2本じゃなくて、100本は軽く在庫があります」
来宮の意識が飛びかけた。
体の外へと飛び出していこうとするそれを、来宮は済んでのところで引き留めた。
「……は?」
「来宮さんの言いたいことはわかります。ダンジョン出土品という貴重品を軽々しく使い物にならない状態にしたことを怒っていらっしゃるんですよね」
「い、いえ、別に、そういうわけでは」
「しかしですね、ことこの魔道具に限って言えば替えが効く品で、惜しむほどではありませんよね」
「もう、それでいいです」
来宮は目を閉じ、長いため息を吐いた。
(落ち着いて、私。ここは伊勢志摩ダンジョン。現れる魔物の種類的に、本来は他のダンジョンより難度が圧倒的に高いはず。他のダンジョンの常識で測るのが間違いなのよ)
そう言い聞かせないと気がおかしくなってしまいそうだから、来宮は心の内で三度唱えて暗示をかけた。
事実それは正しいのだが、そこでふと、冷静になって別の考えに思い至る。
「待ってください? この魔道具は、ってことはもしかして……」
「他のを含めると、いくつあるかわかりません」
あっけらかんと言い放つ志葉に、来宮はかける言葉を持ち合わせていなかった。
◇ ◇ ◇
その後も志葉の戦闘風景を録画した来宮は、満足げな表情で地上へ帰った。
(これを動画にしたら、志葉さんの評価が上がること間違いなし)
そしてその才能を発掘した来宮の評価はさらに急上昇するはずだ。
渋谷支部に返り咲くどころか、世界一の探索者の専属受付嬢なんて立場を確立できる可能性まである。
ほくほく顔で帰還した彼女はしかし、事務所につくと眉をひそめることになった。
「ああ、来宮くん! ちょうどいいところに。君たち目当てのお客さんだよ」
局長の横に、スーツを着た男性が3名いる。
(西洋系? アジア出身ではないみたいだけど)
一人はインテリヤクザのような男だ。
シャープな顔に、ワックスで固めた髪、そして眼鏡といういかにも人を従えるのが得意そうないでたちだ。
そのそばに控えるのは明らかな武闘派の二人。
一人は筋骨隆々の大男で、もう一人はラバースーツに身を包んだ物静かな女性。
どこぞのお偉いさんだというのが一目でわかる三人組だった。
「お初にお目にかかります。ダンジョン協会伊勢志摩支部特務通信整備局の来宮祝莉と申します」
「丁寧にどうも。私はジェームズ。アメリカダンジョン省ロサンゼルス支部長です」
「ロ……支部……っ」
来宮が一瞬取り乱す。
想像をはるかに超える大物だったからだ。
(アメリカダンジョン防衛省のロサンゼルス支部って言えば、世界最高峰のエリート集団じゃない)
そのトップの人間がこんなに若いのはまるで想定外だった。
こほんと、一つ咳ばらいを行い、平静をどうにか取り戻す。
「なるほど。お話は理解いたしました。目的は彼の引き抜き、ということでよろしいですか?」
「話が早くて助かる。実は、ロサンゼルスダンジョンはここ数年、攻略が滞っていてね。彼に協力を要請したいんだ」
来宮が瞳の奥で静かに闘志を燃やした。
かかった魚は予想以上に大物だったが、釣りを目論んだのは彼女だ。
こうなる展開が予想できていないわけがなく、強かな笑みで迎え撃つ。
「なるほど。しかし彼は生粋の探索者。そういった取引は代行人を立てるのが道理でしょう」
「もちろん承知の上だとも。しかし我々としては、可及速やかに交渉を終えたいのだよ。彼のような人材をここでくすぶらせておくのは世界の損失だからね」
「承知いたしました。では、不肖ながら私が臨時で交渉代理人となりましょう」
「ほう、君はSCMBだと聞いたが?」
ジェームズと名乗るロサンゼルス支部長がおどろいた様子で聞き返す。
来宮には芝居がかった演技にも見えた。
その感覚は気のせいなどではない。
(君がここに転属したばかりなのは知っているぞ。交渉の窓口としての席を他者に譲りたくないだろう?)
つまりジェームズは、来宮を交渉代理人とする前例を作るというメリットを提示し、交渉のカードとして切ったのだ。
来宮にとってのメリットは、対外的に志葉の交渉代理人として活動する口実を得られること。
他方、ジェームズにとってのメリットは、他国の息がかかった者が志葉の交渉代理人につくことを回避できること。
(君のことは調べさせてもらった。他国のエージェントである危険性は極めて低い、中立の人間)
いまから自国の息がかかったものを志葉に接触させようとすると手間がかかる。
(もし君が優秀な人間ならば、他の交渉代理人が志葉に接触する隙を見せはしまい。そうでないのなら、工作員を潜り込ませずともこの場で丸め込んでしまえばいい)
と、いう思惑を、来宮はおおよそ正しく把握した。
そのうえで、彼女の回答は決まっている。
「問題ありません。以前は探索者支援局に勤めており、そちらの方面に対する知識は修めております」
「ほう、若いのに優秀なお嬢さんだ」
迎え撃つ。
「立ち話もなんでしょう。局長、隣の会議室を使わせていただいても?」
「あ、ああ。もちろんだ。……くれぐれも、粗相がないように、くれぐれも、頼むよ?」
いつになく真剣な局長の圧にたじろぎながら、来宮はジェームズたちを隣の部屋に案内した。
会議室、と言っても本当に手狭な一室で、ジェームズたちを上座に座らせ、彼女も腰を掛けた。
ジェームズが、単刀直入にと前置きしてさっそく交渉に掛かる。
「10億出そう。彼をうちにくれ」
来宮は得意の営業スマイルを張り付けた。
(10億……)
その金額をぽんと提示できることに驚いていた。
全世界向けに配信を行ったのは昨日だ。
昨日の今日で、それだけの額を簡単に動かせるのはさすがアメリカと感嘆せずにはいられない。
日本であれば予算流用の申請やらなんやらでしばらくもたつくはずだからだ。
その驚きを面に出さないように、来宮は得意の笑顔で内心を隠し、事前に決めていた答えを返す。
「お断りします」
10億。確かにすごい額だ。
が、それでも安く買いたたかれていると言わざるを得ない。
志葉は100を超える魔道具を有している。
それらのほんの一部さえ市場に流してしまえば、その程度の額簡単に稼げてしまうのだ。
「彼を10億円程度で引き抜こうなど……」
「ああ、勘違いしないでくれ」
来宮が言い切る前にジェームズが遮る。
「単価は円でなく、アメリカドルだ」
来宮は瞳孔の緊縮を抑えきれなかった。
ジェームズは彼女の微妙な表情の変化に気付き、ほくそ笑む。
趨勢は決した。
彼は勝利の光を確かに見た。
「お断りします」
「……は?」
それが幻影であることに気付いたのは、来宮の余裕の笑顔が網膜に焼き付いた後だった。
伊勢志摩ダンジョン懲役5年 ~24時間1827日、世界最高難度のSSSランクの迷宮に服役していた男に復讐系ヒロインは興味津々のようです~ 一ノ瀬るちあ@『かませ犬転生』書籍化 @Ichinoserti
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