第12話 貴重な魔道具(2本目)

 志葉がクインビーと向かい合っている。

 彼が手にするのは黒い砂を詰め込んだシリンダー。

 だらりと脱力状態の立ち姿は、刀身の無い刀を無形の位で構えている剣士のようにも見える。


 先に動いたのはクインビーだ。

 薄く、半透明な2対の翅をはばたかせ、ダンジョンの上方、天井ぎりぎりまで瞬く間に高度を上げた。

 でっぷりと肥え太った腹の下端の針から、毒々しい色の体液がまき散らされる。


 同時に、クインビーが激しく動揺する。

 ヘドロ液をまき散らした先、攻撃対象にした男がどこにも見当たらない。


「こっちです」


 声がしたのは、天井すれすれを舞うクインビーのさらに上。

 天井を足場にしている志葉がそこにいた。


 鈍痛。


 ハンマーで殴られたような衝撃が走り、クインビーが自由落下していく。


 女王として生まれた魔物は、誕生以来最大の混乱に包まれていた。


 何が起きた。

 いや、結果だけならわかるのだ。

 おのれよりはるかに矮小な存在に大打撃を与えられて、自らは地に伏せている。


 わからないのは、その過程。


 まして強力な魔物がまるで認識できなかった一連の動作を、一般人代表の来宮が理解できるはずもない。


「い、いったい何が起きたんです?」


 地に落ちたクインビーを確認し、落ちてきた方向に、カメラのフォーカスを合わせる。


 そこでようやく、天井に張り付いた志葉の姿を認識する。


「黒い砂を吸盤みたいにして、天井に張り付いているんですか?」


 つまり一連の動作はこうだ。


 クインビーが上昇し、ヘドロ液攻撃を繰り出したのとほとんど同時のタイミング、志葉は地を蹴り、跳躍していた。

 ダンジョンの天井は高く、本来、人の脚力ではまるで到達するはずはない。


 しかし、それを可能とする手段が彼にはある。


 黒い砂の補助だ。


 彼はシリンダーから黒い砂を出すと、それを自身の足裏に展開した。

 彼の意志によって剣にも槍にも自在に姿かたちを変える砂だ。

 そしてそれは、空間に個体として固定することも可能である。


 足裏にまとわせた砂はさながら立体駆動を可能とする力場。

 地面を走るのとほとんど同じ感覚で、彼は透明な足場を乗り継ぎ天井まで駆けあがったのだ。


 否、同じではない。


 人間は足の構造上、水平方向より垂直方向の方が力を加えやすい。

 重力を考慮してなお、志葉は水平方向より早い初速で鉛直上向きに移動できる。


 まして、重力方向への移動であればなおさらだ。


「ひえぇぇぇぇぇぇっ⁉」


 来宮が悲鳴を上げた。

 落下のダメージからいまだ立ち直れずにいるクインビーに向かい、弾丸のように落下する志葉の姿を確認したからだ。


 目にも止まらぬ速さ。

 来宮が悲鳴を上げ始めるころに、落下の衝撃音がフロアを揺らす。


「し、志葉さん、大丈夫ですか⁉」


 骨折、いや下手をすれば全身がぐちゃぐちゃになって、血と肉片と骨をばらまいているかもしれないと思いながら、来宮は爆心地へと向かった。


「はい。きちんと仕留めました」


 しかし、予想に反して、彼は平然とした様子で砂煙の中から姿を現した。


「そ、そういう心配じゃなかったんですが……」


 志葉の体を心配した来宮と、モンスターの生死について問われたと思った志葉。

 前者はすれ違いをきちんと認識し、後者は認識しないまま沈黙が続く。


「ああ」


 ふと何かを思いついたように、志葉が手をたたく。


「来宮さんはクインビーの死に際の特性をご存じだったわけですね。さすがは支援局出身ですね」

「え、えーと?」


 来宮は泣きたくなった。


(知らない! クインビーなんてモンスター知らない! まして特性なんて知っているわけないでしょ!)


 しかし知らないと言い出せる空気でもなく、来宮は無理に笑った。

 特技を営業スマイルとしている彼女が珍しく見せた、ぎこちない笑顔がそこにあった。


 幸いだったのは、志葉がそれに気づかなかったことだろう。


「おっしゃる通り、クインビーは死に際に蜜をまき散らします。これはクインビーの絶命をもって硬化するので、普通に倒せば強力なバインド攻撃を受けることになります」

「……あの、心なしか、実体験に聞こえるんですが?」

「よくわかりましたね。お恥ずかしながら、初見の時はまんまとこれにはまりました」


 来宮は心の内で、「なんでこの人死なずに済んだんだろう?」と疑問に思った。

 彼はソロ探索者だ。

 拘束されてしまえば、それを助けてくれる仲間はいない。


 そして初見の時は、ということは近くにソルジャービーがいたと推測できる。

 来宮にはその状況から生還する方法がまるでわからない。


「今回は攻撃の直前に黒い砂を半球状に展開しておいたのでご心配いりません」


 言い終わるころには砂煙はすっかり晴れていた。

 すると陥没した大地の中央に、雛がかえった後の卵のような半球状のオブジェが残されている。


「ちょ、ちょっと待ってください。あの砂って、あの形で固定されたら武器として扱えないんじゃ」

「そうですよ?」


 志葉は何を当然のことをと言いたげだ。


「こ、この状況で別のモンスターが現れたらどうするんです?」


 それがフラグだった。

 クインビーがせっせと作っていた巣から、無数の影が湧き出してくる。


「ひぃぃぃっ! ソルジャービー! どどど、どうするんですか志葉さん!」

「あー、大丈夫ですよ」


 志葉は既にシリンダーを構えていた。


(あれ? さっきまでと逆の手?)


 来宮が気になったこと、それは、志葉が利き手と逆側でシリンダーを構えたこと。

 そして……、利き手には変わらずシリンダーが握られていたこと。


「シリンダーは別に1本じゃないので」


 2本目のシリンダーから黒い砂が噴き出して、ソルジャービーへと襲い掛かった。

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