第11話 新種の魔物(討伐済み)
「志葉さん! おはようございます!」
「……おはようございます」
明くる日のことだった。
志葉が、伊勢志摩ダンジョンを半日ほど空けた間に増えた魔物を片っ端から狩っていると、来宮から連絡があった。
「本日もよろしくお願いいたします!」
「あの、来宮さん。無理にダンジョンに潜らなくてもいいですよ? 皆さんと一緒に事務仕事をしてくださっても……」
「いえ、志葉さんのサポートをするのがいまの私の務めですので。局長からも許可を頂いています」
A4サイズの紙が1センチほどの分厚さになった紙の束を来宮が見せつけた。
その中身はほとんどすべてがダンジョン協会の就業規則や社内規定などのコピーであり、無意味な文書である。
元来、彼女は資料をまとめるのが得意である。
某自動車メーカーがA4用紙1枚で業務上の書類を収めるようにしているのと同じで、この分厚い用紙のうち、彼女が本当に必要としているのはたった1ページに集約されている。
ではなぜこんなにも分厚い資料を用意したのかというと、簡単に言えばカムフラージュだ。
木を隠すための森を用意したと言ってもいい。
膨大な資料を見せつけることで情報を精査する気力をそぎ、適当に押印を貰えないか画策した結果である。
結果としては彼女の期待通りで、局長は中身を流し読みし、就業規則や社内規定などのコピーであると判断するとあっさり許可の印を押した。
「ほら見てください。『業務中、引継ぎ資料として作業風景を録画・撮影することを許可する。また、機密レベル2以下の資料についてはネットに投稿することを許可する』とありますよね」
ちなみに、機密レベルは3段階しかない。
一番上の機密レベル3は個人情報やパスワード、セキュリティシステムなどの秘密情報である。
機密レベル2は手続きをすれば公表できるが直ちに公表を想定していない情報資産を指す。
つまり、会社を脅かす情報出ない場合は好きにネット投稿する許可を得たのである、来宮は。
「なんというか、来宮さんすごいですね」
志葉が呟いた言葉には、称賛より、「そこまでするのか」という呆れの方が多分に含まれていた。
来宮はそれを理解したうえで胸を張った。
志葉は来宮の動向にあまり歓迎的ではなかった。
栄ダンジョンを経験した結果、「伊勢志摩ダンジョンは結構危険なダンジョンなのでは?」と疑問を抱いたためである。
初日こそ、渋谷ダンジョン第3層まで潜ったことがあるという言葉から浅層での動向を許可したものの、それすら過ちだったのではないかといまは疑っている。
が、先のやり取りを経て、志葉は説得を諦めた。
口論をしても、結局はあの手この手で彼女は最終的に同行してくるだろうと判断したためだ。
「じゃあ、離れずついてきてください。危険ですので」
「はい」
志葉が先行し、来宮がそのあとをついて行く。
移動速度は栄ダンジョンの時と打って変わってゆっくりだ。
時速に換算すれば4キロメートルほどだろうか。
つまり徒歩の速度である。
「志葉さん、本日の予定をお伺いしても?」
「昨日半日空けたので、魔物が増えています。ひとまずそれを狩ろうかと」
「……魔物の姿は見えないですが、まさかすぐ近くで擬態していたりします?」
「いえ。7層までは狩りつくしたので、8層以下に向かいます」
来宮がうんうんと笑顔で頷いた。
「いやおかしいですよ!」
頷いた後、きちんとボケを回収した。
「なんでこともなげに7層分の魔物を狩りつくしたなんて言ってるんですか⁉ 普通は1層分でさえ魔物を殲滅するなんてできないんですよ⁉」
「それは、あれです。昔取った杵柄ってやつで……」
「それは『ハワイで親父に習ったんだ』みたいな万能言い訳ではありませんからねっ⁉」
来宮は軽い頭痛を覚えて、頭を押さえた。
(道理で、伊勢志摩ダンジョンが話題に上がらないわけよ)
特務通信整備局、通称SCMBの活動によりダンジョン内部の透明化がすすめられて以来、ダンジョンの難易度の数値化が推し進められている。
これは各層ごとに生息する魔物の強さや個体数、層ごとの強さの公比や推定深度などから算出される。
のだが、伊勢志摩ダンジョンには、魔物がほとんどいないとされ、危険度の低いダンジョンだと説明されている。
(危険度が低い理由、志葉さんが魔物を狩りつくしてるからじゃないの!)
ダンジョン配信がまだブルーオーシャンだったころまで記録をさかのぼれば、伊勢志摩ダンジョンをロケ地に選んだ配信のアーカイブが確認できる。
しかし、今日ではみつからない。
取れ高が無いのだ。
それもそのはず、ダンジョン配信で最も盛り上がる魔物が、伊勢志摩ダンジョンでは見つからないのだ。
世界各地のダンジョンを渡り歩く評論家気取りのダンジョン配信者が伊勢志摩ダンジョンを酷評して以来、寄り付く者がいなくなったことが、時系列を精査すれば読み取れる。
「志葉さん志葉さん、しばらく魔物を放置してみませんか?」
「嫌です」
即答だった。
伊勢志摩ダンジョンの脅威をみんなに知ってもらい、そこで活躍する志葉の雄姿を世界各地に届けたい来宮は、頬が引きつるのを得意の営業スマイルで誤魔化しながら食い下がった。
「何故です?」
「魔物がいるとその分だけ通信インフラが壊されるリスクが上がりますので」
「あ、そういう……」
不憫だ。
来宮は切に思った。
伊勢志摩支部のSCMBが他と違うのは、ダンジョン内で作業している人員が一人しかいないことだ。
稼働率を他同等に高く維持するためには故障率を下げる必要があり、そのための手段として魔物を狩りつくさなければいけない状況にある。
しかし魔物の総数が減るとダンジョンの難易度の評価が下がり、結果として志葉の成果も低く算定されることになっている。
(本来一人でダンジョン一つ受け持つ物じゃないんですけどね……)
とにかくわかるのは、志葉がこの件に関して引く気配がないことだ。
であるなら、来宮にできるのは、強力な魔物との戦闘記録を録画し、それを根拠として伊勢志摩ダンジョンの脅威を、ひいては志葉のすごさを全世界にアピールすることだけだ。
袖をまくり、ふんすと息巻く来宮だったが、結局8層に到着するまで魔物と遭遇することはなかった。
7層までの魔物は狩りつくしたという彼の言葉は、どうやら本当らしい。
(強力な魔物が出現する分、
検証すれば動画のネタになるかもしれないと思い、持ち込んだデバイスのメモ帳にアイデアを書き記した。
ちょうどその折だ。
「志葉さん、な、なんだかヤバそうな魔物がいるんですが!」
目の前に、体高1メートルほどの魔物が現れた。
蜂だ。
巨大な蜂が、せっせと巣を作り、産卵を続けている。
「クインビーですね」
「そんな魔物、聞いたことがありません」
「でしょうね。俺が勝手に呼称しているだけなので」
「勝手にって……それじゃこれは、新種の魔物⁉」
クインビーは蜂型の魔物の女王個体だ。
この個体自身は雌なのだが体内に雄の遺伝子情報を持っており、交尾を必要とせずに産卵を行うことが可能だ。
卵は六角形を敷き詰めた形状の巣の各セルに一つずつ産み付けられ、その卵からは
産卵速度は、なんと日間2000。
ソルジャービーは女王の放つフェロモンにのみ従い、その戦闘能力はオーガジェネラルにも匹敵する。
こんな魔物が確認されれば、たちまちSランク入り確実の脅威である。
まあ、確認されていないのだが。
「ああ……また定点カメラが壊されてますね。新しいのを用意しないといけません」
来宮は頭が痛くなった。
クインビーは巣をつくる前に周囲の安全を確保する。
手っ取り早いのは、卵管から強い毒性を持つヘドロ液を周囲にばらまき、あたり一帯の危険を取り払う方法だ。
その手の行動を行ってから巣作り、産卵を行うため、また伊勢志摩ダンジョン以外でクインビーが生息する階層に到達した探索者がいないため、今日に至るまでクインビーの存在は世間に露呈していない。
(ええい! こうなったら、志葉さんの戦闘シーンを録画して世間に公表してやる!)
志葉がシリンダーを取り出し、そこからは黒い砂状の物質があふれ出した。
人類がいまだその存在すら認知していない魔物と、ようやく人類が認識し始めた世界最強の探索者の戦いが、静かに始まろうとしている。
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