第2話

 三時間ものドライブを経て、ようやく中央州の北門をくぐる。

 

 街が近づくにつれ、大きな煙突からもくもくと吹き出す煙が見て取れた。

 背の高い建物が林立しており、真昼の空が狭く感じる。


 門を入ってすぐに広がるターミナルには、人通りが捗々しい。

 鉄道の駅の脇にある、短いトンネルのような通路の向こうには、馬車や乗用車などがしきりに行き交っているのが見える。


 鉄柵を隔てたところに、蒸気機関車がホームに停まっている。黒く塗られた車体は、ところどころ錆びて、乾いた赤茶色に蝕まれている。


 田舎から都会へ出てくると、こうも風景が新鮮に見えるものなのか。


 ターミナルの一角に車を寄せると、エイベルとフレデリカは、ほぼ同時に安堵の息を吐いた。


 フレデリカは、テキパキとシートベルトを外し、足元に置いてあったハンドバッグを手に取った。


 「息子といつも待ち合わせしている場所があるの。行って、ここまで連れてくるから。ついでにお手洗いにも寄ってくる。エイベルさんは?」


 「大丈夫です。私も一緒に行きましょうか?」


 「ダメよ。どっちか一方は残らないと。車が車だから」


 エイベルは得心がいった。大幅に改造されたクラシックカーが、白昼堂々ターミナルの真ん中などに駐車していたら、誰に因縁をつけられるかわからない。帰りのことも考慮して、ここは留守番に徹した方が良いだろう。


 フレデリカは軽い身のこなしで降車し、駅のトイレへと真っ直ぐに駆けて行った。


 後ろ姿が見えなくなると、エイベルは三時間ぶりに車を降りた。

 車のすぐそばで両腕を空へと伸ばすと、肩回りが気持ちいい。


 同乗者が朗らかな性格だったおかげで、まったく退屈しなかった。料理の話、雑貨屋で新しく取り扱い始めたハンドメイド作品の話、役場の職員の噂話の真相、北準州の行く末など。


 話が弾んだ分、ここまでノンストップでドライブしてきた。

 そのため、肩や尻の筋肉が、すっかり凝り固まってしまった。


 ゆっくり腰をひねってほぐし、背中をそらす。


 不意に、突き刺すような視線を感じた。


 エイベルは、ぴたりと身を硬直させた。


 細い糸をたぐるように、慎重にそちらへ視線を移す。


 車のルーフ越しに、誰かが、こちらを睨み据えている。


 若い旅行者のようだ。リボンで飾られたシルクハットと、仕立てのいいケープコートを身に着けている。年かさも背格好も、十九歳で優形やさがたのエイベルと似通っている。


 異なる点といえば、煮えたぎるような険相を作っているところか。


 目が合うと、青年はエイベルの前まで、ツカツカと歩いて来た。


 今一度、相手の手荷物を注意深く確認する。青年の手に提げられているのは、トランクと雨傘のみ。この距離なら、襲いかかってきたとしても十分防げる。立ち姿も隙だらけ。少なくとも戦闘訓練を受けた者ではなさそうだ。


 エイベルが警戒していると、青年は、すうっと息を吸った。


 「おまえ、どこの誰だ」


 その問いに、エイベルは眉をひそめた。


 ひょっとして、この改造車に招き寄せられた、どこぞの車愛好家だろうか。

 それとも、ただの不審者か。ちょうど春だし、陽射しも暖かい。


 こちらの狼狽につけこむように、青年は傘の先端を、ずいと突き付けてきた。


 「答えろ。どこのどいつなのかって訊いてんだ。その車、誰でも運転していい代物じゃないぞ」


 エイベルはさすがに黙っていられなかった。指摘はごもっともだが、赤の他人の鼻先に傘を突きつけるのは、不躾すぎやしないか。


 膂力りょりょくにおいては、同年代に負ける気はしない。

 エイベルは素早く、差し向けられた傘の先端をつかみ、ゆっくりと力を込めながら引き寄せてみる。

 こちらに反抗する意志があると知るや、青年も負けじと傘の取っ手に体重をかけ、足を突っ張った。


 力は拮抗した。綱引き状態となったのを見計らって、エイベルはパッと手を放した。


 青年は呆気なく尻もちをついた。シルクハットもトランクも、突き崩される積み木のように地に落ちた。


 体勢を立て直す隙を与えない方がいい。エイベルは胸を張って、足早に近づいていく。


 青年は思わず後ずさりした。エイベルの端正な顔は、色をなすと、途端に凄みが差して見えた。


 「あのさ、尋ね方ってもんがあると思うんだ。そっちが尋ねたいことがあるんだったらさ、まず自分から名乗るとかね。そんなことも知らないなんて、いったいどういう教育受けてきてんの? ほんと、親の顔が見てみたいわ」


 エイベルが、吐き捨てた直後。


 青年は、赤ん坊のように泣きだした。


 エイベルは面食らった。

 青年は尻もちをついたまま、べそべそと号泣していたかと思うと、


 「ママ---!」


 蒼穹に向かって、声の限りに叫んだ。


 彼の一言は、ターミナルに居合わせた人々の耳目を、たちまち引いた。


 エイベルは、まったく理解が追いつかず、首をひねった。

 これでもエイベルは、社会人になって一年経つ。ひとかどの役場の職員だという自負がある。あらゆる迷惑客にも遭遇し、さまざまな業務も滞りなくこなせるようになってきたところだ。そりが合わない同僚のあしらい方も、ぼちぼち修得する途上だ。


 それなのに、この青年への接し方が、まるでわからない。

 ママと大声で呼びつけながら、はばかりもせず泣きわめく青年を前にして、いかなる対策も思い浮かばなかった。


 通りかかった街の人々も、きょとんとして、こちらへ目をそそいでいる。


 弱い者いじめをしていると思われているだろうか。泣く子を前にしていると、だんだんと自分が悪いような気がしてくるものだ。ここは一つ、謝って、なだめてやった方が得策かもしれない。


 そんな時、駅舎からフレデリカがハンカチを片手に出てきた。一目散に駆け寄ってくる彼女の姿は、エイベルにとって天の助けだった。


 だが、フレデリカは、エイベルの元には来てくれなかった。


 むずかる赤ん坊のような青年のそばに膝をつき、顔を覗き込む。


 「どうしたの、ケント。泣かないで。ああ、よしよし」


 さっきからずっと、頭がフル回転させられすぎて、エンストを起こしそうになっている。


 ひょっとしてこの青年が、ケント・アッシュベリーなのか。


 フレデリカと、亡き前州長の一人息子。

 我らが北準州の州長にならんとする、筆頭の候補者。


 ゆっくりと理解が追い付いてきた。しかし受け入れられるようにまで、まだ時間を要する。


 母親に背中を撫でられ、我が意を得たりと言わんばかりに、青年は敢然とエイベルを指さしてきた。


 「こいつが、僕に暴言を吐いてきたんだ! 親の顔が見てみたいとか言って。いきなり暴力まで振るってきて、最悪な野郎だ。男の風上にも置けないな、おまえ!」


 エイベルは一瞬、不敵な笑みを見せた。


 すうっと胸いっぱいに息を吸い、彼女は叫んだ。


 「私は女です!」



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マザコン✖️スチームパンク ホロロギ @horologium

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