マザコン✖️スチームパンク

ホロロギ

第1話

 改造クラシックカーが、急峻な谷を駆けていく。


 小柄な車体でありながら、滝を登る勇敢な鯉のように、容赦のない勾配こうばいを力強く駆け上る。


 砂煙を巻き上げながら、ならされた頂上に着くと、ふわりと内臓が浮かび上がるような感覚があった。


 本革のシートは、抜群のクッション性を発揮してくれた。腰をやんわりと受け止め、内臓も元の位置に戻してくれる。


 運転席でハンドルを握るエイベルは、思わず感嘆の声を漏らした。


 「こんな無茶な運転にも耐えきれるんですね。四人乗りの乗用車で、ここまでアクティブなことができるクラシックカー、大陸中探したって見つかりませんよ」


 助手席に座っているフレデリカ夫人は、自慢げにほほえんだ。


 「前だったら、この谷を登れなかったのよ。タイヤも小さかったし、何と言ってもエンジンがお話にならなくて」


 「純正品から取り替えたんですか? 北準州の環境に対応する部品に」


 「もう、総とっかえだったわよ。郷に入っては郷に従えってね」


 事もなげに言ってのける夫人の横顔に、エイベルは空恐ろしくなった。


 かねてから憧れのあった、黒塗りのファースト・ディクテーター100を運転させてほしいと頼んだ。

 だからと言ってまさか、北準州の門を急加速で潜り抜け、アクロバティックにもんどり打つことになろうとは思いもよらなかった。


 大きい獣が通れるほどの山道を、滑るように下っていく。


 三十分ほど進むと、徐々に舗装された道が見えてきた。


 ここからは、蒸気機関車のレールが敷設されている。都会の中央州とを結ぶ要衝だ。

 とはいえ、蒸気機関車がお客や貨物を運んでくる気配は、今はない。最北端のド田舎である準州などに、都会人が用事があることなど、そうそうないのだろう。


 吹けば飛ぶような板張りの無人駅もある。いつ見ても粗末極まりないたたずまいだ。北の山から吹きおろす冷たい風が隙間風となり、あちらこちらに張られた蜘蛛の巣を震わせていることだろう。


 「息子さん……、ケントさんは、鉄道では来ないんですね。車よりずっと早いのに」


 エイベルはハンドルを握ったまま、何気なく訊いた。

 助手席のフレデリカは、窓から視線を離さずに、抑揚のない声を出す。


 「鉄道が嫌いなのよ。父親がはねられたから」


 エイベルは、あぁ、と気の利かない返事しかできなかった。


 北準州の前州長、スチュアート・アッシュベリーは、去年の暮れに鉄道事故で亡くなった。

 享年四十六歳。前職は医療機器メーカーに技術者として勤務していたそうだ。

 今から二十五年前、北準州へ出向した折、フレデリカと出会って恋に落ちた。

 血のにじむ努力の末、技術者として街に貢献すべく奔走し、領袖りょうしゅうの地位を獲得するにいたったという。


 一人息子のケント・アッシュベリーは、今春、中央州にある名門校リーヴィングを卒業した。

 北準州の議会からの打診もあり、州長の座を世襲する意思を示したという。


 これからケントの、州長になる前の試用期間が始まる。

 議会と役場のトップを務めるための資質があるかどうか、考試を受けることになるのだ。


 その間エイベルは、年齢が近いということもあって、秘書の役目を仰せつかった。

 主な仕事は、街の主要な機関とを繋ぐパイプ役だ。官邸に一室を借りて詰めるため、ケントの身の回りの世話なども引き受けることになるだろう。


 亡くなった前州長は家族葬だった。血縁者のみで、ひっそりと執り行われた。

 だからエイベルは、ケントとはまったく面識がない。ケントが今までにも何度か帰省した折も、会ったことがなかった。

 せめて初対面の時くらい、喜んで迎えてあげたいと思い立ち、このたび車の運転手を申し出たのだ。


 「ケントは、とっても優しい子よ。エイベルさんも、きっと好きになる。仲良くしてあげてね」


 フレデリカは、窓辺に頬杖をつきながら、こちらへ笑顔を向けた。


 いったい、どんな青年なのだろう。


 大きな期待で、胸が高鳴る。


 木漏れ日でキラキラと輝く、蒸気機関車のレールに沿って、車のアクセルをグッと踏みこんだ。






 

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