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山の上は町よりも少し早く秋がやってくる。夕方の風の冷たさに、絃吾は上着の襟を立てた。森を一部切り開いたところに建っている自宅は日当たりがよく、周囲を囲む木々はもう黄色く色づき始めている。かつては祖父母とともに
日課の燃し木拾いから戻った絃吾は、腰をそらした。ずっと前かがみで枝を拾っていたせいで、ももの裏から背中にかけてがガチガチが固まっていた。年々、同じ体勢を維持するのがつらくなってくる。
木々の向こうに落ちていこうとする夕日に目を細めた絃吾は、ふと、光に透ける一本の縁に気がついた。
絃吾は混乱する。
いつからあった?
数日前に町に行ったときに多少縁が増えたが、帰る前にすべて断った。それ以来だれとも会っていないのだから、増えようがないはずだ。
自分の胸のあたりから伸びている、繭から引いたばかりの
心臓が駆け足になる。
いったいだれだ。まさか納屋にあるものが目当てか?
燃し木の入ったカゴを下ろした絃吾は、落ち葉を踏んで音をたてないよう気をつけながら、忍び足で納屋に近づく。途中、庭に出しっぱなしになっていたナタを見つけたので拾っておいた。
戸の隙間から納屋の中を覗くが、薄暗くてよく見えない。戸に手をかけた絃吾は目を閉じ、長い深呼吸をする。緊張と尻ごみを意識の奥へ押しやると、一気に戸を引いた。
奥の方にいた人影が「ひゃあっ」と声を上げた。西日が納屋に射しこんで、土間に尻餅をついた人影の姿があらわになる。
それを見た絃吾は、振り上げかけたナタをそっと下ろした。
「あちゃー、見つかっちゃったか」
おかっぱ頭の少女は悪びれる様子もなく笑う。見たところ、十代
「ここでなにしてる」
動揺を押し隠して絃吾が尋ねると、よくぞ聞いてくれたとばかりに少女はしゃべりだす。
「山で迷っちゃってさ。そろそろ日も暮れるし、どうしようって思ってたら丁度ここにたどり着いたんだ。でも声かけてもだれもいなくて。じゃあ、黙って借りちゃおうかなって」
少女いわく「さすがに母屋は悪いから」というよくわからない遠慮が働いた結果、こっそり納屋でひと晩すごそうと決めたのだという。
少女の屈託のなさに、絃吾は拍子抜けしてしまう。泣き落としを狙うわけでも、言い逃れをするわけでも、逆上して襲ってくるわけでもない。勝手に他人の家に忍びこんだくせに、警戒心も害意もまったく感じない。絃吾に見つかった今も、身構える素振りすら見せず土間にぺたんと座っている。
なんなんだ、こいつは。
戦争で行き場を失い路上生活をしている戦災孤児は、今もまだいる。少女もそのひとりだろうと思ったが、それにしては身ぎれいだ。山吹色に格子模様の着物は、まがいものでなければ相当な値段のはずだ。ズボンはかなりくたびれているが、穴は丁寧に繕ってある。一方、おかっぱの髪は自分で切ったのか、横髪の長さが左右で違っていた。
「お前、家族は」
「みんな死んだ」
「このへんの出身か?」
「違うよ。泊めてもらえそうなとこを探しながらあっちこっち移動してんだ」
最近は山の反対側にある村の商店にしばらく
にわかには信じられない話だった。
確かにこの山は霧が出るので道に迷いやすい。だがこの家は山道から大きく外れたところにあるので、ちょっと道に迷ったくらいではたどり着けない。それこそ縁でもない限り。
やはりどこかで縁を刈り残したとしか思えない。まさか自分がこんな凡ミスをするなんて。絃吾は深いため息をついた。
そんな絃吾を拝むように、少女は両手を合わせる。
「ってなわけでさ、ひと晩泊めてくんない?」
「お前、状況わかってんのか」
絃吾は手に持ったナタをちらりとやる。だが少女は顔色ひとつ変えず、人懐っこいどんぐり
「でも、おっちゃんいい人そうだし」
開いた口が塞がらなかった。
絃吾から伸びた縁は、少女から伸びた縁とつながっていた。透き通った部分とひどく濁った部分がまだら模様を作っている、判断に困る縁だ。
薄暗い納屋の中で、そのしっかりとした結び目だけがぼんやりと光を放っているように見えた。
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