楽 『響き渡るは愛の音』
「はよう会いに来んか。莫迦者」
そう嫌味を口にしながら、狐は神の衣を身に纏い、男の姿で下駄音を鳴らしながら砂利道を歩く。
ふと風が横切ったと思って、狐が後ろを振り返れば、元気の良い幼い子供が汗を垂らしながら駆け抜けていった
「子供は元気で良いやっちゃなぁ、でも今日は、人間にとって暑い日やって、参拝に来とった爺さんが言っておったぞ。体調管理くらいちゃんとせい」
子供は元気が資本やぞ。そう言って狐は、ぐらり、と傾いた一人の子供の身体に涼しいような風を贈ってやった。
すると子供の一人はとても元気になって『神さまがおれに何かしてくれたのかもしれない!』などと騒ぐものだから、これだから人間は分かりやすい。と少し狐は嬉しそうに口角をあげてその場を去った。
そんな狐が目指す場所は『想い出のある場所』であった。砂利道を進み、木が多いしげる角を右に曲がる。
煉瓦で囲いを作った家を軒並みに進んで、川があったので橋を渡る。自分が社で眠っている間に随分地形も変わったらしい。橋を渡ってまた木が多いしげる一本道を歩く。蝉がたくさん鳴いている。きっと蝉も七日間の命を泣いて歌っているのだろう。
狐はそう思いながら「ようやく着いた。よう此処は変わっとらんな」と一言、周りに葉が多い茂る、小さく流れる川の岩場付近に、そっと腰を掛けた。
「もう、100年ほど経過してしもうたで、縁道(よりみち)」
そう言って、狐は人間の暖かさを教えてくれた大切なひとの名を口にした。
□
100年の間、狐はこの村を危険な自然災害から守る為にずぅっと社で眠って念を送り続けて居た。狐にとって人間は自身である神を崇拝するだけの存在で、どうでも良い存在であった。そんな狐の考えを変えたのが、人間の女子(おなご)、縁道の存在であった。
縁道は狐がぐうたら社でボンヤリして居たところを殻破った張本人である。
縁道には偶々神さまが見えてしまったのだ。「あぁ!狐の耳と尾が生えている!私は神さまを初めて見た!」と大声で言い「しかし、神さまといえば、もう少し凛としている想像をしていたが、私の勘違いだったか?」なんて宣うものだから
それに狐は怒って「俺は神さまやぞ、おまえ失礼な人間やな」と言えば「本当に神さまだった!」と縁道は目をまぁるくして「失礼いたしました。これをお飲みお食べください」と亀裂の入った器に入った透き通った水と、ひとつの饅頭を狐へ差し出した。それに狐は目を細めると言った。
「その行動になんの意があるんや?」
「いつも村を見守ってくださって有難うございます。という感謝の意です!」
「あんなぁ、食いもんなんぞ捧げられても俺は味が分からんから、食えんぞ」
「そうなんですか?神さまに味覚がないなんて初めて聞きました」
そう言って縁道が悲しそうに項垂れてしまったので、狐は何となしに器を空中へ浮かべて「これは何や?」と訊ねた。すると縁道は顔を上げて嬉しそうに笑って言った。
「此れは私の家から少し歩いた場所にある、水辺で汲んできたお水です!此の水を飲むと、私の家族みんな具合が悪くても治ってしまうんです。だから、それは奇跡の水なんです!」
「何を言うとるん。水に奇跡なんぞあるわけないやろ…」
「いいですから飲んでみてください!」
「わかった!飲むから!自分は少し待ちぃ!」
押されるがまま、器を空中から手中に収め、飲んでみると、とても美味しかった。
「…この水、汲んだ場所教えてや」
「!はい、もちろんです!」
そう言って縁道は狐の手を引っ張りながら村を案内する。
「此処を曲がって、あ、そこ砂利道なので転げないように気をつけてくださいね」
「俺は神様やぞ…。そんなん避けられるわ」
「神さまでも転んだら絶対痛いじゃないですか!」
「おまえさん、おせっかいっちゅうか、ほんま喧しい女子やな…」
「よく言われます」
此の縁道という少女に嫌味は通じないらしい。「さぁ、着きましたよ」と言われ、茂みの先をついて歩くと、そこはとても綺麗な場所だった。蝉の鳴き声が響いて、木々から溢れる日の光は、まるで木の葉がこすれるたびに川のせせらぎの音と重なって、きらきら輝いて、まるで演奏会のように狐は思えた。
「えらい綺麗な場所やな」
「はい!綺麗な場所なので、苦しいことや悲しいことがあると私もしょっちゅう足を運んでます。あ、此れ水です」
汲みたてなので、さっきよりもっと美味しいですよ。そう言って縁道が笑ったので、水の入った器をとって飲み込む。
「…美味いな」
「でしょう!狐さんも辛いことがあったら此の場所はおすすめの場所ですよ!」
「『神さま』ってもう呼ばないんか?」
「あ、つい!狐の耳と尾が生えていたから、つい呼んでしまいました。」
すみません。と謝る縁道が面白くて狐は腹を抱えて何千年ぶりに笑った。
その後も縁道は社へ頻繁に足を通わせ、二人は仲良くなるのだが…。
ある蝉のうるさい夏の日、あれから、少しばかり年をとった縁道は「もう会えません。」と狐へ別れを言いに来た。理由を狐が訊ねれば、家庭の事情で違う村へ行かねばならなくなったらしい。
「狐さん、最後にお願いがあります」
「聞かん」
「村を見守っていてください。」
お願いします。縁道は長く、深くお辞儀するとそう言った。どんな表情をしているのかも分からない。だから、ため息をついて狐は応えたのであった。
「縁道、御前さんが『幸せに生きてくれる』って約束をしてくれるんなら考えてやらんこともない」
此の村の水は美味いからな。そう付け加えていえば縁道はあの頃と比べて、少し皺のできた顔を上げて笑った。
「よかった。あなたに出会えて!」
縁道はそう言い残して、村を去って行った。その後、狐は村を守るために社でずっと眠っていたのだ。自然災害から村をずぅっと守るために、縁道の幸せと人間の幸せを願いながら。
□
「ほんま、喧しいほど、綺麗な場所やんな」
色褪せない想い出、木々から溢れてやまない眩い太陽の光、反射して輝く優しい水。蝉の鳴き声は此の場所だけの演奏会。
狐は木々から見える雲ひとつない青い空に語りかける。
「縁道、御前さんがもう此の世に居ないことは俺もよう分かっとる。でもなぁ、悲しくなるんや。そんで、また御前に会いたなって怒りたくもなるんや。時の流れって、人間て、ほんまに残酷やなぁ」
悲しくなって、苦しゅうなって、我慢してたんに、此の場所へ来てもうたやんけ。
「会いたいんや」
そう言って狐は涙を思わず眦から零した。
その時、茂みの入り口で誰か幼い女子(おなご)の声が聞こえた。
「狐、さんですか?」
思わず狐が驚きに振り返れば其処には昔出会った頃の縁道に少し似た九歳くらいの少女が器を持って立っていた。狐が目を見張ったまま驚いていると、少女はすごい勢いで近づいて来て「うわあぁっ!」と感嘆の声をあげた。
「本当だったんだ!あんね!お祖母ちゃんが言ってたの!」
「おばあ、ちゃん?」
「うん!縁道って名前の!私の自慢のお婆ちゃん!あ、でも、去年の夏に病気で死んじゃったんだけど…。私、お婆ちゃんにあげるための水を汲みに此処へ来たんだけど、本当に狐さんが居たんだ!お祖母ちゃん、嘘ついてなかった!!」
「おまえは、縁道の、孫なんか?」
「うん、お婆ちゃんは縁道って名前だったよ!」
すっごい優しいお婆ちゃんでね!お節介で、夢見がちで、せっかちで、周りからは五月蝿いって言われてた人だったけど、今でも、縁道お婆ちゃんは私の自慢の人なんだ!
そう言ってわぁい!と喜ぶ少女を目前に狐は目を見張った。縁道の、孫が、目前にいる。狐はごくり、と緊張で唾を飲んだ。まさか、こんな幸運があって良いのだろうか。狐は震える声で訊ねた。
「な、なぁ、御前さんのお婆ちゃん…縁道は、幸せだったか?」
「お婆ちゃん?うーん、美味しそうによくお饅頭食べてたし、幸せだったと思う!あ、そういえば私、お婆ちゃんに頼まれごとをされていたんだった!」
狐さん待ってて!そう言って、少女は狐に一枚の折りたたまれた白い紙を渡した。「お婆ちゃんから狐さんに会ったら渡してって言われてたの」少女は言う。狐は震える手で手紙を受け取ると、折り畳まれた紙を広げて、場所も時間も忘れて、それを読んだ。
『狐さんへ、あの時は、さようならの挨拶しかできずすみませんでした。私はあの後、違う村で出会った青年と結婚して、幸せな家庭と子を受け賜わり、孫も出来て、凄く幸せな人生を歩みました。孫に狐さんの話をしたら目を輝かせて言うんです。『私も会ってみたい』って。会ったら相手をしてやってください。私も狐さんにもう一度会いたかったです!あと、約束通り、村は守っていただけましたか?狐さんは変なところが抜けているから心配です。あ、心配せずとも私は最高に幸せな人生を歩みましたよ! 縁道より』
なんやこれ
第一声がそれに尽きる。縁道は莫迦だと思っていた。それは狐も承知の上で読んだ。しかし、莫迦を通り越して阿呆だった。これはどうしようもない事実だ。
そんな可笑しな様子の狐を見て少女は嬉しそうに笑うと、饅頭ふたつと水の入った器を狐へと差し出した。
「お婆ちゃんと私からです!狐さん、じゃなかった!神さま!召し上がってください!」
思わず腹を抱えて笑う。あの時初めて腹を抱えて此の場所で笑ったように。狐は笑いをおさめるように笑いに震えた声で少女へ訊ねた。
「御前さん名前はなんていうんや?」
「私の名前は…幸道(ゆきみち)です!!」
ええ名前やなぁ!
ドッと神さまが笑う。蝉の声が響きだす。水は光って木漏れ日が歌う演奏会。
ああ、此の場所は今日もまた綺麗だ。
終
在の日の恋愛感情論 宙彦(そらひこ) @so_nora9210
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