哀 『恋愛記憶列車』
カタン、カタン、と列車が揺れる
座りながらボンヤリと車窓から見える風景を眺めていると声をかけられた
「お隣、よろしいですか」
列車内の広めの椅子に、ちょこんと一人で腰掛けていた火花(ひばな)は上擦ったような声で「はい」としどろもどろになりながらも返事をした。
火花の様子を見て、男だろうか女だろうか判断しにくい性別のよくわからない中世的な容姿をしたその人は「では隣に座りますね」と一言、火花の隣に腰をおろした。
ガラン、と誰もいない静かな列車の中、カタン、カタン、と車輪は音を立て、何処かへ向かう。
そう、誰も乗車していなかったのだ。
火花は隣の女性(そういうことにしておこう)をチラリ、と横目で見て思案した。
そういえば、この人はいつ乗車したのだろうか。
何だか隣の女性の存在が怖くなり火花は思い切り目をそらした。
そんな火花の様子を何も言わずに眺めていた女性だったが、車窓の向こうの風景に目を向けると「綺麗ですね」と言った。
火花は思わず「え?」と聞き返してしまう。
それでも女性はやっぱり口にするのだ。
「あなた、この風景が見えるのですか」
「見えるから乗車しているのです。それに此処は『貴方の記憶の列車』でしょう。窓から貴方の思い出がよく見えます」
「じゃぁ、此処が私の夢の中の世界というのも知っているのですか」
「はい。全て承知の上で私は乗車しています。」
女性は淡々と言った。
火花は何だかそれが酷く怖くなり、自分の過去を見られているのも事情を全て知られているのも『恥ずかしい』と思った。
恐々と警戒心を少しばかり抱きながら火花は女性へ問いを投げかける。
「あなたは誰?何者なのですか。」
「それは最後にお教えいたしましょう。答え合わせというやつです」
答えも何も私はアンサーを出していないし採点される筋合いも、そんな仲でもないのに、初対面なのに変な人だ。と火花は目を細めて失礼にも思った。
なあにが答え合わせだ。名前くらい教えてくれてもいいだろうに。
「私の名前は…花灯(はなび)ですね。そうお呼び下さい」
フム、と無表情でそう答えるものだから火花は面をくらってしまった。
何だこの人、人の心が読めるのか。末恐ろしい人を隣に座らせてしまった。
火花は腕を摩りながら恐怖を誤魔化す。
すると花灯は「あ」と列車内の出入り口近くにある「恋愛」と書いてあるプレートを見て「此処は恋愛の記憶に関する列車だったのですね」なんて言うものだから参った。
ただただ恥ずかしさに頭を抱えて悶える。
「そうですよ…。此処は私の未練タラタラな、過去の恋愛が、車窓を通して流れてゆくだけの列車ですよ。本当につまらない。お姉さんも別の列車に乗り換えたほうが良いですよ」
「何を言っているんです。私はこの列車だから乗車したのです。つまらないなんて残酷な言葉はやめましょう」
「お姉さんの目的は何なんですか」
「それも最終終着点に着き次第、答え合わせです」
また、はぐらかされた。
火花は心の中でガックリ項垂れた。
何なんだこの人は。そんな火花の様子など露知らず、車窓の景色は変化してゆく。この景色は本当に忘れたいほど記憶から消したい過去、手痛い失恋の記憶だ。
中学生くらいの火花と、当時仲の良かった中学生の男の子が車窓の向こうに映っている。思い出は綺麗に保管されるというが、本当にその通りだ。
車窓の向こうで火花と男の子が話をしていて、話した会話は所々抜け落ちてノイズになってしまっているが、火花のポカンとした表情や、男の子の仕草などから、過去の甘酸っぱい青春がよくわかってしまう。
火花は懐かしくて嬉しくて、悲しくもなって、もう暫く会っていない車窓の向こう側の男の子を想って、また悲しくなった。
火花が目も当てられなくなって、列車から降りようか悩んで、下を向こうとした。その時。
「捨てるなんて勿体ない」
と隣に座る女性は言った。
「貴方は人として、真っ直ぐに生きようとして、屈折しながらも青春の一ページを刻んだ。だからこそ忘れるなんて勿体無い。捨てるなんてもっと勿体無い。私はこの列車の風景を美しく思えます。」
「それは花灯さん、あなたが第三者の視点でコレを見てるからでしょ。私からしたら、美しいものでもないし、もう忘れて捨てたいちゃいくらいですよ。」
「それでは何故この列車はずっと停車しないのです」
「それは」
ぎくり、と火花の肩が驚きで揺れ、返答が遅れた。女性は強い眼差しで続ける。
「本当に忘れたい捨てたいほどの過去の恋愛ならば、停車してもらって、適当な駅のホームのゴミ捨て場にでも捨てられるでしょう。しかし、貴方はまるで大切なものを袋で包んで小舟で運ぶように、とてもこの思い出を大切にしている。それは『この想い出を抱えたまま未来へ進みたいから』と思っているのではないのですか」
「ど、どうしてソレを知っているの?」
「ふふ、さて、あぁ、そろそろ答え合わせの時間ですね。私の正体でしたか。私はですね」
『ー…次、未来駅、未来駅、停車致します…ー」
「火花、私は貴方の精神の中で生きている人なんです。つまり、私も火花なんです。でも、人間ではないのです。」
「はは、なにそれ、意味わかんないよ」
「私の目的は貴方の手助け。過去の恋心からの解放でした。でも、ソレを抱えたまま必死に不器用に、未来へ進もうと、もがきながら生きていく私も中々に美しくて、面白いことが分かりました。これからは見守ることにします。」
「ほんと、意味わかんないくらい、納得した!」
「因みに姿を変えているのは貴方に警戒されないためです」
「聞いてないし、警戒したし!はは、ほんと変なとこで糞真面目なとこ、私だ。」
そう言って火花は花灯、もとい自分の精神のひとつへ笑いかけた。
火花は花灯へ言った。
「降りる準備が出来たら私も降りるから、花灯は先に降りてくれないかな?」
「ソレは承知し兼ねます。貴方、まだこの列車に留まるつもりでしょう。」
「あはは、バレてる」
「貴方を一人にするのは私が嫌なので、待っています。」
「…花灯、私の精神の一部にしては優しすぎない?」
「そう思うならソレでいいです。さぁ、行きましょうか」
「はぁい、…じゃぁ、行こうか!ありがとう!」
火花は花灯…もとい火花の精神の一人へ満面の笑顔で手を握るとお礼を言って、地を蹴って、列車を降りたのであった。
□
そこで目を開ければ見慣れた天井。ああ、帰ってきちゃったな。そんなことを火花は思いながら、否、違うか、と首を緩くふる。
何せ火花は花灯とちゃんと未来へ来たのだのだから。
「ありがと、花灯。もう大丈夫だよ。」
スッキリした心でカーテンを開ければ見事な快晴…とまではいかなくとも、少し晴れて青空が雲間から見えていた。
「次はいい恋ができるといいな」
小さく呟いて火花は部屋を出たのであった。
□
決して忘れることはできない、最愛の最低な思い出。嬉しかった出来事も、悲しかった結末も、嬉しかった言葉も、私の中で今日も生きている。
なので結果、どれだけ忘れたくても想い出は心のアルバムに大切にしまうほかないのだ。
終
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