2.怒 『恋喰われの怪物』

チラリと視線を軽く上げれば、斜め向かいのテーブル椅子に座る男が、傍に女一人と目前に女二人を侍らせて、ヘラヘラと笑いながら談話を楽しんでいるようであった


その光景を見ていた愛歌(あいか)はなんとも言えない苛立ちを覚え、湧き上がるどす黒いものを咄嗟に腹の中へ仕舞い込んだ


「お待たせいたしました」と声かけてくれた店員に対し「ありがとうございます」とにっこり返す。

注文していたフォンダンショコラとメロンソーダを受け取り、支払いの伝票をテーブル上に置く


愛歌はスイーツを前に目を輝かせた


此処のお店のフォンダンショコラは美味しいのよね、そう思えば少しはどす黒い感情も収まるというものだ。


しかしケーキセット500円で彼氏の浮気に対する怒りが収まるなんて、愛歌もまた安い女である。


早速未だ熱いフォンダンショコラへフォークとナイフを滑らせれば、ぐだぐだどろどろに湯だったチョコレートが中から出てきて、やっぱり、このフォンダンショコラは今の私そのものだ。と愛歌を痛感させた。


舌打ちを笑顔の下、心中でひとつ悪態をつく。

紙に小包されていたストローを優雅な手つきで取り出し、メロンソーダの氷をめがけて突き刺してやる。

炭酸がプシュリと上へ昇っていくのを片目にフフ、と笑うと愛歌は早速、行儀悪くストローを齧った。



カフェ店内には軽快で緩やかな音楽が流れている。『お馬鹿さんな私の彼氏、遼一(りょういち)は私がこうしてコッソリ尾行しているのすら知らないのでしょうね。』と、愛歌は斜め前の席に座って女性とスキンシップを取っている遼一の様を眺めて愛歌はほくそ微笑んだ。



数日間にわたって、こうして愛歌が遼一の跡をつけているのにもキチンとした理由があった。

先ず大前提として遼一は、愛歌の彼氏である。

しかし、遼一は何かと理由をつけて愛歌とのデートの約束を断る。

不審に思い、愛歌が独自のやり方で遼一の浮気を探ってみれば大当たり


彼は愛歌を含めて、四人もの女性と浮気していた事が発覚した。


愛歌以外の三人は遼一と付き合えるだけで幸せ、といった脳内にお花が咲いてしまったような人たちで、浮気を認めながら交際しているようであった。


断言しよう。愛歌はそんな交際真っ平御免である。



しかし遼一のそういった優柔不断な性分も全く知らずに、遼一からの告白を受け入れてしまったのは紛れもない愛歌だ。



その頃の愛歌にとって、話しかけてくれる男性自体はとても貴重な存在であった


何でも耳を欹てて聞いてみれば、『愛歌サンは非の打ちどころが無い秀才の美女で、何を考えているか分からないから近寄りがたい高嶺の花』というもの。


そんな愛歌の好物は味噌ラーメン、音楽趣味はビジュアル系ロックバンド、休日は家に篭ってもっぱらゲームである。


因みにテスト前は徹夜。朝起きると酷い隈が目下に広がっているのはいつものこと。

現実とはそういうものである。


つまり、全くもって上部だけしか見ていない酷い言いがかりである。


『愛歌さんって汗かかないイメージ』


そんな話を耳にした際には、自分も貴方達と同じ普通の人間ですが!などと思ったが

近寄りがたいと思われていた事実に大分ショックを受けてしまい


何も言い返す事も出来ず

相も変わらず日々、授業を淡々とこなし、頼まれたら嫌なことも笑って引き受け

足りない部分は努力で補う。ストレス発散はオンラインゲームで。


(寂しくない、独りぼっちは寂しくない)



傷む胸に言い聞かせて

そんな当たり前の退屈な毎日を送っていた。



そんな愛歌にも楽しみはあった


生温い風に吹かれながら、屋上でひとり、お弁当を食べる時間


穏やかで誰にも邪魔されない

他人の目も気にしなくていいその場所は、愛歌にとって最上級の楽しみであり、素晴らしく好ましい時間であった


そこに話しかけてきたのが、遼一であった


「林愛歌(はやし あいか)さん、だよね?」


あ、私の名前知っているのね。

まぁ、別にいっか。それが第一印象であった。


「そうですが、何か御用でしょうか」


「いや、特に用って訳じゃないんだけど」


じゃぁ、話しかけないで頂けますか


とは言わず心の中へ仕舞い込む。

取り敢えずお得意の営業笑顔で対応しておく事にする。

すると遼一は何を思ったのか、愛歌の座るベンチに二人分くらいのスペースを開けて座ったのだった。


「俺も此処で食っていい?」

「…お好きにどうぞ」


やりぃ!そう言ってガサゴソと購買で購入したパンを取り出すべく袋を漁り始めた男を横目に愛歌は苛立ちを覚えた。


(何故私に話しかけるの?)


「俺、愛歌さんと話してみたかったんだよね」

「...そうだったのですか」

「愛歌さん、話してみたいのに、いつも気づいたら教室から居なくなってるしよ〜」

「それはすみません」


くすり、不思議と笑みが溢れた。

あ、久々に人と話して笑った気がする。


愛歌はなんだか恥ずかしくなって、思わず左手で口元を覆った。

そんな愛歌の様子も露知らず、男は勝手知ったりとばかりに自己紹介を始める。本当に自由な男だ。


「俺は斉藤遼一(さいとう りょういち)!同い年!クラスは2年3組、よろしくな!」


「別によろしくしたくもありませんが、よろしくお願いします」


「どっちだよ〜⁉︎愛歌さんて面白いな!」


面白い。自分が?

何を言っているのだ。こんなつまらない自分へ話しかけてきた、この男の方が余程面白いではないか。


愛歌は笑みを貼り付けながら、その日の談話を楽しんだ。




「付き合ってください」


数日後、遼一から告白された愛歌は、なんとなしに差し出されたその手を取った。


理由は面白そうだったから


何より理由は、愛歌自身も、この、斉藤遼一という男に興味を持ち始めていたからだ。


「まさかオーケー貰えると思ってなかった。」


そう言う遼一に愛歌は微笑んで応えたのだ。


「こんな恋愛の始まりかたも面白いでしょう?」


此れが愛歌と遼一の『お付き合い』の始まりだった。



閑話休題、愛歌の彼氏、斉藤遼一は浮気していた。


愛歌に内緒で、だ。話は冒頭に戻る。


現在、遼一と仲睦まじく話している彼女たち3人について、愛歌なりに少し調べさせてもらった。


遼一に、彼女達とは校内でもよく一緒にいたので、気になって、愛歌が『彼女との関係性』について聞いたことがあるが、はぐらかされて終わってしまった。


遂には愛歌からの勇気を振り絞ったデートの誘いも、五回ほど断られたので、遼一への腹いせも兼ねて、帰宅路を尾行してきみれば愛歌の予想通り、案の定、遼一はその日一日中、彼女たちと仲良くしていたようで、愛歌は、とてつもなく変な男に告白されてしまったものだと、告白を受け入れてしまった自分を嘆いた。


遼一と彼女三人の楽しげな会話を耳に流しながら愛歌はぼんやりと考える。


(なんでアタシこんなことしてるんだろう)


苛立ちでストローを更に奥歯でガジリと噛む。


愛歌が遼一の本心が聞けたことは一度もない。いつもはぐらかすからだ。


(本当に何故あのような男に興味を抱いてしまったのだろうか)


思わず愛歌はらしくもない溜息をつく。



遼一の好意を断れば良い


たった、それだけのことなのに、自分以外の女性と仲良くしているのを見ると腹が立ってくる

そんな愛歌も相当重症だ

心の内ではあんなに酷い扱いをする遼一のことがなんだかんだ言って未だ好きなのだから


(独占欲や執着心とは無関係でいたい。でも自分が自分の恋心に歯止めをかけてくれない。)



愛歌はこんなに遼一が好きで


遼一は本当の愛歌を見てくれない


愛歌もそんな遼一の本心が見えない


見させてくれない



期待して損してそれでも諦めきれなくて


愛が欲しくて

醜くて欲深くて


「まるで今の私は怪物みたい」


愛歌はボソリと呟いた。



遼一を想って今まで愛歌は我慢していた

しかし、もう我慢の限界であった。


あんな男、此方から断ればいい


こんな感情に振り回されるくらいなら、悔いの無いように別れを切り出してやる!


愛歌は伝票を片手に席を立った。


メロンソーダは氷に溶けて温くなっていたし、フォンダンショコラは綺麗に食べられていた。

フォンダンショコラを載せていた真っ白な皿は、チョコレートソースの残骸で少しだけ醜く見えた。


(あの御皿は、まるで今のアタシのようね)


去り際に愛歌らしくも無く自嘲した。


愛歌の胸にストンと堕ちた『怪物』という言葉は今の自分の心情にピッタリ当て嵌まってる気がして、愛歌はなんだか笑えた。



「遼一を好きな私なんて、いなくなれば良いのよ」



ふとその言葉だけ遺して、愛歌は会計へ足を運んだ。


遼一の席を通り過ぎる際に一言置いておくのも忘れずに


「別れましょう!さよなら、遼一さん」


時間が少し経過した後に「待って!」と焦って席を立つ馬鹿な男の声が一瞬聞こえた気がした。

聞こえぬふりを決め込み足早に店を去る。


遠くで彼女たちが遼一を宥めている声が聞こえた。



しかし本当に馬鹿な男だ。


女は虎視眈々と獲物を狙っているもの。


あの三人は先程迄の愛歌と同じ、詰まるところ恋心に喰われた寂しい怪物なのだろう。


そんなことを考えながら、愛歌はさっさと会計を済まして外へ出る。


愛歌は、あ、そうだ、と閃いたように携帯を鞄から取り出して、迷いも無く、遼一の連絡先を削除した。


その後はもう何も考えたくなくて、愛歌は電源を切るボタンを押すと、携帯を鞄へ放り投げた。


恋に溺れた怪物は泡になってこれで消えるのだ。ざまぁみろ。



駐輪場に置いた自転車に早足で向かって跨って颯爽と漕ぎ出す。


空は清々しいくらいの青空で風も温度も心地よいはずなのにペダルが重く感じる。


心の中で消えたはずの怪物が今更になって五月蝿いくらいに泣いている。



「好きって、呪いの言葉みたいね」



(ああ、この感情は悲しくて、笑えて、なんだか、馬鹿みたいで、人間らしくって面白い。)

頬から何かがつたって愛歌は笑えた。


(早く、あなたを好きな馬鹿な怪物なんて消えてしまえばいいのにね)


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