観音様

sorarion914

バチアタリ

 子供の頃。

 近所の墓地が僕たちの遊び場だった。


 学校帰りにランドセルを背負ったまま、友達と数人でお寺の敷地に入り、本堂を抜けた先にある墓地に足を踏み入れると、近くにあった地蔵さんの前にランドセルを投げ出して、やれ、かくれんぼやら鬼ごっこをして暗くなるまで遊んでいた。


 夏場はやぶ蚊が凄くて大変だったが、墓地は空気がひんやりとしていて、正直、1人では怖かったが、友達と一緒ならその不気味さも何故か楽しかった。


 古い卒塔婆や水桶は黒ずんでおり、苔むした古い墓もたくさんあったが、新しく区画整備された場所には真新しい墓が立ち並んでいて、僕たちはその表面に彫られた苗字を1つ1つ読んでは、「お前の墓、あるぞ!」などとからかって遊んでいた。


 今にして思えば、随分と場違いなところで、罰当りな遊びをしていたものだ。



 その墓地には、大きな観音像が設置されていた。


 大きいと言っても大仏ほどではなく、大人の等身大ほどで、墓地全体を見渡せるような所に立てられており、両手を胸の前で合わせて、そっと目を伏せている。

 品のある美しい顔立ちをしていたが、その顔には雨で流れた汚れの跡が幾筋も走っていて、たまたまだろうが、鳥の糞が――あろうことか観音像の鼻のところに付着しており、それが長い年月を経て黒く固まっていたのだ。


 誰かがそれを見て、


「鼻くそ観音!」


 と叫んだことから、いつしか僕たちの間で、その観音様は【鼻くそ観音】と呼ばれるようになってしまった。


「今日、鼻くそ観音集合な」


 それが合言葉のように、僕たちは放課後になるとお寺に直行して墓地に集う。


 この日も。

 ひとしきり遊び、さて帰ろう……とした時。


 いつもなら何も言わない住職が、その日は急に墓地に姿を現して僕たちに向かい言った。

「いつも賑やかに遊んでいるが、ここは亡くなった人たちが静かに眠る場所ですよ」


 𠮟り飛ばすような言い方ではなく、穏やかな物言いが返って僕たちの罪悪感を刺激した。

「君たちだって、夜寝ているのにギャーギャー騒がれたら迷惑でしょう?」

「……」

 僕たちは無言で俯いた。


 言われてみれば確かにそうだった。


「遊ぶのは構わないが、本堂の前の広場で遊びなさい」

 住職はそう言うと袈裟の前で両手を合わせ、墓地の方を向いて頭を下げた。

 それを見た僕たちも、同じように両手を合わせて頭を下げた。

「うるさくしてゴメンなさい」

 友達がそう言うので、僕も「ごめんなさい」と詫びた。

 その姿に住職が微笑んで、立ち去ろうとした時。


「あの。観音様をキレイに洗ってもいいですか?」


 いつも仲間を率先して導く、リーダー格の友達がそう言って住職を呼び止めた。

 住職が振り向き、汚れた観音像に目をやる。

「あぁ……随分と汚れてしまったな」

「俺たちキレイにします」

 その言葉に、僕たちも頷いた。


 寺にあったバケツとタワシを借りると、僕たちは今までの非礼を詫びる様な気持ちで、せっせと観音像を洗った。


「この鼻くそも取ってやろうぜ」


 リーダー格の友達がそう言ってタワシで鼻をこすった。

 黒くこびりついていた鳥の糞は、タワシの勢いでポロリと取れた。

 少し跡は残ったが、それでもキレイに生まれ変わった観音像を見て、僕たちは満足した。




 ――その夜の事だ。



 僕は夢を見た。

 枕元に、あの観音様が立っていて、じっと僕の事を見下ろしているのだ。

 両手を胸の前で合わせ、薄く開いた目で、じーっと僕の事を見つめているのだ。


 僕は学校に行くと、その夢の話を友達に聞かせた。


「きっとお礼を言いに来たんだよ。いいなぁ。同じことしたのに、なんで俺の所には出てこないんだ?」

 他のみんなも口々に文句を言う。


(そうかぁ……お礼を言いに来てくれたのか)


 僕は少し嬉しくなり、何かいい事あるかも――などと浮かれていたが……



 驚いたことに、それから毎晩のように観音様は僕の夢に出てくるようになったのだ。



 いつも何か言いたげな顔をして、じーっとこっちを見ている。

(お礼を言うには、ちょっとしつこ過ぎないか?)

 と、僕は思って再び友達に話した。


 すると今度は、友達の夢にも現れたというのだ。


「僕も見たよ。観音様が立って僕の事見てた。なんか、凄く悲しそうな顔してたよ」

 それを聞いたリーダー格の友達が、

「俺んとこには、凄く怖い顔をした観音様が現れたよ。なんか知らないけど怒ってるみたいだった」と嘆く。


 話を聞いていると、出てくる観音様は同じでも、態度がみな微妙に違うようだった。


「キレイにしてあげたのに、なんで怒るんだ?」

「そうだよ。悲しそうな顔してた。嬉しくなかったのかな?」

 他の友達も、「泣きそうだった」とか「ムッとしてた」とか、喜んでいる素振りは見せていない。


(何が気に入らないんだろう……)


 授業を受けながら、僕はぼんやりと考えていた。


 自分のところに出てくる観音様は、いつも何か言いたげにじっと見てくるだけだ。


(一体なにを言いたいんだろう?)


 僕は筆箱を開けると、消しゴムを取り出して意味もなく机の上をこする。

 そうして出てきた消しカスを集めては、一つにまとめてねていく。


 当時、僕は消しゴムのカスで、を作る――という謎の遊びにハマっていた。


 上手に捏ねないと割れてしまう為、僕はいつも少量の消しカスを丁寧に丸めては捏ねていた。

 お陰で消しカス玉は、ビー玉よりも少し小さいくらいの大きさにまで成長していた。

 若干黒ずんではいるが……


 それを手に取り、何となく捏ねていると、僕はふいに―――


(そうだ!)

 と、何かを思い立って、放課後、まっしぐらに墓地へと向かった。

 ここで遊んではいけないと言われたが、今日は遊びに来たわけじゃない。



 僕は1人で観音像の前に立つと、ランドセルの中から筆箱を取り出して開いた。

 中から消しカス玉を取り出すと、じっと観音様の顔を見る。


 汚れていた観音様の顔はキレイだったが、何かが足りない気がする――





 僕はおもむろに、手にしていた消しカス玉を、観音様の鼻の穴に突っ込んだ。




 * * * * * * *


 ――その日を境に観音様は夢に現れなくなった。


 僕のところにも。友達のところにも。


 せっかくキレイにした観音像だが、無残にも鼻に詰められた消しカス玉が、まるで鼻くそのようにこびりついている。



 でも何故か、観音像は輝いて見えた。

 心なしか嬉しそうに微笑んで見える。




 鼻くそ観音と呼ばれても……






 ――案外、気に入っていたのかもしれない(笑)




 ……END








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