そのバス停には

真衣 優夢

テーマ「始発」



 僕は、いつも考えが浅い。

 なんとなくこれでいい、と思って、大失敗をする。



「始発が11:00で。

 最終便が14:30、だって……!?」



 バス停の運行表の前で、僕は愕然と佇んだ。

 現在の時刻は15時。

 ホテルまでバスで10分、という旅行案内の表示だけ見て、詳細を確認していなかった。

 慌ててタクシーを呼ぼうとしたら、山の中すぎてタクシーを呼んでも来ないというレビューを発見。

 嘘だろう……!?



 こんな、木々と一応アスファルトで舗装されているだけ、なんにもない無人駅で、いったいどうしろと。



 歩くか。歩けなくはないだろう。

 バスで10分のところに行けばホテル、つまり人のいる建物がある。

 スマホのナビに沿ってのんびり歩けば、多少迷っても日暮れまでには、



「いやあああ!?

 どういうこと、バスないの!?

 先に言ってよ、どーすんのこれ!!」



 僕のすぐ後ろ、さっきまで僕がいて、ついさっき驚愕した場所に、若い女性が立っていた。

 ああ……仲間だ。

 きっと、同じ電車に乗っていたんだろう。

 ちなみにこのローカル線電車も、一時間に一本しか走っていない。

 引き返すにも待ちぼうけ確定、ひどい罠もあったもんだ。



「すみません。バスに乗れなくて困っているんですか?」



 若い女性一人は不用心だと、声をかけてみた。

 女性は人がいたことに安心したが、「僕もなんですよ」と返すと心底がっかりした顔をした。

 彼女の宿泊ホテルはけっこう遠く、僕のようにぶらぶら歩ける距離ではない。

 荷物も重そうだし、女性一人で真っ暗な田舎道はさすがに危ない。



 僕は、予約しているホテルに連絡してみた。

 バスがない、と伝えると、「そうですよねえ」と呑気な従業員の声。

 どうやら、よくあることらしい。

 自家用車で迎えに来てくれるというので、僕は同じ境遇の女性を、別のホテルまで送ってあげられないかと打診した。

 従業員は快く受けてくれて、女性は飛び上がって喜んだ。



「私、宮田 志桜里といいます。お名前伺ってもいいですか」


「僕は川上 俊郎です」


「川上さん、お礼をしたいので、よかったら連絡先交換していただけませんか」



 お礼なんて別にいいのに、と思ったが、彼女は案外押しが強く、連絡先を交換することになった。

 『宮田 志桜里さん』という見慣れない名前が追加される。

 里、さくら、志す。美しい名前だな。



「川上さんは、カメラマンなんですか?」


「そんな大層なものじゃないですよ。

 才能がないみたいで……。趣味として好きなだけです」



 僕は野鳥の撮影を趣味としている。

 人がいなさそうで観光場所もなさそうなこの地に来たのも、この季節によく見られる野鳥を撮りたかったから。

 宮田さんは、「素敵ですね」と褒めてくれたが、社交辞令だろう。

 鳥を追いかけまわす変人、と周囲にはよく言われてる。



「宮田さんは、どうしてこんな辺鄙なところに?」


「私、実は秘境温泉マニアなんです。

 ここの山奥、川辺に天然の温泉があるみたいで、今日は下見に」



 これは、僕に負けず劣らずレアな趣味だ。

 道理で、普通の旅行者にしては装備がしっかりしていると思った。

 僕も山を歩くほうだが、彼女の靴は僕よりもっと本格的だった。



「どうして下見なんですか?

 せっかく来たのに、温泉を楽しまないんですか?」


「秘境ですからね。デマも多いし、入れない温泉だったりもするんです。

 熱すぎるとか、ぬるすぎるとか。

 場所的に危険で近寄れないとか。

 実際に目で見て、行けると思ったら一度戻って、テントがっつり背負ってひとり温泉で一杯です!」


「なるほど。実際見ないと、わからないものなんですね」


「見て、近づいて、触れてみないと、全然わからないものですよ」



 雑談しているうちに、ホテルからの迎えが来た。

 年季の入ったバンは、田舎の景色によくなじんでいて苦笑してしまった。

 僕はホテルで先に降り、宮田さんは遠くのホテルにそのまま移動した。



 バスには驚いたが、とりあえず撮影スケジュールに問題なさそうだ。

 明日は夜明けより少し前にホテルを出て、山に入ろう。山につく頃にちょうど朝日が昇る。

 朝焼けの中にたたずむ鳥は、さぞ美しいだろう。



 スマホにメッセージが入った。

 宮田さんだ。

 お礼ならほんとにいいのに、と思って内容を見ると、



『野鳥撮影、ご一緒したいです』



 と、あった。

 僕は少し考えて、『朝早くてよかったら、いいですよ』と返した。

 普通の女性なら断っているが、彼女は僕より山を知っている。

 野鳥に興味を持ってくれるなんて嬉しいし、誰かと撮影するなんて初めてだ。



 宮田さんは、早朝の待ち合わせにもかかわらず元気に手を振っていた。

 完全装備に身を包んだ宮田さんは、僕が遭難しても一人で助かりそうだった。

 なんだか安心するし、面白い人だ。



 僕は撮影に集中すると、周囲の音が聞こえなくなる悪癖がある。

 はっとして宮田さんを振りむくと、宮田さんはにこにこしていて、写真を見たいと言った。

 僕は、どれくらい彼女を放置していただろう。申し訳ありませんと謝ると、彼女は笑って、「自然を見てるの好きだから、全然気になりませんでした」と言われた。

 ああ、お礼をされるどころか、僕がお詫びをしなければ。

 


 彼女はメモリの写真から、一枚をいたく気に入ったようで、スマホに送ってほしいと言われた。

 しかし、僕は撮影だけのつもりで、接続ケーブルを持っていなかった。

 帰宅したらパソコンから送ります、というと、宮田さんは喜んだ。



 お礼とお詫びを兼ねて、僕は宮田さんを撮影した。

 緑の中で微笑む彼女は健康的な美しさと、不思議な魅力があった。



 自然の中で互いに携帯食を分け合い、日が暮れる前に戻って解散する。

 楽しくて充実した時間だった。

 あれ。そういえば、宮田さんは温泉を見つけたのだろうか。

 デマか、入浴不可能な場所だったんだろうか。



 帰りはなんとか最終便のバスに乗れて、僕は無人駅へと戻ってきた。

 このバスについては、ガイドにしっかり載せてほしいと心から思う。

 次の電車は30分後。のんびりと待っていると、宮田さんからメッセージが来た。



 僕は、いつも考えが浅い。

 なんとなくこれでいい、と思って、大失敗をする。

 僕は、馬鹿だった。



『好きになってごめんなさい』



 どうして彼女が謝ったのか。それは僕のせいだった。

 僕は、たった一言、説明していればよかった。

 なんとなくこれでいい、と思って、放置していたせいで。



 僕の左手の薬指には、結婚指輪がある。

 半年前に離婚して、そのままだ。

 外さないのではない。外れないのだ。指がむくんでしまったのか、どうやっても抜けない。

 こういう時、どこへ行って何をすればとれるのか、考えているうちにどうでもよくなって、ほったらかしにしていた。



 元妻は、僕に「鳥ばっかり追いかけるのはやめて、真面目にやって」といつも言っていた。

 僕は、真面目に、の意味を深く考えず、趣味をやめるつもりもなかった。

 元妻は子供が欲しかったのだと、離婚間際に伝えてきた。



 僕は、いつも考えが浅くて、大失敗をする。 





 二か月後。

 僕と宮田さんは、あの無人駅で再開した。

 時間は10:00。始発のバスに乗れる。



 僕はあれからすぐ、宮田さんに正直に全部告げた。

 宮田さんには、なぜか、どうでもよく流したくなかった。

 指輪を外す方法を知りたいと言ったら、いろいろ教えてくれたけれど、本当に抜けなくて。

 消防署に出向いて専用の器具で切断してもらった際は、ものすごく怖かったのを覚えている。



 僕の手に指輪はなくなって。代わりに、素敵な彼女のぬくもりを掴んだ。

 今回は、秘境温泉を探しに行く。

 前回は僕と過ごすために、君が諦めてくれたから。

 温泉を見つけて、写真を撮って、君とも過ごそう。



 これから、僕はよく考えることにする。

 欲張りになろう。

 なあなあをやめて、自分らしく生きたいから。



 バス停にお辞儀をする僕を、志桜里さんが不思議そうに眺める。

 このバス停は恩人で、縁結びの神様だから、拝んでおこうと思ったんだ。




おわり

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