今は少し虹を待とう

神楽堂

今は少し虹を待とう


 雨の日はゆっくり歩く。

 水たまりを踏みたくないから。


 雨の日はゆっくり歩く。

 空からの音楽を聴いていたいから。


 雨の日はゆっくり歩く。

 大好きな伊織くんとずっと一緒に歩いていたいから。


 雨が降れば伊織くんは晴れの日よりもゆっくり歩いてくれる。

 雨の日は伊織くんといれる時間がちょっとだけ長くなる。


 だから、私は雨が好き。


 * * *


「梨沙、帰ろう」


「うん、一緒に帰ろ!」


 伊織くんは小学生時代からの友達。

 一緒にスクールバンドに入って楽器の演奏をしてきた仲だ。

 私はホルン。

 伊織くんはトロンボーン。

 お互い金管楽器だ。


 私の家と伊織くんの家とが近いこともあり、一緒にスクールバンドの朝練に行ったり、放課後一緒に帰ったりしているうちに仲良くなった。


 小学生の頃は恋愛感情とかに疎くて、伊織くんのことをただの男友達だと思っていた。

 けれども、中学に入って制服姿の伊織くんを見ているうちに、背が高くてかっこいいな、体つきもがっちりしていて頼もしいな、なんて思うようになった。

 私はだんだん、伊織くんのことを異性として意識するようになっていた。


 伊織くんは私のこと、どう思っているのかな。

 そのことはあまり考えないようにしてきた。

 だって……


 伊織くんにその気がなかったら恥ずかしいし……


 友達からは、


「梨沙の彼氏、かっこいいよね」


ってよく言われる。


「彼氏じゃないよ~」


って返すんだけど、付き合っているように見られるのは悪い気はしない。

 本当の彼氏だったらもっといいんだろうな、とは思う。


 クラスは違うけれども部活は一緒だし、帰る道も一緒なので、これはこれで満足している。


 ある日の帰り道のこと。

 いつもように伊織くんと一緒に歩いていく。


「梨沙、コンクールの選抜、頑張ろうな」


「うん! 頑張る!」


 吹奏楽部最大のイベントであるコンクール。

 人数制限があるので一年生は全員が出れるわけではない。

 テストを行って上手に演奏できた人がコンクールに参加できる。

 私も伊織くんも一年生なので、選抜テストの対象だ。


「練習してるか?」


「もちろん!」


 二人とも合格して一緒にコンクールに出たいな。


 * * *


 そして、テスト当日を迎えた。


 テストでは、部長さんと副部長さん、二人が聞いている前でソロ演奏する。


 ひええぇぇぇ……

 緊張する……


 ホルンは、「角笛つのぶえ」が進化してできた楽器。

 管がくるくるとカタツムリみたいに巻かれていて、丸くてかわいい。

 私はホルンが大好き!

 この楽器でコンクールに出たい!

 絶対に合格しないと。


 椅子に座り、右手をベルの中に入れ、左手をレバーの上に乗せる。

 ほとんどの金管楽器は右手でピストンを操作するのに、ホルンは左手で演奏する楽器。

 私、右利きなんだけどね。


 左手を使うと、右脳が刺激されて頭がよくなるよ、なんて言われたこともある。

 それが本当なら嬉しいな。



 さて、いよいよテスト。

 腹式呼吸で大きく吸ってから息を吹き出し、マウスピースの中の唇を振動させる。


 コンクールの課題曲の一番難しいところを吹けるかどうかのテストだ。

 これまでたくさん練習してきた。

 きっと、うまくできるはず。


 ふぁおん……


 出だしからいきなり音を外してしまった。

 動揺しながらも演奏を続ける。


 ふぁおん……


 しまった。またも音を外してしまった……


 副部長さんが言う。


「はい、そこまで」


 もうだめ……


 真っ青になりながら立ち上がる。


「……ありがとうございました」


 一礼して退室する。

 意識が遠くなっていく……

 まずい!

 気を取り直し、なんとか意識を保って部屋を出た。


 ふぅ……

 よかった。倒れずに済んだ。


 入れ替わりに入室する原口さんに、


「頑張ってね」


と声をかけ、私はみんなのいる場所へと戻る。


 はぁ……

 ダメだろうな……


 コンクール、出たかったな……


 部活が終わり、伊織くんと一緒に帰る。

 空は暗く、今にも雨が降り出しそう。

 そんな泣き出しそうな空とは対照的に、伊織くんは笑顔で話しかけてくる。


「ホルンのテスト、どうだった?」


「……だめだった……音、外した……」


「そっか。でも、それだけでダメとは限らないじゃん」


「いや、たぶん、ダメだと思う……」


 雨が降り出した。

 伊織くんは素早く傘を差す。


「どうした梨沙。雨、降ってきたぞ。濡れるぞ」


 分かってる……


 私の髪に、顔に、雨が降り注ぐ。



「おい、梨沙、しっかりしろよ!」


 道路も濡れて、どんどん色が変わっていく。

 アスファルトからは湿ったホコリの匂いが漂ってくる。

 私はそのまま歩き続ける。


「傘、持ってるだろ? どうした?」


 伊織くんが近づいてきて傘の中に私を入れた。


「……え? あ、大丈夫。傘、今差すから」


 慌てて自分の傘を開く。

 ボツボツと傘を叩く雨音が聞こえ始めた。


「つい、ぼーっとしちゃって……」


「大丈夫か? テストのことなら気にするな」


「……うん」


 気にするなと言われても……

 でも、伊織くんは気を使って言ってくれているんだ。


「顔、濡れてるぞ」


 伊織くんはハンカチを差し出してくれる。

 顔が濡れているのは雨のせいだけではなかった。


「大丈夫。自分で持っているから」


 伊織くんと並んで、ゆっくりと歩いていく。


「梨沙、下ばっかり向いていると、気持ちも暗くなるぞ」


「だって……水たまり踏むの嫌だもん」


「…………」


 こうして、雨の一日は終わった。


 今日は朝から雨。

 部活ではコンクールに出るメンバーの発表がある。

 諦めていたけど、もしかしての可能性に賭けている自分がいた。



 結果……


 私は選ばれなかった……


 ちょっとでも期待していた私がなんだか馬鹿馬鹿しく思えた。


 一方、伊織くんはトロンボーンでコンクールに出ることが決まった。


「伊織くん、やったじゃん! 選抜だね!」


 私は笑顔を作り出して伊織くんを祝福する。


「ありがとな! でも、梨沙と一緒に出たかったけどな」


「そう言ってくれてありがと」


 顔で笑って心で泣くとは、まさにこのこと。

 これからはコンクール組とそうでない組とに分かれての練習も多くなる。

 伊織くんはかっこいいから選抜メンバーと仲良くなっちゃって、もう私なんか相手にされなくなるかも。

 そんな不安にも襲われた。



 案の定、今日の部活はコンクール組は残って打ち合わせがあるとのことで、私は一人で帰ることになった。


 朝から降り続いている雨。

 止む気配はない。


 傘を広げた。


 ぽつぽつぽつぽつ


 一人で帰る私に届く雨音。


 隣に伊織くんはいない。

 話し相手がいないので、雨音に耳を傾けるしかない。


 ぽつぽつぽつぽつ


 私は歩く。


 ぽつぽつぽつぽつ


 私は歩く。


 今日は一人でよかったのかも。

 コンクールに出られない私は塞ぎ込んでいた。

 こんな私じゃ笑顔でお話できない。


 ぽつぽつぽつぽつ



 雨が降れば、世界のすべてが演奏者になる。


 傘に雨が当たる音。

 草花に雨が当たる音。

 屋根に雨が当たる音。

 地面に雨が当たる音。


 私は歩く。


 私の靴も音を奏でている。


 コンクールに出られない私は、雨の楽団の一員になっていた。


 * * *


 私は選抜に入れなかった落ち込みから、少しずつ立ち直ってきていた。


 今日の部活は伊織くんと帰れる。

 雨が降っているから、伊織くんは晴れの日よりゆっくり歩いてくれる。

 雨は、伊織くんの優しさを引き出してくれる。

 だから、雨の日は嫌いじゃない。



「梨沙、今のうちに基礎練、頑張っておけよ」


「うん! たくさん練習する!」


「来年は二年生になるから選抜にも入りやすくなるけど、それも落ちたらショックだろ? だからさ、今、いっぱい練習しような」


「うん!」


 伊織くんを見つめ、うなずく。

 あれ?


 今、気付いたことなんだけど、伊織くん、傘を左手に持っている……


「ひょっとして……伊織くんって……左利き?」


「え? あぁ、そうだよ。なんだよ急に。今まで知らなかったのか?」


「……うん……」


 伊織くんが左利き。

 なんで今まで気が付かなかったのだろう。

 トロンボーンは右利き左利き関係なく、右手でスライドを操作する。

 伊織くんとは、スクールバンドで知り合った仲だけど、今まで一度もクラスが一緒になったことはなかった。

 だから、伊織くんが鉛筆を持っていたり給食を食べていたりする姿を見たことがない。


 伊織くんといっつも一緒にいるのに、肝心なことにずっと気づいていなかったみたいで、なんだか恥ずかしく、そして、情けない気持ちになった。


「雨の日ってさ、左利き、意外なところで不便なんだぜ? 梨沙、何のことか分かるか?」


「雨と左利きって関係あるの?」


「あるよ。ヒント、傘」


「……傘って、右手で持っても左手で持っても、あんまり変わらないんじゃない?」


「あぁ、差す時は変わらないさ。はい、これがヒント」


「え~、わかんない」


「そう。じゃあ、雨上がりまで答えは教えてあげない」


「なにそれ。伊織くん、いじわる!」


「まぁ、今は一緒に雨上がりを待とうぜ」


 結局のところ、家に帰り着くまで雨は上がることはなかった。


 * * *


 朝、雨音に起こされた。

 今日も雨なの?


 家を出た瞬間に髪がうねってしまう。

 雨は好きなんだけど、これが困るんだよな……


 歩き続けていると、急に雨が強くなってきた。

 傘を差しているのに制服が濡れてしまう。

 水たまりを踏んでしまい、靴下が濡れてしまう。


 ひえぇ……


 朝からこれじゃテンションだだ下がり……

 もう、私が何をしたっていうの!

 と、怒ってみてもしようがない。


 すれ違った人が、傘も差さずにずぶ濡れで歩いていた。

 なんという潔さ。

 いや、傘がないだけなのか。

 あるいは、濡れてもまったく気にしない人なのか。

 そんな人間観察をしながら歩いていく。


 校舎が見えてきた。

 あれ、みんな傘を差していない。

 止んでいたんだ。

 いつの間に?


 私だけが傘を差していて恥ずかしい……

 慌てて傘をすぼめ、小さなベルトを巻いてパチンと留めた。


 さて、教室に行く前に髪を直さないと。

 ふぅ……


 * * *


 さぁて、授業も終わったし、部活を頑張ろう!


 私はコンクールに出られない組の仲間と共に基礎練に励む。

 いつものように楽器を構える。

 右手をベルに入れ、左手をレバーに乗せる。


 そういえば、伊織くんは左利きだったな。

 伊織くん、左利きなんだからホルンをやればよかったのに。

 そしたら、私と同じパートだし……


「梨沙、何ニヤニヤしてるの?」


 まずい。

 顔に出ていた……


 伊織くんは左利きで、傘でちょっと不便なことがあると言っていた。

 雨上がりに分かるとも言っていた。


 分かった! そうか、そういうことか。

 よし、いいことを思いついたぞ。


「梨沙、またニヤニヤしてるよ?」


「あのね、雨が上がったらいいなって考えてたの」


「はぁ? なにそれ?」


「ふふふ……」


 ちょっと雨上がりが楽しみになった。


 部活が終わった。


 今日も、コンクール組は残って練習するみたい。

 残念。

 でも、かえって都合がよかったかも。

 今日は伊織くんに内緒で買い物しようと思っていたから。


「俺、今日、残らないといけないから。じゃあな」


「うん、練習頑張ってね!」


 私は帰り支度を始める。

 すると、ホルンの早乙女先輩が、伊織くんのところにやってきて、何やら耳打ちをした。

 早乙女先輩は美人で憧れの存在。

 でも、なんで伊織くんと話しているんだろう。

 伊織くんは私の方をチラリと見る。

 早乙女先輩も、私の方をチラリと見る。

 そして、二人は並んで音楽室を出ていった。


 今、なんで私の方を見たの?

 二人の雰囲気があやしい。


 私が伊織くんのこと好きって、なんとなく知っている部員も多いと思う。

 いつも一緒に帰っているから。

 でも、私と伊織くんってちゃんと付き合っているわけじゃない。

 小学校からの縁でいつも一緒にいるだけ。

 だから、伊織くんに彼女ができたとしても仕方のないこと。


 いつも伊織くんの優しさに甘えてばかりいた。

 何も言わなくても、伊織くんは私のこと、好きでいてくれると思っていた。


 けれど……


 早乙女先輩、伊織くんのこと好きなのかな?

 先輩は選抜組だし、私と同じホルンで金管楽器だから、同じ金管楽器のトロンボーンの伊織くんと仲良くなってもおかしくはない。

 選抜組同士で一緒に練習することが多くなったから、それで……


 早乙女先輩は私から伊織くんを奪った?

 いやいや、伊織くんは私のものってわけじゃないよね。

 こんな考え方はよくない。


 けれど……


 世の中には、好きな人を奪って優越感に浸るような人もいるっていうし……


 さっき、早乙女先輩がチラリと私の方を見たのは、伊織くんを自分のものにした優越感を私に示すため?


 伊織くんも私の方をチラリと見たけど、どういうつもりで見たんだろう?

 俺はこの人と付き合うから、おまえとは一緒にいれない、そんな意味?


 え? え?


 なんでこんな妄想が出てくるの?


 妄想、そう、これは妄想なんだ。

 落ち着け私。


 ちゃんと伊織くんに告白していなかった私が悪いんだ。

 近いうちにちゃんと告白しないと。


 * * *


 次の日も雨。

 私は朝からドキドキしていた。


 今日、伊織くんに告白する。


 思いを伝えたい。

 ちゃんと付き合いたい。

 伊織くんを他の人に取られたくない。

 コンクールにも出られなくて、その上、好きな人も取られてしまうなんて、そんなの嫌。


 伊織くんと早乙女先輩とが仲良さそうにしていた姿が思い出される。

 私、ホルンの演奏では先輩には負けているけど、伊織くんのことを思う気持ちでは絶対に負けていない!



 今も雨が降っている。

 でも、もやもやした気持ちは今日で終わるはず。

 だって、天気予報では帰りには雨が止むって。晴れになるって。


 雨上がり。

 それが、私の決戦の時。


 今日は居残り練習ができない日なので、選抜組かどうかに関係なく、定時で練習が終わった。

 雨はまだ降っている。


 私と伊織くんは、いつものように傘を差して歩き始める。


 なんとなく、伊織くんの様子がぎこちない気がした。

 嫌な予感がする。


──俺、早乙女先輩と付き合うことになったから、梨沙とは一緒に帰れない。


 そんなことを言われるのだろうか?

 だんだん心配になってくる。

 伊織くんは私の顔を見て言った。


「梨沙、どうした? いつもと様子が違うみたいだけど?」


「え? そんなことないよ」


 ぎこちないのは私の方だった。

 だって……

 今日は伊織くんに私の気持ちを伝えるのだから……


 どういう風に話を切り出そうか、頭の中でいろいろ考えてしまう。


「梨沙、今日はおとなしいな」


「え? あ、うん。そうかも」


 いつの間にか私は黙ってしまっていた。


「雨、止んだな」


「ホントだ。気が付かなかった」


 私達が向かっている東の空には、大きな虹がかかっていた。


「虹、きれい……」


 思わずつぶやいてしまう。


「あぁ、めっちゃ大きいな。虹、久しぶりに見たよ」


 そう言って、伊織くんは傘を畳もうとする。


「あ、あのね、伊織くんが言っていた、左利きの傘の話、分かったよ」


「お! 分かったか」


「でね、伊織くんにプレゼントがあるの」


 私はカバンの中からそれを取り出した。


「はい。これが答え」


「なんだなんだ? 開けてもいいか?」


「うん」


 伊織くんは包装紙を開く。

 私は伊織くんに折り畳み傘を贈った。


「傘?」


「うん。一回開いて、そして、畳んでみて」


 伊織くんは、傘を開いた後、折り畳む。


「そっか! この傘、左利き用なのか!」


「そうなの」


 傘を留める小さなベルトみたいなのが、反対に巻いても留められるようになっている。


「意外と便利だな!」


 伊織くんの顔がぱっと明るくなった。


「よかった。喜んでもらえて」


 辺りも急に明るくなった。

 雨は上がり、強い日差しが私達を照りつけ始める。


 よし、今だ!

 心臓が高鳴る。破裂しそう……


「あのね、私、伊織くんに言いたいことがあるの……」


 私の改まった様子に気が付いた伊織くんは、動揺を隠せないようだった。


「ま、待て。ちょっと待て」


「え?」


 待てってどういうこと?

 告白すら、させてもらえないの?


「あのさ、俺、雨が上がったら梨沙に言おうと思っていたことがあるんだ」


 え? それって……


「まずは俺の話を聞いてくれないか?」


 私は黙って頷いた。


「あのさ、梨沙が選抜に落ちて、ショック受けてて、それを見るのが辛かったんだ。それでさ、梨沙に元気出してもらいたいと思って……」


 そう言うと、伊織くんはカバンの中から小さな袋を取り出した。


「止まない雨はない。梨沙も来年はコンクールに出れるはず。今年のコンクールは一緒に出れないけど、来年は一緒に出よう」


 嬉しくて涙が出てきた。


「ありがとう。私、頑張る! 大好きなホルンでコンクールに出たい!」


「ふふ。そう言うと思ったさ。だから、来年は一緒に出れるように、これはそのお守り」


 伊織くんが私にプレゼントしてくれたもの。

 それは、ホルンの形をしたキーホルダーだった。

 キラキラ光っていて、とってもかわいい!


「ありがとう! カバンに付けるね!」


「喜んでくれたみたいでよかった。早乙女先輩に相談してよかったよ」


「早乙女先輩?」


「あぁ。ホルンパートの先輩なら、梨沙の好きなもの、分かっているだろうから、プレゼント何がいいかな、って相談してたんだ」


 そうだったんだ……

 私の方をチラリと見たのは、私へのプレゼントの相談をしていたからだったんだ……


「このプレゼント、できれば雨上がりの時に渡したいな、って思ってて、それで、今日、うまい具合に晴れてホントよかったよ」


「どうして雨上がりに渡したいって思ったの?」


「だってさ、俺達の帰る方向って東じゃん。夕方の雨上がりなら東の空に虹が出るし、虹の下でプレゼントできたら最高だろ?」


 伊織くんは照れながらそう言った。

 確かに、空には大きな虹がかかっていた。


「雨上がりの虹を見るためには雨が必要なんだ。梨沙、今は辛いだろうけど、雨が上がればきっと虹が見れる。今日のように。だから、これからも練習、頑張ろうな!」


 手の中のホルンのキーホルダーが虹色にキラキラと輝いた。


「うん。伊織くん、ありがとう!」


 辺りの木々の葉っぱが日差しを浴びて輝いている。

 空気は澄み渡り、雨上がりの匂いが漂っている。


「梨沙、来年のコンクールでは一緒に虹を見ような!」


「うん! 私、頑張る!」


「それで……もう一つ、梨沙に言いたいことがあるんだ……」


 途端に全身に緊張が走る。

 伊織くんは何を言うつもりだろう。


「梨沙……その……俺は梨沙のことが好きだ。俺と付き合ってほしい」



 バサバサバサ!



 近くの木から、鳥が飛び出した。

 その鳥は空高く飛び上がると、虹の向こうへと消えていった。


 鳥を見ている場合じゃない!

 私、今、告白された。

 返事をしなきゃ……


「あ、あ、あの……私も伊織くんのことが好きです。よろしくお願いします」


 言えた!

 ついに言えた!


 伊織くんは、私の返事にほっとした顔を見せ、そしてこうつぶやいた。


「よかった……梨沙に先に言われるんじゃないかと思って焦ったよ」


 さっき、私が告白しようとしていたこと、伊織くんにはお見通しだったんだ。

 伊織くんらしいな。



 バサバサバサ!



 また鳥が一羽、飛び立っていった。


「雨が長かったからな。雨上がりで、鳥たちもやっと自由になったな」


「ふふふ。そうね。そして、自由になったのは鳥たちだけじゃないよ」


「?」


「私ね、雨の日、実は好きだったんだ。だってね、雨の日って伊織くん、ゆっくり歩いてくれるから」


「……あはは……バレてたか」


「でもね、これからは晴れの日も楽しみになったよ。ねぇ、伊織くん。雨は上がったんだからさ、傘をしまおうよ」


「そうだな」


 伊織くんは、左手に持っていた傘をカバンにしまった。

 私は、右手に持っていた傘をカバンにしまった。


「雨が上がると自由になるのは鳥だけじゃないの。雨が上がれば、傘を持っていた手も自由になるの」


 私はそっと、伊織くんの手を握る。


「確かに」


 伊織くんは左手で、私の右手を包み込む。


 私達の顔は真っ赤になったけど、それを隠す傘はもうない。

 雨上がりの澄んだ空と、そこにかかる虹の下を、私達は手を繋いだまま歩いていった。




< 了 >

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