老婆と雪に閉ざされた家

キトリ

老婆と雪に閉ざされた家

 ホワイトクリスマスを喜び、粉雪に染められたいと歌い、チョコレートに雪のような口溶けを求める。雪を儚いもののように思い、雪に憧れた歌や商品があったあの頃は温暖だったなと思う。雪が滅多に降らない、降ってもちらつくか、積もって数センチメートル程度の頃。その程度の雪で済むなら確かにロマンティックだ。雪は生活の彩りだっただろう。


 しかし今では雪は忌々しい存在でしかない。今日も今日とて堆く降り積もった雪が一階の窓を埋めていた。カーテンの向こう側は真っ白で、目を凝らせば氷の粒が見えた。室内灯を反射してキラキラと寒々しく光る。


「昼か夜かすらわからないね」


 ベッドからのそのそと起き上がった老婆は苦笑いして、二十四時間表記の時計を見た。表示は【08:46】、朝の8時46分らしい。トイレを済ませると、喉が渇いたなとキッチンに移動して、電気ケトルに水を入れてお湯を沸かす。冷凍しておいた食パンをオーブントースターに放り込んだ。トーストメニューを選択してグリンッとつまみを回す。ふわぁ、とあくびをしながらテレビをつけた。どうでも良い情報番組が流れるのを聞き流す。


 ここ数年、22世紀に入った頃から灼熱の夏が終わり、少し涼しい風が吹いたと思ったら冷え込み始め、さっさと冬将軍がやって来るようになった。特に今年は到着が早い。まったく、冬将軍はどんな駿馬に乗り換えたのだろうか。そして駿馬は駿馬でスタミナが無さすぎる。いつまで日本上空で足休めするつもりなのだろう。


 毎日毎日【災害級の積雪に注意!】と天気予報で呼びかけられ、天気図には地図に対して垂直線のような等圧線が書かれている。いつになったらこの直線が歪むのかは定かではない。


 それでも行政の除雪車が道を開き、足腰の立つ者たちが雪下ろしや雪かきをして、国全体としてはなんとか日常生活を保っている。


 とはいえ、そうはいかない場合もある。その大半は独居の老人で、彼らは短い秋のうちに食料をたんまり家に溜め込んで、冬場は諦めて引きこもる。まるで冬眠するかのように、雪が溶けるまで家で過ごすのだ。


 今の老人は幸いにも21世紀育ち、デジタルネイティブ世代なので、引き篭もり生活も割と快適に思っている人々が多い。大病でない限りオンライン診療でどうにかなるし、薬や軽量の食品、日用品ならネットで注文すればドローンで配達してもらえる。受け取りは開閉可能な2階の窓、あるいはベランダで行えば良いし、万が一にも2階まで雪で埋まった場合は、事前に頼んでおけばドローンが2、3台徒党を組んでやってきて受け取りに必要な一角だけ雪かきしてくれる。リアルで人に会わないだけで、生活自体は維持できるのだ。


 尚、これが耐えられない老人どもは子供、孫世代に頼み込んで同居してもらうか、老人ホームに入るか、四国あるいは九州以南に引っ越している。それができない場合は家の中でポックリと死ぬのだ。


 テレビでは冬ごもり中の老人の孤独死特集が始まる。


「私はいつお迎えが来るかねぇ」


 ぽそりと老婆は言った。老婆には子供がいない。いや、まず結婚すらしたことがない。キャリアウーマンとしてバリバリと働いて、貯めたお金で一軒家を建てて、優雅に独身貴族を楽しんでいる。退職して何年も経つが、未だ頭はしっかりとしていて、持病らしい持病もなく、日々の生活に支障はないから、老人ホームに入る理由はない。さほど外出が好きなわけでもないので、南の土地でホテル暮らしをするくらいなら住み慣れた家にこもる方が良い。老婆にとって今の生活が最善なのだが、一つだけ心配するのは冬の間に人知れず死んでしまわないか、ということだ。


「春先が良いんだけど」


 老婆は桜のティーカップに紅茶を淹れる。誰にも看取られずに死ぬこと自体は構わないが、いかんせんこの家は暖房を入れっぱなしにしているので室内は常に暖かく、冬に死んだら見つかる頃には確実に腐乱死体となっているだろう。いや、肉は分解し尽くされて白骨化しているかもしれない。そうなると、後片付けをしなくてはならない役所の人たちが不憫だ。非常に申し訳ない。


「雪に埋もれて死んだ方が良いかねぇ、なんて」


 雪の中で凍って死ぬなら腐りはしない。その方が片付ける人には迷惑ではないかもしれない。問題は、実現するには自殺行為が必要になるということだが。


「やっぱり春まで元気でいるしかないかね」


 チンッとトーストが焼き上がる。老婆はバターと蜂蜜をたっぷり塗ると、大口でサクリと齧った。

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