見習いブラックサンタと聖夜のプレゼント

宵宮祀花

聖なる夜に

「Frohe Weihnachten!」


 雪化粧をした街は、クリスマス一色に染まっている。街路樹は電飾をめかし込み、建ち並ぶ店は賑々しい赤や緑の装飾を纏って道行く人に愛嬌を振りまく。

 通行人は温かいコートや手袋に身を包み、白い息を吐きながらも、何処か浮ついた様子で帰路を急ぐ。サンタクロースの格好をした男性二人組が通行人にビラを配っている横で、子供たちがショーウィンドウの中に並ぶプレゼントに目を奪われている。

 そんな街並みを見下ろしながら、一人の少女は大きな瞳を星空にも負けないくらいキラキラと輝かせていた。


「素敵! 外の世界ってこんなに輝いていたのね」


 ビルの屋上のフェンスに腰掛け、少女は歓喜の声をあげた。

 その傍らでは、足首まで覆い隠すローブに身を包んだ背の高い人物が、白い手袋に舞い降りた雪の結晶を見つめている。肉眼でもはっきりと見える雪の花を興味深げに眺めていたかと思うと、少女を見上げた。


「ニコ。間もなく時間です」

「うん。……見習いとしての初仕事、がんばらなきゃ」


 ローブの人物は声から察するに若い男性のようだが、頭の先から足首まですっかり布で覆われているため、顔立ちもなにもわからない。茶色い皮のブーツと白い手袋もサイズを見れば一般的な男性とわかるが、其処まで細かく見てやっと性別だけが推測出来るという立ち姿だ。

 ニコと呼ばれた少女は表通りから目を逸らし、人気のない裏路地を見下ろした。

 其処には孤児たちが身を寄せ合って眩しい表通りを覗っており、厳しい目で互いに顔を見合わせると一斉に飛び出した。


「退け!!」

「きゃああ!?」


 まず体格のいい少年が子連れの女性を突き飛ばし、転んだところで足の速い少年がバッグをひったくって駆け出した。周りの大人たちが、それに気付いて捕まえようとすると物陰から少年少女が雪玉を投げて牽制する。中に石が入っていたらしく、顔に当たった子供が大きな声で泣き出した。我が子が泣いてしまえば放っておくわけにはいかず、屈んでハンカチを額に当ててやるしかない。襟の隙間から雪が入った人や、驚いてケーキを落としてしまった人、プレゼントの花に石の詰まった雪玉が当たってぐちゃぐちゃになってしまった人。浮き足だった大通りは、一瞬で悲劇の現場に。

 大混乱でごちゃついているうちに、少年たちは裏路地へと引っ込んでしまった。

 その途中、身元がわかるような携帯電話や身分証は壊されてバラバラに捨てられ、家の鍵はブランドロゴのキーホルダーごと側溝に投げ込んだ。必要なものはバッグと現金、剥ぎ取った毛皮のコートに幼い子供のためのプレゼントだけ。


「今回も大収穫だったな!」


 孤児たちの秘密の隠れ家で、今日の収穫を広げながらリーダーの少年が笑う。

 玄関を入ってすぐのエントランスロビーに集まって、子供たちは盗んできた玩具やお菓子を前に目を輝かせていた。


「とっさに掴んできたけど、いいコートじゃない。あんな薄汚いオバサンなんかよりあたしのほうが似合うわよね」


 十四歳の金髪の少女が、女性から引き剥がして盗んだロングコートを羽織りながらくるりと回転する。スモーキーピンクのカシミア製のコートはとても暖かく、青紫に凍っていた指先までもが体温を取り戻しつつあった。


「さっすがドミニク、いいタックルだったぜ」

「あたし、おっさんが落としたケーキも持って来ちゃった。崩れてるだろうけど味はどーせ変わんないから食べよ!」

「いえーい!」


 くせ毛の少女がケーキの箱を開けると、多少崩れてはいたが普段食べている残飯と違って泥も埃もついていない、カビも生えていない、綺麗なケーキがあった。上にはサンタクロースのマジパンやチョコレートで出来たヘクセンハウスが乗っている。

 子供たちは可愛らしいブッシュドノエルだったものを手づかみでちぎり取り、次々口に運ぶ。

 フォークなんて上品なものは隠れ家には存在しない。お行儀が悪いと叱ってくれる大人なんて一人もいない。少年も少女も、年長者も年少者も、見知らぬ誰かが家族と分け合うはずだったケーキに群がり貪り尽くしていく。手についたクリームを舐め、べたつく手のひらをその辺の雪で洗い流して、子供たちは満足げに息を吐いた。


「あー美味しかった」

「金持ち共は当たり前にこういうの食ってんだよなー」

「そんで、ケーキの一つくらい盗られたって何ともないのよね」

「どうせその辺の店で買い直すんでしょ? ほんとムカつく」

「もっと思いっきり当ててやれば良かったかな」

「まあいいじゃん。ヴェラのおかげで今年もケーキ食えたんだし」


 子供たちの秘密の隠れ家は、入り組んだ裏路地を進んだ先にある廃屋で、管理人は管理を放棄したのかそれとも死んだのか、それすらわからない何年も人の手が入っていない建物だ。床板は何枚か剥がれ堕ち、壁は蔦が覆い、窓は割れて隙間風が一年中入り放題。天井の隅には蜘蛛の巣も張っていて、夜にはネズミの運動会が開催される賑やかな物件となっている。

 それでも二階建てで複数の部屋があり家具がいくつかそのままになっている此処は孤児にとって大変都合が良く、置きっぱなしにしているなら使ってもいいのだろうと勝手な解釈で、家具も雑貨も自宅感覚で使っていた。


「Frohe Weihnachten!」


 不意に、子供たちの上に明るい声が振ってきた。

 この場にいる誰のものでもない、聞いたことのない声に、皆が一斉に振り返る。

 声の主は、孤児仲間ではない身ぎれいな格好をした白髪の少女だった。モノクロのワンピースは色違いのサンタクロースのようで、真っ白なタイツに包まれた脚は細く長く、ファー素材のついたショートブーツとスカートのあいだで美しく伸びている。染み一つない色白の肌も、キラキラ輝く大きな青い瞳も、サラサラの髪も、この場にいるどの子より美しかった。

 そんな少女の姿に、盗品のコートを纏って得意げになっていた金髪の少女が、親の仇でも見るかのような顔になった。


「誰だよお前!!」


 階段の上から見下ろす見知らぬ少女に、リーダーの少年が吠える。


「わたしはサンタクロースの見習い、ニコです!」


 にっこり笑って少女ニコが言うと、少年は忌々しげに顔を歪めた。


「ジゼンジギョーとやらならお断りだ! 俺たちの家から出て行け!」

「そうよ! 何処から入ったのか知らないけど、邪魔しないでくれる!?」

「出て行かねーなら俺がぶっ飛ばしてやる!」


 孤児たちの中で一番体格のいい少年ドミニクが、腕まくりをして前に出る。ニコは相変わらず笑顔を浮かべたまま、子供たちを見下ろしている。


「じ、慈善事業だなんて、とんでもないです! わたしは一人前のサンタクロースになるため、必要なものを集めに来ただけなのです!」

「ハァ!? お前、みなしごからもの取り上げようってのかよ!」

「サイテー! この人でなし!」

「盗るなら金持ちから盗りなさいよ!」


 大声で吠え立てる子供たちを困った顔で見下ろしながら、ニコは懐から一枚の紙を取り出した。


「ええと、協会からの声明を読み上げますね! デニス、ドロテーア、ペトロネラ、ヴェラ、カスパル、クリスティアン、ドミニク、バルドゥル。以上八名はクリスマス侵害の罪を重ねたことにより、罰則規定に則って処分を下します!」


 マイペースに事を進めるニコを見上げていた子供たちの視界の端に、ふわりと蠢く黒い影が映った。

 咄嗟に振り向くと、いつの間にか首から上が羊の頭蓋骨になった成人男性と思しき怪物がいた。服装は金持ちが雇っている執事が着ているような黒の燕尾服で、襟元はカッチリしまってネクタイまで締めている。だが、首から上に人間のパーツはなく、言うなればマネキンの頭に羊の頭蓋骨を乗せているような、奇妙な外見をしていた。

 羊頭の怪物は全身に灰色の鎖を巻き付けており、首元には銀色の鐘がついている。鎖は肋骨に似た形で全身を包んでおり、怪物が動く度にじゃらじゃらと音が鳴る。


「な、何だよお前……! 勝手に人んちに入ってくんじゃねえよ!」


 強がりを露わに、少年が吠える。


「さっきから何なわけ!? 罪とか何とかエラそーに言ってるけどさあ、あたしたちなにも悪いことなんてしてないんだけど!?」


 盗んだコートを抱きしめながら、少女が叫ぶ。


「そーだそーだ! ふほーしんにゅーしたお前のほうが悪者だー!」


 ヘラヘラ笑いながら、体格のいい少年が言う。

 他の子供たちも、迷惑そうな顔をするばかりで罪の意識は微塵もない。

 たくさんあるところから盗ってくることのなにが悪いのか。自分たちは朝のパンもミルクもない状態で生きているのに。残飯を漁って、ゴミを拾って、誰かが捨てた、いらないものを必死に集めないと生きていけないのに。そんな自分たちを無視して、平然と生きている『悪い金持ち』からちょっと拝借しただけ。どうせ彼らにとってはケーキの一つやコートの一着程度、大したことないのに。

 子供たちの言い分はそんなところだった。


「うーん。強いて言うなら、その安っぽいプライドが罪ですね! 慈善事業を嫌っているようですけど、後ろ盾のない子供が教会に身を寄せることは悪ではないので」

「何だと!? 言わせておけば好き勝手ほざきやがって!! 教会の大人なんか全員俺たちを見下してるに決まってんだ! そんなヤツらの手なんか借りなくたって俺はコイツらと生きていけんだよ!!」


 リーダーの少年が、顔を真っ赤にして喚いた。

 それを合図に、子供たちが手頃なガラクタを手にニコと怪物を睨み付ける。

 招かれざる侵入者を排除しようと一歩踏み出した、そのとき。


 ――――ガラン。ガロン。


 耳障りな鐘の音が鳴り響いた。

 音の発生源は鎖を巻き付けた山羊頭の怪物だ。首元にリボンタイのように結ばれた鐘から錆び付いた低い音が鳴っている。だが鐘は僅かも揺れていない。怪物も、指先一つ動かしていない。影のように、人形のように、ただ其処にある。


 ――――ガラン。ガロン。


 ヤスリで鼓膜を削るような、ざらついた音が鳴る。

 少年の一人が顔を歪め、手にしていた建材の破片を怪物に投げつけた。破片は弧を描いて明後日に飛び、ガツンと音を立てて床に落ちた。


 ――――ガラン。ガロン。


 三度音が鳴る。神経を逆なでするような、悪夢じみた音が鳴る。


「やめさせなさいよ!」

「うるっせーんだよッ!!」


 闇雲に手にした棒を振り回す少年。蹲って喚く少女。

 年少者たちは特に「なにも悪いことしてないのに、なんでひどいことするの?」と本気で思っている顔で、被害者の表情で、階段上の少女を見上げている。

 彼らが投げた石入りの雪玉が当たった『悪い金持ち』の幼い子供は、目の上を縫う怪我を負っている。彼らが突き飛ばして転ばせた女性は、その子の妹か弟になるはずだった赤子を流産している。彼らが盗んで笑いながら貪ったケーキは、一年間働いてやっと丸一日休みが取れた男性が、初めてケーキが食べられる年齢になった我が子にお祝いも兼ねて購入したものだった。


 ――――ガラン。ガロン。


 八度目の鐘が鳴る。

 すると子供たちに、異変が現れ始めた。

 女性を突き飛ばした体格のいい少年が、その場に膝をついて震え出す。ガクガクと揺さぶられているかのように痙攣したかと思うと、あっという間に全身が変形して、見る間に四つ足の獣と化した。


「ヒッ!?」

「いやあああっ!!?」


 叫び声を上げる子供たちも、次々に変形していく。

 一人また一人と、灰茶色の毛並みと角を持った獣に変化する。

 そうして最後に残ったリーダーの少年は、周りを見回して呆然とした。


「何……ッ、何なんだよ……俺たちがなにしたっていうんだよ……!」

「人殺しですよ」

「!?」


 青白い顔でニコを見上げ、少年は「う、嘘だ!」と虚勢を張った。しかしニコは、至極淡々とした声で「嘘じゃありません」と返す。


「雪が降り始めた頃、あなたが陸橋から突き落とした男の人を覚えていますか?」

「ハァ? 突き落とした?……知らねーよ。勝手に落ちたの間違いだろ」


 一瞬なんのことかわからない顔をした少年だったが、すぐに思い至ったようで目を逸らした。

 十一月上旬、少年は盗みが上手く行かずに苛立っていた。線路の上を跨ぐ形で通る陸橋を渡っていたとき、急ぎ足で歩いている男が目に留まった。その男がいつだかに説教をしてきた教会の人間に雰囲気が似ていて、ただそれだけの理由で階段の上から蹴り落とした。子供の身長だと、大人の膝を蹴るのは用意だった。バランスを崩して倒れかけたところまでは見たが、そのあと男がどうなったかは知らなかったし興味もなかった。

 いま聞いたところで「なんだ、死んでたのか」の感想以外出てこない。正直言って知らない金持ちが死んだところで関係ないし、どうでもいい。ソイツに家族がいたとしても、どうせ保険金をたんまりもらってぬくぬくと暮らしているに違いないのだ。寧ろラッキーとさえ思っているだろうに、なにが気に入らないのか。


「彼には重い心臓病で入院している子供がいました。医療費は高額で、とても簡単に払える額ではありませんでした。……あの日も、朝から晩まで働いて家に帰るところだったのですが、彼は家に帰ることが出来ませんでした」

「だから! それが何だってんだよ!! 知らねーよ!!」

「あなたは直接男の人を殺したばかりか、彼の妻を自殺に追い込み、そして間接的に彼らの子供も殺したのです」

「だから知らねーよ! 病院にかかれただけありがたく思っとけばぁ?」


 鼻で笑い、罪悪感の欠片もない台詞を吐く少年を昏い瞳で見下ろし、ニコは小さく憐憫の息を吐いた。


「ニコ。これ以上は無意味です」

「ルー……そうね。もう終わりにしよう。悪い子には相応のプレゼントを。クランの鐘の音は全ての悪い子に平等だもの」

「その通りです、ニコ。結束の固い子供たちですから、引き離さずにおきましょう。それがせめてもの慈悲です」


 瞬きの間にニコの傍らに立っていた黒いローブの人物が、低く囁く。


「自らの不幸を嘆くわりには助けの手も振り払い、挙げ句周囲に不幸をばらまく……あなたたちが孤児になったこと自体はあなたたちには何の過失もありません。でも、孤児であり続けることを選択し罪を重ねたことは、大きな過ちなのです」


 少年の体がギシリと歪む。

 直立していられないほど体が変形し、思わず両手を床についた。


「本当に年下の子たちを守りたいなら、教会に頭を下げに行くべきでした。彼らは、あなたの姿を見て罪を罪とも思わない子になってしまった。人の不幸を嘲笑う歪んだ心を持ってしまった。あなたを笑いながら捨てた、大人と同じです」

「ふ、ざけ……ン、ぁ…………」


 ギシリ、ギシリと音を立てて、少年の体が変形していく。

 頭部も獣のそれに変わり、やがて言葉も紡げなくなってしまった。

 階段下には、立派な角を持った八頭の獣がいる。

 最早子供たちの意思も自我も其処にはなく、ただの獣がひしめいている。


「あなたたちはわたしと違って、自分の意思で歩くことも、誰かに手を伸ばすことも出来たのに……」


 孤児たちには幾度となく救いの手が差し伸べられていた。けれど彼らはそれを全て振り切って、孤児であることを選んだ。

 教会のシスターと共に花を配る子供たちを、大人に飼い慣らされている馬鹿共だと嘲って、自分たちは盗みと暴力に明け暮れていた。自分たちを捨てた大人や社会への復讐だと言っては、無関係な人にその苛立ちをぶつけていた。

 そうして選んだ果てに、彼らは獣となったのだ。


「これから先は、償いの時間だわ。不幸にした分だけ幸福を与えるのよ」


 階段を降り、獣たちの元へと歩み寄ると、ニコはすり寄ってきた一頭の頭を撫でて抱きしめた。すると他の獣たちも集まって来て、声もなくニコを取り囲む。


「さあ、家に帰りましょう。デニス、ドロテーア、ペトロネラ、ヴェラ、カスパル、クリスティアン、ドミニク、バルドゥル。来年から忙しくなるわ」


 獣たちを手綱で繋ぎ、ニコはやわらかく微笑む。

 もう、此処には憐れな子供たちはいない。夜通し寒さに震えることも、盗みを働くこともない。道行く人に襲いかかる必要も、ゴミ箱を漁る必要もない。世間から白い目で見られることもなくなった。それどころか、街の子供たちは彼らが現れることを楽しみにさえすることだろう。

 ソリを引きながら鈴の音と共に夜を駆ける、八頭のトナカイたちを。


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