連なる星の旅路

星野 ラベンダー

二連星

 「起きろアトラスー!」


 大声は、アトラスを心地よい眠りの底から無理矢理引きずり出した。

 半分眠っている頭で目を開けると、すぐ前に紺の髪に黒い目の少年が立っていた。少年はばしばしとアトラスの体を叩いた。


「お腹空いた、アトラス! ごはんを作れー!」

「えっ、は、ごはん……?」


 ヘッドサイドの電子時計を確認する。表示されている時間は、目覚まし時計が起動するより一時間以上も前だった。


「ルイ、俺はまだ眠いんだが……」

「オムレツが食べたい! アトラスの作ったオムレツ! あとカリカリのベーコン! それとパンケーキ! 三枚焼いてくれ!」

「二枚にしといたほうがいいんじゃないか……?」


 経験上、ルイはいつもパンケーキ二枚で満腹を訴える。が、ルイはぶんぶんと首を振った。


「今日はお腹がぺこぺこだから大丈夫! 食べきれる! ほら、早く作って!」

「わかったわかった……」


 ルイは強引に、アトラスの腕を引っ張ってベッドから出させようとした。アトラスは眠気でふらつきながら、ベッドから出る。


 起きたときのルーティーンで、ベッドの傍の窓に視線をやる。窓の向こうは、星空が広がっている。だが、今は夜ではない。時間的には朝で正しい。一面を埋め尽くす星が見えるのは、この部屋が、宇宙を航行する宇宙船の一室だからだ。


 「オムレツ、ふわふわとろとろじゃないと嫌だからな!」と言うルイに、はいはいと適当に返事をする。生返事が気に入らなかったのか、絶対だぞ、とルイはアトラスの手を両手で掴んだ。


 アトラスは、エメラルドグリーンの髪と灰色の目をしており、頭部からは昆虫のような触角が二本生えている。要するにルイとは似ても似つかない見た目をしている。

 二人は親子でも兄弟でもない、赤の他人同士だ。そんな二人は、共に宇宙を旅して暮らしている。




 ノンフィクションライターの仕事をしているアトラスにとって、宇宙の様々な場所へ取材に行けるこの宇宙船と、パソコンは一番の仕事仲間だ。今日もその仲間と共に、担当編集と通信で打ち合わせを行う。


『今十二歳でしたか。もう一年経ちますね、ルイ君と暮らし始めてから。……あ、データ確認しました。問題ないです。ありがとうございます』

「そうですね、長いようであっという間の時間でした」


 ホログラムで映し出されている担当は、『どうなることかと予測していましたけれど、上手く行っているようで何よりです』と言った。人間だったら笑顔を浮かべていたのかもしれない場面だが、担当はボール状の頭部を持つロボットなので、その表情はわからない。


「上手く行っているものですか。毎日我が儘に付き合わされて大変ですよ。暇だ、退屈だ、面白いことを言え、一緒に遊べ……。今日だってお腹が空いたって、朝早く起こされました。自分は起こしてもまだ眠いって布団を被るくせに……。あと近頃、本がそれなりに好きみたいですけど、俺の持っている本はほとんど嫌いなジャンルみたいで、難しすぎる、もっとわかりやすいやつがいい、漫画が読みたいってうるさくて」

『アトラスさんの持っている本は、哲学書と純文学と資料が九割ですものね。今度ルイ君が好みそうな本を選んで持ってきましょう』

「お願いします。あ、あと、好き嫌いをなくすいい方法を纏めた本も教えてほしいです。ルイ、肉と甘いものは食べるんですけど、魚と野菜はあんまり食べようとしないんですよ。特に野菜」

『無理に食べさせようとしたら逆効果だそうです。野菜などは細かく刻んで別のおかずに入れてみたらどうでしょう?』

「それこの前やってみたら、全部野菜を楊枝でほじくり出してしまったんですよ……。そんな手間をかけるくらいなら食べてしまえばいいのに……」


 やれやれとアトラスが肩を竦めたときだった。


『それでもつい我が儘を聞いてしまうのは、レテア君のことがあるからですか?』

 

 ぴく、と体が無意識に反応する。


「……いや、レテアのことは関係な」

「誰がなんと言っても野菜は食べないぞーっ!」


 ばーんとドアが開き、びくーっと体を震わせる羽目になった。


「ル、ルイ、何をやってるんだ? 今は仕事中で」

「データ確認しましたって、さっき言っていたのが聞こえたぞ! もう終わったんだろう、仕事! ……あっ、担当さんこんにちは!」

『こんにちは、ルイ君。元気そうで良かったです』

「聞き耳立てていたのか……」

「アトラスの仕事が終わるの、ずっと待ってたんだ! 一緒に遊んでくれ! ゲームしたい!」


 ルイはぐいぐいと、手を引っ張ってきた。アトラスが何か言う前に、担当が『ルイ君、アトラスさんの仕事は終わったので一緒に遊べますよ』と言った。

 ロボットだから空気が読めないのか、ロボットだからこそルイの意向を汲んだのか、どちらかは不明だ。いずれにせよこの発言で、ルイはぱあっと満面の笑みになった。その笑顔を見ると、本当に、体から力が抜けてしまう。


「……何のゲームがしたいんだ?」

「シューティングスターレース! でも一度もアトラスに勝てたことないから今日は手加減しろよ!」

「してもいいけど、それで勝ってルイ的には満足できるのか?」

「……手加減したとわからない程度に手加減してくれる?」

「嫌だな」

「グーーーッ!」


 唸るな、と頭をぽんぽん叩いて、「じゃあ、また」と担当に別れの挨拶を告げる。


『はい、また連絡します。……それでアトラスさん、一つ追加連絡をして良いでしょうか』

「なんですか?」

『次に出す本のことなのですが、ネタは纏まりましたか?』

「ああ……」


 アトラスは目を泳がせつつ、椅子から立ち上がった。


「考えてはいますが、本当にこのネタでいいのかと迷っている最中でして……」

『締め切りのこともありますから、お早めにお願いしますね』

「わ、わかっています……。では……」


 冷や汗を滲ませながらホログラムを切る。ルイが、「アトラス、仕事はちゃんとしないとだめだぞ!」などと言ってきた。


「……宿題をぎりぎりまでやらないで大騒ぎするルイには言われたくないなあ?」

「さあアトラス、ゲームしよう! 今日は負けないぞー!」


 明らかに誤魔化しているとわかる元気な声色で、ルイは片腕を天に上げた。





「だーっ、アトラス強すぎるって! 全然勝てない!」

「いやいや、ルイもこの前と比べるとだいぶ強くなったと思うぞ?」

「そういう台詞、“強者の余裕”みたいで逆にムカつく!」


 たくさん練習したのになあ、とルイはぷんぷんしている。ルイの言った「シューティングスターレース」とは有名なテレビゲームのシリーズなのだが、アトラスはこのゲームがかなり得意だった。三ヶ月前にこのゲームを始めたルイと違って、アトラスは六歳のときから今日まで二十年間、このシリーズに触れてきた。


 今やっているシューティングスターレースは最新作となる十三作品目だが、アトラスは三作品目からやり込んでいるのだ。まだまだルイに勝ちを譲るつもりはない。


「アトラス、もう一勝負だ! 次こそ、次こそは絶対負けない!」

「受けて立つけど、その前に一度休憩しな。もう一時間半以上ゲームしているんだから」

「えー!」

「えー、じゃない。トイレ行って水飲んでこい。水分補給は大事だ」


 言いながらゲームのスイッチを切る。ルイはしばらくごねていたが、「じゃあ休憩しなくていいけど、野菜食べるか?」と言うと、渋々トイレに立った。


 その間手持ち無沙汰になったので、アトラスはなんとなく、テレビのニュースをつけた。主立った宇宙の事件を報道する星間ニュースを流し見しながら、仕事のネタになりそうなものが転がっていないかアンテナを張っていたときだった。


『次のニュースです。星間連合の特別支援団体が、惑星カナティアを訪れました。惑星カナティアは星内での紛争により滅びた惑星で、要幇助レベルはS+を記録しています。団体により、今回十三度目となる全体汚染物質除去が行われましたが、未だに惑星の汚染レベルは深刻なもので……』


 アトラスは電源を切った。しばらくその場に立ったままでいたとき、背後から声がした。



「アトラス」


 振り向くと、ルイがリビングの入り口に立っていた。


「ルイ、いつから……」

「アトラス、僕、今すぐ食べたいものができた!」


 ルイはアトラスのことを真っ直ぐ見上げてきた。


「僕、プリンが食べたい!」

「……うん。わかった」


 アトラスは頷いた。


「早速作るか。少し待っていてくれ」

「手伝う!」

「お、じゃあそうだな、まず卵を割ってもらおうか……」


 そこまで言ったときだった。急速に嫌な予感が駆け巡って、アトラスは床を蹴った。どたどたとキッチンに飛び込み、冷蔵庫に飛びつく。扉を開けたその先には、想像してしまったとおりの結果が広がっていた。


「卵がねえ……!」


 がくん、とその場に膝をつく。今朝のオムレツで全て使い切ってしまっていたことを思い出した。ニートリの卵はプリンの要だというのに……。遅れてやって来たルイが、「卵ないの?!」と悲愴な声を上げた。


「いや、待てよ……」


 アトラスは今後の航路を思い返した。立ち上がって冷蔵庫を閉め、大丈夫だ、とルイに向き直る。


「次に寄る予定の惑星に、確かニートリの大きな養鶏場があるんだ。直売所で買えば、配達してもらうより新鮮で美味しい卵が手に入る。どうせなら普通のじゃなくて、ちょっとお高めのいい卵を買おう。それで美味しいプリンを作ろう」

「うおおーっ、やった! 楽しみにしてるよ、アトラス!」


 ルイはその場でぴょんぴょん跳ねた。これで万事解決だと、このときのアトラスはまだそう思っていた。




「たっ、卵がねえっ……!!」

「なんで開いてないんだ?!」


 約二時間後、目的の星に辿り着いたアトラスは、ルイと共に早速卵の直売所に向かった。が、なんと直売所そのものがしまっていた。臨時で休むとのことだった。


 何があったのか聞くため、養鶏場をマップで確認し、その足で向かう。生き物独特の匂いが漂う鶏舎の入り口付近で、やけにおろおろしている男性を発見したので、捕まえて話を聞いた。養鶏場の主人という男性はまず、せっかく来てくれたのにすみません、と謝ってくれた。


「いやそれがですね、多分そこの森からだと思うんですけど、今朝、大型のシシーが侵入してしまいまして……。それだけならまだしも、鶏舎の扉を壊してしまって。それで鳥たちがパニックになって、一斉に逃げだしちゃって、それで従業員総出で、今の今まで鳥の捕獲に走っていたんですよ」

「えっ、大丈夫ですか? シシーは?」

「そちらはすぐに役所の方が捕まえてくれたんですけどね。鳥のほうはまだ全員揃っていなくて……。もう人手がいくらあっても足りないんですよ! お兄さん、良ければ手伝ってくれませんか?! もちろん報酬は出しますので! 今朝採れたばかりの生みたて卵だってつけますよ!」


 男性は縋るように頼んできた。アトラスは一瞬困ってしまったが、ルイが勝手に

「よーし了解! こっちのアトラスに任せておけ!」と言ってしまった。

「おいルイ、何言ってるんだ?!」

「卵のためだ! アトラス、頑張れ! ちゃんとやって来い!」


 ばしーんと背中を叩かれる。後に引けなくなってしまい、アトラスは仕方なく「……手伝いましょう」と了承する羽目になってしまった。


「ありがとうございます! 道具を貸すので、ちょっと待ってて下さい!」

「はあ……」

「位置情報を確認する限りだと、森のほうにまだ結構いるみたいなので、森を見てきてもらえると嬉しいです」


 主人はアトラスに、袋に入ったボールを渡してきた。黒色の、スーパーボールくらいの大きさだ。専用の捕獲装置で、鳥を見つけたらそちらへ向かって投げるだけでいいという。


 更に、ニートリの首につけている小型GPSから取得できる位置情報を確認できる専用のアプリを、アトラスの持っている端末に入れてもらった。


「ニートリは警戒心と、あとキック力が本当に強いので、どうか気を付けて、なるべく物影から捕獲装置を投げるなどして下さいね」

「おじさん、ニートリの小屋見てみてもいい?」

「ああ、もちろんだよ。こっちにたくさんいるからね、中に入らなければいくらでも見ていいよ」


 なんとなく想像していたが、ルイは手伝わず、小屋の見学に向かってしまった。


 仕方ないか、とアトラスは諦め、鶏舎の奥に広がる森に入った。


 位置情報を見ると、森には結構な数のニートリが散らばっていた。

 シシーも出たばかりだと聞いたし不安だったが、とりあえずやっていくしかない。


 位置を確認しながらニートリのもとへ行き、見つけたニートリに向けて捕獲装置であるボールを投げる。


 その瞬間にボールは細かい目の網に変形し、ニートリを捉えた。捉えると、更に網は形を変え、リニアモーターなのかうっすら宙に浮く檻になり、ニートリをしっかり入れたまま、鶏舎のほうへ飛んでいった。


 その作業を何度か繰り返した。実質的な作業はボールを投げるだけなので、思っていたよりずっと簡単だった。


 気がつけば位置情報内のニートリは、最初に見たときよりもずっと数を減らしていた。捕獲に当たっている他の従業員も頑張っているのだろう。袋を見ると、貰ったボールももう少しで底が尽きそうだった。


 ボールがなくなったら鶏舎に戻って、卵を貰おうと考える。いい卵をくれると言っていた。きっと、美味しいプリンが作れるだろう。どんなプリンを作ろうかと思考を巡らせる。そんな風に、他のことを考え込んでいたせいか。


「うわっ!!」


 出っ張った木の根に足を引っかけ、アトラスは体をよろめかせた。地面が迫ってくる。慌ててだん、と手をつく。少し風圧が生まれたほど勢いよく手をついてしまったが、顔から転倒することは阻止できた。ほっとしたそのときだった。


「ケコッ?!」

「……ん?」


 凄く近くから、鳥の鳴き声がした。視線を動かすと、地面についた手のすぐ隣に、一羽のニートリがいて、こちらを見ながら固まっていた。まずい、と反射的に立ち上がる。その大きな動きが、更にまずかったのかもしれない。


「ケコーッ!」

「ぐふうっ?!」


 飛べない鳥のはずなのに、ニートリは思いっきり大ジャンプして、アトラスの腹を蹴った。胃袋が飛び出すのではないかと思うほどの強烈なキックだった。


 この小さい体のどこにそんな力があるのか。不意打ちの凄まじい蹴りに、アトラスは踏ん張ることもできなかった。後ろ向きに倒れていき、ごん、と頭を打った。先程足を引っかけたばかりの根の主である木に、後頭部をぶつけてしまった。直後、目の前が真っ暗になった。

 


 

「おはよう!」


 目を開けると、いつもの自分の自室だった。白い壁、白い天井、作りつけの白いベッド、ベッドの傍の窓から見える無限の星空。


 起きて朝食を用意しなくてはと、体を起こす。そこで、違和感を覚えた。自分の体が、小さい気がするのだ。


「おはよう!」


 横から元気な朝の挨拶が聞こえる。ルイ、とアトラスは呼ぼうとして、そちらを向いた。しかしそこにいたのは、ルイではなかった。


「お兄ちゃん、やっと起きた!」


 自分と同じ、エメラルドグリーンの髪に二本の触覚を生やし、黒い瞳を持つ少年が、にこにこ嬉しそうな顔で立っていた。


「レテア……」


 十一歳のレテアがいるということは、今の自分は十五歳頃だろうか。十六歳では決してないだろう。


 何度目だろうか、と思った。この夢を見てしまうのは。


「僕ね、朝ごはん作ったんだ! お兄ちゃんの好きなパンケーキ! ベーコンもおいしそうに焼けたよ! 一緒に食べよう!」


 レテアが手を握り、引っ張ってきた。冗談でできた世界のはずなのに、妙に現実的な温もりがあった。アトラスの手を、控えめに、少しだけ引っ張ってくる力。はは、とアトラスはもう片方の手で顔を隠して笑った。


「あの子とは大違いだなあ……」

「お兄ちゃん?」

「……レテア。自分の好きな朝ごはんを用意して良かったんだぞ?」


 レテアが好きな朝食は、バターとジャムをたくさん塗ったトーストだろう。けれどレテアは、にこにこ笑ったまま首を振った。


「うん、でもお兄ちゃんはいつも頑張ってるから、お兄ちゃんの好きな食べ物を一緒に食べたかったんだ!」

「そうか……」


 そうだ。レテアはそういう弟だった。全然我が儘を言わなくて、聞き分けが良くて、自分はそれに甘えて、いつも我慢させていたことに気づかなかった。弟に耐えることを強いていたくせに、自分が一番頑張っているのだと思い込んでいた。


 アトラスはもともと、両親と四つ下の弟と、家族四人で宇宙を自由に旅していた。だが十五歳のときに事故に遭い、両親が亡くなり、アトラスと弟は生き残った。別々の星に住む親戚に引き取られることになったのだが、アトラスは納得がいかなかった。両親を失ったばかりで、なぜ弟も失わなくてはいけないのかと。だから自分は、弟と二人で生きて、今まで通り旅を続けていくことに決めた。


 子供が無茶を言うなと、親戚達は止めたが、アトラスは聞かなかった。旅のノウハウはそれまでの経験から既に知っていたし、発達した科学と文明の利器が兄弟の暮らしを支えてくれると信じていた。


 けれど、大きな口を叩いて二人暮らしを始めたのに、結局親戚の言うとおりになってしまった。船の船長となったアトラスには、毎日やるべきことと考えるべきことが山積みで、必死にこなしていくので精一杯だった。


 レテアは賢い子だったから、両親が亡くなってから、我が儘一つ言わない“いい子”になった。それをいいことに、レテアのことを疎かにして、ほったらかしにしてしまった。


 だから弟が体調を崩したことにも、立ち寄った惑星の風土病に罹ったことにも、病をこじらせて重症化するまで気づかなかった。レテアの病気はどんどん悪化し、ある日昏睡状態になり、そのまま目を覚まさなかった。アトラスが十六歳になってすぐのことだ。弟との暮らしは、一年にも満たなかった。


 入院してからも、レテアは何一つ我が儘を言わなかった。そんな体力すらもなかったのだ。最後に何が食べたいかも、眠ったきりになっていたせいで、聞くことができなかった。


 ふと、何かに呼ばれた気がして、アトラスは窓を見た。いつの間にか、星空の世界が消えていた。外の景色は白一色で、眩しい光が漏れている。


「レテア……」


 その光を見つめながら、アトラスは聞いた。


「プリン、食べたいか?」

「プリン?」


 反応を窺う。レテアは首を傾げた後で、そこを左右に振った。


「大丈夫だよ。だって卵ないでしょ? 他のおやつ食べよう!」

「……うん」


 今日の夢でも、我が儘を言ってくれなかった。いつもそうだ。それくらい、アトラスは知らないのだ。レテアが何かを望む姿を。


 いつかは見せてくれるのだろうか、と思う。けれど、今は帰らなくてはいけない。プリンを待っている子がいる、夢ではない世界へ。




 はっと目を開けると、知らない天井が視界に飛び込んできた。視線を動かすと、目の縁を真っ赤にしたルイが立っていた。ルイはアトラスの手を、両手で握っていた。


「ここは……」

「倒れ、たんだよ、アトラス……。頭をぶつけて……気を失ってるところを従業員の人が見つけて……脳しんとうだって……」


 ルイは鼻を啜りながら話した。


 ニートリに腹を蹴られた衝撃で倒れ、頭をぶつけたことを思い出した。するとここは病院か。まだ少し頭が痛くて、ぼんやりしていた。一応後で検査をしてもらおうと考える。


「……ルイは、どうしてそんなに泣いてるんだ?」

「当たり前、だろっ」


 しゃくり上げながら、ルイは途切れがちの声を漏らした。ぽろ、と涙が瞳から落ちた。


「アトラス、いなくなったら、僕、ひとりぼっちになっちゃう」


 だから、とルイはアトラスの手を握る力を強めた。


「お願いだから、ひとりにしないでよ……!」

「ルイ?」  

「この前、編集さんと、僕を施設に預けるって話してたの聞いたんだよ……! 僕、そんなのいやだ。なんでも言うこと聞くから。邪魔になったんだったら、絶対いい子になるから。野菜も食べるから。勉強、もっと頑張るから。難しい本、いっぱい読むからっ……!」


 とうとうルイは、声を上げて泣き出してしまった。涙が遮って、発音も台詞もがたがたになってしまっている。バカだなあ、とアトラスはルイの頭を撫でた。何を言うかと思えば、いきなりそんなことを。


「言うことなんて、聞かなくていいんだよ。いい子になんてならなくていい。今のままでいいんだ」

「でも僕、それじゃあ、レテアの代わりになれない……!」

「……えっ?」

「アトラス、さっきまでずっと、レテアの名前呼んでた……! 僕を拾ったのは、レテアの代わりにするためなんでしょ……?!」


 ルイはベッドに顔を突っ伏して、泣き続けた。その間も、アトラスの手を離さなかった。この手の温かさは、つい先程夢で触れていた温かさと、全く同じだった。


 アトラスはルイの背中を、優しく何度もさすった。さすりながら、何度も言った。


「違う。違うよルイ。それは違うんだ。間違いだよ、ルイ」




 念のため検査をしたが、アトラスの体に異常はなく、その日のうちに病院を後にできた。


 脱走したニートリは、あの後無事に全羽捕まえられたとのことだった。


 主人はすっかり恐縮しきって、何度も謝ってきた。治療費を全て負担してくれたし、鳥を捕まえた報酬ももっと出すと申し出てくれたが、それは遠慮した。


 すると主人は、報酬に加え、たくさんの卵を持たせてくれた。どれもいい品質の卵だった。固辞するのも失礼なので、有り難く受け取り、惑星を後にした。


 これから少なくとも一週間は、卵料理尽くしになるだろう。だが卵料理の前にするべきことがある。アトラスは約束どおり、貰ったばかりの卵でプリンを作りだした。ルイも手伝うとのことだったので、並んでキッチンに立った。


 せっせと卵を割って混ぜていくルイは、もう泣いていない。いつも通りの姿に戻っている。けれどきっと表面上だろう。結局自分は、ルイにもレテアにも我慢をさせてしまっている。カラメルソースを作りながら、そんなことを考える。


 考え込んでいたせいで危うくソースを焦がしそうになり、「アトラス! ソース!」とルイが大慌てで伝えてきた。急いで火を止め、事なきを得た。


「もう、何ぼんやりしてるんだよ!」

「いや、ごめんごめん」

「……頭、様子が変だったら、休んだほうがいいよ」

「ううん、それは本当に大丈夫だ。心配するな」


 それにもし体調が悪くても、このプリンだけはしっかり作ると決めていた。


 その後もプリン作りを進め、焼きプリンを十二個作った。まだまだ卵はあるから、もし足りなくても、いくらでもおかわりを作れる。


 焼き上がり、粗熱を取ったばかりの焼きプリンを、早速食べることにした。そわそわするルイは、真っ先にダイニングルームにあるテーブルについた。


 テーブルの傍には、大きな窓がある。ワープ航行のとき以外は、たくさんの星が食事を見守るダイニングルームだ。


「アトラス、早く早く!」

「いや、少し待て」

「ええ、ここまで来て?!」

「いいから待つんだ。素晴らしいものを用意してやるから」


 アトラスはボウルと泡立て器を取り出した。それらを用いて、ふわふわの生クリームを立てた。


 テーブルの上にプリンとスプーン、ボウルいっぱいの生クリームを置く。はわあああ、とルイは両手で口を覆った。体を震わせて、逆に目の前に出てきたクリームに恐れを成しているようなリアクションだ。


 ルイと向かい合わせに座り、お互いにプリンにクリームを付け合わせて、いただきます、とスプーンを手に取る。綺麗なカスタード色のおやつを、二人そろって一口分掬い、口に運ぶ。新鮮な卵の風味が口に広がり、その瞬間、二人して仰け反った。


「うわあっ、おいしいっ!!」

「おお、凄い上手くできたなこれは……!!」


 カラメルソースの苦みとプリンの甘みのバランスが絶妙で、お互いを支え合い、引き立て合う味付けになっている。加えて付け合わせのクリームが、特別な贅沢さをプラスしている。温かな温度と、冷たいクリームと、材料のバニラの風味と、滑らかにとろける食感が、身も心も解きほぐしていくようだ。


「冷えたのも美味しいけど、できたても美味しいね! クリームを舐めてるみたい!」

「冷えるとプルプルになって、また違う美味しさになるんだよなあ。そっちも早く食べたいな!」

「これ、パンにのせて食べても美味しそう……!」

「お、じゃあトースト作るか?」

「うーん、でもやっぱりまずはそのまま味わいたい!」

「ははっ、そうか。俺も同じだ!」


 和やかに、おやつの時間は進んでいく。途中まで食べ進めたとき、ふとルイが、食べ進めるのをやめ、プリンをじっと見つめた。


「どうした?」

「うん、なんかさ……」


 ルイはにこっと、微笑んだ。


「これ食べていると、アトラスと初めて会ったときのこと、思い出すんだ」

「!」


 ルイはゆっくりと、窓の向こうへ目をやった。銀河が、恒星が、銀色の星の数々が、数え切れないほど煌めいている。アトラスも窓の外に目を向ける。


「……特別なおやつだもんな、プリンは」


 この星のどこかに、ルイの故郷となる惑星がある。だが、そこへ戻ることはできない。


 半年前、アトラスは仕事で、カナティア星を訪れた。紛争により文明が滅びかけ、惑星のほとんどが防護マスクをつけていないと出歩けないほど汚染された惑星だ。

 死の星となったばかりの惑星で生き残った人々を、保護団体が次々に保護していっている。無人の惑星になるのも時間の問題だろう。そんな惑星の現地ルポを書くことが、そのとき引き受けたアトラスの仕事だった。


 団体のスタッフの案内のもと、惑星内を散策し、取材し、その惨状を書き留めていく。ある日、星の地下シェルターを回って生存者を保護していく団体の活動について行った。


 そのとき入ったとある小さなシェルターの隅の暗がりに、うずくまったまま倒れている少年を見つけた。誰もいないと思っていたので、アトラスは驚いた。それくらいその少年からは、「生きている人の気配」が消えていた。アトラスは少年に駆け寄り、大声で呼びかけた。少年は、細く目を開けた。


 このときの少年がルイだった。衰弱していたので、治療を受け、入院することになったルイを、保護から数日後に見舞いに行くと、ルイはベッドの上で、一点を凝視したまま、微塵も動かずにいた。


 看護師に話を聞くと、家族が食料を探しにシェルターの外に行ったきりずっと戻ってこない、という話をしてから今日まで、ただの一言も話さないし、表情一つ変えないということだった。


 「なんとなく気になるから」という適当な理由で様子を見に来た自分が、いかに甘い性格をしていたかを思い知らされた。とはいえそのまま立ち去ることもできず、どうしようかと迷っていたときだ。おもむろに、ルイの視線がこちらを向いた。正確には、アトラスが手にしているものに目を向けた。


「き、気になる、か?」


 お見舞いの品だったが、このような状態の子供に渡していいものか悩んでいたところだった。だが、もし少しでも興味が湧いたのならと、持ってきたものをルイに渡した。それが、自作のプリンだった。


「自慢じゃないけど料理は結構できるほうで……。まあ……気が向いたら、食べてみてくれよ」


 そのまま立ち去ろうとしたとき、ルイはゆっくりと、スプーンに手を伸ばした。全く表情を変えないまま、プリンを一口、口に運んだ。飲み込んでから十秒ほど、無表情だった。十秒経った後、無表情だったルイの両目から、次から次に涙が零れてきた。


 後にこのときのことをルイに聞くと、ルイは「だって最後にあんなに甘くて美味しいものを食べたのがいつだったか、覚えていないんだもの」と答えた。


 それからルイが退院するまで、アトラスは毎日お見舞いに訪れた。いつもプリンを持参することを忘れなかった。日を重ねるごとに、ルイは少しずつ話せるようになっていき、退院する頃には、表情の変化も会話も滞りなく交わせるようになっていた。


「もう会えないの?」

「そうだな、ここでお別れだ」


 アトラスもそろそろ旅に戻ろうと思っていた。そう、とルイは俯いて、それきり何も言わなかった。悲しそうな顔も寂しそうな表情も浮かべなかった。とりあえず、じゃあな、とアトラスは別れを告げた。だがその後も、ルイのことがずっと心に引っかかり続けた。


 どうにも気になって落ち着かず、結局一ヶ月後、ルイの預けられた施設に向かった。


 施設を覗くと、たくさんの子供達が遊んでいる広間の隅で、何をするでもなく、膝を抱えてうずくまる人影を見つけた。ルイは、初めてカナティア星で見つけたときと全く同じ格好をしていた。


 施設のスタッフいわく、預けられたその日から、誰とも決して話そうとせず、ずっと一人でいるらしい。


 そんなルイが顔を上げ、アトラスを見つけた瞬間、ぱあっと笑顔を浮かべた。冷たい無表情が、一気に塗り替えられた。弾かれたように立ち上がったルイは、アトラスに向けて真っ直ぐ駆け寄った。


「どうしたの、なんでここに?! 夢じゃないよね?!」


 こちらを信じて、無邪気に明るく懐いてくる笑顔。この笑みを、アトラスは知っていた。お兄ちゃん、とレテアが駆け寄ってくるときの笑顔と、全く同じだと気づいた。その瞬間に、アトラスは決めたのだ。この子を引き取って、育てよう、と。


 あの日から一年近く経つ。紆余曲折あるが、なんとか上手くやっている。ルイはすっかり明るくなったし、むしろ生意気で手がかかるくらいだ。だが、上手くいっていると思っているのは自分だけなのではないかと、いつも悩んでいる。


 例えばルイは、シェルターを転々としていた日々を思い出すからという理由で集団生活が苦手で、大勢の人と一度に話すと体が固まってしまう。なので学校は通信校に行かせている。そこではよくやり取りする友達もいるようだが、本当にこれで大丈夫なのかと思ってしまう。自分などと一緒に放浪の旅を過ごすよりも、もっと頼れる大人と共に、特定の惑星を新たな母星にして、根を下ろしたほうがルイのためになるのではないかと。


 だが、当のルイは、アトラスに置いていかれることに強い不安を覚えている。病院で、アトラスの手を握りしめながら流していた涙を思い起こす。アトラスはスプーンをテーブルに置いた。


「ルイ。話をしてもいいか」

「……どうしたの?」

「担当と話していたっていう施設に預ける話だが、全然決まった話じゃない。そうしたほうがルイのためになるのか、どうなんだろうかって相談していただけだ」

「僕、施設には行きたくないよ! そんなの僕のためにならない! 今凄く楽しいのに!」


 心外だとばかりにルイは立ち上がった。わかってる、と言って、もう一度座るよう促す。


「担当からも言われた。ですがルイ君が望んでいるのは、今の暮らしを続けることでしょう、と。ルイの意思を無視するようなことはしないよ。約束する。ただ、俺はいつでも、ルイが望む幸せを優先したいと思っている。もしこの宇宙船から離れてやりたいことが見つかったら、いつでも言ってくれ」

「……うん」


 あまり納得がいっていない顔で、ルイは頷いた。


「それと、もう一つ。大事な話だが」


 アトラスは人差し指を立てた。


「俺はルイを、弟の代わりだと思ったことはないよ」

「えっ?!」

「そもそも似てないからな。見た目も中身も。弟はもっと大人しくて内気で、でもって聞き分けが良くて、野菜を残さずちゃんと食べるし宿題も早めにすませるやつだったぞ」

「う゛っ、それは……」

「まあそういうわけだから。余計な心配は無用ってことだ。ルイはルイの心配だけしてな」

「……そっか!」


 そっかあ、とルイは口元を綻ばせた。幸せそうに体を揺らしている。自然とこちらも笑顔になった。


 ルイと弟を、重ねていないと言えば嘘になる。ルイを引き取ると決めたのも、ついルイの我が儘を許してしまうのも、幸せに、健やかに育ってほしいと願うのも、その後ろにレテアの姿が全く見えないといえば、嘘になってしまう。


 だが、代わりにしたいのかと聞かれたら、それは違うとはっきり言える。同じ時間を過ごせば過ごすほど、ルイとレテアは別人だとわかるからだ。一緒なのは瞳の色だけ。別人すぎて、どう足掻いても、“弟のレテア”を救うことはできないのだと突き付けられている。けれど、ルイが笑ってくれる度に、自分の中のどこかが救われていく感覚は否定できないのだ。


 ルイが鼻歌を歌いながら、プリンの最後の一口を、大きく口を開けて飲み込んだ。美味しい、と噛みしめてから、アトラスを真っ直ぐ見る。


「さっき、ルイが望む幸せって言ったけどさ」


 ルイはにこっと、晴れやかな笑顔で言った。


「僕の幸せは、アトラスと過ごすこの旅の時間だよ」


 アトラスは大きく目を見開いた。心のどこかが、何かで包まれる。温かなプリンを食べたときと、同じ気持ちになる。


「……なんか今、新しい本のネタ、思いついたかもしれない」

「へえ! どんな本だ?」

「この、ルイとの旅を記録していく本」


 テーブルの上を見る。二人で作って、二人で食べたプリンの容器が置かれている。


「この旅の時間は、俺にとって、ずっと覚えておきたいものだ。それを思ったら、自然とアイデアが浮かんだよ」

「わあ……!」


 ルイは目を煌めかせた。


「よし、だったら記念すべき最初の一ページ目は、アトラスがニートリに思いっきりキックされて、転んで気を失った話にしよう!」

「記念の一ページ目がそれか……。ボツだな」

「インパクトで読者の気を引けると思うぞ! 多分! きっと!」

「適当なこと言うならおかわりのプリン没収するからな?」

「待って待ってごめん! 嘘だって!」


 それぞれふざけて笑いながら席を立ち、おかわりのプリンを取りに行く。


 この先どうなるかはわからない。この宇宙の誰にもわからない。だが一つ言えることは、今日は二人にとって確実に、幸せな日だということだった。

 

 

 

 完

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連なる星の旅路 星野 ラベンダー @starlitlavender

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