戦国妖魔伝 信長異記

織部

第1話 吉法師

 童子たちが田圃の中を駆け回っている。みんな、体から大汗をかきながら遊びに熱中している。特別な決まりのある陣取り合戦らしく、武器を持たずに相撲のように体をぶつけ合っている。


 大人たちは、子供が仕事を手伝わないことを苦虫を噛み潰した顔で見つめているが、何も言わない。なぜなら、その遊びをしている童子たちを率いているのが吉法師と呼ばれる、ここら一帯を統治している統治者の息子だからである。


 そして、「今度はどちらが勝つのか?」と、実は面白がって観ているところもあるからだ。


「こちらに入らせるな!」


「押し返せ!」


 一際体の大きな餓鬼大将が、大声を上げる。餓鬼大将を中心とした一群は、武士の子供たちで構成されている。


「おりゃ!」「どりゃぁ!」


 敵を捕まえ、畔道の脇の用水路に引き倒していく。

 相対する一群を見れば、一目で農民や商人の子供たちであることがわかる。服はよれよれで、体は貧弱な者が多く、人数は敵の半分程度だ。


「兄者、負けるな!」

「兄貴、頑張れ!」


 小高い丘の応援席から弟や妹、幼馴染の声が飛ぶ。その声援を受けて、倒されてもすぐに立ち上がる農民軍の士気は高い。薄笑いを浮かべた吉法師は、女物の派手な服を着崩し、長い髪を朱色のひもで結んで立っている。


 すぐに冷たい表情に戻した吉法師がつぶやく。


「弱い武士ばっかで、人だけ多くて、なんにも役に立たん」


 彼の小さな体からは思いもつかない大きな声が響く。


「それ、回り込め!」「裏から近づけ!」


 吉法師は人数を分けて四方から攻める。


 特別な陣取り合戦は次第に熱を帯びていく。お互いの陣地の奥にある標された石を蹴れば勝ちという遊びで、武士の一軍は守りを固め、物量で押し切る作戦を進めていた。正面の道を薙ぎ倒しながら前進する。


「吉法師様の誘いに乗るな」と餓鬼大将は叫ぶが、対応しないわけにはいかず、人を回す。しかし、決め事がないため、餓鬼大将の思った以上の人数が左右の脇道を走っていく。

 横一線に隊列を組んで正面の畦道を封鎖していたが、他の人を回した分、手薄になっていた。


「まずい!引き返せ!」


 いつの間にか丘にいた吉法師が、子分を従えて目の前に現れる。


「あれは案山子だ!」


 吉法師は女物の服を案山子に被せて全速力で走ってきた。


「勝三郎、いけ!」吉法師が子分に指示を出す。


「心得た!」と勝三郎は真っ直ぐに突っ込み、すぐに敵の的となり捉えられ地面に押さえ込まれてしまう。


「離せ!」と暴れる勝三郎。数人がかりで取り押さえる。


 次に吉法師が突っ込む。体はそれほど大きくないが力はかなり強い。吉法師を倒して名声をあげようと残りの武士の子供全員が、少し身構えながら集中して吉法師に立ち向かう。


 その瞬間、吉法師軍の中で一際小さい童子が、吉法師たちの陰から隙をついて突破する。


「待て!待て!」


 とても足の早い子供らしく、敵軍は追いつけない。最後の守護神役の子も颯爽とかわすと、石は陣地から大きく蹴られ、遊びは終わった。


「おしまいだ!」


 遊びの終わりの合図をした。



「また、負けたかぁ。」体の大きい餓鬼大将が叫び、がっかりした顔で大汗をかきながら、近くの井戸から汲み上げた水を飲んでいる。敵味方数十人の子供たちが地べたに座り込み、勝ち負けの理由を口喧嘩しながら反省会のように盛り上がっている。


 この遊びでは、吉法師から勝った方に少しばかりの菓子が出ており、それが彼らを真剣な遊びにさせている。吉法師も喉の渇きを感じたが、井戸水には手を出さず、腰にぶら下げている幾つかの瓢箪の中から水をゴクリと飲む。


 飲み終わると、懐から小銭の入った袋を商人の子供にそっと渡した。吉法師は「うまくよやれよ」と目で合図を送り、商人の子供も「心得た」とばかりに薄らと笑いを返した。


 吉法師は勝三郎から、案山子から取り戻した女物の服と同じ色の朱色の刀を受け取る。そして、服を重ね着し、刀を腰に刺すと、一言。「勝三郎、お前は帰って、出かける準備をしておけ」と指示を出した。


「御意」と答えた勝三郎は、先程の荒ぶりとは反対の優しい顔をし、指示を受けると屋敷に向かって走り去っていった。


 勝三郎を見送った吉法師は、その場からそそくさと移動しようとするが、後ろから子犬のように足の早い小さい子供がついてくる。


「こら、犬、ついてくるな!」


「この犬千代のおかげで勝てましたよね。褒美を頂戴したいのですが」


「そのうち、小姓にしてやる」


「吉法師様の言葉とは思えません。そのうちとは。褒美はいりません。犬千代ついていきます」


「じゃあ、好きにしろ」と吉法師は冷たい声で答え、顔を歪めるふりをした。しかし、この会話は毎度のことで、犬と呼ばれた童子は気にせず数歩後ろをついてくる。


 犬は、どうせ褒美を与えても適当に言い訳して断り、ついてくる。爺の差金で監視の指示をされているのだろうが、犬が尻尾を振っているように見えてしまい、吉法師は思わずくすりと笑った。


 目的の神宮はその街の中心にあった。神宮を中心に街が形成されていると言った方が正しいだろう。神宮への道すがら、とある寺の柿の木を見つけると、慣れた手つきで二つもぎ取る。「ほらっ」と一つを犬に放り投げ、もう一つを自分の口に放り込んだ。

 

「ここの柿は甘いからな」と犬に言い、美味そうに食べながらずんずんと歩いていく。干し柿を作らなければならないと考えているうちに、目的地に着いた。


 神宮の入り口では武士たちが物々しい雰囲気で警備している。しかし、そのだらけた態度に吉法師は眉を顰めた。位の高そうな武士が話しかけてくる。


「若、お詣りですか?」


「うむ。当然の事。警備しっかり頼む」ありきたりの会話の中に注意を潜ませたのだが、彼らは気がつかないだろうとがっかりしながら通り過ぎる。


「あんな格好でお詣りとは!」


「農民の子供を引き連れ、遊びに呆けているらしい」


「うつけが!!」


 武士たちのひそひそ話は犬には聞こえた。吉法師も聞こえているはずなのだが、知らんふりを決め込んでいる。彼にとってはどうでもいいことのようだ。


「全くわかっていない」 犬千代が呟いたが、その声は誰にも届いていなかった。


 神宮の奥には、水神である罔象女神を祀る清水社がある。その社の前まで来ると、吉法師は女物の服を脱ぎ、身なりを整え、お詣りをする。何を願っているのかは分からないが、顔は真剣そのものである。


「お清水さまを頂きます」社殿の奥から湧き出る水。『お清水さま』を瓢箪に入れ、さらに柄杓で水を掬って口に含む。吉法師の体内に「聖なる力」が染み込み巡っているのを感じる。


犬千代も真似をして持参した小さな瓢箪に水を入れ、飲んでいた。


「犬、どうだ?」


「冷たいです」


「そうか、それだけか。まあ良い」吉法師は会話を切り上げ、次の目的地に向かった。


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