シガレット

マヌケ勇者

本文

「シガレット」



 店の裏で月明かりに照らされ、タバコの煙をふかしながらふと俺は自分の人生を振り返った。

愛想だけは良かった幼少期。引っ越しで苦労した小学生。

バカだったが顔の良さだけで生きていけた中・高時代。

最も学校に行くよりバイトしてたけどなぁ。


卒業してからも転々とバイト。つまらない日々とつまらない収入。

ところが、俺は数日前から地元の先輩のツテでツバサという名のホストになったのだ!

きらびやかな歓楽街。話した通り、薄っぺらかった俺の人生だが顔は悪くない。

それが店のランキングナンバーズになれたら、夜の街のバラ色の花になれたら人生逆転だ!!



とはいえ、現実はそう甘くない。

初月に入店祝い金が出た時はずいぶん遊んだが、近頃は寮の支払いすら危ない橋を渡っている。

寮と言っても、四人もの下っ端ホストが一つの部屋に狭々と収まっているタコ部屋だ。

あーあ、くっだらねぇ。金が欲しい。俺に指名入れる客が欲しい。



よーするに、こうすればいいんだよ。

俺のつくテーブルには、指名のシステムすら知ったばかりの新規か、安く遊びたいババアか、センパイホストたちを愛でながら俺らをいびりたいババアしかいない。

あいつらを俺の客へと生まれ変わらせるんだ。

そんなわかりきった事を、再ハッケンして俺が幸せになっていたその日のことだ。



その女はおとずれた。堂々とタバコの煙を上げながら入店してきた。

赤いメッシュの短く丸い黒髪に、燃えるような紅のドレス。

こちらを軽くわらうかのようで、遠くを見ているようにも感じる目。

どこか少し不気味でもある。


そんな女のテーブルに、俺がつくことになった。こえーよ。

彼女の頼んだブランデーのために氷を入れていると、女は言ってきた。

「おい、なんか面白い話しろ」

あーあー出たよめんどくさい女王様気取り! えーっと。

「そのタバコ、甘みのある不思議な香りしてるけど、なんていうんだい?」

女はちょっとの間だけきょとんとした顔。それから苛立った顔になって言った。

「その話のどこがおもしれーんだよ」

「いやね、初めて見るタイプの不思議な女性のことを知れたら、きっと俺が面白いと思ってさ」

「――お前視点かよ! つまんねーホストだな! ――あははは」

彼女は意外に話題に乗ってくれたし、笑ったらちょっとは可愛らしく見えた。あはは。




 彼女はアカリ(朱里)と名乗った。もちろん源氏名だろう。

彼女は身の上話が面白い。

酷い時にはさらっと「そういえばあたし石油王なんだけどさー」なんてデタラメを言ってくる。芸能人のネタトークじゃあるまいに。

まぁ、ちょっと――軽く虚言癖がある感じなのだ。

それでもなんだか、いくらか暗そうな過去を語る時に度々トーンが異なることがある。

普段の多少高圧的な態度とは裏腹に、彼女は嘘をつくのがあまり得意ではないようだった。


彼女の断片的な話をまとめると、けっこうな田舎の産まれで、親父には何度か殴られ母親は正気じゃない。そんなこんなで地元ではかなり浮いた存在だったようだ。

そして高校卒業を前に知人のあまり良くない先輩に紹介料目当てでこの街に誘われたのだとか言っている。

そんなお先真っ暗みたいな門出でも、彼女には夢の世界へ解き放たれたかのような瞬間だったそうだ。


俺の実家はそうだな、彼女と比べれば少しばかりはマシだろうが、つまるところ金詰まりでお互いバカな両親は死ぬだの殺すだののマジなケンカばかりに夢中だった。

つまんねー家だ。

家族って、なんなんだろうな。それが俺にはずっと心の隙間になっている。

それがこの店でバラ色に変わればなぁ。




 こんな俺の日々に、小さな華が咲いた。

店で指名客がつくようになったのだ。相手は面倒なアカリだが――。

「そんな安酒、飲んでられるかよ」

なんて言って、彼女は値の張るブランデーのボトルばかり入れてグイグイ飲んでいく。

俺としては儲かるからよいのだが、こいつ一体どれだけ稼いでるんだ?

「――ッ、全く、おっさん共の相手しながら飲むのと同じ酒とは思えないな」

アカリが言った。そうですかそうですか。



そう何日も立たずに、俺の日々に、小さな火がともった。ていうか、寮が燃えた。

隣室の入店したてのカスが寝タバコしたのが原因らしい。腹は立つがそいつはそっこーバックレた。それでも店からの追求は果たしてどうなったのやら……。

その話を翌日の店で、空元気も裏返った、変な状態でアカリにこぼした。

「じゃあさ、安い家紹介してあげるよ。そう遠くなくて家賃月二万」

ありえない値段だ。でも寮の生活に慣れた今となってはどんな家でも安ければいいか。


だがアカリが俺を連れてきたのはけっこうなマンションだった。

それで、

「ここ」

がちゃりとドアを開けられた中には、女物風の家具がもう置いてあった。

「つまりこれって――」

「そ、あんた今日から私の子分。早速なんかメシ作って」

子分っつったってさぁ……。彼女は不器用なので料理したくないそうだ。

一ヶ月ほど、俺はアカリの部屋に間借りした。

始まった奇妙な共同生活は、俺たちの心と、体の隙間を少しだけ埋めてくれていた気がする。

メシ係からはずっと解放されたかったけど。でもいっつもうまそうに食うからアリか?


ある夜彼女はタバコをくゆらせながら、ベランダのガラス戸の脇にあるベッドで言った。

「ねぇ、あんたの源氏名ツバサでしょ。あたしをあの赤い月まで連れて行ってよ」

「別に今夜の月は赤くないぞ」

「赤が好きなのよ。それでどんなくだらないクレーターがあるか見せてよ」

夢がねぇなぁ。せめてウサギだろう。

そんな、くだらない、暖かな時間を俺はたしかに過ごしたのだった。




 俺が部屋を借りてアカリのところを出てからしばらくしたころ、嬉しいことにもう一人指名客ができた。

ユカリという、ピンクや白のフリル地の衣装に黒髪で――独特なメイクの“そういう娘”だ。

色んな時間帯に同伴に店にと、何の仕事をしているのかわからないが金払いはいい。

彼女いわく、「ツバサくんがひとりぼっちで寂しそうだったから」だと。

指名客なんてぜんぜんいなくてと俺が話したからだろう。

変に囲われそうになっていないといいのだが。

そういえばじっさい、アカリは最近あまり店に来てないな。それに遊びの誘いにも乗ってこない。



ある日しばらくぶりにアカリが店を訪れた。

ひさびさに話す彼女は口数が少なかった。

怒っているのだろうか。いやそれよりも疲れているかのように見える。

けだるそうに、グラスのブランデーを消費していく。

「なぁお前、今日はいつもみたいにつっかかって来ないじゃないか」

それに彼女はふてくされたかのように言った。

「女のいる男にあまり興味はないからね」

女。たぶんユカリのことだろう。

「でも、あんた来月誕生日でしょ。また来てあげる」


それから――少しして――、アカリが何か言おうとした時だ。

「ツバサくん、五番テーブルのお姫様からご指名です!」

副店長が席まで来て俺にうながした。二つ隣のテーブルだ。

「わかりました、この後すぐに向かいます」

そう言ってアカリの言葉だけでも聞いてから去ろうとした。

だが副店長は俺の体をがっしりと掴み、太客だすぐ行けという圧をかけていた。

やむをえず俺はユカリの待つテーブルへと移ったのだった。



「ツバサくんおーそーーいーー! 他にイイ女でもいたぁ?」

ユカリが周りに聞こえるように大きな声で言った。

「ユカリ姫より大切な人なんて、ここにはいないよ」と仕方なく、アカリにかなり気まずく思いながら答えた。

今日のユカリはモンスターの日らしく、しつこいくらいアカリにあてこする話題ばかりふってくる。むしろ俺のことが見えていない感じで本末転倒だ。

そんな地獄みたいなテーブルへ、アカリがゆらりと歩いてきた。

「また来る」

それだけ述べた彼女の顔は、一瞬だけだが悪魔が憑いたかのようにも見えた。


それから、彼女への連絡手段が絶たれた。

それでも振り返れば、住所はわかっていたのだ。

俺はいつもみたいな萎縮をせずに本心に従って、手紙なり、追い返されるとしてもアカリに会いに行けばよかったのだろうか。




 運命の日は遂に訪れた。

そう、ホストクラブでの俺の誕生日イベントの日だ。

きらびやかな俺専用デザインのシャンパンタワーを囲むように、似た顔を並べた新人ホストたちがウェイだとかウィーだとか言ってお祭り気分をあおっている。


その俺の席の隣にいるのは――ユカリだった。予約を取っていたのは彼女だ。

バカみたいに金使ってくれるのは心底感謝だけど、こいつの話自分のことばっかで本当つまんねーんだよなぁ。

それでも同情の余地はあるのだ。なにせこの女、最近着ているものやバッグなどの装飾品が雰囲気こそ似ているが確実に値下がっている。

そろそろ潮時が近い。

最後まで夢を見させてやるのがホストの努めだよな。そう思う。



そんな上の空で座っていると、ドン、とテーブルの目の前に酒のボトルが置かれた。

店員にはありえない無作法だし何事だ。

しかもそのボトルは店で最も値の張る超高級酒で、隣にばさりと一万円札の束が広げられる。

「誕生日、また来たよ」

それらを置いたのはアカリだった。

彼女はユカリに向かって、優越感にひたりながらまた悪魔憑きのような黒い笑顔を見せ威圧した。


でもそんなこと正直どうでも良かった。

俺は手を取りたかった。俺だけの赤い月までゆきたかった。

「――じゃあね」

手は掴めなかった。

アカリはそれだけですぐ店を出ていってしまったからだ。

去ってゆくアカリを見て、副店長の顔を見ると彼は言った。

「緊急事態です。姫様しばらくこちらのハヤト君とお待ち下さい」

吸い尽くした女への扱いはこんなにも冷たかった。




 俺はタクシーを捕まえて大急ぎでアカリの家へ向かった。

窓から外を見ると、今夜の月はいつものように黄色くはなかった。


記憶と変わらぬアカリのマンション。その中に一つだけあった封筒の束の詰まったポスト。

俺は見向きもしなかった。ましてその中身が督促状であることなど知るよしもない。


インターホンを何度押してもアカリは出てこない。ふとノブを回してみるとカギが開いていた。

ドアを開けると、真っ暗な部屋の中に――アカリは立っていた。

彼女は不意に俺に組み付いてきた。口元に女物のハンカチを押し当てられる。

すると呼吸をするたびに意識が酷くもうろうとする。

アカリの姿を前に俺は床へと崩れ落ちて行く。

俺はなんとか手だけをアカリに向けて伸ばした。

待ってくれ、俺だけの――

俺の視界は真っ赤に染まり、そこで意識はブラックアウトし途切れた。




 ベッドの上。気絶しているツバサの隣で、タバコの煙とともにアカリは考えていた。

誕生日イベントで見栄をはったは良かったが、待っているのは督促状の束。

やがて勝利するのはユカリだろうと彼女は思った。それは誤解だけれど。

それに、俺には知られたくなかったようだが――

彼女をこの街に誘ったのは、本当は地元の先輩などではない。

彼女がかつて強く愛した男がいざなったのだ。

俺に――よく似たバカな男だったようだ。違いと言えば悪知恵が回ること。

彼との思い出は、今は借金の督促状の一部として残っている。



赤い月。結局私に残ったのはこれだけ。そう思って彼女はタバコの反対側の火を見た。

そしてクレーターの事を考えた。

物思いにふける彼女の視界に、不意にツバサの彼自身が目に入った。

――彼女の表情には酷く暗い悪魔が宿った。


アカリは生まれた衝動に駆られて、“それ”に赤い月を強く強く押し付けて、じぐじぐと彼女だけのクレーターを作ったのだ。

消えない彼女だけの跡を。彼女は、たしかに刻み込んだ。


薬で気絶した俺は起きなかった。

その光景をベランダからずっと遠くの月だけが見守っている。

アカリは姿を消した。




 それから少しして、俺は街を出て地元に帰った。

街の喧騒は心にぽっかり空いた穴を埋めてくれそうになかったからだ。

バラ色の人生の夢には、あっさりとさようなら。

そして股はときどきじくりと痛む。

もう一つ理由があるならば、アカリが同郷だと言っていたことも心の底にあるのかもしれない。

だからって別に彼女が見つかるなんてことは考えられないが。


今夜は、酒が飲みたい。一人ではなく誰かと。

だが地元の友人たちは俺と同じくほとんど都会に出ている。

それに引っ越してきたばかりだ。相手のアテがない。

ふらりと、うらぶれたスナックに入った。

ほの暗い店内にはきっと話くらいは上手いババアが――

女は予想外に若く、カウンター内の照明にも燃えるような赤いドレスを着ている。

そこに、彼の赤い月が出ていた。

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