ひき潮~Ebb Tide~

雛形 絢尊

第1話

波の音が聞こえてきた。

だいぶ先に船が見える。

先ほどの荒々しさからは

程遠い淑やかな波は心を揺らす。

私たちは帆を張るように互いの目を見つめる。

ほら、こんな若々しい私たちだよ。

なんて私たちは

時間が止まったような接吻を交わす。

その時間はどのくらい経過したのであろうか。

夜風に揺れたその髪は清々しいほど綺麗で、

私たちはその掌を握って海を走る。


少しずれてしまった

その場面ひとつひとつが過ぎる。

ほんの少しの気の迷いで

世界が一変してしまう時もある。

雑音のような日々は波の音に消えた。

これがB面の終わりだとしても、

これが最後のトラックだとしても、

その想いは消えていくのだ。


若気の至りで過ちを重ねた。

見兼ねた選択を間違えてしまった。

そんな風にこの曲は私を擁護した。

しかしながら、私の運命というのは明確で、

また次の年もあの海へと駆り出すのだ。

それはあの人がまたあの場所へ。


私は夜に揺れている。

波音が聞こえてくる。

また揺れる私、それはまるで幽霊のように。

また波音が聞こえてくる。

ほら、皺が増えた、

なんて笑うあなたの笑い皺。

ほら、今の私たちだよ。

髭を生やして

彼はまた一つ歳をとりました。

歳を重ねて大人になりました。

私たちはまたキスを交わす。

満月が濾過していくその暗闇は、

ふたりだけの祈りのように思えた。


私たちは海月のように溶けていく。

白い髭を生やしたあなたと、私。

ほら、あんなこともあった。

こんなこともあった。

ほら、こんな年老いた私たちだよ。

覚束ないキスをまた交わす。

あの日々と同じような

色彩の月は今日も浮かんでいる。

波打ち際のような日々は

またすぐに繰り返されていく。



その残り香はすでにない。

その星々は潰れてしまったように

見ることができない。

ほら、また海が見えてきた。

ほら、波音が聞こえてきた。

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ひき潮~Ebb Tide~ 雛形 絢尊 @kensonhina

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