お嫁ぎ遊ばせお姉さま!!

まじりモコ

想いを天秤にかけて


 整頓が好きだ。


 乱れたものを整え正しい場所へ片付ける。

 あらゆるものには相応しい場所がある。立場がある。


 そうやってすべて片付けていくと──いつの間にかわたくしは姉さまから許嫁を奪っていた。


 祝言も終わり、あるべきものがあるべき場所に収まったわたくしの世界で、

 いまだ散らかっているのは、姉さまだけだ。



   ☆     ★



「えっ、ここの奥様ってめかけの子なんですか!?」


 壁の向こうからそんなドでかい声が聴こえてわたくしは足を止めた。さっきより幾分ひそめた別の声が続く。


「逆よ。長女の尾花おばな様が産まれてすぐ亡くなられた前夫ぜんぷに代わって迎えられたのが、奥様のお父上。七草家は女系一族なのよ」


「あー、異父姉妹か」


「そうよ。霊地守護のため当主になる女は名家から霊力の強い婿を取るの。順当にいけば長女の尾花おばな様が今代の当主だったんだけど……」


「どうして撫子様が?」


「それが……先代が奥座敷へ籠りがちになられてから、撫子様が急に『成親なりちか様に相応しいのはわたくしです』って言い出して。半ば無理やり……。尾花おばな様にも乱暴な物言いで、離れに押し込めて──」


 聴こえてくる内容のあまりのくだらなさに、わたくしは遠慮なく厨房へ押し入った。


「新しく雇った下女達はよほど暇なようね」


「おっ、奥様!」

「え、あれが?」


 下女達が慌てて頭を下げる。わたくしは青筋を浮かべて自称事情通の下女へ鋭い眼光を向けた。


「そこのお前、姉さまを見てないかしら」


「あ、えっと」


 下女はわたくし程度の眼光に気圧されたらしく声をどもらせる。その悠長な仕草にも苛立って声を張り上げた。


七草ななくさ尾花おばな何処どこと言ったのよ! 離れに居なかったの。何処へ行ったか見てないの?」


「あ、尾花おばな様なら確か裏山へ……」


「あの人はまた私の言いつけを破って!」


 歯噛みして姉さまがいるはずの方向を睨む。それと、と一度振り返った。


「午後からお客様がいらっしゃるわ。それまでにその無駄口に費やす時間を適切に責務へ割り振れるよう改めなさい」



    ☆    ★



 七草家が管理する霊域の森を探し回り、私はやっとのことで姉さまを見つけた。お気に入りの切り株にも、遊び場の泉にもいないから手間取った。


何処どこで寝ているの。さっさと目を覚ましなさい」


 姉さまはこともあろうに、大の字になった熊のお腹を枕にして、気持ち良さそうにうたた寝をしていた。


「あれぇ、なでちゃんだ。こんなとこでどしたの?」


 目をこする手を引っ張って無理やり立たせる。軽い。相変わらず肉のついていない貧相な身体だ。小柄で線が細いから見目みめだけははかなげな美少女に見える。これで七草家の当主候補だったのだからお笑い種だ。


「どうしたはこっちの台詞セリフよ。昨日言い付けておいた縫い物がまだ終わってないようだけど?」


「それは……」


 姉さまが私の目をじっと見つめ返してくる。真剣なその瞳に、わたくしはため息を吐いた。


「面倒だからって意味ありげな視線で誤魔化そうとするの、いい加減におやめなさい」


「ついクセで」


「っていうかその熊は誰よ! クマでもクマ吉でもクマ五郎でもないわね。見かけない奴。何処どこのどいつよ」


「新入りのクマ左衛門ざえもんだよ」


「クマ左衛門ざえもん、あんた顔覚えたわよ! とっとと失せな!」


 お姉さまから離れがたそうな熊を霊力の込もったムチで追い払う。姉さまはすぐこうやって野生動物を味方につけるから油断ならない。


「はぁ。身を清めて獣臭を落としてきて。その襤褸ぼろ切れみたいな着物はなに。新しいのは昨日のうちに渡したでしょう」


「服なんてすぐ汚れるし破けるから、普段は使用人用のお得まとめ買いで十分じゃない?」


「黙って私の言うことを聞きなさい。着替えたら縫い物の続きを。貸された課題はその日に終わらせて。あなたの役目は、少しでもそのぶきっちょを治して、名家に嫁入りすることなのですから」


「違うよ。私の使命は守護者であることだよ」


 諭すような響きに、堪忍袋の緒が切れた。

 二度寝しようと寝転がる姉さまの顔面目がけ、ムチを思い切り振り下ろす。


 小気味良い破裂音が響く。驚いた姉さまが飛び起きた。その顔をもう何発か打ち据えて、私は怒り心頭のままムチの柄を握りしめた。


「いい加減にして! もう七草家の当主はわたくし。つまりこの霊峰で結界を守り続けるたっといお役目もわたくしのもの。何度言えばその麹菌こうじきんの湧いた脳味噌は理解するの? 姉さまはお役御免なのよ。良い嫁ぎ先を見つけるために花嫁修業を積むことこそ、今の姉さまに必要なことなの。それが不格好な姉さまにとって最良の道よ」


「……私に可愛い妹と争う気はないよ。でもその意見には賛同しかねるかな」


「なっ、何を」


 俯いた姉さまの口元がふっと笑って、私の横をすり抜けた。


「ちょっと──」


「ちゃんと戻って縫い物してみるから安心して。午後から大切なお客様でしょ。成親なりちか青瓢箪あおびょうたんだけど悪い奴じゃない。支えてやってよ。私の事なんかより、どうかそっちに注力なさいませ奥様」



    ★  □



 使用人達に指示を出しながら、わたくしは深くため息をついた。姉さまがまた何かやらかさないかばかり考えてしまう。このままじゃ作業効率が最悪だ。


「暗い顔をして、どうしたんだい撫子なでしこ


 頼りなさげな低い声に振り向くと、そこには家紋の入った羽織りを着た旦那様がいた。


青瓢箪なりちかさま……」


「ひどい罵倒が透けて見えた気がしたけど気のせいってことにするね。予定より遅いけど、そろそろ秋宮あきのみや家の御当主が到着なさるだろう。彼は僕の新しい上司だ。間違っても失礼の無いよう用意しないと。あぁ、向こうの準備は済ませたよ。残りも僕に任せなさい。撫子は尾花の様子を見に行きたいのだろう?」


「なっ、そういうわけでは──」


「誤魔化しても駄目だよ。顔に書いてある。僕なんかの“目”でも分かるくらい湧き出てるよ」


 ぬぐっ。図星を突かれて苦い顔になってしまう。意識して感情の波を押さえ、霊力が体外に漏れるのを抑える。深呼吸を繰り返すといつもの冷静さが戻ってきた。そんなわたくしを見て旦那様が苦笑する。


「また罪悪感と戦ってたの? 君は間違ってないさ。尾花と僕とじゃ釣り合わない。尾花はこの家を出たほうが幸せだ。……ごめんね。父が融資の条件を僕の婿入りにしなければ、もっと他の道もあったのに」


 共に姉さまのいる離れへ向かいながら、わたくしはかぶりを振った。


「いいえ。貴方と結婚したのはわたくしの意思です。責められるべきはわたくしです」


「僕らは共犯だ。嫌われるなら一緒にだよ」


「成親様は元からそんなに好かれておりませんから落差なんて飛び石程度でしょう」


「ちっさい段差で転んで骨折る人種もこの世にいるって頭の片隅にでも入れておいてね。例えば僕とかね……」


 成親様は目頭を押さえてぼそぼそ何事か唸っている。何でしょう、もっと腹から声を出していただけないかしら。丸まった情けない肩を叩くと旦那様はため息一つで背筋を伸ばした。立ち直りが早いのはこの人の美徳だ。


「さっ、準備を続けよう。秋宮家の新当主様は霊力の高い娘を嫁に探していると聞く。今日の訪問も地方での慰労なんて建前で、本題はそっちだろう。十中八九七草家の娘──尾花目当てだろうね」


「……その新当主というのは、優れたお方なのでしょうか」


「秋宮家は討妖とうよう四代名家の一つだ。ご逝去なされた先代の跡を継いだ現当主、白焔はくえん様はすでに皇都こうとで名高い討妖とうよう白虎びゃっこ隊の指揮官を担っておいでだ。自ら前線で力を振るうその姿は悪鬼羅刹の如く、もはや化け物じゃないかと僕の統括する地方分隊でも噂だよ。……本当に尾花と引き合わせるの?」


「当然。化け物上等ですよ旦那様。家柄、実力共に不足なしとくれば、姉さまの片付け先にはうってつけではありませんか。何より──」


 言いかけて、目前の離れの壁が吹き飛んだ。爆風が廊下を駆け抜けて夫婦共々たたらを踏む。


 土煙の向こうにいる犯人と目が合うと、下手人は露骨にやべぇって顔で目を泳がせた。


「姉さま?」


「撫ちゃん……いやぁ、これはその、針に糸を通そうとしたんだけどね、上手くいかなくってりきんでるうちに……」


鎌鼬かまいたちを起こしたと?」


「わざとじゃないんだよぉ、撫ちゃん許して、ちゃんと片付けるからぁ」


 涙目になってしまった姉さま。この顔を見るのは初めてじゃない。


 目をつむればここ数か月の記憶が鮮やかに甦るわ。


 成親様の婚約者に取って代わってから、わたくしは姉さまに嫁入り修行を付け始めた。簡単にでも水仕事をできるようになれば嫁の貰い手が広がると思ったから。


 けれど何を教えても、わたくしの思い通りになった試しがないわ。


 手始めに風呂を沸かさせたら湯がマグマと化していた。いったい何をどうすればあんな有様に?


 箒を持たせれば石畳を削り、雑巾がけをやらせれば鰹節のように床板を削り、おかげで屋敷中の段差が少し低くなって旦那様がつまずく確率が減ったわ。ノミもカンナも渡した覚えはないというのに大工仕事しやがったわこのひと。匠の仕業としか思えない。


 果ては洗濯させれば滝が、包丁を握らせれば谷が産まれた。誰も地形を変えろなんて言ってない。


 手を変え品を変え姉さまに花嫁修業をつけ続け、わたくしはある結論に達したの。


 わたくしは顔を真っ青にしている旦那様を見上げた。


「古来よりの様式美ですわ成親様。──化けもんには化けもんあてがうんですのよ」


 両の拳をぶつけて宣言するのを、姉さまがとぼけた顔で不思議そうに首をかしげた。



   ★      ■



「この度のご歓待、誠に痛み入る。さすが最も古き誓約の一つ、七草家だ。俺もすめらぎの膝元を守る一人として、御当主の聡明さを見習わねばならんな」


 夕餉の途中で、白髪の男が畳に拳を付いて頭を下げた。

 秋宮侯爵家当主、秋宮あきのみや白焔はくえん様、御年二十二歳。噂よりも闊達かったつとしたお人柄で、厳しさの中にも豪快な熱を秘めた笑みを見せる人だった。


 顔は悪くない。食事を見るに礼儀作法も身についている。少々キザな言動が鼻につくけど、感じ取れる霊力の強さはなかなかだ。


 これは……期待できるのでは?


 旦那様の部下と討妖呪具の話題で盛り上がり出した彼を眺めつつ、わたくしは旦那様へ耳打ちした。


「これならギリギリ姉さまと釣り合うかもしれませんわ旦那様」


「撫子が認めたならいいけど。それで……どう尾花と引き会わせるのさ。第一印象って大事だよ?」


「そこは平気でしょう。姉さまはガワ以外はほぼ怪物ですけど、外見だけは本当に薄幸の美少女ですから」


「でも尾花は色んな意味で誤解されやすい子だから、すぐボロが出るかも」


「手っ取り早く浴場にぶち込みます?」


「欲情させれば早いってか。倫理観どこ置いてきたのさ落ち着け。尾花のことになると段階ふっ飛ばすの控えて──って、あれ? 白焔はくえん様は?」


 旦那様が辺りを見渡す。確かにお客人の姿がない。わたくし達の困惑に気づいて、部下の一人が山盛りの茶碗を降ろした。


「秋宮様ならかわやに行かれましたよ」


「案内も付けずにか?」


 旦那様が震え声で尋ねると、駄目でしたかねと部下が眉根を下げた。



   ☆    ■



 清廉で研ぎ澄まされた霊力を追って、屋敷の裏へ回る。

 俺はようやく目当ての貴人を見つけ出した。


「お前が七草ななくさ尾花おばなだな」


 物置同然に建てられた粗末なあばら家の横、爆発四散したみたいに散らばったまきを拾い集める小柄な女。この家の女主人とは比べるべくもない粗末な使用人の衣服を着せられているが、その可憐さに目を奪われる。とはいえあの細身は……当主からの冷遇によるものだろう。


「貧相な身体だ。ろくな食事が与えられていないと見える。だと言うのにこの霊力……。これほどの女が当主の座を追われたどころか母屋まで追い出されていようとは」


 近づいて呼びかける俺を、無垢な目が見上げた。


「これでも一食に玄米四合と味噌みそ焼きおにぎりと大量の野菜炒めを食べてるよ。今はお山の霊脈の林のかげの、立派なお屋敷の離れにいて、静かに暮らしてる」


「何故だか分からないが不思議と良く見聞きし分かりそして忘れない女に思えてくる……」


「今は離れを吹き抜けにしちゃったから避難中」


「ふきぬけ?」


 何かの隠語か? ……いや待て。この女、いま一食に玄米四合と言ったか? 馬鹿な。こんな細身にその量が収まるわけがない。なんか全体的に聞き間違いか、もしくは栄養不足で幻覚が見えているのだろう。哀れな。


「まあいい。七草尾花、お前を俺の嫁にしてやろう」


 手を差し伸べてやると、尾花はなぜか持っていたおのをポンと乗せてきた。は? おもっ。


「あなた、撫ちゃ──奥様達のお客様? 新進気鋭の討妖とうよう白虎びゃっこ隊の指揮官ってあなたのことだったんだ」


「こんな山林の中でも知られていたか。話が早くて助かる」


 俺は斧をあばら家に立て掛けて、詳しい話に入ろうとその柱に寄りかかっ──


「む、なぜ視界がななめに? お、ぉぉああああああああ!?」


 身体が傾いて、そのままあばら家が崩壊した。倒れた身に落ちてくる超質量を必死に霊術で弾く。


「とうとう崩れちゃったか。薪割りの衝撃波が致命打だったかな……」


 女が何か言っているが、屋根の下敷きにされかけた俺は瓦礫から這い出るのに手いっぱいだった。


「生きてる?」


「ふんっ、当然だ」


 埃を払って髪を掻き上げる。正直冷や汗を掻いたが、口説き落とさねばならない女の手前、余裕の表情でむしろ彼女を擁護ようごしてやった。


「こんな倒壊寸前の建築物とも呼べない納屋なやに姉を住まわせるとは。噂通りらしいな。使用人たちに聞いた。お前は自分から当主の座を奪った異父妹に虐げられているのだろう」


「られてないよ」


「あくまで妹を庇うか。虚偽はやめよ。鞭打たれる姿を見た者が居る」


「あれで私にはデコピン相当だから。それにどうして嫁がどうのの話に繋がるのかな」


「隠すな。お前の元婚約者からすでに探りを入れられている。良いように言葉を選んでいたが、ようは厄介払いがしたいのだろう。当主より素養のある身内など争いの種にしかならないからな。俺も丁度、手ごろな女を探していたところだ。こんな田舎で腐っていくよりも、皇都で華やかに新しい人生を始めてみないか?」


「興味ないよ」


「俺をそでにするのは、お役目のためか」


 鋭く切り込むと、尾花が無言で見つめ返してくる。じっと観察するような視線だ。真剣な瞳は俺にいったい何を訴えかけようというのか。


 七草家はすめらぎの勅令により霊峰の守護を担っている。正確には、そこに封じられた存在の、だが。

 七草家の女は代々、強力な霊力を宿して生まれてくるという。それもそのはずだ。この家は霊力に優れた者を婿取りして永らえている。お役目を途切れさせないためだ。


 しかし今回の当主の婚約者は、先々代の放蕩ほうとうのツケのために決められていた、商家崩れの男爵だったらしい。一目見て成親の底は知れた。奴程度の霊力では、七草の女とは逆立ちで登山をしたって釣り合わない。


 特にこの、歴代でも類を見ないほど高濃度の霊力を持って生まれた七草ななくさ尾花おばなとは。


 その点で言えば、姉に代わって成親の妻に収まった七草ななくさ撫子なでしこの行動は正しいと言える。動機はどうせ姉への劣等感とかだろうが。俺にとっては好都合だ。


 予想はしていたが、どうやら尾花は下女のような扱いに落とされてなお、この地を守ろうとしているようだ。きっと妹の実力に不安を持っているのだろう。


「では、お前を縛るモノが無くなればどうだ」


 キメ顔で指を鳴らす。

 瞬間、結界の奥から響いた地鳴りに、女が身を反転させた。



    ☆ ★



 お山のほうから響いた地鳴りにわたくしは駆けだした。遠く後方で成親様が何か叫んだ気がすけどもう届かない。


 ムチに霊力を込めて森の様子を見渡す。熊どころか小鳥の姿もない。間違いない、七草の結界が破られている。


 わたくしは急停止し、空に向かって思い切り怒鳴り声を上げた。


「尾花姉さま! あんたまたやらかしましたわね!?」


「今回は濡れ衣だよ!!」


 案の定、姉さまが木の上から逆さに現れた。表情を見て、本当に無関係らしいと直感する。


 降り立った姉さまと並ぶ。霊域全体に行き渡るように自分の霊感を広げた。一人では届かない場所にも、姉さまの霊力が呼び水となってくれるおかげでわたくしの実力以上の術が行使可能だ。


「状況は」


「最悪。今朝から森の様子がおかしいと思ってたんだ。見回りした範囲に異常がなかったから油断してた」


「朝のあれはそういうこと。だったらわたくしに一言伝えなさい! ほうれんそう!」


「おひたしが最・高!」


「お馬鹿!」


 叱責の響く姉さまではない。思わず放った霊力に震えたのは姉さまではなく、ようやくわたくしたちに追いついた真犯人だった。


 霊圧にたたらを踏んだ男を振り返って冷ややかな視線を浴びせる。


「貴方が犯人ですね、秋宮あきのみや白焔はくえん様。いったいどういう神経をしていれば他人よその縄張りでこんな愚行を犯せますの?」


 問うと、白焔様はキザに髪を掻き上げて微笑んだ。


「知れたこと。くだらないお役目に縛られている彼女を解放するためだ。なに、君達はそこで見ているといい。この地に封じられた荒魂、この俺が見事打ち破ってみせよう。あれがなければ、もうこの地を誰かが守護する意味もなくなる」


「呆れた。自信家も過ぎればとんだれ者ね」


「俺の実力を知らぬから叩ける軽口だ。伊達に仲間から化け物と呼ばれていない。そら御霊が出て来るぞ。退いていろ」


 男はわざわざわたくし達の間を押し通ろうとする。その肩を掴み、一瞬で地に引き倒した。


「なっ、何故なぜ地面が目の前に!?」


 突然のことに状況を理解できていない彼の背を踏みつけにしてやる。


「七草の女を甘く見すぎですわ。確かにわたくしは姉さまと比べるべくもない凡才。けれどわたくし、これでも七草の当主ですの。七草の平凡は他所よそ偉才いさい。貴方ごときに遅れを取るわたくしではありません」


 姉さまが満面の笑みで差し出してきた霊糸で白焔様の手足を縛り上げる。姉さま、こういう雑で頑丈な工作は得意なのよね。


「お、俺にこんな真似をして! すめらぎも恐れる御霊を女だけでしずめられるとでも思っているのか!」


「こちらの台詞ですわ白焔様。身の程知らずはそこで寝ていらっしゃい。こんなの姉さまと共に育ったわたくしにとっては、たかが日常茶飯事ですの」


 侮蔑の視線を打ち切るのと、荒魂が顕現するのは同時だった。



   ☆★



「ちょっと強がったね撫ちゃん」


 共に森を駆けながら姉さまが笑う。


「日常茶飯事は言い過ぎたね。言っても年中行事くらいでしょ」


「姉さまあなた、もっと自分のやらかしを認識して」


 確かにこれだけの大事は年に数回ぽっちですけれど。


 わたくしはまだ遠い巨人を見上げてため息をついた。


 半透明の歪んだ像。そこに何かが居るのは確かなのに、どれだけ目を凝らしてもその姿を認識することはできない。


 だが霊力のある者ならすぐ分かる。その存在が威圧だけで人を絶命せしめる力を持つと。


 白焔はくえん様なんて口をあんぐり開けて目を剥いていましたもの。都会のおぼっちゃまには刺激が強すぎたみたい。


 あげく「何が荒魂か。もはや神ではないか……」なんて頓珍漢とんちんかんなことを言うものだから置いてきてしまったわ。


 確かに、国生みの二神を引き合いに出さずとも神とは元来、大きな姿をしているものよ。それが古神であれば古神であるほどその身は自然と大きくなる。


 けど、目の前のアレは純粋な神と比べればあまりに矮小だ。


 アレはかつて、悪霊となりて当時のすめらぎを呪い殺さんとした貴人。

 恨みのみで神に近かりし存在へと至った者。それがあの正体。


 信仰の力を削ぎ落すために名を封じられ、その存在も歴史書からは消されているのだけど。


 もはや生物としての意思はなく、すめらぎへの害意のみで自立するカラクリのようなもの。


 ちなみに姉さまはアレをポっちゃんと呼んでいる。


「姉さま、ふと思ったのですけど、ポっちゃん呼びに意味はあるの?」


「だって、お腹の辺りがぽっちゃりしてるでしょう?」


「…………」


 してる……かな? して……いやどうだろう。なんたって熱気が景色を歪めて作る陽炎かげろうのような姿だ。輪郭りんかくなんて見えないし。そもそもお腹、何処どこ


「もうすぐ足元です姉さま。ご準備を」


「任せて撫ちゃん」


 花がほころぶように儚げに微笑む──ように見えてるだけで、これで姉さまは高揚して楽しんでいる。


 姉さまの霊力は膨大過ぎて、人間やあやかし相手にちまちま術を使うのに向いていない。


 ではどうするか。

 簡単だ。ぶっ放す。


 とはいえただぶっ放すだけではお上品とは呼べないわ。


 姉さまがわたくしを横抱きにして空高く飛ぶ。あっという間に推定ポっちゃんの頭上まで飛び上がり、二人で構えた。


「行くよ撫ちゃん!」


「ええ姉さま!」


 姉さまがわたくしに膨大な霊力を注ぎ込む。わたくしがそれを丁寧に加工し、繊細な術式へと組み上げていく。


 昔から続けてきた分担作業。これにはポっちゃんだってひとたまりもない。


「邪気祓い 咲きたる闇の万災ばんさいを 清めすすげよ これぞ七草!」


 腕を伸ばす。寄り添う姉さまの指がわたくしの指に絡む。共に手のひらを重ね合わせ、編みあがった超高密度霊術結界砲の照準を合わせる。


 放出は一瞬。


 空気が震え、地が鳴った。



   ☆★



 術式の余波で森は台風一過の有様だ。

 ポっちゃんが出現した場所はもちろん、その周辺も更地になっている。

 とはいえ、対応が早かったから被害は最小限に抑えられたと言える。野生動物達は避難していたし、屋敷の防衛くらいは成親様にもできるもの。……出来たわよね?


 祠の封印をかけなおし、わたくしはなぎ倒された大木に姉さまを座らせた。


「姉さま、またポっちゃんの霊圧を一人で引き受けたわね? わたくしがあれくらい受け止められないとでも? 舐め腐ってますの?」


 お説教しながら手早く姉さまの足にできた擦過傷を治療した。血を拭って清めたあと、丁寧に包帯を巻いていく。この人は怪我をしても放置してしまうから、わたくしが気をつけなくちゃならない。


「私がいくら怪我したって、撫ちゃんの綺麗な肌が傷付くよりずっといいよ」


「嫁入り前の乙女が何言ってますの」


「お嫁になんか行かないよ」


「またそんなことを……って、白焔はくえん様を忘れてましたわ。縛り上げられてたら普通は逃げられないのを失念してました。やっちまいましたわね。この中でご無事でしょうか」


「あぁ、今更な心配をしてくれたものだな」


「その気障キザったらしい声は白焔はくえん様! どうやってここまで──」


 振り向いたそこには熊に抱きかかえられた白焔はくえん様がいた。


「クマ左衛門ざえもん!? お前が彼を助けたのね、よくやったわ!」


 褒めてやるとクマ左衛門ざえもん白焔はくえん様を放り捨てる。

 わたくしは縛られたままの彼の前に膝をついた。


白焔はくえん様。こんな愚行を犯す軽率さを見込んでお願いがあります。どうか姉さまを皇都こうとへ連れ出してくれませんか?」


「な、なにを」


「御覧になりましたでしょう。姉さまの才はこんな狭い片田舎に収まるものじゃありません。姉さまにはもっと相応しい活躍の場があるのです。今のままではあまりに、役不足が過ぎますもの」


 ずっと考えていたことだ。


「この地に骨を埋めるのはわたくし程度の女で十分だわ」


 姉さまは七草の狭い領地に縛り付けられていい人材じゃない。もっとその力を存分に発揮できる居場所があるはずだ。


 わたくしの打診に、しかし白焔はくえん様は苦々しい表情だ。


「先の戦いを見てはっきり分かった。俺にその女は荷が重い。嫁は他でほどほどの女を探す」


「当然です。もはや貴方様に姉さまを嫁にやるつもりはありませんわ。ただ皇都こうとでの口利きを頼んでいるだけです。姉さまに相応しいのは、姉さまに勝るとも劣らない実力を持ち、姉さまの突拍子もない言動にも対処できて、その身をお支えでき、かつ対等でいられるおかたです」


 多少の妥協は認めるにしても、最低限これくらいでなくては。天下の皇都になら、探せばきっといるはずよ。

 当然のことを言ったまでなのに、白焔はくえん様は何とも言えない神妙な顔つきでわたくしを見上げた。


「そんなもの、お前の他にいるものか」


「は?」


 クマ左衛門ざえもんまで頷くものだから、思わず姉さまを振り返る。

 姉さまが愛おしむような目でわたくしを見返した。


「だから言ってるでしょ。私は撫ちゃんの守護者。私の居場所は今までもこれからも、撫ちゃんの隣だけなんだから」


「なっ……」


 な、何を言ってるのこの人は!?


「撫ちゃん顔真っ赤。可愛いねぇ」


「う、うるさい! わたくしは屋敷に戻ります!」


 言うや否やわたくしは速足にその場を立ち去った。逃げとかじゃない。くだらない戯言に付き合うほどわたくしは暇じゃないんだもの。


 そうよ戯言よ。……わたくしが姉さまに相応しい? そんなの、そんなわけ、でも。


「あぁもうっ、姉さまなんて一生とっちらかっていればいいんですわよ!!」



    ☆       ■



「じゃあ白焔はくえん様、私も行くね。お嫁さん探し頑張って」


「おい待て、ほどいて行かないか! せめてこの熊について説明をくれ!」


「クマ左衛門ざえもんメスだよ」


「だから何だ!?」


 その後どうにか自力で皇都こうとへ戻った討妖白虎隊の指揮官は、七草家についてこう語り広めた。


「ふんっ、あの化け物姉妹と釣り合う者などいるものか。あいつらにはあの片田舎がお似合いだ。というか絶対に出てくるなよ! 絶対だからな!?」


 見事なフラグであったという。


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