相反ポゼッション

氷雨ユータ

いつまでも

 混沌とした喧騒が俺を待っている。

 この小さな田舎町を賑やかす数少ないショッピングモール。その一角に構えられたゲームセンターこそ四十万若南にとっての戦場だった。学校で浮いてしまったのは何故だったか、一々そんな理由を探す暇もなければ、特定も出来ない。勉強さえ最低限出来ればそれでいいという両親の教えはしっかりと守っている。本当に最低限、学校で問題にならない程度。

 だがそれだと駄目なんだ。みんな表向きは平等を語っているけど、確実にクラスカーストは存在する。全員が全員同じように振舞われるとは限らない。そう、俺は正にその最下層。別にイジメを受けている訳じゃない。そんな、特別な人生じゃない。


 ただ仲良しな男女もいなくて、先生に好かれてるでもなくて、関わる必要があったら話しかけられるが、それ以外はほんのりと嫌われているような。


 安定して無視されているような、そんな感覚。


 部活に入るのは面倒で、適当に理由をつけてやめた。学校は勉強が本分だから、部活動に入ると成績が落ちて赤点行くかもと言ったら先生も納得した。だから俺は毎日ここに行く、ここなら俺にも居場所はあると思ったから。

 今日日アーケードゲームなんてと思うかもしれないが、ここは田舎だ。田舎なりに拘りを持った人間が年齢を問わず集まってくる。気の合う奴らが趣味だけで統合する。俺はそういう繋がりが欲しかった。ゲームの腕には覚えがある。時に人外魔境とも呼ばれる場所に飛び込むのは勇気が要るが、こうでもしないと自分が変われないような気がした。


 ―――緊張するな。


 最初から友達が居なかった訳じゃない。友達は、作るとか作らないとかではなくて、気づいたらなっていた。それが小学生時代の話。いつからそんな風に一々工程を挟むようになったかも覚えていない。礼儀? 年齢? それとも……自信?

 昔からの友達とは学校を離れ離れになって疎遠になってしまった。会おうと思えば会えるかもしれないが、そんな特別会いに行こうとしたらうざい奴みたいで行こうとする気概が湧いてこない。俺の動機なんてややっこしい事情を挟まなくても友達が欲しいだけなのに、ただそれだけの理由を説明する為に色んな建前ばっかり用意して自分はとてつもない事をやろうとしているように錯覚する。

「…………」

 ゲームセンターと一口に言っても界隈が違う。やるゲームが違えばコミュニティも変わってくる。そこには同じゲームが好きという点くらいしかなく、だからこそ仲良くなれると思っていたが、いざ遠巻きに見ていると段々それすら曖昧になってきた。


「はあ!? コイツマジでいいっても~! ありえねー!」

「くだらねーよマジで」

「あっはっはっはっは!」


 腕に覚えのあるゲームと言っても、その、別に治安の悪いゲームをしたい訳じゃない。単純に楽しく遊びたいだけだ。友達が家に来てゲームをするような感覚で緩やかに。好きじゃないゲームで無理やりそれをやっても温度感までは合わせられないから行くしかないのだが……まだ高校生の自分にとっては随分怖い人間の集まりで。


 色々考えた結果、暫く様子を見ようという結論が頭の中ではじき出された。


 隣にはクレーンゲームコーナーがあり、そちらは随分平和だ。罵詈雑言を吐き散らしながらプレイする人間も中々いない。ここには子供連れも来るし、流石のプレイヤー側も弁えているか、もしくは店員がきっちり線引きしているのか。風の噂では治安の悪いコミュニティは奥に筐体を追いやるらしく、俺の入りたい場所はその噂の例に漏れない。だがクレーンゲームの奥からは様子くらい窺える。ここから何日か観察して空気感を覚えてから入るべきだ。昔の掲示板でもそのように言われたし、新参の自覚があるならそうするべきなのである。

 勿論ゲームもプレイしないで向こうを見ているなんて怪しさ極まるのでちゃんとクレーンゲームはプレイする。恥ずかしいから表立っては言わないだけでぬいぐるみは好きだ。拘りを言うなら特定のキャラクターというより良く分からない犬や猫みたいなぬいぐるみがかなり好き。

 別にそれと相関関係がある訳じゃないが、大抵のゲームと言える物ならそれなりに出来る才能は自分に取って誇りだ。クレーンゲームは腕前以上にアームの強さや欲しい物の位置角度が大事だったりするけど、大した問題じゃない。アームが弱くても弱いなりに取る方法はある。余程巨大で重量のある景品だったら別だが。

「………………」

 様子見の料金だと思ってわざと見当違いの方向にアームを動かす。今は景品が欲しいんじゃなくて観察をしたい。その為に不意にするお金はもったいないのではなく勇気の投資と言うのだ。





「あ~! もう、また取れなかった~!」





 隣の台で、崩れ落ちるような音と共に女性の独り言が聞こえた。声に釣られて振り返ると、うちの学校の制服を着た女子がクレーンゲームに張り付いている所だった。ウェーブのかかった髪からピアスと♡のイヤリングのついた耳が見えている。同じ制服だけど、正直見覚えはない。違うクラスだと思う。中学校は殆ど小学校か連続で上がってきたような物で知り合いばかりだったから学級が違っても顔と名前は一致していたが、高校はそうもいかない。知らない人が沢山いる。二年生からも今度は選択で更に細分化されるというではないか。

 腰にブレザーを撒いていると腰のくびれもハッキリと捉えられる。うん、こんなスタイルのいい女子はクラスに居ない。うちのクラスはどちらかろいうと気が強い女子が多いからこんなゲームなんかに一々嘆くなら怒って帰る筈だ……偏見だけど。

「あ~! ごめんよ茶犬~。私じゃ取れないんだぁぁぁ……!」

「……」

 諦めたような素振りをしつつ、挑戦は諦めないらしい。だけど根本的にクレーンゲームのアームを信じすぎている。ちょっと引っかかったら絶対取れるなんて、それはどんな鋼鉄だ。

「頑張れ! 君なら絶対出来る! 落とすな! 何回もやって腕が痛いのか! 一回! 一回だけ………ああ~」

 独り言なんて普段言う性質でなくとも、熱が入ると喋ってしまう人間はいる。俺は正にそのタイプだ。アームに個人を見出しているくらいのめりこんでいるなら、スポーツの応援をしているような物だ。


 ―――でもちょっと可哀想だよな。


 イカれた挙動のにCPUに声を荒げて怒る身としては理解したいが、それと周囲が彼女をどう思うかは別の話だ。知らない人間だったら無視したけど、同じ学校のよしみとして手を貸した方が良いように思う。

「ねえ、ちょっと」

「……ん?」

 どう声を掛けていいか分からなかったので不審者みたいに手を伸ばしてしまった。彼女も一瞬警戒を見せたが、同じ制服を見てすぐに表情を柔らかく崩した。

「何? ていうか誰? もしかしてここで遊びたいの? うう……そうだよね。私が下手だから他に迷惑かかっちゃうんだもんね。はい……大人しく譲ります……」

「いや、そうじゃなくて。何が取りたいの? その茶色い犬?」

「へ……?」

 中を見渡した所、茶色い犬は一体しかいない。独り言を言ってくれて助かった。あまり長いコミュニケーションは苦手で……段々頭がパニックになるから。三百円を入れてアームを起動。コツはアームに引っかけるのではなく、アームが引っかかるようにする事。この配置なら同じようで全然違う。掴む力は均一であり、それで失敗する自分こそが愚かという考えこそ幻想だ。

「…………え! すごっ」

「押したら落ちるかもだから、触らない方が良いよ」

 この程度なら簡単だ。一発で犬を取った後は適当に他の犬も取って、全部彼女に押し付ける

「はい、あげるよ」

「え、え、え!? ほんとに!? ほんとにいいのっ?」

「あんまり見かねただけだから……じゃ、俺はこれで」

 自意識過剰と言われても構わない、人助けをすると目立ってしまう。今日の所は観察も終わりにして大人しく家路につこう、そうしよう。コーナーの出口に向かって歩いていると、背中から俺を通り越して先の女子が回り込んできた。ぬいぐるみを抱えて。

「君、名前はっ」

「え…………? 四十万若南、だけど」

「シトマワカナ? うん、覚えやすくていい名前。四十万君、いつもここに来るの? クラスどこ? ぬいぐるみ好き?」

 ずい、ずい、ずい、ずずいのずい。

 帰ろうと思ったらコーナー側に追いやられてしまった。顔が近い、距離が近い、いい匂いがするけど、その匂いに意識を取られるのが変態みたいでやるせない!

「いや、あの、えっと。近い…………近いんだけど」

「あ、ごめん。私ったらつい興奮しちゃって……あはは。でもこれが欲しくて五千円くらい入れちゃったんだよね。だから、ありがと!」

 ニシシ、と綺麗な歯を限界まで見せて笑う彼女に、見惚れてしまう。笑い方一つとっても俺とは違う世界の人間だと良く分かった。俺なんて、煩いって言われるだけなのに。根明はこれだから何かと得をする。彼女が親切をしたらお礼を言われるが、自分が親切をしたら余計なお世話と場合によっては煙たがられる。

「い、いいって……気にしないで。助けたくなっただけだから」

「私、姫呑涙未(ひめのなみ)て言うんだっ。クラスはDだけど、四十万君は何処? 同級生でしょ? 

先輩って気配があまりしないし」

「B……」

「B! そっか、じゃあ今度顔出すねっ。あ、連絡先交換しよ? アカウント持ってる?」

「い、あ、え、よ……」

 最早言葉を発する隙もなく、ただ流されるままに連絡先を好感してしまった。昔からの友達を除けば、初めての。しかも何故か根明の女子。こんな事をするからには俺の事を好きに違いないなんて、そう思う人間もいるだろうが俺は違う。陽気な奴らにとってこれはコミュニケーションに過ぎない。幾ら可愛いからって騙されるな。彼女にそんなつもりはないのだ。本当に。

「やったー! 四十万君のアカウントゲットっ。ふふふ、あ、そうだ。まだ時間ある? 時間あるならもっとゲームして遊ぼっ。もぐら叩きとかあるし!」

「も、もぐら叩きって……ま、まあいいか。景品ないけど、それでもやる……?」

「景品はもういいの、この子取ってくれたじゃん。私はただ四十万君と遊びたいだけ!」

「…………」

 煌びやかなネイルの塗られた手を見て、そんな手で大丈夫かと疑問に思ったのを飲み込んだ。理性とか空気が読めないだろうと察したからでもない。すべすべの手に自分の手が握られているのに釘付けになってしまって、気づいたらモグラ叩きの場所まで連れられていただけだ。

「じゃあ、最初私ねっ」

 モグラ叩きは単純なゲームなので反射神経以外に争う要素はない。とにかく反応が早ければスコアも高くなるというルールだ。姫呑は浅くハンマーを握って精一杯叩こうとしているが、クレーンゲームも微妙ならこちらも得意とは言い難く、どうもゲームを習慣的にプレイしていて体に動きが染みついている熟練度はなさそうだ。モグラの動きについてこれていない。モグラが頭を完全に出してから動こうとしている……訳ではないかもしれないが、自分が彼女の動きを再現しようと思ったらそれくらいやらないと出ないくらいの遅さである。




 でも、楽しそうだ。




「あー! 違う! 待って! 違うからこれ! 早いって!」

 ゲームの上手さよりもずっと大事な事は、楽しむ事。ゲームが上手くても楽しさを感じられなかったら駄目だ。退屈はこの世の何よりも毒で、だから俺は勉強が好きじゃない。昔は自分も楽しさだけを追求していたような。いつから上手さばかり求めるようになったんだっけ。それは、もっと楽しくなりたいからじゃなかったっけ。

「もう……早いよこの子達~。次は四十万君の番ね。お手本見~せて!」

「そんなこの道究めましたって程じゃないけどね……」

 ただスコア84くらいは簡単に超えられるだろう。モグラの速度は制限時間が少なくなるにつれて早くなるが問題ない。これくらいなら、見てからでも反応出来る。穴の位置が唐突に変わるような事もないから、何なら余所見も可能だ。

 スコアは120。パーフェクト。

「やっぱり凄いっ。コツとかあるの?」

「コツとかないけど……って何してるの?」

「え、自撮りっ。いえーいぴーすぴーす! 四十万君とゲームセンターで遊んでまーす!」

 

 パシャッ。


 カメラの具合を確認して姫呑はふやけたような笑顔を浮かべてフォルダを確認している。流石にこっちは反応出来なくて、何ともまあ間抜けな男が棒立ちで映っている。これで……写真映えはいいのだろうか。

「ねえ、目的の物は獲ったんだから帰った方がいいんじゃないの?」

「なーに言ってんの、ゲームセンターはゲームをする所だよ。茶犬が取れなかったらそれもアリだったけど四十万君が取ってくれたし、だったらもう遊ぶでしょっ? 次はエアホッケーでもやる?」

「お、俺達今日知り合ったばかりだと思うんだけど!」

「そうだね、だからこそ、四十万君ともっと仲良くなりたいの! ゲーム好きなんでしょ? 私も結構好きなの。下手っぴだけど、好きなものは好き! 質問終わった? じゃあそっち行って! 行くぞ~ッ」

 嵐のような返答に終始ペースを握られる。俺も一言、帰りたいと言えば良かったのに、どうして最後まで姫呑に付き合ってしまったのかと全てが終わってから思った。



「はー、楽しかった!」



 もうすっかり日も暮れてモールの顔ぶれも変わりつつある。エスカレーター下のベンチで俺達はついさっき姫呑が奢ってくれたシェイクを飲んでいた。

「今日はありがと、四十万君。お金を喪うだけで終わる筈だったのに最高の一日になっちゃった!」

「いや、いいよ」

「?」

 ミニスカートを履いているのに足を組むなんて、警戒心がなさすぎると思わないのだろうか。気を遣って目線を逸らしているのに、何度も何度も『私はこっちだよー』と言われるので向かざるを得ない。こっちの苦労なんて知りもしないで、彼女はストロー加えながら首を傾げていた。

「ね、これからもちょくちょく遊ばない? ああいうのだけじゃなくて色んなゲームで遊んでみたいの」

「それは他の仲良しな女子とかに言った方が……」

「あんまりゲーム好きな子って居ないんだよねー。彼氏が好きで一緒にやってるって子は居るけどさ。でもあんまり人となりを知らない男子に教えてもらうってのも怖いじゃん?」

「お、俺は今日会ったばかりで……」

「うん。だから一緒に遊んだでしょ? 遊んだ結果、四十万君は信用出来る人って思ったの! ね、ね、お願い! 四十万君にしか頼めないんだよ~!」

「わ、分かった。分かったからそれ以上は……近いから」

「あ、ごめん! でもありがと♪ 朝の占いって正しかったみたい、こんな良い事があるなんて思わなかったのにね」

「あ、あんなの良い感じに作って占いっぽくしてるだけだよ。信用ならないって」

「そんな事ないよっ。今日さそり座の人は大吉で『運命の出会いをする』って言われたんだから!」





















 


 あんなにぐいぐい押されたのは生まれて初めての事で、心底住む世界の違う人間だと実感した。俺の事が好きかもしれない? 冗談じゃない。それは大きな勘違いだ。信用していいか悪いかを彼女は一緒に遊ぶ事で判断した。その、遊ぶという行為で一見心を許したように見せて俺の本性を探ったのだ。見かけに反した慎重ぶりには俺も内心驚いていた。

 その上で信用してくれたのは嬉しいが、その理由は分野がゲームにあったからだ。本来、ゲームをするのに性別も年齢も必要ない。相手が女子でも男子でも、はたまた全くの子供でも老人でも。俺とゲームをしたいというなら全力で応じる。好きこそものの上手なれば、好きな物には相手が誰であろうと純粋になれる。

 だから見惚れてはいたものの、下心は一切なかった。ただ流されるままにゲームに応じて勝っただけだ。そこには何の実感も湧いてこないし、ゲームに興味のある美人が自分を頼ってくれるなんて夢の中にでもいるようではないか。


「夜遅かったわね。勉強は? 居残りしてた訳じゃないんでしょ?」

「赤点取ってないんだからいいだろ。放っておいてよ」

「ぎりぎりを狙うなんて無理だぞー。多少落としてもいいように勉強はしておけよ。お前は何にも出来ないんだからなっ」


 そして間もなく、現実に引き戻される。四十万若南は何も出来ない。両親が鼻で笑ってしまうくらいには周知の事実として。

 自分の部屋に戻ると、ベッドに崩れこんでそのまま携帯を触る。勉強なんて誰がするか。両親の言いなりになるみたいで腹が立つ。それで少し躓いたらまた笑われて、多少成功してもこの程度じゃだめだと言うつもりなのだろう。小学校からそんな感じだ、高校生になっても何も変わらない。嫌いとまではいわないけど、出来る限り関わらないでほしい。赤点は取っていないのだから、それ以外は全て見逃してほしい。

「…………」

 中学で別れた友達にこんな悩みを相談しても仕方がない。解決出来ないのは分かっているし、ネガティブな話題は人間関係に傷をつけやすい。俺は優しいから、自分の悩みは自分で抱え込んで終わらせている。それが誰も傷つかない優しい最適解だ。


 ―――本当に優しいのか?


 優しいってなんだ?

 画面のスワイプと共に、そんな疑問も流される。何も考える必要はない。端末の液晶画面に広がる雑多な情報に処理を割いて何もかも空っぽにしてしまえばいい。いつもそうしている。枕の傍に置いてあった、子供の頃に勝ったぬいぐるみを抱きしめて顔を埋める。感情を見せるな、弱みを見せるな、両親に嗤われる。泣き虫は学校でイジめられる。

「………………」

 交換した連絡先の、個人グループのページ。何か書けば反応してくれるような、反応されなかったらどうしようとでも言いたいような。ただずっと見つめて、自分でも気づかない内に眠りにつこう。お風呂に入っていないので起きるのは多分深夜だ。そこで改めて入浴と就寝準備を整えて寝てしまおう。夕食はいつも友達付き合いで食べているという事になっている。俺の嘘なんて気づきもしない。


 ゲーム。


 ゲームの世界の住人なら、俺はそんなに苦しまなかったのに。






 ピコン。






『今日は楽しかったよー(*^▽^*) ありがと!!!!!!!』



「………………」

 画面が開きっぱなしだったので、既読はついてしまっている。スルーは多分、良くない。


『俺も楽しかったけど。本当に楽しかったかな』

『嘘って何!! 私嘘つかないって<`ヘ´>』


 間もなく送られてきた画像は俺が彼女に押し付けたぬいぐるみの数々。ちゃんと、寝室の窓枠に並べられている。他にも多くのぬいぐるみが要るが、これは全部自分で買ったらしい。


『いいな、その寝室』

『でしょでしょ!? 四十万君の寝室はどうなってるの!! みたい!』

『散らかってるからやだ』

『えー残念! ちょっと気になったのに』

 

 俺の事なんてどうか気にしないでほしい。面白みのある人間じゃない。仮にここが舞台なら、木の役でも演じていた方がいいくらい。


『ひめの。学校では俺に関わらない方が良いと思う。そっちに良くない事が起きるから』

『姫呑! 不幸の手紙なんて昔の話だよ!? 四十万君に何があるか分からないけど、私はそういうのぜんっぜん気にしないから(-ω-)/』

『いや気にするとか気にしないとかじゃなくて、学校でやいやい言われるかも』

『それじゃあ試してみよっか! 本当に不幸が起きるかどうか! 私は絶対そんな事ないと思うけど!』

 

 駄目だ話が通じない。人からの忠告を受け入れないなんてやめてほしい。傷つくのはどうせ俺だ。彼女はどうにかなるかもしれないが、俺は余計に攻撃される未来が見えている……学校にはゲームがないから、俺に何か見出したとしてもそれがないのに。


『こうしよう! 私に不幸があったら関わるのやめる! その代わりなかったら、また明日も遊ぼ!』

『何それ。絶対俺が勝つって』

『お、言ったね??? よーし、ゲームで負けた分勝負だ勝負!』


 どうしようもないし、しょうもない勝負が始まってしまった。でもどうせ俺が勝つ。彼女も、俺に関わった事を後悔する。そうに決まってる。






 

―――――――なんて、諦めにも似た勝利を確信していたのに。







「おっはよー! 四十万君!」

 クラスを教えたせいで、やっぱり彼女は来てしまった。今までクラスの無色透明な背景であった俺に煌びやかな姫呑涙未が尋ねてくる。それはちょっとした異常事態であり、離している間も視線が集中している事が分かった。刺すような目線は、実際身体を刺しているのではという程に鋭く、痛い。

「ちょっとー聞いてってばー!」

「いや、あの。目立ってるって……みんなが見てるから……」

「話してるのはわーたーしーっ。昼休みなんだし、私の話に集中してよ。周りとかどうでもいいじゃん!」

 無色透明の壁にこの日、絢爛豪華なペンキがぶちまけられた。彼女が帰った後の教室ではちらほらと俺に関係性を尋ねてくる声もあったが、あまり好意的な反応とは思えなかった。探りを入れる感じというか、女子は内緒話に留めている辺りある程度察しがついてしまう。

「おい四十万よお。お前いつからあんなかわ―――」

「やっほー! むっかえにきったぞぉ! 部活入ってないんだよね? 一緒にかーえろ!」

 放課後も彼女はやってきて、俺の背中を突き飛ばすように飛び込んできて強引に学校を後にしてしまった。今は絡まれそうになっていたので助かったが、ここまでアグレッシブなコミュニケーションに解答が見つからない。

「な、な、何!? 何だってんだ!? 流石にもう話す事なんてないだろ!」

「話す事なんて一々考えないっしょ。私達友達じゃんね? それよりほら、不幸なんて訪れなかったよ! 勝負は私の勝ちね! やり~いえーい!」

「あ、それはちょっと……審議だって! 俺と絡んで目立っただろ!?」

「私元々目立つしぃ~?」

 二本指で唇をニマっと広げつつ、姫呑はその場でターンを決めてくるりとポーズを決めて見せる。腰に巻いたブレザーがスカートと同じようにはためいて、さも踊り子のような軽やかさを演出する。クラスの女子を見て今更気づいたが、誰もネイルをしていなかった。これは、確かに目立つか。

「クラスに戻った後色々言われたろ!?」

「ぜーんぜん? 言っちゃあれだけど、四十万君って意外と自信家だったり~?」

「な、何でそうなるんだよ」

「自分の行動が一々話題になるって思ってるところとか、それっぽくない? でもあんなにゲーム上手いんだし、全然納得! 自信がある人っていいよね♪」

 遠巻きに自意識過剰と言われたみたいで顔から火が出そうだ。いや、何なら俺がこの場で火をつける。単なる羞恥心と思っていたその正体が傲慢な意識の表れだったなんて信じたくない! 謙虚に生きてきたつもりが、どうしてそんなモンスターに!

 頭を悩ませる自分の様子に彼女が楽しそうに笑っている。くそ、笑うな。そんな風にまた俺をバカに…………して、ない?

「自信があるのって…………いいのか?」

「え、良い事でしょ。何をするにも堂々としてる人って気持ちが良いよねー! ゲームをしてる四十万君とかそんな感じだったよ」

「…………ゲームだけだよ。俺は自分に自信なんて持ってない。姫呑が羨ましいくらいにさ」

「……それはどうして?」

 それとなく促されて、隣を歩く。誤解を解くチャンスかもしれない、これは。彼女みたいな生粋の根明が関わって良い人間じゃないと説明しないと、自分に関わるのがあまりに可哀想だ。目を直視するのは怖かったので、長い睫の辺りを見るようにして、話しだす。

「ほんと、ゲームだけでさ。テストもあんまり良くないし、親とも関係が……姫呑は気にしてないのかもしれないけど、気づいてはいたんじゃないのか? 周りが変な目線で見てたの」

「周りにどうみられるかと、私が何をしたいかは別の話だし?」

「……俺は話の合う奴がそんないないんだよ。ゲームの話は勿論出来るけど、ゲームの話しか出来ない奴と他の趣味もまあまあ合う奴なら当然そっちと話すよな。でもいつからか、自分から話しかけに行く方法が分かんなくなっちゃって―――あの日はゲームセンターで友達を作ろうとしたんだ。学校の外だろうと、一人は寂しいっていうか……」

「あ! それで私を助けてくれたんだっ」

「それは違う……単に同じ制服の子がゲームで困ってたから助けられるかなって。俺が友達になりたかったのは向こうのコーナーで格闘ゲームやってた人達で……え?」

 手を両手で握りしめられている。姫呑は目を輝かせながら更にぎゅっと包み込んだ。

「私もそうなの! 友達が欲しくて!」

「は、はあ!? バカ言うなよ! お前みたいな陽キャは絶対友達多いじゃないか!」

「連絡先はめっちゃ交換してるけど、でもみんな興味のある事しか聞いてくれないじゃん。私が欲しい友達は、楽しい事を全部共有してくれる人! 昨日も……あはは。少し恥ずかしいんだけど、友達に呆れられて帰られたばっかりみたいな~? ゲーセンは乗り気じゃなかったみたい」

「…………ま、まあクレーンゲームを一人でもいいからやりたいってのは相当な欲求というか、友達の方も折れないとは思ってなさそうな」

「自分に嘘を吐くのは悪い事だから、私は素直に生きようとしてる! 特に今したい事にはね! 今したい事は、四十万君と遊ぶ事っ! 四十万君もさ、ゲーセンで私と出会ったんだから友達作り成功じゃな~い? うふふ♪」

「…………羨ましいよその前向きさが。俺には全然、無理だ。自信とか明るさとか。そういうの全部」

「無理なんて言わないのっ。本当に無理なら私と遊ぶのもおかしいじゃん。四十万君がそんなに羨ましいなら、私が色々レクチャーしたげるよ。ゲームしてくれたお礼に」

「と……言うと?」



「明日って休日だよね? 四十万君、デートしよっか! あはは♪」

 











 








 時に。

 神様は一週間で世界を創ったとも言われるが、それなら俺の世界はこの一日で大きく変わってしまった。たった一日と言われたらそれまでだが、これまでの人生から無作為に一日間を抽出してもこれより衝撃的だった日はない。

 それくらい、姫呑との出会いは俺にとって決定的……いや、致命的だった。

「おっはよ~! 待った?」

「お、遅れるのが怖いから……早めに来ただけ」

 駅での待ち合わせは良かったが、大声で遠くから声をかけてくるもんだから目立つの何の。以前の俺なら恥ずかしさのあまり逃げようとしたかもしれない。そうしなかったのは何故だ。答えは実に単純で、俺も男性だったという事だ。

 姫呑のあまりの可愛さに見惚れて、逃げるという選択肢すら失われたのである。

 サイドオフショルダーの白いトップスは季節柄生地が薄く、中の黒いインナーが透けて見えている。かと思えばトップスの下を臍の上で縛って惜しげもなくその美しい肌を曝け出している。視線を他に逸らそうにも顔は直視出来ないし、足元を見れば今にも何か見えそうな紺色のミニスカートがひらひら動いて視線を留めようとして来る。だが、留まったら変態だ。

 本当にどうしようもなくて、至近距離はどにかくネイルを見ている事しか出来ない。

「て、ていうかさ! で、デートって付き合ってる人がやるもの……じゃ」

「え~友達と遊びに行くくらいの意味で捉えてるよ私! あ、そのせいで緊張しちゃった? だから緊張してるの?」

「そうじゃなく……て。ひ、姫呑がか、かわ、かわ可愛いから……その。見劣り、的な」

 単に家に服がなかったとも言うが目立つのが嫌だから黒っぽいTシャツにジーパンと無難な恰好を選んだ。きっちりかっちり眉毛まで描いてメイクしてる彼女とは対照的に手を抜いたみたいではないか。

「ふふ、ありがと! 何だか四十万君に褒められたらうれしっ! きゃっ♪ だから私が見抜いてあげるね。家に洋服がなかったんじゃない?」

「ま、まあ…………人とあんまり出かけないから。目立たなきゃいいかなって理屈で、全然。これも、母親が買ってきたみたいな。ごめん。ダサいよな」

「何言ってんの、みんな最初はダサいんだって! 普段出かけようとしないのに、私がデートに誘ったら頑張ってくれたんでしょ? 大丈夫だよ四十万君。笑ったりしないって。じゃあ今回も断言するね。デートが終わる頃には、四十万君は変わってる! もし当たったら、また私と遊びましょっ」

「も、もし変わってなかったら……?」

「か~わ~る~のっ。さ、行こっ。逃げるのはナシだからねっ」

 腕を組むように体が何処かへと連れていかれる。人との交流を避けたがっていたせいでずっと意識から外していたが、姫呑の胸はクラスの誰よりも豊満で歩くたびに微かに揺れるそれに視線がどうしても吸い寄せられてしまう。傍から見たらそれがバレバレだった可能性もあるが、本人には気づかれていないだろう。何せ鼻歌を唄いながら歩いている。


 ―――お、俺って最低だ。


 純粋な気持ちで俺を遊びに誘った彼女と違って、下心込みでドギマギしている。そこでようやく、彼女に嫌われたないという感情を自覚した。あんなに最初は―――自分から遠ざけていた筈なのに。

「な、なあ! こういう事して、彼氏とか怒らないのか?」

「彼氏は作るけど、すぐ別れちゃうんだよね~。デートがあんまり楽しめないっていうか、息が合わないっていうか? うーん、難しっ。私が楽しんでても彼氏が楽しんでなかったり、その逆もあるから馬が合わないかなっていつも思うんだ。お互い幸せにならなそうだって思った時は私から切り出しちゃう」

「………ッチとかって」

「ん~?」

「いや、何でも!」

 それを人に聞こうというのがまず対人関係の距離感を見誤っている証拠だろうと思い直し、小声でしか言えなかった自分に初めて感謝をした。でもこれまで交際してきた男子の気持ちは……何故だろう。分かる気がする。こんなに積極的で明るい女子と交際出来たら、期待に胸が膨らんだり行動が早まるのも……納得してしまう。

「交際までは結構誰に言われても受けちゃうけど、続けるってなると私と自然に馬が合う人がいいよね! むしろ交際ってそれを見極める為っていうか、私にとっては何でもないの。一緒に居続けたい人を見定めたいだけっていうか、そういう人とだったら、もっといろんな事を体験したいなって!」

「…………そ、そうなんだ。所でそろそろ何処に行くか教えてほしいんだけど」



「服を買いに行くつもり! お母さんが選んだ物しか持ってないんでしょ? だったら今度は自分の意思で買いたい服を買わなきゃ! 私も手伝うから四十万君も自分に似合う物探してこーね♪」



 主体性のなさを、笑わない。

 どうせ出来やしないと、嗤わない。

 洋服屋に連れていかれると、脳のギアが高速回転を始めたところだ。こんな場所には当然足を運んだ事がない。親の付き添いという形でならあるが、その時はもう用事が終わるまで暇つぶしをしていただけで、服を買いに行くなんて。

「ご、ごめん。なんか出来る気がしないんだけど!」

「みんな最初はそうだよっ。とりあえず試着室に行きながら色々調べてみよっか。四十万君はどんな色が好き?」

「好きとか嫌いとか……そんな拘りがあるくらい選んだ記憶がないけど」

「じゃあ虹色でもいいの?」

「虹色はやだな!」

「ほらほら、そんな感じだって~。始めるきっかけは何でもいいと思うよ。太ってる人なら膨張色っていう、より太って見える色は着ないとか、女の子だったらスタイルが良く見えるようにパンツスタイルと合わせて……あ、そうだ。じゃあどんな自分になりたい?」

「ど、どんな自分って……?」

「ファッションは一番身近で手軽な自己表現なんだから、どういう風に見られたいかを考えた方が早いじゃん?」

「…………」

 どんな自分になりたいって。そんな明確なビジョンはない。曖昧で、漠然としていて、しょうもない。他の誰が聞いてもきっと鼻で笑う……だけど、彼女は。

「?」

 察してなんて面倒くさい事は言わない。ちゃんと口にしないと。姫呑なら分かってくれる。俺を嗤ったりしない……よな?



「陰気で、卑屈で、その癖人一倍傲慢な今の自分とは……正反対になりたい。皆に舐められたくない」



「…………うん、そういう事! じゃあ姫呑さんが君の要望を取り入れつつ例を作ってあげましょー! まず服っていうのはね―――」

 講義については半分以上何を言ってるか分からなかったが、大事なのは清潔感だというのは学んだ。色の合う合わないを把握した上でまとまりのあるコーディネートが出来ると、それは人物に対する清潔感のような締まりになって誰からも印象が良くなるとか何とか。

「別に複雑なコーディネートの必要はないの。ほら、例えばこのダボっとした感じのシャツにスラッとしたパンツを履いてみるだけで……ほら、試着室に行こ! 自分で確かめなきゃ信じられないでしょっ」

「わ、わ、わ……」

 強引に部屋の中へ押し込まれ、抵抗する暇もなくカーテンを閉められる。鏡には、陰気さが全身から滲む自分の姿が映っている。髪の毛を切っていないからとか、そんな単純な要因では説明のつかない暗さだ。本当に、変われる?

 服を脱いで、言われた通りに着用してみる。服を着るなんて何でもないのに、少し緊張してきた。

「き、着てみたけど」

 鏡を見ても判断出来ない。カーテンを開けて―――決して眩しかった訳ではない―――目を瞑りながら体を広げると、姫呑が無邪気にはしゃぐ声が聞こえる。ついでに、拍手も。

「ほら~イケてるじゃん! 四十万君、自分で何もしようとしてないから地味っぽいだけで全然変われるって!」

「いや、そ、そうかな」

「鏡見てないの!? もう、分かった。ほら、私が振り向かせるからちゃんと見て! ほら!」

 身体に抱き着かれたかと思うと、無理やり反対方向を向かされてしまう。背骨の辺りに触れる柔らかい感触に驚いて脊髄反射が目を開けてしまった。鏡を見るのは二度目だが―――おかしい。さっき見た時よりも、自分が自分でないような輝きを持っている。

 鏡越しに、隣で嬉しそうに笑う姫呑の姿。

「ねっ。自信持って! この服、私は凄い良いと思うけど買っちゃう? まずは入門編って事で」

「う、うん」

「ふふふ♪ じゃあ次は髪を切ろっ。美容室に行けなんて言わなよ、ほんとサッパリするだけで違うから!」」

 果たして気分は着せ替え人形の服を探しているようなものではないだろうか。あっちに行こうこっちに行こうと、日が暮れるまで姫呑に振り回された。


「四十万君っ、こっち来て写真とろ―?」

「バルーンアート、再現できないんだから割らないようにな。うわあよりかかるなって!」

「えへへ~はいちーず! ナイスショット!」

 

 時にイルカショーを観に行ったり。


「え。ここってどう考えても水がかかるけど」

「その為のポンチョじゃないの? 一緒にびしょ濡れになれば怖くないって!」

「怖いとかじゃなくて―――ぬ、濡れたら服を乾かす時に困るだろ。ネイルなんて絶対困るじゃないか。後で文句言われても嫌だし、絶対俺が濡れさせない!」

「えー? それって守ってくれるって事ー? やー♪ やさしー!」

 

 時に図書館で一冊の漫画を読んでみたり。


「しーしーしー…………実はこういうのやってみたかったんだよねー。笑いをこらえながら読むの」

「姫呑って、結構危ない橋渡るタイプなんだな。チキンレースが好きとか」

「だって楽しいもん……四十万君もそうじゃないの?」


 時にアスレチック公園に足を運んだり。



「えー、意外と力あるんだ、お姫様抱っこ初めてされた♪」

「そんな恰好でふらふら揺れられてたら危なっかしくて見てられないんだよ! うわあああ!」

「きゃああああ!」




 

 本当に、あっという間な一日だった。






「今日は楽しかったねー!」

 一日中振り回されていたせいかもしれない。気づいたら手を繋ぐ事に抵抗がなくなってしまった。待ち合わせ場所に戻ってきてようやくまた恥ずかしくなり、思わず手を放しそうになる。だけど今度は自分の意思でそれを拒んだ。

「あ、あのさ。姫呑」

「んー?」

「………………お前は可愛いから、こういう話の雰囲気とかって全部分かってるんだと思う。さっきもそういう話聞いたし、だからその……お前からすれば大した話じゃないとは思うんだけど。俺からすれば大事な話で。だから聞いてほしいっていうか」

 彼女は振り向いて、俺の両手を掴んでまっすぐに顏を見つめてきた。

「なーに?」

「い、今まで駄目だと思ってたんだ! 自分はどうしようもない奴だって周りにも言われてさ。でもお前だけは俺が変われる、やれるって言ってくれた。俺、変わるから。頑張るからさ! お前にとっては二つ返事で了承しちゃうようなもんでも、お、おれは初めて言うから! ひ、姫呑さん。俺と……………………つ、付き合ってくれません…………か」

 関係性が崩れてしまうかもしれない一言は、口に出すのも恐ろしい事だ。だけど変わると言ったならかつての俺が言えないような事も言うべきで。目を瞑ってしまうのは悪い癖か。返事が怖くて、つい。これが夢なら良かったのにと。今でも思う。

「まだ出会って一か月も経ってない気がするけど、そんな簡単に人を好きになっちゃっていいの?」

「だ、駄目…………?」

「ふふふ~♪ ううん、そんな事はないけどさっ。誰かを好きになるのに時間とか要らないもんね。でも返事は保留♪ 四十万君が本当に変わるかどうか見てみたいから!」

「変わるって!」

「あーでもゲームの腕前は変わっちゃ駄目だよ。私に教えてほしいもん」

「それは変わらない! ゲームは俺の全てだから!」

「あはは♪」

 鈴のような綺麗な笑い声を漏らす。夕焼けに染まる笑顔は実に艶やかで、心に焦がれて離れない。






















「あんた、最近かっこつけるようになったね。言っとくけどダサいよ?」

「まあいいじゃん。俺の服を買わなくてよくなったんだからさ」

「好きな子でも出来たか? まあお前にはどうせ見向きもされてないんだろ。色気づいても時間の無駄だぞー」

「無駄かどうかは、やってみなきゃ分からないでしょ。行ってきます」


 一か月。たった一か月で俺の人生は様変わりした。勿論俺一人の力じゃない。姫呑の協力あってこそだ。例えば彼女と一緒に勉強をする事で今まで意欲のかけらもなかった学習に変化が生じ、赤点をギリギリ免れるどころか評定で5も狙えるくらいには回復した。


「ねえ、四十万ってあんな雰囲気だったっけ…………?」

「なんか、地味な感じなくなったよね……」


「おっす若。マジで最近のお前は様子がおかしいな。どした?」

「ヤクザか何かみたいに呼ぶなよ。前みたいに若南チャンって呼ばないのか?」

「いやあれはだって……チャンって感じじゃないし。今のお前。なよなよしてねえもんな」


 クラスでの立ち位置も、ほんのり嫌われているような空気を感じる事はなくなった。勿論特別仲の良い友人も生まれていないが、話しかけられたら普通に応対してくれる程度には良好だ。

「しかし今日のテストはかなり難しかったな。相当久しぶりに勉強した……眠すぎる」

「真面目だなー。いつからそんなだよ」

「赤点ギリギリはいつも狙って取れる訳じゃないし、勉強で何とかなるなら頑張るだろ。ノーテレビノーゲームデーの再来は下らなすぎる」

 思うに、みんなにほんのりと嫌われているという現象は俺の自意識過剰が原因だったのではないだろうか。自分が思うより他人は他人に興味がない。まして誰とも特別親しい絡みがない人間なんて。俺が勝手に塞ぎこんでいただけだ。

「次の授業何だっけ」

「体育~もうすぐプールだけど、それまでだりいよなー。サッカーだっけ」

「サッカー部におんぶにだっこな。俺もお前も情けねえったらねえ」

「女子が応援してる奴イズ何? アイツら暇すぎんだろ」

「テニスは大人数でやらないからだな…………ははは」

 取り留めのない話をしている内、授業が終わって昼休みになる。この一か月はずっと休み時間の度に姫呑が来てくれたけど、今日はてんでその様子がない。最初の頃は話しかけに来るたびみんなの視線が気になって仕方なかったけど、どうでもいい事に気が付いたのはいつからだっけ。別に干渉される訳ではないし。

「よっ、今日暇だし隣で食べていいか?」

「おう。別にいいぞー」

  

 会話に混ざったり混ざらなかったりで時間を潰して体育の時間。


「ラフプレー上等だよお前ら! 全員なぎ倒してやるよおおおお!」

「なあこいつってこんなんだっけ!」

「なんかキャラ違うよな! 怖すぎるだろ! あぶねえよ!」

 体を動かす事は前から嫌いではなかったが、毎朝姫呑と待ち合わせてランニングをした甲斐があった。基礎的な持久力が身について、余程張り詰めた試合ならまだしも授業が終わるまでにへろへろになる事はなくなった。かつてはその状態を皆に笑われていると思ったが、これもやっぱり考えすぎだ。他人は他人に言う程興味がない。俺がヘロヘロでも、馬鹿にされる程目立ってなんかなかった。単純に、俺自身が情けない俺を見て怒っていただけ。

 俺が卑屈になっていたのは俺の理想に対して現実の自分が情けなかったからだ。それを誰かのせいにして消極的になっていた。嫌いだと思っていたのも、嗤っていたのも、何にも出来ないと誰より後ろ指を指していたのも全部自分。

 変わってみようと思えて、初めてその事に気が付いた。

 体育の授業が終われば数学の時間。俺が一番苦手だった分野も、姫呑と一緒だから乗り越えられた。


『うーん。ちょっち、四十万君分かんないとこある? あは、別に私も頭良い訳ないけどね! 教科書見ればまあまあまあ?』

『お前と一緒に勉強したいんだよ姫呑。そしたら点数が上がる。絶対』

『え~? 私そんなインテリじゃないんだけど……あ、眼鏡かけた方がいいかな。頭良く見えるっ? 先生って呼んでみて!』

『姫呑先生』

『きゃ~いい響き! 将来の夢は小学生の先生ってかいちゃおっかなー!』


 姫呑がずっと傍で励ましてくれたから、頑張れた。

 姫呑に会いたい。


『うひひ~! ねえ見てこの自撮り! 私可愛くないっ? めっちゃ映えない?』

『可愛いのはそうだけど、映えって何……?』

『映えは映え! 心で感じるのこういうのは! 四十万君は映え知らない? 新しい映え』

『スコアを競うタイプのゲームでランキング一位を取るとか?』

『おー♪ それは確かに映えそう! なんか取ってみてよ! 私応援したげるっ、ふふふ!』

『……ていうか待ち受け』

『え、これ? この前遊園地に行ったじゃん? ツーショットがあんまり良かったからついやっちゃった!』


 姫呑が、会いに来てくれない。

「………………」

 授業が終わって、心はだんだんと虚ろになっていく。確かに俺は対外的には変われたかもしれないが……それは昔の自分が消えてなくなった訳じゃない。むしろ姫呑の事を思えば思う程、昔の自分が帰ってくるようだ。

 じゃあ、彼女の事を忘れてしまえば?

 それは出来ない。今ははっきりと自分の気持ちに向き合っているつもりだ。絶対に好きにならないとか勘違いしないようにとか、そういうひねっくれた解釈なんかではなくて。

「ほいじゃ俺は部活ないんで、またな」

「入れよなー! もうテストはいいだろ!」

「今更入るのもな……それに、使える時間が多いから点数回復したんだぞ。また落ちたら誰が責任とんだ?」

 俺は、姫呑が好きだ。この気持ちが気のせいかどうかは一か月の間に嫌という程確かめた。気のせいじゃない。変われたのは変わろうとする俺を彼女がずっと傍で応援してくれたからだ。もっと言えば、姫呑が笑ってくれるから頑張れた。出来ない俺に、出来ると言い続けてくれた彼女がずっとそこに居たから。


 ―――。


 今日は休みじゃなかったと思う。でも、じゃあ、何で俺に。

 モヤモヤした気持ちを抱えながら下駄箱を開けると、靴の上に手紙が置かれていた。封蝋のつもりだろうか、開け口の所にキスマークがされている。開けようと思ったが、下に小さく『開けないで!!』『裏側を見て!!!!!!』と書かれている。

 裏には簡潔に『初めて会った場所で待ってるね♪』と書かれている。


 一も二もなく、走り出した。文字の綺麗さを見れば宛先なんて分かる。具体的な場所を言わない時点でハッキリしている。俺達の出会いは秘密なのだ。どちらかが言い出した訳でもないが、姫呑が黙ったままなので俺も倣って適当に濁し続けた。

 居場所を求めた俺が足を運んだあの場所は、確かに居場所をくれた。あの治安の悪い喧騒の中に混ざろうという気持ちはもうない。ゲームは好きだが、やはりあの時の俺は居場所が欲しかっただけで。大好きなゲームが介入すればそれが出来ると思っていただけだ。

 ひょっとすると、一目惚れだったのかもしれない。

 バカな話と思うだろうが、交際経験がないのでもしかしたらという疑念がある。あの時見えたのは後ろ姿、そして同じ制服。ただそれだけで好きになったとしてもおかしくない。それくらい寂しさに頭をやられていた。

「はぁ…………はぁ…………」

 ノンストップで走り続けて、流石に少し疲れた。


 ―――緊張するな。


 モールの入り口からは歩いてゲーセンコーナーを目指す。クレーンゲームのコーナーは今日も空いていて、まるであの日を再現するように、彼女は立っていた。

「…………姫呑!」

「お、来た来た♪ はいこれ、四十万君にあーげーるっ!」

 押し付けるように渡されたのは、茶色い犬のぬいぐるみ。到着した今まさに彼女が取った景品だ。俺があの日彼女の為に取った物と同じである。

「私もこそっと練習して上手くなったんだよ。どう? 凄くない?」

「…………それは、俺にこれを取る為?」

「うん、それもあるけど―――ゲームってやっぱり二人共が上手い方が楽しいかもしれないって思ってね! 私ってセンスあるっしょ~? 凄いワン凄いワン! 姫呑ちゃんは天才だワン!」

「都合の良い発言を代弁させるなよ」

「あははっ!」

 ひとしきりふざけ倒した後、姫呑は俺の手を引いてコーナーの奥まで連れ込んだ。

「あれから色々考えたんだ。隣でさ、四十万君が変わろうとしてるのをずっと見てたでしょ。て言っても私はずっと楽しかっただけだからいいんだけど」

「あ、ああ」

「私が交際をすぐに受けちゃうのはね……やっぱり尻軽に見えちゃうのかな、本当の私を見てほしくて受けるの。でも皆そんな事はお構いなしにべたべた身体触ってくるから長続きしないんだよね。だから正直に言えば付き合うとかそういうのにちょっと苦手意識があったの」

「…………それは」

「最後まで聞いて! この悩みは解決出来ないって思ってたけど、四十万君を見て気づいたの。私が変わろうとしてないだけだって。ファッションだって努力なのに、君と出会うまでずっと気づかなかった! 今の四十万君ってすごいカッコいいけど、これくらい変わろうとしてないから悩まされるんだって思ったんだっ」

 両手を握られ、互いの息がかかるほどの至近距離に。姫呑の頬が上気して言葉が浮ついた。

「私も変わりたいって思っちゃった。四十万君のお陰だよ。うん。だから告白の返事は―――」





 声なき声が通じ合う。

 目は口程に物を言うかもしれないが、こればかりは口でしか表せない。

 互いの心を繋ぐように、互いの気持ちを確かめるように。

 それは何よりも、告白の返事に相応しい。





 姫呑は恥ずかしそうに口を抑えると、目線を明後日の方向に向けて言った。

「こ、これからは涙未って呼んで。それとその手紙は……さ、三か月くらい経ってから開けてほしいかも。恋人の権利だから! う、うん!」

「そ、それって」



「―――恋人らしい事、二人で一緒に楽しもうね。ワカナ!」



 ああ。











 眩い喧噪が、俺達を待っている。

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相反ポゼッション 氷雨ユータ @misajack

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