第4話(空に虹)


   *


 その年配の男性が持っていたのは、どっしりとした茶色の塊であった。傍らに物静かな若い男の補佐形代アクターがひっそりと控えていた。

 革の装丁に、金色の文字で「聖典」と刻印された(高級そう)厚い本。

「君に信仰はあるのか」そう口にして、男性は、まるで自分が不作法なことを口にしたと気付いたような、びっくりした顔をした。

 だからトムは、「ありますよ」と、感じよく微笑み、胸の前で二つのSを切った(§)。つまり、珪素浄土シリコンベースと魔術師スティーヴ・ウォズ

 導師ジョン・Vのお蔭で人々は間違えなかった。サリの場合は、人々が導師の予言を知らなかった頃の名残で、しかしその債務は、返済の目処がついている(新世界へようこそ!) つまりそれは、〈アスクレピオスの杖〉について人類は、再来年には完済する。電波生命を相手に何をどう支払うのか。トムには、よく分からない。

「そうか」と、男性はほっとしたように、「本を、頼むよ。……」

「大丈夫ですよ!」向こうで、バンにメカが荷物を積み込むのを見張っていたサリが請け合った。「そのための公共事業ですから!」

 彼女の言葉にトムは、にっこりと微笑んで見せる。男性も、にっこりと微笑みを返す。

 箱を積み終え、いとまを告げ、ふたりはバンに乗って来た道を戻った。

「おかしな話だね」とサリは呟く。「ヒトは信仰を捨てたのに、誰かがそれを拾ってる」

「それが文化の継承じゃないかな」

 トムの言葉に、サリは薄く微笑み、それがトムの心を(何故か)弾ませた。バンは路を静かに進んでいく。ゆっくりと、音もなく(安全)。ゆるゆると進む中、うつらうつらと船を漕ぎ始めたサリをトムは(そっと)静かにしておいた。程なくして陽射しが陰った。厚い雲が生まれた。最初の雷光より早くにトムは反応した。「サリ、」

 寝ている彼女に呼びかけると、半開きの口から、つるっと涎が落ちた。「おっと」

「電波が途切れそうだ」

汚染雲ケムトレイル?」しかし、彼女が疑っているのでないとトムは分かっている。「運転は? 移ったほうがいいかな?」

「そうだね」

「やれやれ」彼女は伸びをして、手をパンパンと打ち鳴らしながら「運転手さん!」呼びかけ、「止まって」命じた。

 バンはゆっくりと速度を落とし、路肩に寄って停止した。

「やれやれ」サリは首を振り振り、ふたりは後部座席から、運転席側へと移動した。サリが(当然のように)運転席に収まった。トムも(当然のように)助手席へ移った。

「いったい誰のせいなの」サリは片手をハンドルに、もう片手をシフトレバーに乗せて(ややもすると)不機嫌そうに鼻を鳴らした。

(誰の所為でもない)

 トムもサリも分かっている。彼女がレバーをドライブに入れてアクセルを踏むと、車は再び(ゆっくりと)動き出した。トムは(途切れ途切れの)電波を感じる。日は陰り、雲が厚く垂れ込めていた。程なく(夕立)激しい雨が車体を叩いた。

「サリ」トムは呼びかけ、彼女はやっぱり(少し)苛立たしげにハンドルを叩き(そして)雨が止むまで車を止めた。

 唐突に雨を降らせた厚い雲は、唐突に去った。陽射しが戻って、水たまりで光を弾いた。空にアーチが架かっていた。雨上がりの虹を、さっきまでの(不機嫌)すっかり晴れ、サリは喜んだ。夕焼けに染まった空に巨大なアーチは、彼女の(瞳)輝かせ、気持ちを晴れやかにした(様子)で、トムはわが事のように嬉しく感じた(悪天候の後は、晴れて空に虹がかかる)電波が戻っても、サリはハンドルから手を放さなかった。

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花火(新世紀、夏至祭りを祝おう・準備稿) かたけ夏海 @take-mi

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