千代とハナ
柿井優嬉
千代とハナ
とある自然豊かな北国の地に、富雄と千代という素朴を絵に描いたような夫婦がおり、女の子を授かって、「ハナ」と名づけました。家族三人つましいながらも幸せな毎日を送っていましたが、なんと富雄が、娘が生まれてわずか数年の、まだ三十代という若さでありながら、心臓発作を起こして急死してしまいました。
裕福ではなかったことに加え、その年齢ではコツコツ貯めていてもたかが知れているため、遺産と言えるものはないに等しく、残された千代は夫を亡くした悲しみに暮れる余裕もなく、二つ、ときには三つと、仕事をかけもちで行うようになり、もちろん家事と育児もこなして、寝る暇もない日々となりました。
父親がいないだけでもかわいそうなのに、働き詰めなせいであまり構ってやれず寂しい思いをさせているうえ、そんなに仕事をしているにもかかわらず、女性でかつ幼い子どもがいることや、そもそも住んでいるのが田舎で働き口が豊富にあるわけではないのも手伝って、風が強いと飛ばされてしまいそうな頼りない家屋といい、安い材料で少ない品数の食事といい、満足からは程遠い生活です。千代は娘に申し訳ない感情を常に抱いていましたけれども、当のハナは貧しさなどまったく気にしていないようにいつも明るく笑顔で、女の子たちよりも男の子に交じって走り回って遊ぶことが多い活発さを持った、とても良い子に育っていました。
ところがです。
「昨日の雪、すんごかったなあ」
「ああ。でも、べらぼうに積もったおかげで、たくさん雪合戦ができるっぺよ」
「んだな。家に荷物さ置いたら空き地に集合して、さっそくやっぺ」
「おう」
学校帰りにそう話しながら歩いている男の子の集団に、ハナが元気に駆け寄ってきて、声をかけました。
「いいな、雪合戦。おらもやりたい。入れてけろ」
「おめえは駄目だ」
「え? なして?」
「だって戦力にならねえもの」
「んだ、んだ。おめえ、いっつも素手だから冷たがって、強い雪の球さ、ちょっとしか投げられねえじゃねえか。雪合戦のときは、ハナは足手まといだっぺ」
「おめえは、今日は他の女子たちと、ままごとでもして遊べや」
「ほんじゃ、みんな行くべ」
「おおー!」
そうして男の子たちは楽しそうに、走って行ってしまいました。
「ああ……」
ハナはその場に立ち尽くしました。少し経ってようやく歩きだしましたが、肩を落とし、足取りはトボトボと誰が見ても重いものでした。
「ハナ……」
それは彼女の自宅近くの出来事で、珍しく仕事先から早く帰ってこれていた千代は、その場面を道端で偶然目にしたのでした。
翌日の朝、ハナは目を覚まして布団から体を起こしました。
「ん? 何だ、これ?」
振り返って、枕もとに置かれているものに気づき、つぶやきました。続けて、二つに折り畳まれていたそれを手にして広げました。
「あ! 手袋だ! ねえ、母ちゃん!」
その声で、台所で朝ご飯を調理していた千代が近寄ってきました。
「ああ。急いで作ったし、うまくできてるか心配だけんど」
ハナが、わずかとはいえお金がかかるのと、忙しい自分に気を遣って、手袋が欲しいのに一言もそのことを口にしなかったのだと悟った千代は、いくら毎日仕事に追われて大変でも、寒い土地で暮らす我が子に手袋すら用意してあげることに思いが至らなかったのを猛省し、一晩かけて編んだのでした。
「つけてみい」
千代はしゃがんで娘に視線を近づけて言いました。
「うん!」
ハナは、赤一色のシンプルなデザインながら愛情がこもったそれに、まるで初めて手袋をする人のようにゆっくりと手を入れていきました。そしてつけ終えると、両手を開いたり閉じたり、ほおに当てたりしました。
「あったけえ! 母ちゃん、これ、すげえあったけえよ! こんで、手がかじかまねえから、雪合戦もいっぱいできるっぺ。あんがとう!」
千代は、普段は明るさを演じている部分もあるだろう我が子が、おそらく心から喜んでいる姿を目にすることができて、自身も顔に笑みがあふれました。
「そうかい。そんなにあったけえかい?」
「うん! あったけえ。充電中のPCのACアダプターくらいあったけえ!」
「……ん」
千代は固まりました。
「あれ? どうかした? 母ちゃん」
「……ううん、別に」
「うんにゃ。もっとだ。充電中のPCのACアダプターより、ずーっとずーっとあったけえよ!」
「……いや、どっちが上とかじゃなくて……」
千代は、これまでの話の雰囲気を台なしにしかねないハナの発言に戸惑いましたが、今やパソコンは小学校でも普通に授業で使われ、生徒一人に一台が当たり前の時代だから、仕方ないかと渋々納得したのでした。
千代とハナ 柿井優嬉 @kakiiyuki
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