【SF短編小説】天使の教室 ―スウェーデンボルグ、女子高生になる―(約8,600字)

藍埜佑(あいのたすく)

【SF短編小説】天使の教室 ―スウェーデンボルグ、女子高生になる―(約8,600字)

●第1章:転生と覚醒


 霧島天渚は、その日も放課後の教室で一人、窓の外を見つめていた。夕暉に染まる校庭の木々が、まるで天上の光を纏っているかのように輝いている。十六年の人生で、彼女は幾度となくこの光景を目にしてきた。しかし今、その風景は別の時代の記憶と重なって見えた。


 三ヶ月前、突然の高熱と共に全てが始まった。


「スウェーデンボルグ……それが私の前世の名前」


 天渚は小声で呟いた。エマヌエル・スウェーデンボルグ。18世紀のスウェーデンに生きた科学者にして神秘主義者。その記憶が、どういうわけか現代の女子高生である彼女の中に蘇ったのだ。


 教室に残る誰かの忘れ物が、夕日に照らされて影を伸ばしている。かつて自分が書いた『天界と地獄』の原稿を思い出す。あの時も、こんな風に机に向かっていたのだろうか。


「あ、天渚ちゃん、まだいたの?」


 声の主は同じクラスの園山月子(そのやま つきこ)。理科室から戻る途中だったらしく、白衣を着たままだった。


「月子……ごめん、ぼーっとしてた」


「相変わらずね。でも、そんなところも天渚ちゃんらしくて素敵だと思うよ」


 月子は科学部の部長で、学年一の秀才として知られていた。天渚とは正反対の、理論的で科学的な思考の持ち主だ。


「私ね、今日も面白い実験してたの。量子もつれの基礎実験。まあ、高校レベルでできることは限られてるんだけど……」


 月子の瞳が輝く。その純粋な探究心は、かつての自分を思い出させた。スウェーデンボルグとしての記憶の中で、自分もまた同じように科学的な探究に没頭していた時期があった。


「月子は……神様を信じる?」


 突然の問いに、月子は少し困ったような表情を浮かべた。


「うーん、それは科学的には証明できないことだから……でも、宇宙の法則の美しさを見ていると、時々何か大きなものを感じることはあるかな」


 その答えは、予想以上に誠実なものだった。


「そっか……ありがとう」


 天渚は微笑んだ。前世の記憶は、時として重荷のように感じられた。しかし、こうして現代を生きる友人たちと交わる会話の中に、新しい気づきがあることも確かだった。


 下校時刻を告げるチャイムが鳴る。二人は並んで教室を出た。廊下の窓からは、オレンジ色の空が見えた。


「ねえ、天渚ちゃん。明日の放課後、科学部の見学に来ない?」


「え?」


「なんとなくだけど、天渚ちゃんなら面白がってくれる気がするの」


 月子の誘いは唐突だったが、どこか必然的なものに感じられた。


「うん、行ってみる」


 帰り道、天渚は空を見上げた。前世では天使との対話を通じて神の世界を見つめた自分が、今は科学の扉を叩こうとしている。その不思議な巡り合わせに、彼女は小さく笑みを浮かべた。


●第2章:見える世界と見えない世界


 理科室の窓から差し込む光が、実験器具の影を床に落としている。天渚は月子の横で、顕微鏡を覗き込んでいた。


「これが私たちの見ている世界の、もっと小さな次元ってわけね」


 プレパラートの上で、微生物たちが静かに動いている。


「そう。でも、これはまだ始まりに過ぎないの」


 月子は熱心に説明を続けた。


「私たちが普段目にしている世界の向こう側には、もっともっと不思議な世界が広がってるの。量子の世界なんて、私たちの常識じゃ説明できないことだらけなのよ」


 その言葉に、天渚は強く共感した。前世の自分も、目に見える世界の向こう側を追い求めていたのだから。


「でも、見えないものが存在するって、どうやって証明するの?」


 天渚の問いに、科学部の副部長である桜庭陽太(さくらば ようた)が答えた。


「それが科学の面白いところなんだ。直接見えなくても、その影響や痕跡を観測することで、存在を確かめることができる」


 陽太は、実験台の上に不思議な装置を置いた。


「これは二重スリット実験の装置。光が粒子であり、同時に波でもあることを示す古典的な実験だよ」


 暗室の中で、スクリーンに美しい干渉縞が浮かび上がる。


「すごい……」


 天渚は息を呑んだ。かつて天使の姿を見た時のような畏怖の念が、心の中に広がった。


 実験の後、部室で休憩していると、もう一人の部員である藤堂小夜子(とうどう さよこ)が話しかけてきた。


「霧島さんって、なんか不思議な感じするよね」


「え?」


「よく分からないんだけど……霧島さんと話してると、すごく遠い世界の話を聞いてるような気がするの」


 小夜子の直感は鋭かった。天渚は少し困ったように笑った。


「私もね、この世界には、いろんな不思議があると思うの」


「うんうん!」


 小夜子は目を輝かせた。


「私も、理屈じゃ説明できないことってあると思うんだ。でも、だからこそ探究する価値があるんじゃないかな」


 その言葉に、天渚は深く頷いた。科学と神秘。一見相反するように見えるその二つの領域が、実は同じ真理を異なる方向から追い求めているのではないか。そんな思いが、彼女の心の中で少しずつ形を成していった。


 その日の帰り道、月子が不意に立ち止まった。


「ねえ、天渚ちゃん。時々思うんだけど……」


「うん?」


「私たちが知らないことって、まだまだたくさんあるよね。でも、それを少しずつでも理解していけるのって、すごく素敵なことだと思うの」


 月子の言葉は、かつてスウェーデンボルグが感じていた探究心と重なった。


「そうね。きっと、これからもたくさんの発見があるはずよ」


 二人は星が瞬き始めた空を見上げながら、それぞれの思いを胸に抱いて歩き続けた。


●第3章:科学部の少女


 梅雨の晴れ間、科学部の部室は午後の陽光で明るく照らされていた。天渚は正式に科学部の一員となり、部員たちと共に様々な実験に取り組んでいた。


「天渚ちゃん、これ見て!」


 月子が興奮した様子で呼びかける。実験台の上には、複雑な配線が施された装置が置かれていた。


「これは?」


「生体電位測定器よ。人間の体から発生する微弱な電気を計測できるの」


 天渚は思わず息を呑んだ。前世の記憶の中で、自分は人体の持つ神秘的な力について考察を重ねていた。その探究が、現代では科学的な手法で行われているのだ。


「試してみる?」


 センサーを手首に装着すると、モニターに波形が表示された。


「見えるでしょう?  私たちの体の中で、常に電気信号が行き交ってるのよ」


 陽太が補足する。


「脳波なんかも、これと似たような原理で測定できるんだ。意識や思考も、突き詰めれば電気化学的な現象として捉えることができる」


「でも……」


 天渚は迷いながらも、言葉を続けた。


「私たちの意識って、本当にそれだけなのかな?」


 その問いに、小夜子が反応した。


「私もそう思う!  だって、人の心ってもっと複雑じゃない?  愛とか、信念とか……そういうのを全部、電気信号だけで説明できるのかな」


 議論は深夜まで続いた。科学で説明できることと、できないこと。その境界線について、部員たちはそれぞれの考えを述べ合った。


 ふと、天渚は窓の外に目をやった。雨上がりの空に、虹が架かっていた。


「ねえ、見て」


 全員が窓際に集まる。


「虹って、太陽の光が水滴で屈折して分散することで生まれる現象なんだよね」


 陽太が説明を始めた。


「でも……」


 天渚は静かに言葉を紡いだ。


「その仕組みが分かっていても、美しいと感じる気持ちは変わらないわ」


 誰もが無言で頷いた。その瞬間、天渚の中で何かが繋がった気がした。科学的な理解と、魂の感動は、決して相反するものではない。むしろ、両者は互いを深め合う関係にあるのではないか。


 その日の夕方、部室の掃除をしていると、天渚は古い実験ノートを見つけた。


「これは……」


 月子が覗き込む。


「あ、これ私の去年のノート。量子もつれの研究を始めた頃のものよ」


 ページをめくると、複雑な計算式の間に、月子の素直な疑問や気づきが記されていた。


「この現象、まるで超常現象みたいだと思いませんか?  でも、それを科学的に解明できるなんて、なんてロマンチック!」


 そんなメモ書きに、天渚は思わず微笑んだ。月子の純粋な探究心は、科学という手段を通じて、世界の神秘に触れようとしているのだ。


「月子……あなたって本当に素敵な人ね」


「え?  急にどうしたの?」


「ただ、そう思っただけ」


 天渚は前世でも、理性と直観の調和を追い求めていた。その探究が、今度は現代の科学という形を借りて、新たな展開を見せようとしているのかもしれない。


 夕暮れ時、部員たちは連れ立って帰路についた。下校する生徒たちの姿が、夕陽に照らされて長い影を引いている。


「ねえ、みんな」


 天渚が声をかけた。


「明日から、面白い実験を始めてみない?」


「どんな?」


 好奇心に満ちた視線が集まる。


「意識と物質の関係について……ごくごく私的な研究よ」


 天渚の目が、不思議な光を宿していた。かつてスウェーデンボルグとして追い求めた真理を、今度は現代の科学の力を借りて探ってみたい。そんな思いが、彼女の心の中で静かに、しかし確かな形を取り始めていた。


●第4章:天使との対話


 夏の夜、科学部の部室で特別な実験が始まろうとしていた。月明かりだけを頼りに、天渚たちは静かに機器を設置している。


「本当に大丈夫かな……」


 小夜子が不安そうな声を上げる。


「問題ないわ。これは正式な許可を得た放課後活動よ」


天渚は落ち着いた声で答えた。彼女が提案したのは、意識と電磁波の関係を調べる実験だった。部室の中央には、生体電位測定器と特殊な周波数分析装置が設置されている。


「前世で私が見た天使たち……彼らは別の周波数で存在していたのかもしれない」


 その言葉に、月子が目を丸くした。


「天渚ちゃん?  今、前世って……」


 時が来たのだと悟り、天渚は静かに目を閉じた。


「話すべきときが来たみたいね」


 月光が窓ガラスを透過し、実験器具の影を床に落としている。部室の空気は、いつもより幾分重く感じられた。天渚は深く息を吸い、静かに語り始めた。


「私の中には、もう一つの人生の記憶があるの」


 その言葉に、部室の空気が微かに震えた。月子、陽太、小夜子の三人は、息を潜めて天渚の言葉に耳を傾けている。


「1688年、スウェーデンのストックホルム。私は、エマヌエル・スウェーデンボルグとして生を受けた」


 天渚の声は、不思議なほど落ち着いていた。まるで遠い記憶の中を歩くように、一つ一つの言葉を丁寧に紡いでいく。


「最初は科学者として、鉱物や天体の研究に没頭していたわ。でも、56歳の時、すべてが変わった」


 天渚は窓の外を見やる。月明かりに照らされた彼女の横顔は、どこか儚げで、しかし凛としていた。


「ある日、部屋で夕食を取っていると、突然、視界が霞み始めたの。そして……」


 一瞬、言葉が途切れる。


「天使が現れた」


 小夜子が小さく息を飲む音が聞こえた。


「光に包まれた存在。でも、それは幻覚なんかじゃなかった。彼らは、この世界とは異なる次元から、私に語りかけてきたの」


 天渚は自分の手のひらを見つめた。


「その後、私の人生は大きく変わった。天使たちとの対話を通じて、神の世界の構造を理解していった。天界と地獄、そしてその間にある霊界。それらすべてが、実在する領域として見えるようになったの」


 月子が、震える声で質問する。


「その記憶は……今でも鮮明なの?」


「ええ。まるで昨日のことのように」


 天渚は、実験台に置かれた測定器に視線を向けた。


「でも不思議なの。前世で体験した神秘的な現象が、現代の科学技術で少しずつ解明されていくのを見ると。まるで、二つの時代に架け橋を架けるために、私がここにいるような気がして」


 陽太が、長い沈黙を破った。


「なぜ、僕たちに話してくれたの?」


 天渚は、優しい笑みを浮かべた。


「みんなが、真摯に真理を追究する姿を見ていたから。科学という手段は違えど、私たちは同じものを探しているんだって、そう感じたの」


 部室に再び静寂が訪れる。月明かりは、いつの間にか机の上の実験ノートを照らしていた。その白い紙面には、現代の科学と、古の神秘が、不思議な形で交差しているように見えた。


「信じられないかもしれない」


 天渚は静かに付け加えた。


「でも、これが私の真実なの」


 小夜子が、おずおずと手を伸ばし、天渚の手を握った。その手は温かく、確かな存在を感じさせた。月子と陽太も、黙って頷く。彼らの表情には、驚きと共に、深い理解の色が浮かんでいた。


 窓の外で、雲が流れ、月明かりが一層強くなった。部室の中で、科学と神秘の境界線が、静かに、しかし確実に溶けていくような瞬間だった。


 驚くべきことに、科学部のメンバーたちは冷静に話を聞いていた。


「そっか……だから天渚ちゃんは、あんなに深い洞察を持ってたんだね」


 月子の声には、驚きと共に深い理解が滲んでいた。


「でも、それって検証できるの?」


 陽太が科学者らしい質問を投げかける。


「それを試すのが、今日の実験よ」


 天渚は測定器に向かって座った。前世での経験を頼りに、彼女は意識を特殊な状態へと導いていく。スクリーンには、不思議な波形が表示され始めた。


「これは……通常の脳波とは全く異なるパターン!」


 月子が興奮した様子で叫ぶ。その時、部室の空気が微かに震えた。


「来たわ」


 天渚の声が、どこか遠くから響くように聞こえる。部室の隅に、かすかな光の輪が浮かび上がった。


「あ……」


 小夜子が息を呑む。光の輪は次第に形を成し、人型のシルエットとなった。それは確かに、天使と呼ぶべき存在だった。


「記録は取れてる?」


 陽太の問いかけに、月子が無言で頷く。測定器は異常な数値を示し続けていた。


 光の存在は、言葉を発することなく天渚に何かを伝えているようだった。やがて、光は静かに消えていった。


 天渚が目を開けると、部室には深い静寂が満ちていた。


「今の、なんだったんだろう……」


 小夜子の呟きに、誰も即答することはできなかった。しかし、確かに何かが起きたという実感は、その場にいた全員が共有していた。


「データを解析しよう」


 月子の提案で、彼らは測定結果の分析を始めた。通常では説明のつかない波形、奇妙な電磁気の変動、そして写真に写り込んだ不思議な光の軌跡。


「これは、科学的にどう説明すればいいんだろう」


 陽太が腕を組んで考え込む。


「説明できないからこそ、価値があるのよ」


 天渚は穏やかな表情で言った。


「時には、説明できないことを受け入れることも、科学の一部じゃないかしら」


 その言葉に、部員たちは深く頷いた。


●第5章:現代に宿る神秘


 実験から一週間が経過していた。科学部の部室では、収集したデータの解析が続いていた。


「やっぱり、既知の現象では説明がつかないわ」


 月子がパソコンの画面から目を離す。


「でも、これって本当にすごいことだと思うの。私たち、未知の現象を観測できたってことでしょ?」


 天渚は微笑んで頷いた。前世のスウェーデンボルグは、自身の神秘体験を詳細に記録し、それを後世に伝えようとした。現代の科学技術は、その体験を別の形で検証する手段を提供しているのだ。


「ねえ、天渚ちゃん」


 小夜子が声をかけてきた。


「前世の記憶があるって、辛くないの?」


 その質問は、天渚の心の奥深くに触れるものだった。


「時々ね。でも、今の私にはみんながいるから」


 科学部での日々は、彼女に新しい視点を与えてくれた。前世で追い求めた真理を、現代の科学という手法で探究する。その過程で出会った仲間たちとの絆は、何物にも代えがたい価値を持っていた。


 その時、部室のドアが開いた。


「こんにちは」


 入ってきたのは、物理科の水無月先生だった。


「実験の報告書、拝見しましたよ」


 先生は穏やかな微笑みを浮かべている。


「正直に申し上げて、私にも説明はつきません。でも、だからこそ興味深い」


 水無月先生は、机に置かれた測定器に視線を向けた。


「科学の歴史は、説明のつかない現象との出会いの歴史でもあるんです。その意味で、皆さんは非常に貴重な経験をしたのかもしれません」


 先生の言葉は、部員たちの心に深く響いた。


「先生」


 天渚が声を上げた。


「私たちの研究、続けていいですか?」


「もちろんです。ただし、しっかりとした記録と、科学的なアプローチは忘れずに」


 水無月先生の後押しを得て、科学部の探究は新たな段階に入った。天渚の神秘体験と、科学的な測定・分析を組み合わせた独自の研究が始まったのだ。


●第6章:新たな啓示


 秋の訪れを告げる風が、校舎の窓を揺らしていた。天渚は部室の窓辺に立ち、空を見上げている。


「もうすぐ、文化祭ね」


 月子が話しかけてきた。科学部は、これまでの研究成果を「未知現象の科学的探究」というテーマで発表することになっていた。


「緊張する?」


「ううん。きっと大丈夫」


 天渚の声には確信が滲んでいた。この数ヶ月間の探究は、彼女に新たな気づきをもたらしていた。科学と神秘は、決して相反するものではない。両者は、同じ真理の異なる側面を照らし出しているのだ。


 文化祭当日、2年C組の教室は科学部の展示会場として生まれ変わっていた。普段の教室の雰囲気は一変し、壁には脳波のグラフや電磁場の測定データが貼り出され、天井からは青と紫を基調とした装飾が垂れ下がっている。入口には「意識の科学 - 未知なる次元への探究」という立て看板が設置され、その横では陽太が来場者に手作りのパンフレットを配っていた。


 教室の中央には、あの夜の実験で使用した測定機器が展示され、モニターには記録された波形がリアルタイムで再生されている。小夜子が入口で受付を担当し、着物姿の文化祭実行委員の女子が感心したように展示を見回していた。


「まるで、SFの研究所みたいですね」


 その言葉に、小夜子は嬉しそうに頷いた。


 月子は中央の展示の前に立ち、ホワイトボードを使って説明を続けている。彼女は文化祭用に特別に用意した白衣を着て、首からは学校から借りた工学部のデジタル計測器が下がっていた。


「これらの波形は、通常の脳波測定では観測されない特異なパターンを示しています」


 月子がレーザーポインターで示す波形は、通常の脳波とは明らかに異なる。規則的でありながら、これまでの神経科学では説明のつかない複雑なパターンを描いている。


「特に注目していただきたいのが、この周波数帯です」


 スクリーンに映し出された3Dグラフが、ゆっくりと回転する。


「従来の脳波計では捉えられない高周波帯域で、特異な共振現象が観測されました」


 教室の後ろでは、物理科の水無月先生が腕を組んで真剣に聞き入っている。隣には数学科の先生も立ち、興味深そうに資料に目を通していた。


「私たちは、意識の未知の可能性に迫りつつあるのかもしれません」


 月子の声には確信が滲んでいた。展示スペースの隅では、天渚が静かに佇んでいる。彼女は紺色のブレザーに身を包み、胸には科学部の銀色のバッジが光っていた。


「質問です」


 会場後方から、物理部の男子生徒が手を挙げた。


「この波形、ノイズの可能性は排除できているんですか?」


「はい」


 今度は天渚が一歩前に出て、答えた。


「私たちは同じ条件で、百回以上の測定を実施しています。そのどれもが、同様のパターンを示しました」


 天渚は実験ノートを開き、詳細なデータを示す。その緻密さに、質問した生徒も感心したように頷いていた。


 窓際には、実験時の写真が展示されている。月明かりの中で機器に向かう部員たち。そして、不思議な光の軌跡が写り込んだ一枚。その横には、計測された各種データがグラフ化されて貼り出されていた。


「でも、これは何を意味するんでしょうか?」


 女子生徒の素直な疑問に、月子は優しく微笑んだ。


「それを探っているところです。科学とは、未知のものに出会ったとき、それを丁寧に観察し、記録し、分析していく営みなのですから」


 その言葉に、会場全体が静かな感動に包まれた。放課後の実験で目撃した不思議な現象は、確かにここにある。それは科学という手法で、少しずつその姿を現し始めているのだ。


 天渚は窓の外を見やった。文化祭の喧噪が響く校庭の向こうで、秋の空が深く澄んでいた。前世で自分が追い求めた真理は、今、違った形で人々の前に姿を現そうとしている。その思いに、彼女は静かな感慨を覚えていた。


 やがて発表の合間に、天渚は静かに教室を抜け出した。屋上に上がると、優しい秋風が彼女を迎えた。


「こんな形で、再び真理を追究することになるなんて」


 空に向かって呟く。前世のスウェーデンボルグは、神の世界との直接的な交信を通じて真理を探った。そして今、天渚は科学という手段を得て、新たな探究の道を歩んでいる。


「天渚ちゃん、ここにいた」


 後ろから、部員たちの声が聞こえた。


「みんな……」


「すごい反響だったよ!」


 小夜子が興奮した様子で報告する。


「特に、意識と物質の関係性についての考察が、多くの人の関心を集めたわ」


 月子が付け加えた。


「私たちの研究、まだ始まったばかりだけど」


 陽太が空を見上げながら言う。


「でも、きっと何かに繋がっていくよね」


 天渚は仲間たちと共に、広がる空を見つめた。科学と神秘の境界線上で、新たな真理の探究が始まろうとしていた。それは、前世のスウェーデンボルグが目指した道とは異なるかもしれない。しかし、確かにそこには、人類の知性と魂を深める可能性が広がっていた。


「さあ、戻りましょう」


 天渚の声が、秋風に乗って響く。


「私たちの探究は、まだ続くんだから」


 夕暮れの空に、一羽の鳥が舞い上がった。それは、新たな時代の幕開けを告げているかのようだった。


(了)


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【SF短編小説】天使の教室 ―スウェーデンボルグ、女子高生になる―(約8,600字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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