鳥っ籠(とっこ)

二里

鳥っ籠(とっこ)

――晴れた日に外で仕事をしていると、飛ぶ鳥の影が地を滑ってくるのが見える。もし鳥の影が自分の影の頭にぶつかったら、すぐに顔を上げてその鳥を探し、指さして「め、め」と唱えなくてはならない。

 生きた鳥が餌をついばむように、鳥の影は人の影から魂をついばむ。何度もついばまれると、人は力が抜けてその場に立っていられなくなってしまう。こちらからも鳥を脅かしてやれば、その魂は取り戻せる。

 もし鳥が見つからなかったら、あるいは鳥が何羽もいて見分けがつかなかったら、二、三歩でもいいからその場を動くこと。同じところで何度も影に触れられてはいけない。木や家のような大きな物の影に入れば、空から影を狙われることなく休むことができる。

 一番いいのは、外に出るときにあらかじめ笠か手拭いで頭を覆っておくことだ。すると鳥の影は、うまく魂を取れなくなってしまうのだよ――


 家の前の土から立ち上る熱気にうんざりして、宗太は川へ遊びに行った。いつも大人に言われているように、頭には小さな笠を被った。宗太が初めて編んだ自分のための笠だ。端の方はいくらかすげがほつれて隙間が空いてしまったが、それでも目を刺すようなカンカン照りの日差しは柔らかくなった。

 川原で隣の末っ子を見かけた。兄姉に置いて行かれたのか、日陰で小さな体を丸めて石の間の虫か何かを覗きこんでいた。小さな頭は親に巻かれたらしいさらしの手拭いで覆われていて、余った端が長く背中に垂れ下がっている。

 宗太はその子には構わず、浅い川を向こう岸まで歩いて渡り、草陰にタモ網を差し込んで小魚を探しはじめた。


――低く飛ぶ鳥は、影も見つけやすくてさほど恐ろしくはない。恐ろしいのは、ずっとずっと高く、お天道様に近いところを飛ぶ鳥だ。その影は地の上で揺らぐ陽炎のようにぼんやりしていて、ちっとも影らしくない。しかし、そのもやのような影の中に取り籠まれたが最後、魂は捕らえられて空の遠くまで運び去られてしまう。

 忙しい時でも、外では周りに充分に目を配るのだよ。みんな背中に目があるでもなし、他の誰かに鳥の影が近づいたら助けてやれるようにね――


 柳の枝ををくぐりながら川縁に沿って歩いていると、白く細長いものが流れてきた。さっき見た隣の子が頭に巻いていた手拭いだ。宗太は顔を上げて向こう岸を見た。石が白々しらじらと光る川原で、その子はじっと立ちつくしていた。足元は湯気が立っているように揺らめいて見え、何かを言いかけたように薄く開いた唇は、そのまま固まって動かなかった。

 宗太は水を蹴立てて岸に上がった。地面は少しも動かないのに、ふわりと浮き上がるように見えた。太陽を振り仰ぐと、遥かに高い空に鳥の姿が二つ、いや三つ? 眩しさに笠のふちを引き下ろし、目を逸らしたまま太陽の方を指さして

め、め、め……」

叫びながら、もう一方の手で小さな体を抱えるように日陰の川の中へ引き込んだ。

 熱いような、生ぬるいような体を立たせて、手ですくった水を頭から何度もかけてやった。その子はただ黙って成すがままになっていた。元々そんなにしゃべる子ではない。でもこんなに伏し目でじっとしている子だったろうか。急に駆け寄ってきた宗太に驚いているだけだろうか。

「うちに帰ろう。歩けるか?」

 こくん、と頷いたように見えたのは、川の中で足元がふらついただけかもしれない。それでも宗太は、まだ熱い手を引いて歩き出した。

 さっき流れてきた手拭いは、少し下流で石に引っかかっていた。拾い上げて、軽く絞ってから頭に巻いてやる。それから家に向かう道を下り始めた。

 小さな足に合わせて歩くつもりだったが、知らず知らずのうちに足早になる。それでも思ったより確かな足取りで、宗太の手をしっかり握ってついてきた。良かった。魂は取られていない。大丈夫だ。大丈夫……。

「二人ともどうしたんだい、この暑いのにそんなに急いで」

 平気なはずだったのに、隣の婆ちゃんに声をかけられた時には気が抜けて座り込みそうになった。そっと小さな手を放すと、婆ちゃんはその子を招き寄せて頭を撫でてやった。

「見かけない子だねえ。隣村の子かい? 一人で来たの?」

 どうしたのだ、と言いたげに宗太に目を向ける。その子も振り向いて、宗太を見つめた。宗太はくらくらして、今度こそしゃがみ込んだ。

 どうしてだろう。この子が誰だか思い出せない。

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