深夜の公園

古賀裕人

ep100兆1「人々には到底不可能な方法で」

 いるいる。完全にいる。いるかいないかで言えばめっちゃいる。深夜1時の公園のベンチに僕の彼女が座っている。それが見える。僕には見える。見え得る。見え過ぎていると言っても過言ではない日々が過ぎてゆくと言っても過言ではないは言い過ぎだが現在、というか現在、視線の先で該当の彼女が公園の街灯に煌々と燦燦と照らされていて、光の中でやや俯く彼女のその姿を魔から切り分ける聖なるスポットライトがくり抜いた清廉な、ややパーマ茶黒髪はどこまでも柔らかく儚く美しく美しくて美しい。何たることか。金八先生第一シリーズの名取裕子みたいだ!

 と思いながら自転車留めの柵をいつものように腰の動きだけで避けながら公園に入っていくと裕子はふと視線を上げて僕の右肩を見る。彼女はいつも僕のことを右肩から順番に見る。右肩、右足首、右膝、そして左目。僕の左目玉に映る彼女の両瞳は歴史に隠された鉱石のようにああ今にも美しい炎上しそうだ吉原が。

 「やあ!お待たセンチュリー21(トゥエンティ―ワン)!」

 そう気丈に振る舞い、彼女の左隣に腰かける。触れた鉄製の肘掛は殺人的に無感情だ。まるで幼年期なんてなかったみたいに冷ややかだ。僕のことを全く信用していない。初対面でもないというのに。殺すぞ。「こんな時間にどうしたの。というか、珍しいね君の方から連絡してくるなんて。というかなんというか、僕たちが連絡を取り合う時って大抵僕の方から連絡をすることがほとんどで、というかほとんどというか、いつも決まって紋切型でそうで、知り合って一年、付き合って二年の僕たちだけれどそれって少し寂しいような、少し悲しいような気持ちも無くはなかったんだよ。だって僕は君のことをとても好き、というか最近分りはじめてきたんだけれど、これってもしかしたら愛ってやつなのかもしれないよね。でも、というか、しかし、と言うべきか、愛しているけれど愛し合っているかは分からないというような、ほんの小さじ一杯の不安定な気持ち、それこそが正しく恋心かもしれず、僕にそんな傷をつけては微笑む魔性の君はもしかしたらミステリアスの飼い主なのかもしれないよね」

 そんな君が日付も変わろうかというタイミングで急にメールをくれるものだから僕はピンと来たね、これは別れ話なんじゃないかって。だってそうだろう?普段自分から連絡もしてこない秘密主義ガールが夜中にわざわざ自分から連絡してきてしかも今すぐ会いたいなんて言うんだから。それって別れ話じゃんそれって別れ話じゃん!僕は裕子の何を考えているか分からない不思議な雰囲気が好きだしそもそも顔面がすこぶる良いので一生手放したくない!一生涯そばに置きたいんだとそう常々思ってきたんだよ、嫌だね、絶対に別れたくない!僕の何が気に食わないってんだ。

 「あの、わたし……」

 「分かってる」彼女の唇に僕は人差し指を置く。「確かに僕にも反省の余地があったかもしれないしあるいはなかったのかもしれないけれど、結局のところこの世界は認知がすべてで主体しか存在し得ないのだから、ある程度の譲歩は必要だろうと思うよ。状況を整理すると、あのとき僕たちは木場のイトーヨーカドーを歩いていて、買い物が終わったらレストラン街で黒酢豚でも食べようかなんて話しながらエレベーターを上っていたよね。のぼっていた?あがっていた?どちらでも良いんだけど、とにかく君はバドミントンのラケットの取っ手の所に巻くテープのようなものが欲しくて、スポーツ用品店を目指していたんだよね、確か三階の。その時に言ったんだ僕は『そのテープって巻くとなんか意味あんの?』って。確かに僕はそう言った。そしたら君は急に怒りはじめて、結局そのまま僕を置いて帰ってしまったんだよね?その時はなんてひどい女なんだと思ったよ!何が気に障ったか分からないけれど、というか分りたくもないけれど、僕を、よりによってこの僕をイトーヨーカドーに置いて帰るなんてそんなクソ女がこの星に居てたまるかよ!って僕は一人ぼっちでぽっぽのしょうゆラーメンを食べながら憤慨したものさ。でも、あるいは、良く考えてみれば、もちろん僕はバドミントンなんかやったこともないしバドミントンなんてものをやっている男はハードボイルドの風上にも置けない存在だと見下してもいるけれど、それでもやっぱり君のようなカワイ子ちゃんがバドミントンをやっているのは何物にも代えがたく可愛いし、ユニフォームの匂いはできるだけ嗅ぎたい。だっていつも絞れるくらいに汗をかきながら頑張って練習しているのを僕は見ているからね。ある時はキャットウォークから、またある時は体育倉庫の隙間からね。でも僕はバドミントンをしている君には詳しいけれどバドミントンそのものについては無知なんだよ。ラケットのことなんてもってのほかさ!モコモコとしたテープを巻けばもしかしたらグリップを握った時の感覚が変わるのかなとか、あるいはそれって滑り止めの代わりなのだろうかとか、そんなありふれていてオリジナリティのない類推は浮かぶよ、もちろん浮かぶ。でもミステリアスの上長であるところの君がそんな個性のない無味無臭の理由でテープを買い求めるなんてまさか思わないじゃないか!僕は一見してうぬぼれているように見えたり、聞こえたり、噂されるようなことろがあるかもしれないけれど、実際のところは単なる現実主義者なんだよ。謙虚なんだ。もっと正確に言うと君のことが好きなのさ。大好きで大切でかけがえのない君に、色んな質問がしたいだけなんだよ。とにかく君のことが知りたくて、君の話が聞きたいのさ!考えてもごらんよ、僕なんて何の取り柄もなくて自慢できることもなくて、口下手で引っ込み思案なんだ。君も良く知っているだろう?だから聞き方が悪かったかもしれない。単に聞き方が悪かったのかもしれない。もしかしたら万が一には君には『そんなテープ巻いたってただ上手くなった気になるだけで実際には何も変わらないんじゃねえの?』というような意味に聞こえてしまったのなら謝る。謝るというか、君の想像力が豊かすぎるよ!だって僕にはそんな、君を少しでも傷つけるつもりなんて一切合切ないっていうのに!どういう幼少期を過ごすと僕がそんな意図で君に話しかけたり質問するように思えちゃうんだろう!この目を見てよ。僕の眼球の半分は優しさでできているんだ。君のテープの代金の半分は、僕が払うつもりでいたんだよ」

 「ちがうの。あのね、実はわたし……」

 「分かってる」彼女の肩に両手を置く。「ポポラマーマの前で君を待っていた時に僕がイヤホンをして音楽を聞いていたことをまだ怒っているんだろう?それについては散々議論を尽くしてきたと思ってはいたのだけれど、論理と感情を上手く切り離せないのが人間の性とも言うし、そうだね、分かりました、もう一度ご説明申し上げますけどあのとき僕は授業が終わって君より先に学校を出ていて、葛西のゲーセンでスターホースをやっていたんだよね。ピカピカ光る競馬のやつ。給料日前であんまりお金なかったけど、店への預けメダルが結構あって、その頃は十五万枚前後預けがあって、実はお金をかけずにゲームができていたんだよね。さすがに制服で煙草は吸えないから本当は一度家に帰って着替えたかったけれどそれも面倒で、煙草の代わりにドクターペッパーで我慢しながら一時間から一時間半かな、トゥザヴィクトリーがなぜかドバイワールドカップを圧勝したりして笑いながら過ごしていたけれど、何だか無性に君が恋しくなって。待ち合わせの時間にはまだ三十分ほどあったけれどゲーセンを飛び出してファミマの前に移動したんだよ。会えない時間が愛を育てると言うけれど、白状すると僕もその意見に賛成だな。君と会っている時、それは今この瞬間も間違いなくその場面のひとつだけれど、僕はどうしても肉体的に形而下に存在する君の姿に惹かれてしまって仕方ないんだ。これは隠喩だけれど、君って性格はクソなのに超顔が良い。でも会えない時、君と一緒にいられない時、それは僕の中にだけ存在する真に理想的な女神としての超君との逢瀬なんだよ。分かるかい?君にも全く同じ体験が日々経験されていることだろうとは思うけれど、記憶の中で再現された恋人というものは現実を超えるのさ。実物よりも美しく、実物よりも軽やかに舞い、文句ひとつ言わず、僕を傷つけることもない。でもその虚像には触れることもできないし匂いだってしない。それは倒錯的な視覚的体験であって、視覚なんてものは所詮認知に過ぎないのさ。だから僕はイヤホンで耳を塞いで、これからやってくる現実存在としての君との待ち合わせを体験としてより高次へブラッシュアップするための内的作業として音楽を聴きながら君のことを考えるという行為に及んだのさ!今日はどんな髪型だろう、どんな服装だろう、ひと言めには何て言うかなって、そんなことを考えながら君を待つ時間って実際問題、替えのきかない貴重な一幕なんだよ。それなのに君はポポラマーマの前のガードレールに腰かける僕の背後から手を伸ばして、強引にイヤホンを引きちぎって、『待ち合わせの時間に音楽を聴いているってどういう了見なの?』ってヒステリックに喚き散らしたよね?僕は普段あまり驚かないタイプの理知的な存在だけれどあの瞬間はさすがに呆気にとられざるを得なかったなさすがにまじで。君は続けざまに『音楽を聴いていたら私のこと考えられないでしょ私のことを考えていなさいよ』と言ったね?言ったというか、叫んだね?絶叫と比喩してもおかしくない勢いだったと記憶しているけれど、あまりの君の声量に三半規管から衝撃が伝わって記憶障害を起こしている可能性もゼロじゃないんだ。この世界は可能性に満ちていて、僕たちは毎秒、正しい選択肢をチョイスし続けなきゃいけないのさ。もちろん僕は君の専門家だから君の言い分は完全に理解しているし共感もしているし同調もしている。君は音楽を聴きながら勉強をすることができないし、自転車に乗ることもできない。歌いながら計算問題を解くこともできないし、縄跳びもできない。つまりマルチタスクが苦手なのさ。それが君の魅力に一役買っていることは歴史が示す通りで、たとえばもし仮に君が一輪車を漕ぎつつ生き別れの兄と電話をしながらノートにラブソングのリリックを作詞できるタイプの人間だったのなら、僕は生涯、君に興味を持つこともなければ恋に落ちることもなかっただろうね。君はいつだってひとつのことしかできない。不器用。あまりに不器用な存在。でもそこが良い。そんな君が好きさ。矮小で虚空な僕には幼いころから夢も希望もないけれど、願うのはたったひとつのことだけ。君には『僕を愛する』という、そんなシングルタスクに従事してほしいな」

 「ごめん。でも、わたし……」

 「分かってる」彼女の両手を僕の両手が包み込む。まるでトンポーローまんのように。『綺麗な水を必要とする』という意味においては、湯葉って、ヤゴなのかもしれない。ヤゴってほら、あの、顎がビョーンって伸びる蛍の幼虫の。「僕の、進路のことだよね。ごめんね、話題を避けて。実は最初から分っていたんだ。君が僕の進路のこと、すっごく気にしてくれているって。先に大学生になってしまった君からすれば、今まさにリアル受験生な僕のことを心から心配してしまうほどに精神的優位な存在となり果ててしまっていることは一見して分かるよ。ヒールなんか履いちゃってさ。為政者みたいだ。そもそもからして君は優秀だったみたいだし、推薦で早稲田の政経に入るなんて、僕にはとても、逆立ちしたって真似できないよ。僕にできるのは作文書いて慶応に入るくらいのこと。でも受けない。SFCは慶応じゃないって鞠子ちゃんが言ってるの聞いたから。サークル終わりに大隈講堂の出口のとこに迎えに行って、もちろん音楽は聴かずに君のことを待っていたら先に鞠子ちゃんが出て来て僕に気づいて、手を振ってくれたんだよ。隣には名前は分からないけれど顔は知ってるあの東洋大学から男漁りのためにインカレに来てる胸のデカい女が居て、先週だか先々週だかの合コンの反省会をしながら僕の横を通り過ぎて行ったよバカが並んで。ひとつしか年が変わらないっていうのに女ってやつはどうして大学に入ると《ああいう》雰囲気になってしまうんだろうね。もちろん君だってそうさ。去年までは僕と同じ制服を着たしっかり者の先輩だったのに今ではどうだい。何だそのピッタリとしたセーターは。何の目的があるとそんなピッタリとしたセーターを着ようなんていう発想になるんだよ人間は。そもそも、セーターというのは暖をとるための衣服ではないのか。それなのに、そのような目的や使命があるにもかかわらず、君のそのセーターにはなぜ肩の部分に布がないのだ!暑いのか寒いのかはっきりしろ!ファッション的なアフォガードですみたいなふざけたトンチに惑わされる僕ではないぞ!そもそも昔から気になっていたのだけれど勉強をする時だけ眼鏡をかけるっていう行為、あれは何なんだあれの持つ普遍的な役割は!君のことを言っているんだよ。良く考えてみなさい。眼鏡をかけた君はエロい。そんな自明の理を引っ提げて、君は僕の受験勉強を見るね?見ようとするね?僕の成績は下がりっぱなしさ!もちろん経済的に満たされた環境に暮らす僕の価値観に他責思考は全く存在しないので僕の成績の下降を恋愛のせいには、ましてや君のせいになどするはずもなく、すべては僕の未熟さゆえ。ただ一点、ただ一点だけ文句を言わせてもらえば君は自分が偏差値高いせいで正気をとうに失っている!最近君は顔を合わすたびに僕にこう聞くね?『今週英単語何個覚えたの?』って。ねえ、それって恋人同士の会話だって言えるかな?愛し合う二人の逢瀬に相応しい挨拶かなそれ?僕はそうは思わないね!君は僕よりも年上なんだから恋愛関係を続ける上で最も注意しなくてはならないのが『彼女のママ化』だとあれほど口酸っぱく言ってきたじゃないか僕は!何度も言ったよね僕は!君がママになってしまったらもう恋愛じゃなくなってしまうんだよ!一度そちらへ認知が傾いてしまえば、僕はまるで母親に甘えるように君に頼り切りになり、対等な関係の中で信頼関係を構築するという当たり前のことができなくなってしまうんだ。あるいは結婚をすることも子を育てることもできる可能性はある。でも一度ママになってしまった君に、また恋をすることはできないんだ!僕は君を心から愛している。その素晴らしい顔面を心から愛しているよ!だからいつまでも素敵な彼女でいて欲しい、燃える恋の相手でいて欲しいんだよ!一度、君は衝動的にバリカンでセルフ坊主にしたことがあったね?僕に相談もなく、ある日突然坊主頭で君は現れたね?でも僕は冷めなかった。恋心を失わなかった!君は時々、そうやって僕を試す癖がある。そうだね?今回もそうなんだろう?僕を試しているんだね?こうして深夜に呼び出して、終電がおわっている時間に呼び出して、僕が何分でここまで来られるかタイムを計っていたんだろう!一体何分何秒だった?僕は合格かい?さあ!どうだ!言ってみろ!」

 「ちがうの。わたしは……」

「え~、これも違うの?じゃああとは何だろう。ん~、僕が野良猫を殺してまわっているのが本当は嫌だったとか?」

 僕がそう言ってポリポリと頭を掻くと、彼女は覚悟を決めたように自分の右耳の後ろに触れ、真の姿を現す。

 「わたしね、本当は……宇宙人なの」

 「分かってる」僕は胸ポケットからイシュロムホラスクルーインを取り出して先端のスイッチを押す。「僕もそうだからね」

 そうして僕と裕子は、この星の人々には到底不可能な方法で空中セックスをした。

 超気持ち良くて八回もした。

 九回目をしようとした時には、すべてが消えていた。



【了】

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