ビスケットは甘くって

「それでは、十二頁を、シュペルフレークさん」

「はい」

入学最序盤の授業は学校に慣れるため、難易度が低めに設定されることが多い。一限目の文学史の授業も例外ではなく、ロティヤに伝わる文学を読み耽る時間のようになっていた。担当の女教師に指名されたオハイアリイは立ち上がり、その耽美な声で物語を読み上げる。

「『女神リリメリアはこの地に美しい人や物を集め、美の国を作り上げました。それがロティヤの始まりであり、この国の_____』」

オハイアリイの声は眠くなる。ラナは十二頁の文字を追うことに飽きて、羽ペンの羽を指の腹で撫でて退屈を潰していた。

「はい。では次、トーイさん」

「……はい」

指名されたことに気が付き、羽ペンを手から離して立ち上がる。

「『ロティヤに集められた人々は女神リリメリアを見習いより美しくなるための努力を始め_____』」

一通り読み終えて座ると、オハイアリイのため息が聞こえてきた。

「……オハイアリイ様?」

ラナはそれに小声で話しかける。オハイアリイは扇で口元を覆うと、教科書に指を滑らせた。

「つまらないですわね」

「……えっ、と?」

ラナが何を返すべきか逡巡していると、オハイアリイは続ける。

「ただ女神リリメリアを褒め称えるだけのものを教科書に載せる価値はあるのかしら」

オハイアリイはくだらない、というようにもう一度ため息をついた。

「オハイアリイ様は、女神リリメリアのことが嫌いなのですか?」

「いえ、別に。女神リリメリアはこの国の始祖、敬うべき存在だと考えています。でもね、女神リリメリアの意図に気が付かず盲目的に信仰する奴らなんてのは、どこにだって溢れているのよ」

「どういうことですか?」

「……いえ、こちらの話。あなたは気にしなくていいわ」

オハイアリイの意味深な言葉にラナが当惑していると、授業終了の鐘が鳴り響く。担当教師が礼と共に講堂を出ていってざわめきが広がった。ラナが教科書を片付けて体を起こすと、オハイアリイは紙袋に詰められたクラッカーを取り出してさくさく音を立てて食べていた。花や鳥、魚など、拘られた形をしている。

「オハイアリイ様、今日はクラッカーですか?」

そう聞くとオハイアリイはクラッカーを食べる手を止め、目を瞬かせる。そして合点がいったとばかりにクラッカーの破片を口に入れた。

「……ああ。これはビスケットというのよ。クラッカーとは別物。食べてみなさい」

そう言われビスケットを一枚渡された。さく、とオハイアリイを真似て食べてみると、

「甘い!」

思わず声が出た。

「ビスケットはね、砂糖やバターを使っているお菓子なのよ」

「お菓子なんですか?」

一見して、母がよく朝食に出していたクラッカーと代わりはない。

「お菓子って、すごいんですね……」

「ラナ、貴方はお菓子を食べたことはないの?」

「実家は貧乏でしたから、あまり。パンケーキを食べたことがあるくらいです」

ふうん、とオハイアリイは鼻を鳴らし、また授業開始の鐘が鳴る。教師が入ってくるぎりぎりに、オハイアリイはもう一枚ビスケットを食べさせてくれた。




「ああ、疲れた」

全ての授業を終えると、思わず疲れが漏れ出る。それを目ざとく見つけたオハイアリイは、扇を勢いよく開いた。

「ラナ、このあと用事はあって?」

「いえ、ありませんけれど……」

「ならわたくしに付き合ってくださるかしら」

オハイアリイに連れられ、ラナは四日ぶりに大学校の敷地を出た。

「どこに行くんですか?」

「とっても楽しいところでしてよ」

校門から徒歩で大通りに出ると、馬車が止まっていた。オハイアリイはその馬車を見つけ、勝手知ったるように乗り込んだ。ラナが尻込みしていると、御者の男が手を差し出してくる。

「どうぞ」

「ど、どうも……?」

下座に座るよう促され、鞄を胸に抱えてふかふかの椅子に腰掛ける。

「あの、これは」

「シュペルフレーク家の馬車。心配しなくてよろしくてよ」

馬車は軽快な音を立てて大通りを下る。窓の外は景色が風のように流れていった。窓の隙間から入ってくる涼しい風がラナの髪をなんども攫う。

「あの、オハイアリイ様。先ほど、女神リリメリアのお話を……」

「ええ、なにか聞きたいことがあったの?」

「最後に仰っていたことの意味をお伺いしても?」

オハイアリイは目を細め、扇で口元を覆う。

「ラナ、貴方は学力特待生ですわよね。なら、リリメリアの聖典を読んだことは」

「はい、あります」

「では序文を覚えている?」

そう聞かれて、ラナは目を天井に彷徨わせた。

「『ロティヤとは美の国、美しいものが集う国。美しいものとは千差万別、たくましきもの、しなやかなもの。美しいとはこの国の指標である』……でしたっけ」

「貴方、読んだ聖典はどのもの?」

「王宮出版のものです」

そう言うとオハイアリイはまた黙る。静寂の中に車輪が石畳にぶつかる音が響いていた。速度を止めるためのキッという甲高い音が鳴って馬車が止まる。

「行きますわよ」

「えっ、はい」

オハイアリイの背中を追いかけ馬車を降りると、眼前に大きな城が見えた。

「わっ、あれ、王宮ですか?」

「ええ。でも今日は王宮に用事はありませんわ」

オハイアリイはいたずらっぽく笑って、大通りの方へ歩いていく。馬車をふりかえると御者が深々とお辞儀をしていた。オハイアリイの背中が少し大きく見える気がした。オハイアリイはスタスタと歩いていって、人通りの多い道に出た。

「ラナ、逸れないようにね」

オハイアリイは振り返り、ラナの右手を掴む。

「行くわよ!」

「えっ、オハイアリイ様あっ!?」

ラナの素っ頓狂な悲鳴は人混みに飲まれ空に消える。オハイアリイはフルールレッドの学徒服の裾を持ち上げると、駆け出した。

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悪役令嬢XL 霰石琉希 @ArareishiLuki

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