ep.15 次なる戦場
隣に座っていた三和から指揮棒を受け取り、宮嵜は言葉を続けた。
「米太平洋艦隊司令長官のハズバンド・キンメルは、勇猛果敢な性格の持ち主ですが、同時に非常に保守的な人物だと聞きます。まずは連合艦隊がしばし動けない状態を作り出してから、拠点の攻略やフィリピンの救援に取り掛かるという手順を踏むはずです」
「つまり敵は、もう一度決戦を挑んでくると言いたいのか?」
「可能性の一つとしては考えられます。開戦と同時に敵は第一艦隊に傷を負わせ、マリアナの制空権も確保しました。しかし帝国海軍の水上砲戦部隊は、この『伊勢』を始め『日向』『山城』『扶桑』の戦艦4隻、さらに第二艦隊も健在ですし、機動部隊に至っては無傷です。どれだけ守備隊を強固にしようと、孤立した島嶼は戦力になりえません。こちらの主力を放置したまま島嶼を奪うという作戦計画は、キンメルにとってあり得ないでしょう」
「一つ、ということは、他にも可能性があるということか?」
「はい。例えば主力艦隊を以て南方の資源地帯、さしずめ蘭印あたりを攻略に来る、などでしょうか。資源を絶てば決戦など挑まずとも連合艦隊は動けなくなります。我が国にとっての蘭印は、いまやトラックやマリアナ以上に重要な地です」
「それはいくらなんでも考えが飛躍しすぎだ」
幕僚の一人がそう言い放つと、部屋のあちこちから同調する声が上がった。決戦を避けて蘭印を直接狙うという考えは突飛に思えたのだ。
「貴官は先程、キンメルが保守的だと言ったばかりではないか。そのような人物が決戦を避けて蘭印を狙いに来る可能性は低いと考えるが」
「当の本人が保守的でも、その周りの幕僚が同様とは限りません」
「そもそも米太平洋艦隊が蘭印を攻撃するならば、オーストラリアの領海を通らなければならん。中立協定違反となる」
「違反したところで、我が国に打てる手はありません。航行のみ黙認せよ――そう米国から圧力を受ければ、オーストラリアは認めざるを得ないでしょう」
「そのような戦略をとれば、キンメルの進退にも影響を及ぼす。主力を避けて資源地帯を狙うなど怯懦にすぎる」
「第一、中立協定を破るようなことを米軍が積極的に行えば、英国やその他の国々との外交問題を生む危険性も高い」
彼らの言葉には論理の筋が通っていたが、それでも宮嵜は譲らなかった。指揮棒を机の上に置き、落ち着いた声で反論を始める。
「おっしゃる通り、米国の中立協定違反には大きなリスクがあります。しかし、そのリスクを乗り越えてもなお魅力的な戦略である、という可能性を考慮すべきではないでしょうか。資源輸送を根底から断たれた我が国が、この戦争を長期に持ち堪えることは不可能です」
宮嵜は部屋を見渡しながら言い切った。
反論を口にしていた幕僚たちも黙り込み、場は膠着したまま動かなくなる。
ようやく沈黙を破ったのは、長官の嶋田だった。
彼は宮嵜に目を向けつつも、全体を宥めるように声を落ち着かせながら問う。
「水雷参謀に問いたい。貴官の推測は別として、米太平洋艦隊にそれだけの戦力が残っているのか?」
一艦隊との交戦で戦艦4隻を失い、3隻を損傷した太平洋艦隊に、さらなる作戦行動を行う余裕があるのかと言いたげだった。
「マリアナ、硫黄島を強襲した敵機動部隊は無傷です。ハワイに戻り、燃料弾薬の補給と搭乗員の休息を済ませれば、すぐにでも再出撃できるでしょう。さらに水上砲戦部隊についても、トラックから無傷で逃げおおせた戦艦が2隻、参戦しなかった戦艦が1ないし2隻、さらに未確認ではありますが、大西洋からニューメキシコ級戦艦3隻が太平洋に配属されたとの情報もあります」
「戦艦7、空母6、か……」
嶋田は腕を組み、しばらく黙した。
部屋の中を漂う緊張は、時間が止まったかのような錯覚を覚えさせる。
「敵が再び戦いを仕掛ける力を備えていることは、否定できぬ」
宮嵜の分析を支持するように嶋田が頷き、話を続けた。
「次なる海戦に敗れることは、亡国に直結する」
嶋田の言葉に、千田が眉をしかめながら問う。
「敵が新たな動きを起こすとして、時期はいつ頃になるだろう」
「早ければ三ヶ月後――来年の初頭と予想します」
「つまり我が軍は三ヶ月の間にフィリピンを攻略し、蘭印からの南方航路を確保すると同時に、敵主力との決戦に備えなければならない、ということか」
現状を確認するように、千田が言った。
「この際、フィリピン制圧よりもグアム攻略に方針を変更してはいかがでしょう。グアムは基地拡張の最中であり、かつ敵の機動部隊はすぐに動けない状態にあります。四艦隊と五艦隊を使えば攻略は容易かと。マリアナの守りを固めた上で、改めて米太平洋艦隊を迎え撃つべきでは」
三和が発言し、幾人かの幕僚が同意するように頷いた。
第四艦隊は一航戦と二航戦を軸とする機動部隊の主力で、空母5隻――『赤城』『土佐』『飛龍』『蒼龍』『天燕』を擁する。
第五艦隊は四航戦と五航戦を軸とするもう一つの機動部隊で、新鋭空母の『翔鶴』『瑞鶴』と小型空母の『龍驤』『瑞鳳』を擁する。
グアムの航空戦力を一掃し、マリアナの制空権を取り戻すには十分な戦力だ。
南方航路を維持するためにフィリピン制圧を優先する、というのが開戦前の方針だったが、それを堅持するよりも柔軟に対応するべきではないかとの意見だった。
「それはならん。四艦隊と五艦隊は米太平洋艦隊との決戦兵力だ。グアムで消耗してしまっては、敵の機動部隊を迎撃する存在がいなくなる」
「ですが、猶予は三カ月しかありません。その間にフィリピンを仕留められなければ、我が軍は燃料おぼつかぬ状態で決戦を迎えることになります」
宇垣の言葉に、三和はなおも食い下がった。
「方針を変更するつもりは無い」
両者の間に割って入るように、嶋田が断固たる口調で言った。
「マリアナが事実上敵の手に落ちたことは大事ではあるが、艦隊が健在であれば奪還は可能だ。しかし燃料がなければどうにもならん。艦隊は動けず、航空機は飛べぬ。フィリピンを抑え、南方航路の安全を確保することは、戦争を継続するにおいて最優先の課題なのだ」
嶋田の言葉に、三和は一礼して引き下がった。
目くばせを受けた宇垣が、幕僚ら全員に向かって宣言するように言った。
「作戦案の検討に移ろう。フィリピンをいかにして制圧するか、それまで南洋方面の戦線をいかに支えるか。そしてきたるべき米太平洋艦隊との決戦においてどのように戦力を投射するか。諸官の活発な討議を期待する」
♢♦♢♦♢♦♢
真珠湾に帰投した四個任務部隊のうち、水上砲戦部隊であるTF1とTF2は戦いの跡をくっきりと留めていた。
特に被害が大きいのは太平洋艦隊の主力ともいえるTF1だ。
旗艦『ペンシルベニア』とコロラド級の『メリーランド』、テネシー級の『カリフォルニア』が姿を消している。
生き残った戦艦3隻のうち、ペンシルベニアの姉妹艦である『アリゾナ』とメリーランドの姉妹艦である『ウェストバージニア』は無傷だが、『テネシー』は魚雷一本を撃ち込まれ、既にドックへ放り込まれている。
第8巡洋艦戦隊のブルックリン級軽巡2隻は無傷だが、
被害はそれだけにとどまらない。
TF2の戦艦、巡洋戦艦のうち、ノースカロライナ級の『ワシントン』が沈没。
生還したネームシップの『ノースカロライナ』と巡洋戦艦『レキシントン』は、いずれも大破と推定される被害を受けている。多数の被弾により通信機能が全損。僚艦との意思疎通が不可能になり、被害が増大した形だ。
第5巡洋艦戦隊のニューオーリンズ級重巡4隻は、ミョウコウ・クラスと思わしき重巡2隻と、モガミ・クラスと思わしき軽巡4隻から集中砲火を浴び、『タスカルーサ』が轟沈、『サンフランシスコ』と『ミネアポリス』の2隻が損傷した。
ミネアポリスの損害は特に酷く、魚雷で艦首そのものが吹き飛んでいる。いつ沈んでもおかしくない状況だ。
第17、第20、第24駆逐隊の駆逐艦12隻は、敵水雷戦隊の雷撃によって7隻沈没の大損害を受け、生還できたのは5隻だけという惨状である。
被害算出の最終報告では、戦艦『ワシントン』『メリーランド』『カリフォルニア』『ペンシルベニア』、重巡『タスカルーサ』、駆逐艦10隻――『ランズデール』『ヒラリー・ジョーンズ』『ウッドワース』『ファーレンホルト』『バンクロフト』『ボイル』『シャンプリン』『ウィルクス』『ニコルソン』『スワンソン』が沈没。
戦艦『ノースカロライナ』、巡洋戦艦『レキシントン』、重巡『ミネアポリス』が大破。戦艦『テネシー』、重巡『サンフランシスコ』が中破。
TF1司令部は、司令官のウィリアム・パイ以下、幕僚全員が未帰還。
指揮権を移譲された戦艦『アリゾナ』艦長のフランクリン・ヴァルケンバーグが、辛うじて残存艦艇を連れ帰っている。
TF2に至っては戦艦がいずれも撃沈、通信不能となった結果、司令部不在という混乱に陥った。口なしとなり撤退する『ノースカロライナ』『レキシントン』に代わり、第5巡洋艦戦隊の指揮官だったレイモンド・スプルーアンスが、護衛艦艇をまとめて何とか海域を離脱、真珠湾まで帰投している。
軍施設には、いまだに疲弊しきった将兵たちの姿があった。
真珠湾に集結した彼らの表情は一様に暗く、出迎えの兵士たちも掛ける言葉を選べていない。負傷者が多すぎ、軽傷や疲労した者への手配が間に合っていないのだ。
多くの艦艇が煤と焼け跡を残し、戦闘の熾烈さを物語っている。
「これほどの被害を受けるとは……」
太平洋艦隊司令長官のハズバンド・キンメルは厳しい表情で沈思していた。その手元には、各艦隊からの詳細な被害記録と、戦闘記録が置かれている。
彼の声には憤りと自責の念が混じっていた。
ここ数日、損害の規模に打ちのめされながらも、キンメルは職責を果たした。
真珠湾の太平洋艦隊司令部の幕僚らに命じ、艦艇から回収した各種記録から、今回の戦闘を詳細に分析する作業が始めさせると共に、負傷者の入院手配、戦死者名簿の作成、損傷艦の被害レベル調査とドックへの割り振り等々。
キンメルをはじめ艦隊司令部幕僚から、睡眠という行為は完全に抜け落ちていた。
一通り指示を出し終えてから、キンメルはロンパイア作戦に従事した指揮官らを自身の長官室に呼び出した。
TF1の指揮を代行した『アリゾナ』艦長のフランクリン・ヴァルケンバーグ。
同じく砲戦を生き残った戦艦『ウェストバージニア』『テネシー』の艦長。
TF2の司令官アイザック・キッド、及び、TF2の護衛艦艇を連れ帰った第5巡洋艦戦隊司令官、レイモンド・スプルーアンス。
硫黄島を奇襲したTF8の司令官フランク・フレッチャー。
そして、サイパン、テニアン島を壊滅させたTF12の司令官ウィリアム・ハルゼーらがキンメルの前に顔を揃えた。
キッドは戦艦『ノースカロライナ』が被弾した際に負傷したため、左腕を首から吊り、頭には包帯が撒かれている。乗艦同様の満身創痍だった。
キンメルは、ゆっくりと目の前の提督たちを見渡した。
誰もが個々の任務において最大限の力を尽くしたと認識しているが、現実として突きつけられた水上砲戦部隊の大損害という問題と、マリアナ、硫黄島方面における機動部隊の大勝という賞賛とが、キンメルの脳裏で入り交じっていた。
「諸官が集まってくれたことに感謝する」
低く抑えたキンメルの声が響いた。
「まず初めに、この場で一つ誓わせてもらいたい。本官は、本作戦で払った多くの犠牲を決して無駄にはしない。諸官が持ち帰った経験と記録は、これからの戦いを導くための貴重な教訓だ。かの状況でなお生還し、真珠湾に艦艇を連れ帰った事実を、司令部は最大限に評価する」
スプルーアンスとヴァルケンバーグは顔を見合わせた。
敗北の責任を厳しく追及されると考えていたのか、心底意外な表情をしている。
一方、最新鋭戦艦の『ワシントン』を撃沈され、乗艦も手酷く痛めつけられ、任務部隊を指揮官不在の状況にしてしまったキッドだけは、表情を崩していなかった。
「トラック奇襲について、必ずしも現場の責任とすることはできないと考えます」
フレッチャーが発言し、キッドへと視線を向けた。
「聞くところによれば、日本艦隊は奇襲を予想し、環礁の外で待ち受けていたとか。いくら数に勝る戦力とはいえ、これでは闇夜から逆に奇襲を受けたようなものです」
「それは結果論に過ぎんよフランク。敵の水上部隊が待ち受けている可能性についても考慮はされていたのだ。戦艦を4隻も失って、私が責任を免れることはできまい」
キッドが沈痛な声で言った。
合衆国軍は信賞必罰に厳しい組織だ。
下種な手段を取るのであれば、全ての責任を戦死したパイに押し付けてしまうということもできなくはないが、それが艦隊の今後にとって望ましい形だと思わない。
「発言を許可願います」
声の主はスプルーアンスだった。
階級がやや低いため、本人としては遠慮した口調のつもりでいるらしい。
キンメルが許可を出すと、彼は淡々と切り出した。
「損害が大きくなった原因は、我々の敵に対する無知にあると考えます」
駆逐隊が敵の水雷戦隊の雷撃によって大きな被害を被ったこと。
その後、戦艦2隻が同じ水雷戦隊の雷撃で葬られたこと。
戦闘終盤に飛び込んできた双発機の攻撃によって、TF1旗艦が沈められたこと。
「敵水雷戦隊が友軍の駆逐隊を雷撃したとき、双方の距離は
際どい――と、キンメルの側に控える、太平洋艦隊首席参謀のチャールズ・マックモリスは内心で呟いた。
一歩間違えれば、司令部や幕僚への批判とも受け取られかねない言葉だ。
スプルーアンスの発言を受け、キンメルがゆっくりと問い返す。
「つまり、司令部の諜報不足が事態を悪化させたと言いたいのかね?」
「その通りです、長官。敵を侮り、十分な対応策を持たないまま戦場に赴いた代償が、敗退と5000を超える将兵の命です。水雷戦隊への警戒が怠りなく行われていれば、駆逐隊が魚雷の射程外で壊滅することも、戦艦部隊が回避すらせず被雷することもなかったでしょう。トラックに配備された敵の航空部隊について情報を収集していれば、それが雷撃を目的とした機体であると分かったはずです。戦艦同士の艦隊戦に航空機で殴りこむなど、合衆国軍の戦術には存在しません。日本軍など大したものではない――敵はそんな我々の傲慢と驕りをまんまと利用したのです」
スプルーアンスの冷静な指摘に、部屋はざわめき立つこともなく、静まり返った。
内容が辛辣であっても、その分析が的確である以上、否定する者はいなかった。
静寂の中、フレッチャーが力強い声で言った。
「戦艦4隻の損失は痛手ですが、決定的な敗北ではありません。トラックに敵主力が引きつけられたお陰で、我々機動部隊はサイパン、テニアン、硫黄島を蹂躙することができましたし、輸送船団をグアムに入港させることができました。同地に敵の水上部隊がいれば、こうはならなかったはずです」
「機動部隊に損失はありません。戦力を再編し、ジャップに復讐戦を挑むことは、十分に可能です」
「――その通りだ、諸君」
ハルゼーが力強く締めくくると、キンメルは大きく頷いた。
「再戦の時期は、いつ頃になるでしょうか」
「2カ月は待たねばなるまい。その頃にはニューメキシコ級を戦艦群に編入できるし、空母も大西洋から『レンジャー』が回航されてくる。必勝を期すなら、それくらいはしなければならんだろう」
「日本海軍の機動部隊はいまだ無傷です。もし奴等がグアムの攻略を試みた場合、持ち堪えられますでしょうか」
「海兵隊と陸軍戦略航空軍が、防衛に絶対の責任を持つそうだ。補給については我が海軍の担当となるが、既に艦艇と将兵の選抜は終了している。だが、万が一となれば機動部隊も出すことになる。連戦となるが、覚悟はしておいてくれ」
キンメルの言葉に、機動部隊を率いるフレッチャーとハルゼーはともに頷いた。
望むところだ――そう言いたげだった。
「順当に考えれば、次の作戦はトラックの攻略か、あるいはサイパン、テニアンの制圧になるかと思う。いずれも日本海軍と正面から激突することになるだろう。実戦を戦った諸官の意見を聞きたい。後日その機会を設けようと考えている」
キンメルの言葉に各々が決意を固める中、スプルーアンスが静かに口を開いた。
「場違いであることを承知で申し上げます」
告げると、スプルーアンスはひとりひとりを見つめ、続けた。
「正面から戦うだけが、敵を打ち倒す手段ではありません。この際、日本という国家そのものの根幹に打撃を与えてはいかがでしょうか」
極光の戦旗 あおひしお @498455154
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