ep.14 要塞来たる

 空襲警報と重なるように、中島『栄』一二型エンジンの爆音が、台湾の高雄飛行場に響いていた。

 二一航戦第21航空戦隊に属する零戦二一型が暖機運転を終え、次々と滑走路に向かってゆく。


――在フィリピン米軍らしき四発重爆の編隊見ゆ。位置、高雄よりの方位一八〇、130里。敵は高雄ないし台南飛行場の攻撃を企図するものと認む


 そんな緊急信が哨戒艇から送られてきたのだ。

 この時すでに、日米開戦の事実とともに、マリアナ諸島や硫黄島が奇襲を受けたという情報は届けられている。マリアナと台湾の時差や、フィリピンと台湾の距離を考えれば、奇襲を行うのは困難だ。そのため米軍は被撃墜リスクの低い四発重爆、B17をもっての正面攻撃を選択したに違いない。

 台湾防空を管轄する一一航艦第11航空艦隊は直ちに迎撃を決断し、高雄の二一航戦、二二航戦、そして台南の二五航戦に出撃を命じたのだ。


 滑走路の爆音が一層高まる。

 飛行隊長を務める横山保の零戦が、真っ先に離陸を開始した。

 プロペラの回転で土埃を巻き上げながら、高雄飛行隊の滑走路を駆け抜け、大地を蹴って大空へと舞い上がる。


 艦上戦闘機として設計された零戦は長い滑走距離を必要としない。

 一機、また一機と切れ目なく離陸が続く。

 高雄飛行場の上空を旋回する零戦は、朝日の中で銀翼をきらめかせる。


「次は俺たちの番だな」


 零戦のキャノピー越しに杉原誠二は呟く。

 目の前では小隊長の赤松貞明の零戦が今まさに飛び立とうとしている所だった。

 杉原はエンジン・スロットルを全開にした。短距離走の選手のような勢いで零戦が走り始める。機体は加速され、着陸脚が地上から離れた。


 機首を上に向けた杉原の零戦は、先に離陸した赤松機を追うように上昇してゆく。

 機体は雲を突き抜け、高度5000メートルにまで達した。


「いいぞ、快調だ」


 編隊に合流しつつ、機体の動きを確かめながら、杉原は言った。

 冷たい空気が風防越しに吹き込むような感覚を覚える中、杉原は自機の微細な挙動に意識を集中していた。軽く操縦桿を左右に動かしてみる。機体の反応は正確で、まるで手足の延長のように動く。

 杉原はふぅと長く息を吐いた。


「……落ち着け」


 高雄飛行隊には大陸で戦ってきた猛者も多い。

 杉原の小隊長を務める赤松もその一人だ。

 だが杉原は今回が初めての実戦である。否応なく気持ちは高ぶった。


――いいか小僧、黙って俺のケツについてこい。離れたら死ぬと思え。


 出撃前に赤松から凄むように言われたことを堅実に守るつもりだった。


 北を見ると、一群の編隊が接近してくる。

 台南航空隊の零戦だ。こちらも高雄と負けず劣らずの精鋭揃いだと聞いている。

 もっとも赤松をはじめ、黒岩利雄、樫村寛一といった大陸帰りの猛者たちは「台南なんざヒヨッコの集まりだ」と息巻いていたが。


 二隊が揃ったところで、横山の零戦がバンクした。

 今回の迎撃では、高雄飛行隊長の横山が総指揮を執ることになっている。

 高雄、台南あわせて84機の零戦が、南下を開始した。


 海岸線が瞬く間に後方へと消え去り、編隊はバシー海峡の上空に出る。

 眼下には海が青々と広がり、無数の小波が朝日にきらめいている。

 その美しさを感じつつ、操縦桿を握る杉原の手は、微かに汗ばんでいた。


 数分後、無線電話機のレシーバーに鋭い声が飛び込んだ。


「右前方、敵重爆編隊!」


 イギリスの技術を基に開発された航空機用の無線機だ。

 雑音は混じるものの、従来のものとは比較にならないほど聞き取りやすい。


 杉原は右前方を見た。多数の黒い影が視界に入ってくる。

 一組20機ほどと思われる梯団が二隊、横並びに飛行している。

 おそらくB17――空の要塞フライング・フォートレスの異名を持つ、米軍の最新鋭爆撃機に違いない。


「横山より全機へ。高雄隊は右、台南隊は左の梯団を狙え。連中に台湾を拝ませるな、叩き落とせ! 攻撃開始!」


 攻撃開始の言葉に弾かれた様に、零戦が一斉に散開する。

 各小隊ごとに、思い思いの方向からB17の編隊に突入していった。


♢♦♢♦♢♦♢


 10月28日に各方面で行われた戦闘について、連合艦隊司令部が情報を把握できたのは、時計の針が翌日に差し掛かった頃だった。


「これまで入ってきた情報によれば、米軍はトラック奇襲と併せて、三方面で戦闘を開始しています。第一に台湾、第二にサイパン、テニアン両島、第三に硫黄島です」


 連合艦隊の旗艦に定められた戦艦『伊勢』の作戦室で、戦務参謀の山本裕二がそう切り出した。

 連合艦隊には長らく最強の戦艦を旗艦として司令部を置くという伝統があったが、加賀、長門、陸奥の3隻が第一艦隊ごとトラックへ派遣されてしまったため、次席である伊勢が旗艦とされていた。


「まず、マリアナ方面についてですが――サイパン、テニアンは全飛行場が使用不能。二三航戦第23航空戦隊は事実上壊滅したものと思われます。また時を同じくして、グアムに大量の輸送船が入港したとの情報が第六艦隊司令部より上がってきております」


 参謀長の宇垣纒が額を指で押さえながら、視線を山本に向けた。


「米軍はまず、マーシャル、トラックを抑えに来ると思っていたが……」


 重苦しい宇垣の問いに、山本は一瞬目を伏せ、言葉を選ぶようにして返答した。


「マリアナを抑えれば、トラック、マーシャルは立ち枯れになると考えているのかもしれません。マリアナの制空権を喪失すれば、我が軍は内南洋への中継点を失います。補給も増援もおぼつかなくなり、米軍は手を出さずとも南洋を抑えられます」


 言葉は端的だったが、その内容や声色は重い。


「第六艦隊が確認した輸送船団はおそらくそのためのものでしょう。グアムを一大航空要塞へと仕立て上げることができれば、わざわざサイパンとテニアンを攻略せずとも、同地の無力化には成功します」


 部屋の中に微かな溜息が漏れ、作戦室の空気が一段と張り詰めるのがわかる。


「次に硫黄島についてですが、こちらも事態は深刻です。全飛行場が使用不能になったほか、掩体壕に秘匿していた零戦3機を除いて稼働機はゼロになりました。艦攻も水偵も、一機も残っておりません。滑走路の復旧については、敵機動部隊が去り次第、外部から物資を運び込んでからとなる予定です」


 帝国海軍はマリアナ方面の防空力を高める目的で、硫黄島を経由して戦闘機部隊をサイパンに進出させる予定だった。掩体壕にいた零戦はその先発隊である。


「ただ……両方面に共通しているのは、米軍に上陸作戦を企図する様子がないという事です。サイパンの二三航戦、硫黄島の二八航戦、両司令部から被害状況の打電はありましたが、いずれからも地上戦が始まったとの報告はありませんでした」


 山本が答えるに次いで、航空参謀の千田貞敏が口を開いた。


「先ほど戦務参謀が述べた通り、米軍の狙いはグアムの航空要塞化にあると思われます。同地を米軍が維持し続ける限り、トラックは前線基地として使えません。飛行場拡張、航空部隊展開の時間を稼ぐべく、同地を攻撃可能なサイパン、テニアン、硫黄島を同時に潰しにかかったのでしょう」

「サイパン、テニアンへの増援はできんか? 工作機械を揚陸すれば飛行場の復旧は可能と考えるのだが」

「遺憾ながら、困難と言わざるを得ません。今の状態で裸の輸送船団を突っ込ませても、グアムの敵航空隊に一方的に叩かれるに終わります。サイパン、テニアンを復旧するにしても、それはグアム周辺の制空権を確保すること、すなわち機動部隊の出撃が前提となるでしょう」


 宇垣は腕を組み、思案するように深く息を吐いた。

 サイパン、テニアン、硫黄島と連なる報告の中に、確固とした米軍の意図が透けて見える。その計画性と迅速さに舌を巻きつつも、連合艦隊の参謀長として、次の一手を迫られていることを痛感していた。


「マリアナ方面における現状は理解した。台湾の戦況について報告を求めたい」

「台湾の被害は、サイパン、テニアンほどではありません」


 宇垣の言葉を受け、山本はさらに続けた。


「一一航艦司令部からの情報によれば、B17おおよそ40機による空襲を受けたとのことです。高雄飛行場の滑走路が一本使用不能になりましたが、それ以外に目立った被害はないとのことでした」


 一一航艦、すなわち二一、二二、二五航戦の戦闘機隊はいまだ戦力を残しており、明日以降の戦いに備えていると、山本は伝えた。


「80機もの零戦で迎え撃ったはずだぞ。それでも投弾を許したのか?」

「B17は非常に頑丈に作られており、20ミリ機関銃でも容易には墜ちません。また零戦隊は良く戦いましたが、それによってB17は7000メートル超の高高度に退避。手が出せなかったとのことでした」


 宇垣は小さく唸ると、千田に視線を送った。砲術専攻という門外漢の自分が何か言うよりも、航空参謀に任せた方がよいと考えたのだ。


「零戦の弱点を突かれたことになります。軽量化によって運動性を補ってはいますが、その分エンジン出力は小さく、高高度の戦闘には対応できておりません」


 千田は遠慮のない口調で言った。

 零戦は中高度では無類の強さを発揮するが、高高度では飛行するだけで精一杯だ。

 高高度からの爆撃は命中率こそ低いが、現有の戦闘機で阻止することができない。 


「しばし待ちたまえ。貴官は零戦を捕まえて、力不足だとでも言うつもりなのか?」

「戦争は技術競争の側面も持っています、参謀長。戦闘機の発達においては、より早く、より高く、より強力に、の三点です。いずれ零戦を圧倒する敵機は必ず現れますし、こと高高度において考えるなら、既に零戦はB17に対抗できておりません」

「そこを技量と精神で何とかするのが、帝国海軍の軍人ではないのか」


 宇垣の言葉に、千田の口元がぴくりと動いた。


「失礼ながら、戦艦においても同じことが言えるでしょうか。参謀長のおっしゃりようは、戦艦三笠でノースカロライナ級に勝てというに等しいことです」

「貴官は――」

「そこまで」


 思わず怒鳴り出しそうな宇垣だったが、横からの低い声に発火点を失った。

 それまで黙って報告を聞いていた司令長官の嶋田の声だった。


「内輪で争っても為にはならぬ。戦艦と同様に航空機も進化してゆく。零戦は確かに傑作機ではあるが、それに胡坐をかいていては対米戦を戦い抜くことはできぬ。航空参謀はそう言いたいのだ、参謀長」

「は……」

「航空参謀も熱くなってはならん。己の意見を伝えるときこそ、冷静でなければならぬ。兵の規範たるべき将校がそれを忘れて如何にする」

「申し訳ございません」


 双方が引き下がったことを確認してから、嶋田は千田に視線を向けた。


「後継機の開発については、航空本部と直接意見交換した方が良かろう。片桐本部長には私から話しておこう」


 そこまで言うと、嶋田は山本に続きを促した。


「次に……トラックにおける第一艦隊と米太平洋艦隊の戦闘についてですが――最終的な戦果は戦艦4隻、巡洋艦2隻、駆逐艦10隻撃沈。戦艦3隻、巡洋艦1隻、駆逐艦3隻撃破となっております」


 重苦しい雰囲気が晴れるように、参謀たちの間から感嘆の声が漏れた。

 流石は古賀長官だといった囁きが交わされる中、淡々とした口調で読み上げる。


「我が軍の損害につきましては、戦艦『長門』『榛名』『比叡』、軽巡『鈴谷』『阿武隈』、駆逐艦『曙』が沈没。戦艦『加賀』『陸奥』、軽巡『三隈』が大破、重巡『妙高』『羽黒』、駆逐艦『潮』『浜風』『陽炎』が小破となっております」

「長門を失ったか……」


 嶋田の呻くような声が作戦室にこぼれた。

 名うての大艦巨砲主義者である嶋田にとって、40センチ砲戦艦である長門の損失は、それこそ身を斬られるような落胆だったに違いない。


「いや、戦争とは相手があるものだ。無傷で勝てると思うのは虫が良すぎるか」


 嶋田が呟いた。


「太平洋艦隊の総動員といってもいい戦力に立ち向かい、撃退に成功したのだ。勝利のための致し方無い犠牲と考えねばならん。古賀を始め、一艦隊の将兵らを褒めてやらねばなるまいな」

「長官、ことは水上砲戦部隊だけの戦果ではありません。艦隊戦のさなか、劣勢に陥った一艦隊を救ったのは陸攻の空襲です。これについても称賛あって然るべきかと」


 嶋田の言葉に、作戦参謀の三和義勇が付け加えるように言った。

 三和は嶋田とは真逆の航空主兵論者であり、もとは軍令部総長である山本五十六の意向で、軍令部への配属が求められていた。だが航空機の力が増大しつつある現状を鑑み、連合艦隊司令部への配属になった過去がある。


「作戦参謀の言う通り、これからは戦艦と航空機が、海戦を支える両輪となってゆくのかもしれん。事実我々は敵機動部隊による攻撃でマリアナを抑えられ、硫黄島の制空権すら喪失したのだ。以後の戦略戦術についても考えを改めねばなるまい」

「開戦初日における戦果と被害状況が共有できたところで、米軍の意図の分析に移りたいと考えます」


 嶋田の言葉を受け、参謀長の宇垣纒が発言する。


「敵はトラック、マリアナ、硫黄島、台湾と非常に広い範囲で同時に作戦行動を起こした。この意図は奈辺にあると考えられるか。忌憚のない意見を期待する」


 まず最初に口を開いたのは、首席参謀の田村三郎だった。


「米軍の方針には、中部太平洋の制圧に主眼が置かれているように思われます」

「その根拠は?」

「開戦初日の動きは、一目では各方面で同時に攻撃を仕掛けただけに見えますが、その目的は統一されています。トラックを奪えばマーシャルは孤立し米軍の手に落ちるでしょうし、その上でマリアナの制空権を奪うことができれば、ハワイからグアムまでが一本の線で繋がり、我が軍は南洋の全域を失陥します。米軍は開戦と同時に、我が国の国防ラインを大きく食い破る目論見があったと思われます」

「敵は主力艦隊でトラックを、機動部隊でマリアナを襲い、同時に奪おうとした。だが主力艦隊がトラックで敗退したため、グアムの維持に方針を切り替えた、と?」

「より具体的に言えば、グアムを維持し、マリアナの制空権を確保しつつ、マーシャル、トラックの占領にかかってくると考えます」

「初手は奇襲、以後は定石どおりに来るか」


 宇垣が呟いたところで、政務参謀の藤井茂が発言した。


「政治的な推測になりますが、米軍がフィリピン救援を考えている可能性はないでしょうか」

「マリアナやトラックを狙ったのは、フィリピンを救援するためだということか?」

「はい。フィリピンは総面積、人口ともに米国最大の海外領土です。同地に利権を有する者も少なくありませんし、南方から我が国に資源を運ぶ船団を、恒常的に脅かすことが可能となる唯一の拠点です」

「理屈は分かるが、地理的な条件も考慮しなければならぬ」


 窘めるような口調で田村が発言した。


「フィリピンは米軍の拠点から遠すぎる。無論救援については考えているだろうが、それはマーシャル、トラック、マリアナといった地点を攻略してからになるだろう。いきなり同地を飛ばしてフィリピンに現れる可能性は低いのではないかな」

「水雷参謀はどう考える?」


 宇垣の問いに、それまで沈黙していた水雷参謀の宮嵜俊男が重々しく口を開いた。

 宮嵜は、海軍兵学校時代の図上演習で米軍側を担当した折、一切の忖度なく淡々と連合艦隊を壊滅に追い込み、教官連中から大顰蹙を買ったという異才である。

 だがその才覚を嶋田は高く評価しており、水雷学校の教官になるはずだった彼を強引に連合艦隊の参謀として引き抜いていた。


「私は、米軍の主目的はマリアナにも、フィリピンにも無いと推察いたします」

「では貴官は、米軍の狙いは何処にあると言うのだ」


 誰もが疑問符を浮かべた中で、海兵同期の三和がほぼ反射的に問いかけた。


「連合艦隊そのもの、ではないでしょうか」

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