ep.13 空の鉄槌
「これは勝利と言えるのか、それとも敗北と言うべきなのか?」
第一艦隊旗艦『加賀』の艦橋で、古賀峰一は誰にともなく呟いた。
多くの幕僚が顔を揃えているが、彼らを包む空気は重い。
「勝ち――と判断してよいと考えます。我が軍はトラックを強襲した米太平洋艦隊に、多大な損害を与えて撃退しました。戦略、戦術双方において、勝利を収めたと認識するべきです」
参謀長の醍醐忠重が平静な口調で言った。
星条旗を掲げた艦艇は、既に海域から姿を消している。残っているのは、もはや生還の見込みがない、沈みかかっているものだけだ。
「……手放しで喜べる損害ではないな」
古賀は小さく呟き、視線を照射された海面の一角に向けた。
戦艦『長門』――帝国海軍が保有する40センチ砲戦艦の一隻が右に傾斜し、沈みかかっている。最後まで砲撃を続けた第一主砲も、砲戦で破壊された第二主砲も、半分以上が海水に洗われている状態だ。
米最新鋭戦艦――ノースカロライナ級との砲戦で主砲塔二基を失うという大きな損害を受けたものの、それ以外の部位は健在であり、十分に内地へ戻れるはずだった。
しかし戦闘終盤、敵の
他にも、三戦隊旗艦の戦艦『榛名』は、敵艦隊との砲戦によって弾薬庫が誘爆、司令部もろとも轟沈。
十一戦隊の戦艦『比叡』も多数の36センチ、40センチ砲弾の被弾による大火災を起こし、「沈火見込み無し」との報告の末、総員退去が命じられた。
これに巡洋艦や水雷戦隊の損失が加わる。
最終的な損害は、戦艦『長門』『榛名』『比叡』、軽巡『鈴谷』『阿武隈』、駆逐艦『曙』が沈没。戦艦『加賀』『陸奥』、軽巡『三隈』が大破。さらに重巡『妙高』『羽黒』の2隻も、大破には至らないが損傷したとの情報があげられている。
一方戦果については、各戦隊および航空隊の戦果を集計した結果、戦艦4隻、巡洋艦2隻、駆逐艦10隻撃沈。戦艦3隻、巡洋艦3隻、駆逐艦3隻撃破となる。
中小型艦艇については、戦果の重複を防ぐべく詳しい調査が必要となるが、戦艦4隻の撃沈は確実だ。
特に戦艦『ワシントン』――捕虜からその名が判明したノースカロライナ級の2番艦を撃沈したことは大きい。
何より戦闘終結後、トラック近海は日本側が支配している。
その事実を鑑みれば、勝利と判断するのは妥当だったが――
「長門を失っただけでなく、この加賀も陸奥も、複数の主砲塔を失う損害だ。修理はすぐには終わらんだろう。帝国海軍は事実上、全ての40センチ砲戦艦を前線から失ったことになる」
「敵の規模を考えれば、やむを得ざる被害だと考えます。来襲した敵戦艦は9隻、それも全てが金剛型より強力な艦艇でした。一歩間違えれば、我々が壊滅していた可能性もあります。戦艦3隻の損失は痛いですが、十分被害を抑えたと言えるかと」
「それに我々にはまだ、機動部隊という手札もあります。長官」
醍醐に次いで作戦参謀の大石保が付け加えるように言った。
古賀はしばらく視線を海図の上に落としたままだった。
「機動部隊か……未知数だが、任せるしかないだろうな」
静かに呟くと、古賀は顔を上げた。
「これだけの敵艦艇を撃沈し、米太平洋艦隊の戦艦群に致命的な打撃を与えたのは紛れもない事実です。もし敵が戦艦群の再編成を行うならば、少なくとも数カ月の時がかかるでしょう。その間、攻勢に出て来るであろう敵の機動部隊には、こちらも機動部隊で対処し、水上砲戦部隊は戦力の回復に努めれば良いのです。何より我々には『大和』があります」
大石が口を開き、慎重に言葉を選びながら語った。
「長官、我々も引き上げましょう。敵が撤退した以上、一艦隊が現海域に留まる理由はありません。損傷艦を火急速やかに内地に戻し、修理を施す必要があります」
醍醐の意見具申に、古賀は首を横に振った。
「今しばらくは現海域に留まる。沈没艦の乗員救助が終わるまで、我々だけが引き上げるわけにはゆかぬからな」
♢♦♢♦♢♦♢
警報が鳴っている。
夜明け前の紫紺に染まった空の下、マリアナ・サイパン島の南部に位置するアスリート飛行場には、不吉な音色が響き渡っていた。
現地部隊に日米開戦の情報が入ってから5分足らず。
敵機来襲を告げる空襲警報が、戦争が始まったことを声高に知らせていた。
駐機場に引き出された
搭乗員がコクピットに飛び乗り、大勢の整備員が取り付いてなんとか邀撃機を上空にあげようと必死になっている。
だが、その動きは余りに遅い。
「て、敵機っ!」
引きつったような声で空を指差し、整備員の一人が叫ぶ。
周囲の視線が一斉に指差す方向へと向かい、誰もが息を呑んだ。
南東の空、大量の影が雲の間から湧き出すように出現している。
数が多い。少なくとも10機、20機という規模ではない。
今まさに滑走路から飛び立った九六戦を発見したのだろう。敵編隊が大きく散開する。上空に傘を掛けるように広がり、飛行場に接近してくる。
直後、空中の二ヶ所で火焔が躍った。
なんとか離陸に成功した九六戦の2機が、ともに炎に包まれている。
1機は黒煙を引きずりながら急速に高度を下げてゆく。もう1機は機体を大きく傾かせ、爆炎とともに四散した。
「駄目だ、避退しろ!」
敵機の爆音が増大する中、飛行長の叫び声が響いた。
「逃げろ! 逃げるんだ!」
九六戦に取り付いていた整備員や搭乗員が弾かれたように駆け出し、逃げてゆく。
もう離陸は間に合わない。この状況で滑走路に突入しても地上撃破されるだけだ。
敵機は高度を下げ、急速に接近してくる。
中翼配置の主翼、角型に成形された翼端、酒樽のように太い胴体。
グラマンF4F、ワイルドキャット――米海軍の主力艦上戦闘機は、胴体や主翼に描かれた星のマークをこれ見よがしに見せつけながら舞い降りる。
先頭をきって突っ込むF4Fの主翼に発射炎が光り、四条の火箭が延びる。滑走路近くに放置された九六戦は燃料タンクを撃ち抜かれ、みるみるうちに炎に包まれた。
さらに滑走路を素通りした別のF4Fは駐機場に機首を向ける。
主翼に被弾した九六戦は炎を上げてへたり込み、胴体に被弾した九七艦攻は外板を引き裂かれ、穴だらけになってゆく。隅に止められている輸送機にもF4Fは襲い掛かり、容赦なく残骸と化してゆく。
敵機が掃射を繰り返す度、火柱が次々と立ち上がり、黒煙が紫紺の空を染める。整備員たちは必死に物陰へと駆け込むが、至る所で炸裂する弾薬や機体の爆発により、あらゆる場所が危険地帯と化していた。
駐機場の標的をあらかた仕留めたと判断したのか、今度は対空砲陣地が狙われる。
陣地の多くは無人のまま掃射を浴びた。シートが引き裂かれ、ハンドルや銃身、照準器が次々と吹き飛ばされ、陣地は瓦礫の堆積場のようになってゆく。
仕上げと言わんばかりに、甲高いサイレンのような音と共に、敵の急降下爆撃機が滑走路に爆弾を叩き付ける。
地面を通じて鈍い衝撃が幾度となく伝わると共に、滑走路には多数の爆弾穴が穿たれる。もはや平らな部分の方が少ないのではないかという状態だ。短期間での復旧はどう見ても不可能だ。
駐機場、格納庫、倉庫、指揮所、監視所、そして滑走路。
飛行場のありとあらゆる場所から黒煙が上がっていた。
同じ光景は至る所で展開されている。
サイパン島西部にあるタナパグ水上機基地、同じくマリアナ・テニアン島の北飛行場、西飛行場にも、米軍機が次々と襲い掛かり、二三航戦から翼を奪ってゆく。
地上目標が機銃掃射され、急降下爆撃が目標を撃破したかと思えば、水平爆撃によって付帯設備も破壊されてゆく。
空襲の後、マリアナ諸島の上空を飛行しているのは星のマークを付けた機体のみであり、日の丸を刻んだ機体は一機もなかった。
♢♦♢♦♢♦♢
水平線から差し込む曙光が、ひとつの島を浮かび上がらせた。
水滴のような形をした小さな島だ。広大な太平洋においては芥子粒のように思えるが、それが今回の攻撃目標だった。
空母『サラトガ』爆撃飛行隊を率いるジョシュア・ハンターは、愛機の
迎撃戦闘機と思わしき姿は全く見当たらない。
硫黄島――今回の攻撃目標となる島は、いまだ眠りの中にあるように思われた。
おそらく今頃は、ウィリアム・ハルゼー率いる
一方で、ロンパイア作戦の中でハンターたちに任された役割は、小笠原諸島にある硫黄島を奇襲し、航空機運用能力を完全に奪い去ることだった。
彼らが属しているのは、フランク・フレッチャー率いる
情報によれば、硫黄島には二つの飛行場が存在する。
島の南部にある千鳥飛行場――コード名『ジンジャー』と、島の中部にある元山飛行場――コード名『オニオン』だ。
ハンター率いるドーントレス24機から成る『サラトガ』爆撃飛行隊の攻撃目標は『ジンジャー』。
同じくドーントレス24機から成る『コンステレーション』爆撃飛行隊の攻撃目標は『オニオン』と決められていた。
ハンターは機体をバンクさせ、後続機に合図を送る。
麾下にある『サラトガ』爆撃飛行隊のドーントレス23機はそのまま直進し、『コンステレーション』爆撃飛行隊のドーントレス24機が編隊から離れてゆく。
護衛についている各空母の戦闘飛行隊もそれに追随した。
硫黄島の島影が拡大する。
迎撃機の姿は未だに見えない。
「プライヤー・リーダーよりプライヤー、ニッパー全機へ。無線封止解除、
ハンターは、『サラトガ』『コンステレーション』両爆撃飛行隊に命じた。
スロットルをフルに開く。
一気に機体が加速され、海岸がみるみる近づいてくる。
対空砲火が来るかとも思ったが、空中に炸裂する敵弾は無い。
島の上空に入ると同時に、ハンターの目の前にターゲットの飛行場が出現した。
滑走路は一本だけだ。舗装されておらず、地面が剥き出しになっている。
さほど規模の大きい航空基地には見えない。
離陸中の機体は無いが、駐機場には多数の機体が見えた。
うち数機は滑走路に移動しつつあるようだった。
どれも単発機であり、どこか寸詰まりな印象を受ける。
おそらくクロード、日本では
「もう遅い」
ハンターは憐憫を込めつつも、慌てふためいた様子の敵に鼻で笑う。
同時に狙いを定めた。
「プライヤー・リーダーよりプライヤー全機へ。一中隊、目標、駐機場の敵機。二中隊、目標、滑走路」
「了解!」
ペアを組む偵察員のチャールズ・シモンズが応答し、『サラトガ』爆撃飛行隊に指示が送られた。
滑走路への投弾などは素人でもできる。
どうせならば駐機している機体に爆弾を叩きつけ、地上撃破を狙いたい。
操縦桿を倒すと、高度がみるみる下がりはじめ、眼下の飛行場がせり上がる。
「9000フィート……8500……8000……」
後部座席のシモンズが高度計の数値を読み上げる。
地上からの反撃は無い。全くの無抵抗だ。
「2000!」
「オーケィ、
高度2千フィートまで来たところで、ハンターは投下レバーを引いた。
足元から軽い動作音が伝わり、ドーントレスが軽くなる。母艦から運んできた500キロ爆弾が、敵機めがけて落下していったのだ。
引き起こしをかけて上昇に転じながら、ハンターは改めて周囲を見回した。
鈍い炸裂音が断続的に響き、硫黄島の至る所から黒煙が上がっている。
敵機が上がってくることは無かったのか、護衛の戦闘飛行隊も、地上目標に対して一方的に銃撃を浴びせている。
硫黄島の近辺に飛行場はない。
近隣の父島という場所には水上機の基地があることは確認されているが、水上機がやってきたところで、この状況をどうにかできるとは思えない。
余裕をもって編隊をまとめ、母艦に戻ればいい。
「プライヤー・リーダーより全機へ。編隊集合、サラトガに帰投する」
少し考えて、ハンターはシモンズに命じた。
「TF8司令部宛、打電しろ。『我、奇襲に成功せり』」
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