A,それが答え
冷田かるぼ
じゃあ、死ねば?
わたしはうずくまり泣いている。ちかちかした電灯だけが照らす、誰ひとりいない駅のホームで泣いている。夜中、唯一の明かりには羽虫がたかっていて、嫌な音ばかりを頭の奥に響かせた。
帰りたくない。生きたくない。なんでわたしだけ、こんな気持ちにならなきゃいけないの。辛い。死にたい。今すぐに。
「じゃあ死ねばいいじゃん」
声が聞こえて、思わず顔を上げる。そこにいたのは自分にそっくりの少女だった。しかし自分では到底しないようなへらへらした笑みを浮かべて、彼女は言う。
「死にたい死にたいほざくくらいなら死ねばいい、なのになんで死なないわけ?」
呆然とするわたしの頭をがしりと掴んで、突き刺すような視線をこの瞳の奥に焼き付けて。もう一度嘲笑うように叫ぶ。
「死にたくないんだろ? こんなにも惨めなのに、生き続けて受ける恥よりも死ぬ苦しみの方が怖いんだ、お前は!」
きんきんした声が真っ暗な駅に響いて、闇夜に吸い込まれていく。ぐちゃぐちゃに乱された髪は自然と解け、ヘアゴムが地面に落ちた。垂れてくる横髪が鬱陶しく頬を撫でる。それをどうする気力もなくて、わたしは呆然としていた。
目の前に映っているのは、見たくもない高校の制服。自分と全く同じものを着た彼女はそのブレザーを脱ぎ、こちらに投げ捨てた。受け止めるとそこにはぬるい人肌の温度が残されている。
「おい、死にに行くぞ」
暗闇の中無愛想に言い放った彼女は、自分よりもずっと鮮明に生命だった。
◇
生きている、ということは、月明かりに似ている。ひどくぼんやりとしているときもあれば、はっきりと痛いほど輝いているときもあって、そして、一人では決して存在できないということ。
目の前を歩く彼女は生きている。満月の日の月光のように、きっと生きている。
こつ、こつ、とローファーの足音だけが街路に響いていた。自分によく似た少女の背を追い、駅を出た後だった。道幅は狭い。車一台がなんとか通れるような細い裏道。
「私はAで、お前はBだ」
歩きながら彼女は呟く。自分をA、と定義した彼女は、こちらのことを配慮するような様子もなく慣れた道を進んでいく。揺れるポニーテールが視界の中で邪魔くさかった。
「あなたは、いったい」
「私はお前だよ。それくらい分かるだろ、私なんだから」
疑問さえ許されない、即答。街灯の明かりは手に持ったブレザーを鈍く照らしている。
「……何がしたいんですか」
Aは立ち止まってこちらを見た。しばらく悩む素振りを見せた後、答える。
「そうだな、自分殺しの旅ってとこかな。ついでに自分探しでもするか? はは、どうせつまらないんだからやめとこう、探せるもんならとっくに見つけてる」
口元を歪ませて笑って、また歩き出した。どうやらこの住宅街を出るらしい。入り組んだ細道はこの辺りに住んでいても複雑すぎて、よく迷う。
小さい頃はこの辺りをよく歩き回っていたな、と、思い返す。放課後、家に帰りたくない時なんかに街路を気の向くままに進んでいって。
眼の前にはあの頃とは全く違う迷路のような町がある。あの日々はまだ夕暮れだったけれども、今はもう真夜中だ。もう後戻りできないような逃避の先にわたしはどこまで行けるだろう。
ぼんやりとAの後ろをついて歩いていると、彼女は突然足を止めた。目の前にあったのは、寂れた民家だった。気が付けば住宅街を抜けて森林の近くまで来てしまっていたようだ。
小学生くらいのときによく入っていた空き家。本当はよくない、と分かっていてもなお自然と吸い寄せられるように入ってしまうのが子供というものだろう。地主が定期的にやってくる、なんて様子もなく、見捨てられた家だけがそこにあった。
「入っていいの?」
「そんなの今更だろ」
Aが手を伸ばす。ぎい、と重たい扉の音。長い間誰にも触れられて来なかったであろうドアノブの埃が掌を汚す。
「あ」
扉を開けた先に合ったゴミだらけの部屋の奥、わたしによく似た少女が、もう一人。今の私よりもずっと幼くて、身体も小さかった。着ていたのは小学生のときお気に入りだった水色のワンピースだし、髪も肩にかかるくらいだ。
「こいつは、Cだな」
そう名付けられた少女は、部屋の隅にぴったりと馴染むように座り込んでいる。Aはゴミやら荷物を気にも留めず突き進んでいく。
「何が、あったんだっけ」
「友達がいなくて、ずっとここにいたんだな」
Aはかがみ込んでCに近寄る。少女はぼうっとどこかを眺めたまま、こちらを気にする様子もない。まるで、夢を見ているかのように。私もそちらに近づこうと、荷物の隙間を探していく。
「ねえ、どうするの」
「殺すんだよ」
足を止める。
「だって、死にたいんだろ?」
Aは少女の髪をさらり、と撫でた。反応はない。一体どこを見ているのだろう、見えないお友達の夢だろうか。誰にも愛されない、大切にされない、そんな妄想をさらに妄想で上塗りした痛々しい夢?
「……なあ、何を見てるんだ」
呟きながら、Aは静かに細い首を絞めた。Cは反抗するでもなく、ただその腕に身を任せ目を閉じた。まるでそれを待っていたのだとでもいうように、静かに。
そして、融けた。
そこにはなにもなかったかのようにすべてが消えた。
羨ましいな、と思ってしまった。だからふと、訊いてしまった。
「ねえ、わたしはどうして生きてるの?」
「死のうとしないからだろ?」
即答。そこに躊躇いはなく、まっすぐな言葉。
「……でも、死にたくなくても死ぬ人はいる」
「お前、死にたいから死ねないんだ、とかあったまおかしいこと言い出すんじゃねえよな?」
図星だった。わたしは黙り込む。Aはそれを見て嫌な顔をするでもなく、平然と返した。
「馬鹿だろ、それとこれとはどう考えたって別だ」
はあ、と彼女はため息をつく。わたしの思想に呆れたのか、それとも疲れたのかは定かでないけれど。
「どれだけ愛されて幸福に生きていても、死ななきゃならない運命を持つ人間はいる。逆に不幸で仕方なくても生きるしかない人間だっているさ」
「……」
「ただし死のタイミングは、自死でしか選べない」
どこから拾ってきたのか、Aはぱちん、と手首で輪ゴムを弾く。乾いた音が一度鳴った後、彼女は輪ゴムをゴミ箱に捨てた。
「あとは全部"運命"とやらの匙加減だろ」
運命なんて信じてないけどさあ、とAは続けた。たぶんそういうところが生きているのだろうと思った。
◇
「ねえ、どこに行くの」
「あとひとりだ」
「答えになってないよ」
彼女は森林の奥へ奥へと突き進んでいく。明かりもないのに迷いはない。
次に殺すのが誰なのか、どんなわたしなのか、なぜだかわたしも知っているような気がしてその後をついていくのが少し怖くなった。
雨の匂いがする。土の感触が、ぐちゃぐちゃしていて気持ち悪い。歩いていると何かがなくなりそうで、わたしはぼーっとしていた。
でも、ふと足が止まって。
「あ」
見つけた。思わず声が漏れた。
真っ暗な中に、一つ、影がある。
木にぶら下がっているのは、やっぱりわたしによく似たひとりの女子中学生だった。首吊り死体だった。
「あー」
死体を眺めながら、Aは呆れるように声を発した。
「殺すより先に死んでたか」
頭をかいてしゃがみ込む。
「こいつは、Dだよな」
同意を求めるようにAは言う。別に名前がどうとかそういい考えはないから、とりあえず頷く。
中学生。誰にとってもかはわからないけど、たいていの人はそのくらいの時期を暗黒期と呼ぶのだろう。
たぶんそれはわたしにとってもそうだった。
訊かれなくても思い出せるあの大失恋。思いっきり振られて、噂も流されて、傷ついてズタボロになったあの日のこと。今すぐにでも死にたい、そう思ったはずなのにわたしはまだ生きている。
生きてしまっている。
運命を信じたわたしは痛い目に合ったから、信じるのを辞めたんだっけか。あの恋を運命だと言うにはあまりにも幼すぎて、わたしはきっと、馬鹿だったんだろうな。
「なあ、B」
そこでAは初めて、お前、と呼ぶのを辞めた。そうしてわたしに向き直って、言った。
「大嫌いだ」
うん、知ってた。彼女がわたしに向ける視線はいつもそうだった。
「ずっと、ずっとずっとずっと邪魔だった」
叫ぶ。頷く。
「お前が生まれてから私はおかしくなったんだ、だって、私はこんなに落ち込みやすい人間じゃなかった。もっと人生を楽しんで、他の奴らのことなんてどうっっでもよくて、それで、私は」
嗚咽。強気に振る舞っていたAからは想像のできない取り乱し方に、わたしは固まった。まるで張り詰めていた糸がぷつり、と切れたように、Aがわたしに飛びかかって体が押し倒された。そしてその手が私の首にかかって、ぎゅっと、強く絞められる。
「お前のせいだよ」
ぐにゃり、と視界が歪む。ああ、これ、死ぬんだな、と少女Bは、わたしは思った。そもそもわたしは生きていたのだろうか、とさえ思った。もしかしたら生きていなかったから死にたかったのかもしれない。生きるよりもずっと、死ぬのは一瞬のことだから。
「お前のせいで、私は」
Aの涙がわたしの頬に零れ落ちて、まるですり抜けるかのように地面を濡らした。
「ありがとう、ね」
自然と漏れたのはそんな言葉で。ああ、わたし、不幸で幸せだったな。目を閉じて笑う。そうすればきっと、いらないわたしは救われてくれるんだろうから。それで、死んだら、私は幸せになれるのかな。
「……クソ」
残ったのは少女Aだけだった。鮮明に生きているはずの不明瞭な少女だけが、その場にただ一人立ちすくんでいる。
「私は、どうしたかったんだよ」
答える者はどこにもいない。先の見えない道を彼女はどう進んでいくのだろう。後戻りもできそうにない。真っ暗な森の中で一体どうすればいいのだろうか。
「――――ああ、死ねばいいんだな!」
私がBに言ったように。
しかし身体は動かなかった。湿った土の上に倒れこんでそれっきりだった。ざらざらした砂がふくらはぎに付いた感覚とかそういうものだけが自分に伝わってきて、ああもう全部どうでもいいや、と、呑み込んだ時にやっと死んだ。
A,それが答え 冷田かるぼ @meimumei
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