第24話 おまけの話

 改めてこれ等の業績を見ると総じて上手く行っていた。

 豊川葎主催の【行儀作法並びに所作習い】は寺子屋以上の繁昌で、弟子が師範となって継承していた。

 梅吉の料亭梅乃は、自ら育てた弟子が梅吉の味を継承し、女将は政吉・登米夫婦の元に世話になっていた町屋の娘 於瑶おようが、夫妻に勧められて葎の元で行儀作法を習い、軈て花房町のどぜう飯屋を閉めると同時に政吉夫婦と一緒に梅乃に移り、於瑶は梅乃の若女将となったのである。

 若いだけに良く働き、気遣いも申し分なかった。

 久しぶりに店に出て使用人らの立ち働きを見ていた梅吉の眼に、於瑶の後姿に何故か懐かしさを感じたのである。

誰かに似ているのだ。

〈誰だ、誰だろう………。あっあっあ~、お仙だ〉

 そう、それはお仙であった。

 そう観ると背格好から顔立ちまで良く似ていた。

「於瑶、此方に来なさい」

 女将に断って於瑶を自室に呼んだ。

「政吉・登米夫妻の紹介と聞いたが、縁者か」

「違います」

「そうか、いや実は二人に訊いたことがあるんだがはぐらかしおってな。二人のことは信用していたのでそれ以上は訊かなかった。ところで生まれは何処だい」

「元濱町です」

「親父さんかおっかさんの名前は?」

「おとっぁんは私の小さい時に亡くなったと聞いてまして…」

「おっかさんの名前は何と言うのだ」

 梅吉はそう問いながら手に汗を掻いていた。

「美貴ですが」

「美貴さんか」

 若しかしたらと思ったが外れたようだ。

「でおっかさんは如何してる?」

「二年前に亡くなりました」

 於瑶は思い出したらしく悲しげな表情を見せた。

「何の病だ」

「江戸わずらいでした」

「何と気の毒にー」

「出職で髪結いをしていたのですが、足がむくんで歩けなかったり、胸の痛みで苦しんだようでした。気が付いた時には手遅れでした」

 於瑶の眼から大粒の涙が零れた。

それを拭き取ろうとして梅吉が少し小さめな手拭いを出した。

「旦那様それは!」

「これかい、手や汗を拭き易いように半分に切った手拭いさ」

「柄は違いますが」

 と言って於瑶は袖から匂い袋のような袋を出して、中から黄ばんだ手拭いの端切れを出した。

「見せなさい」

 矢張り間違いなく於美津(お仙)に渡した小判を包んだ半切れの牡丹柄の手拭いであった。

於瑶の膝元に手縫いの守り札が転がっていた。

「それは?」

「此れはおとっぁんの書いた文字とかで形見の守り札として持って居る様に、おっかさんから渡されたものです」

 於瑶は大事そうに両の手で包むように持った。

「中を見て良いかな」

「はい」

 梅吉まで中身を知りたがる理由が分からなかったが言われるままに渡すのだった。

中から出てきたのは三枚の紙片であった。

一枚目には卯の字一文字が書かれていて、裏側には小文字で甘利仙 寛文癸卯かんぶんみずのとう年(一六六三年)生、とあり、二枚目には表に未の一文字があり、裏側にはやはり小文字で甘利敬四郎 寛文丁未かんぶんひのとひつじ年(一六六七年)生、三枚目には戌の文字と裏に甘利敬四郎、仙の実子瑶、寳永丙戌ほうえいひのえいぬ年(一七〇三年)生と書いてあった。

 梅吉は表一字が自分の書いたもので、裏の書きつけはお仙によるものと判ると、何度も何度も読み返したのである。

「旦那様如何されまして」

 いぶかしく思えたのだろう、於瑶はそう訊ねた。

「父に会いたいか」

 唐突な質問に於瑶は不可解に思ったが、

「会いたくてもこの世には居りませぬ」

「そうであった」

 於瑶は持ち物を返して貰うと、持ち場に戻った。

 何と言うことだろうか、お仙が女の子を生んで居たとは驚いたが、その実嬉しかったのだ。

 梅吉は葎と晩酌をしながら例え話をしたのである。

「子は天からの授かりものと言うが、子宝に恵まれるもの恵まれないものとあるが、我らは恵まれている方なんだろうな」

「えぇそうですよ」

「何人いても良いものだな」

「皆丈夫に育って呉れましたもの、でももう一人ぐら女の子が欲しゅう御座いましたわ」

「どんな子が良いのだ」

「きくや若女将の子、何て言いましたか」

「於瑶か」

「はい、あの子も良い子ですよ。政吉・登米が世話していたんでしょ。でもあなたに似てましてよ」

 と意味あり気に笑った。

「実は昼間あの子の素性を聞き出したんだ」

「そうしたらあなたのお子だったんでしょ」

 葎は揶揄っているのかと思ったら、つい先達て、梅吉と同様のことを訊きだして居たのであった。

 其れと言うのも於瑶に行儀作法を教えている時に父親はどうやら武士であったようだと聞いて詳しく訊き出すと、お守り札に秘密がありそうだと分かったので中身を見せて貰ったのである。

であれば、三枚目に甘利敬四郎が父親と明記してあるのだから、この子が梅吉の子であることは承知していたのである。

「真にあなたは達者でいらっしゃいますこと」

「おいおい揶揄うなよ」

「揶揄っても責めても居りませぬ。あなたに感謝して居りますのよ」

 ならば於瑶に父親としての名乗りをしなければならなかった。

 翌日梅吉は葎と共に二階の床の間に於瑶を呼んで真の親子であることを打ち明けたのである。

「お前が持っている守り札にある甘利敬四郎が私だ。元は将軍様御台様の食事を作っていた台所役人だったんだ。お前の母とは雪の日に会ったのだが、武家と町屋の娘で夫婦めおとにはなれなかった。

或る日私の前から姿を消してお前を生んで育てて呉れたのだ。感謝して居るよ」

「そうよ於瑶のように礼儀正しい娘に育てて呉れましたもの。私たちも正式には夫婦ではないけれど、男が二人と養女が一人いるの。於瑶が次女ということになるのよ。於瑶の素性が分らなかった時には養女にしたいと考えていたのだけれど、お守り札の書きつけにある様に父親は甘利敬四郎なのだから、於瑶は実の娘ということよ」

 二人の話を聞いて於瑶は複雑であった。

母から父は小さい時に病で亡くなったと聞いて居て、そのことを修正する言葉は一度もなかったのである。

 確かに花房町の飯屋の政吉・登米夫妻に預けられた時、母仙が誰ぞには内密にと頼んで居たのを小耳に挟んだが何のことか分からなかった。

それはお仙と於瑶の所在地を夫婦に明かしたもので、もしも梅吉に訊かれた時に元濱町の長屋と言えば、勘の鋭い梅吉に知られそうで、それで内密にと頼んだものだった。

 梅吉(敬四郎)と葎は夫婦にはならなかったが、子供には恵まれたと言って良いだろう。

二人の実子が双子の男で其々の家を継いで居た。

 長子が作事方として新たにお抱えの役に就いて豊川家を存続させ、、次子が敬四郎の実家で五代目の台所役を継いだ。

町屋の養女きくはその五代目と夫婦となって甘利家を安泰させるとように六代目を出産したのである。

 そして梅吉が苦慮した料亭梅乃の跡継ぎに、若女将於瑶が実の子であることが判明したことで、その憂いも払拭出来そうであった。


 珍しく葎がそうを弾いて居た。

想夫恋そうふれん』である。

大奥に居た時分にも良く奏でた曲であった。

勿論敬四郎を思って演奏したものだが、聞く者達をうっとりさせたものである。

二階から見える月は真ん丸であった。

 するとその音色に合わせる様に笛の音が聞こえて来たのである。

それは長子豊川慶五郎の妻明奈であった。

夜空に透き通る音色は箏の音と共に屋敷前を通る人々の歩みを止める程美しかったのである。

 明奈の横笛は母方の音曲師から教えられたもので、その腕前は中々のものであった。

明奈は裏の料亭から聞こえて来る筝曲を聞いて夫の慶五郎と共にやって来たのである。

 それらの演奏が途絶えて後、それらに合わせる様に三味線の音が聞こえたのだ。

箏・笛・三味線の合奏である。

 閉店後のことだから客は居ないので、その合奏に釣られる様に使用人たちが二階に集まって来ると、廊下に畏まって耳を傾けるのだった。

 見れば三味線を弾いて居たのは若女将の於瑶であった。

於瑶は実母仙が三味線の師匠でもあったので幼い内から厳しく仕込まれたようで、中々の演奏であった。



 演奏会が思わぬ形で始まった。

筝曲の演奏などは、元々盲人らの当道によって盛んに行われていたが、自然婦女子の間で稽古事として広まって行ったものである。

 扨て突然の演奏会が思わぬ宴会へと発展したのである。

於瑶の三味線に合わせて太鼓を打つ者まで現れたのである。


♪エー奴さんどちらまで(アーコリャコリャ) 旦那お迎えに さても寒いのに供揃 雪の降る夜も風の夜も サテお供はつらいね  いつも奴さんは高端折たかばしょり アリャサ コリャさ  其れもそうかいな~


♪エー姉さんほんかいな(アーコリャコリャ) 後朝きぬぎぬの 言葉も交わさず 明日の夜は 裏の背戸にはわしひとり サテ合図はよいか  首尾をようして逢いに来たわいな アリャサ コリャさ  其れもそうかいな~

 

 三味の音に太鼓のお囃子が入ると、仲居や料理人らがアーコリャコリャとかアリャサ コリャさにサテお供はつらいね等の合いの手を入れて大盛り上がりであった。

 政吉や登米も好きとみえて、手振り足振りで踊って見せるなどの余興に笑いを添えた。 梅吉も葎も思わぬ趣向を楽しんで居たのである。

「於瑶知って居たら唄って呉れぬか、『夢の覚めぬ間に』とやらを」

 如何やら端唄らしいが居合わせた者達には聞いたことの無い題名であった。

於瑶は知っているらしく軽く肯くと、チントンシャンと前奏を入れると、


♪エーェ~髪を七分三分の本多に髷て 当てる気もない大筒は 元はさぶろう二本差し サテ寄り添う夢の覚めぬ間に 襖の奥に実らす種を 知らば後朝きぬぎぬに捨てる泪かー(アーァそりゃないね そりゃないサ)


 梅吉は目を瞑って聞いて居た。

声はあの時の美津の声に似ていた。

そりゃそうだ、於瑶は実の娘なのだから当然であった。

 日本橋で聞いた時にはなかった歌詞が増えていた。多分合いの手は於瑶が付け足した物であろう。

目を開けてみると於瑶は伏し目がちにして葎の方を見ていたが、逆に葎は梅吉に微笑んで居るのだった。

如何やら今の端唄の内容を理解したらしく、にじり寄ると囁くように、

「今の謡はあの娘の母親の作かしら」 

 と作者を当てたのだ。

「あぁそうだよ」

 葎には隠し事は出来なかった。

何でもこのように見通されたのである。

 それにしても奉公人たちの喜びようはなかった。

 奥女中であった葎は豊川屋敷での【行儀作法並びに所作】の指導主催者であり、若女将於瑶の義母であり、町人姿の料亭の主人梅吉の妻的存在であったが、その箏の演奏技術は実に見事であった。

それと若女将の三味線の弾き語りも本職跣で端唄と共に聞きごたえがあった。


 月の休みは朔日、十五日、二十八日の三日間だけだから、偶にはこのような楽しみもあって良かったのである。



 思えばこの二人働き尽くめであった。

与えられた職業を天職と思い、それを究めんと努力精進したのである。

その為に目の前にある道を歩かず、敢えて困難な路を辿ったこともあった。

だがそれが結果的には幸運を齎したと言えなくもない。

 傍から見てもそれは役得人生そのものであったと言えるのではないだろうか…。


                完

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『役得人生』 夢乃みつる @noboru0805

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