【少し不思議百合ショートストーリー】空に魅入られた少女(約2,600字)

藍埜佑(あいのたすく)

【少し不思議百合ショートストーリー】空に魅入られた少女(約2,600字)

 春の柔らかな日差しが差し込む朝、音羽女学園の寮で暮らす一年生の橘透子は、いつもと違う感覚に目を覚ました。肩甲骨の辺りがチクチクと、まるで羽が生えてきたかのような不思議な感触。鏡の前で制服のブラウスを脱ぐと、そこには確かに産毛のような白い羽毛が生えていた。


「どうしよう……」


 透子が途方に暮れていると、同じ寮に住む親友の月城渚がノックもせずに部屋に入ってきた。


「透子ちゃん、おはよう! また寝坊? もう、いつもそうなんだから……えっ?」


 渚は透子の背中を見て、言葉を途切れさせた。


「渚ちゃん! これ、変なの。朝起きたら突然……」


 透子の声が震えていた。渚は慌てて透子に近寄り、その背中をそっと覗き込んだ。


「きれい……」


 渚は思わずため息をついた。透子の背中から生えた羽毛は、朝日を受けて虹色に輝いていた。


「渚ちゃん、私、どうなっちゃうんだろう……」


「大丈夫だよ。私がついてるから」


 渚は透子の肩を優しく抱き寄せた。心臓の鼓動が互いに伝わってくる。


 それから数日が過ぎ、透子の体の変化は少しずつ進んでいった。首筋や腕にも柔らかな羽毛が生え始め、まるで天使のような姿に変わっていく。不思議なことに、痛みも痒みもなかった。


 ある夜、透子は夢を見た。果てしなく広がる青空の中を、白い鳥たちと一緒に飛んでいる夢。風を切って飛ぶ感覚があまりにも鮮やかで、目が覚めても胸が高鳴っていた。


「渚ちゃん、昨日すごい夢を見たの」


 翌朝、二人で登校する途中、透子は夢の話をした。


「私ね、鳥になって空を飛んでたの。すごく自由で、楽しくて……」


「すごい楽しそう! ……ても透子ちゃんが鳥になっちゃったら、寂しいな」


 渚は歩みを止め、透子の手を取った。その瞳には涙が光っていた。


「私も渚ちゃんと離れたくないよ。でも、なんだか体が空を求めているみたいなの」


 透子は自分の胸に手を当てた。確かにそこには、空への憧れが日に日に大きくなっていくのを感じていた。


 放課後、二人は誰もいない音楽室に忍び込んだ。ここなら誰にも見つからずに、透子の背中を確認できる。


「透子ちゃん、また増えてる……」


 ブラウスを脱ぐと、背中には小さな翼の形が浮かび上がっていた。渚は思わずその羽に触れた。


「ふわふわして、すごく温かい……」


「くすぐったいよ、渚ちゃん」


 透子は小さく笑った。渚の指先が背中を這う感触が心地よかった。


「ねぇ、透子ちゃん。私たち、このまま一緒にいられるのかな?」


 渚の声が震えていた。透子は黙って渚の手を取り、自分の胸に押し当てた。


「渚ちゃんの気持ち、ちゃんとわかるよ。私も怖いの。でも、不思議と心が落ち着くんだ。きっと、これは私に与えられた何かなんだと思う」


「私、透子ちゃんのこと……大好きだよ」


 渚は突然、透子に抱きついた。制服の襟元から漂う柔らかな香りが、二人を包み込む。


「私も大好き。渚ちゃんは私の一番大切な人だもん」


 夕暮れの音楽室に、二人の寄り添う姿が映し出されていた。


 それからというもの、透子は毎晩のように空を飛ぶ夢を見るようになった。朝目が覚めると、背中の翼はまた少し大きくなっている。クラスメイトたちも、透子の変化に気づき始めていた。


「橘さん、なんだか最近、綺麗になったよね」

「うん、なんか神々しい感じがする」

「でも、どこか儚げで……」


 噂は広がっていったが、不思議なことに誰も透子を怖がったり忌み嫌ったりはしなかった。むしろ、彼女の周りには神聖な空気が漂っているように感じられた。


 ある日の昼休み、渚は屋上で一人佇む透子を見つけた。


「また、ここで考え事?」


「渚ちゃん……うん。空が近く感じられるから」


 透子は遠くを見つめたまま答えた。その横顔は、もう人間の少女のものとは思えないほど美しかった。


「私ね、もうすぐ飛べるようになると思うの」


 透子の言葉に、渚は息を飲んだ。


「本当に飛んでっちゃうの?」


「うん。でも、必ず戻ってくるよ。渚ちゃんのところに」


 透子は渚の頬に優しく手を添えた。その手から伝わる温もりは、まだ確かに人間のものだった。


 季節は移ろい、初夏の訪れを告げる風が学園の中庭を吹き抜けていた。透子の背中の翼は既に大きく成長し、制服の下に隠すことが難しくなっていた。髪の毛も頬も、うっすらと白い羽毛に覆われ始めている。


「もう、隠せないね……」


 放課後の保健室で、渚は透子の制服を直すのを手伝っていた。


「ごめんね、いつも渚ちゃんに迷惑かけて」


「そんなこと言わないで。私、透子ちゃんの翼、すっごく綺麗だと思うよ」


 渚は透子の背中に手を添えた。大きく広がった翼は、まるで絹のように滑らかで、光を受けて虹色に輝いている。


「ねぇ、渚ちゃん。今夜、学園の裏山に来てくれる?」


 透子は真剣な眼差しで渚を見つめた。その瞳は、いつの間にか黄金色に変わっていた。


「うん、もちろん」


 渚は即座に頷いた。透子の決意を、彼女は理解していた。


 その夜、満月が空を照らす中、二人は裏山の頂に立っていた。


「渚ちゃん、私ね、今までずっと考えてたの。この翼が与えられた意味を」


 透子は月明かりに照らされた渚の顔を見つめた。


「私、きっと空に帰らなきゃいけない存在なんだと思う。でも、それは永遠の別れじゃない。必ず、渚ちゃんのところに戻ってくるから」


「約束する?」


 渚の声が震えていた。透子はゆっくりと頷き、渚の額にそっと唇を寄せた。


「約束する。私の心は、いつだって渚ちゃんのところにあるから」


 透子は大きな翼を広げた。月明かりに照らされた姿は、もはや人間の少女というより、神話に描かれる天使のようだった。


「渚ちゃん、ありがとう。私のことを、最後まで受け入れてくれて」


 透子の瞳から一粒の涙が零れ落ちた。それは地面に落ちる前に、小さな白い羽に変わった。


「行ってらっしゃい。でも、必ず帰ってきてね」


 渚は精一杯の笑顔を作った。透子は最後に優しく微笑むと、ゆっくりと翼を羽ばたかせ始めた。


 月明かりに照らされた白い翼が、夜空に向かって舞い上がっていく。渚は涙で潤んだ目で、透子の姿が星々の間に消えていくまで見送った。


 それから数日後、渚の部屋の窓辺に一羽の白い鳥が舞い降りた。黄金色の瞳を持つその鳥は、懐かしむような眼差しで渚を見つめていた。


「おかえり、透子ちゃん」


 渚がそっと手を伸ばすと、白い鳥は嬉しそうに鳴いた。二人の約束は、こうして守られていった。


 今でも月明かりの夜には、音羽女学園の上空を一羽の美しい白い鳥が舞っているという。それは愛する人のもとへ帰ってきた、翼を持つ少女の姿なのかもしれない。


(了)

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【少し不思議百合ショートストーリー】空に魅入られた少女(約2,600字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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