【短編】猛き令嬢の幕間

南下八夏

【短編】猛き令嬢の幕間

【昔話】

 リモンク伯爵はくしゃく家に誕生した三女は、それはそれは小さく生まれ、育つかどうか危ういと医師に言われていた。

 伯爵夫妻は赤子にモリーと名付け、暖かい部屋で厚着をさせ、硝子がらす細工のように大事に育てた。

 モリーは知能は平均的な成長具合だったが、小さくせていて、すぐに熱を出して伏せてしまった。

 伯爵夫妻は手を尽くしながらも、可愛い末っ子が成人できない可能性を覚悟していた。

「街の空気が悪いのかもしれません」

 ある日、お抱え医師が伯爵夫妻に提案した。

 近年この国は工業化が進みつつあり、それに伴って空気が濁り、住人にやまいもたらすようになっていた。

 伯爵夫妻はわらにもすがる思いで、可愛い盛りの幼いモリーを遠方の親戚に預けることにした。病弱な幼子の養育をかって出てくれたのは、南方の田舎で隠居していた前伯爵夫妻だった。モリーにとっては祖父母にあたる。

 泣いてすがるモリーの小さな手を泣く泣くはがし、伯爵夫妻は我が子の健康を祈って南に向かう馬車を見送った。

 その後王都で政権争いが起きたり領地を災害が襲ったりと慌ただしくなり、伯爵夫妻はモリーとは手紙のやり取りだけを行っていた。

 そうして、八年。十二歳になったモリーがすっかり健康になったので親元に戻る、という報せに、伯爵夫妻は飛び上がって喜んだ。モリーの兄姉達も仕事や嫁ぎ先から戻り、モリーを歓迎する準備を整えた。

「父上! 母上! 兄さま姉さま方! ただいま戻りました!」

 元気いっぱいに帰還の挨拶をしたモリーは、

 乗り物の、動物の、馬である。仔馬でもない、乗用馬である。鞍と轡をつけたまま、ヒヒンと鳴いている。

 モリーは顔だけは幼い時の面影そのまま、首から下にはちきれんばかりの筋肉を身に着けていた。

 愕然としている家族達に、モリーは笑顔で言った。

「帰る途中で怪我をしてしまったようなのです。早速ですが、この子を獣医様に看ていただかなくては」

 ああ、優しい子に育ってくれてよかった……

 伯爵は色々なものから目を逸らして神に感謝した。


【雨雲のたね捜索中】

「あれは何でしょうか」

 モリーの子爵領から遥か北東にある、雪深い街にて。

 領主の補佐官に街を案内されていたモリーは、広場の中央を指さした。仔牛ほどの大きさの石の台座に、一本の剣が突き刺さっている。

「伝説の勇者のみがあの剣を抜けると言われています。今では良い観光資源ですよ。ほら、旅の方々が挑戦なさっているでしょう?」補佐官はにこやかに説明した。「子爵も挑戦されますか? 無料でできますよ」

 同行していた部下達にも勧められ、モリーは剣に挑んでみることにした。

 台座の前に立ち、両手持ちできるほどの長さの柄に手をかけ、

ァーーーーーーーーーーーーーー!」

 轟音のような気迫の声と共に、

 補佐官も街の人々も、顎が外れそうなほど口を開けてぽかんとモリー――と彼女が掲げている物体――を凝視した。

 モリーはふむと頷き、補佐官に告げた。

「台座が弱いようですな」

 お前が強すぎるんだよ。その場の全員の心が一つになった。


【モリー十二歳、伯爵の邸宅にて】

「ふんぬううううううううううううう」

 貴族のお屋敷に相応ふさわしからぬうめき声が、モリーの部屋から聞こえていた。

「はっはっは、まだまだ弱いぞ」

 モリーはにこにことして立っている。伯爵令嬢の帰還きかんをお祝いしに、お客様がみえるので、モリーはドレスに着替えている真っ最中だった。

 きちんとしたドレスを着るならば、コルセットは必須だ。若い貴族の間では、段々コルセットのないドレスも流行りつつあったが、お客様をお迎えする服装としてはまだ相応しくないとされていた。

 コルセットでぎゅうぎゅうにお腹を絞り、きゅっとくびれさせるのが、貴族令嬢の盛装せいそうである。

 が。

 力自慢の侍女が二人がかりで紐を引いても、モリーの鋼鉄のような筋肉におおわれたお腹を絞ることはできなかった。元より脂肪の少ない身体であるので、コルセットが無くてもだらしない印象は全くない。

 だが、細いウエストを作ることこそ令嬢の礼儀という風潮のため、侍女たちはなんとしてもコルセットを絞めたかった。なので今、渾身こんしんの力を込めて、モリーに着けたコルセットの紐を引っ張っていた。

「んぐぐぐぐぐうううううううう」

「はっはっは、効かぬ効かぬ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおお!」

「その程度の力で私の腹筋に勝てると思うな!」

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 侍女が四人がかりで絞めても一向に紐が締まらなかったため、結局モリーは自力で腹をへこませてくびれを捏造ねつぞうすることとなった。

 病弱な令嬢と聞いていた来訪者が、モリーのみっちみちのドレス姿を見て腰を抜かすのは、数刻後の話である。


【モリー十三歳、とある伯爵家の庭園にて】

 モリーは伯爵家の三女である。つまり婿むこを取らねばならない立場にあった。

 というわけで、モリーの母の知人の嫁ぎ先にお見合いにやって来ていた。

 玄関で出迎えた女主人が、モリーのたくまし過ぎるほどに逞しい体躯たいくを見て絶句したのはつい先ほどのことである。

 貴族のプライドをかけてすぐさまにこやかな対応を取り戻した女主人は、モリーを自慢の庭園に案内していた。

「美味い茶でございますな。どこの葉か伺っても?」

「え、ええ、東の国から特別に取り寄せましたの」

 やたら力強い口調のモリーの問いにも、女主人は上品に応えてみせた。貴族たるもの、動揺を露わにしてはいけないのである。女主人はモリーを見定めた。礼儀正しいし、顔も悪くない。ちょっと、ほんの少しだけ、思っていた令嬢と違うけれど、健康そうなのは間違いない。

 二人は和やかにお茶を楽しみつつ、見合い相手である女主人の息子が来るのを待った。

 その息子は、庭から離れた場所からこっそりとモリーを盗み見ていた。

 丁寧ていねいに手入れされた庭の低木が邪魔をして、彼にはモリーの顔しか見えなかった。

「ふん、病弱だったと聞いていたが、たしかに今は元気そうだな」彼は顔をしかめた。「病弱なやつってのはだいたい甘やかされてろくでもない人間に育つもんだ。兄上のようにな。どうせあの女も軟弱で甘ったれに決まってる。そんなやつとお見合いなんて絶対に御免ごめんだ!」

 彼はにやりと笑い、ポケットに蜘蛛くものおもちゃを忍ばせた。これで悲鳴を上げて無様ぶざまに泣くがいい。十代の幼い悪意をもって、彼はモリー達のいる方へ近づき――モリーの顔から下が見える直前で、モリーに向かって蜘蛛を放り投げた。

 その時。

ァッ!」

 裂帛の気合と共に、モリーが手刀しゅとうで蜘蛛を切り裂いた。

 真っ二つになって地面に落ちた蜘蛛のおもちゃの傍に、同じく真っ二つになった大きなはちが落ちた。

「む、蜂が夫人を狙っていると思ったのですが、このおもちゃも仕留しとめてしまったようですな」

 モリーはしまったと眉間みけんしわを寄せた。蜘蛛の残骸ざんがいを拾ってほこりを払い、腰を抜かしている令息に手渡した。

「申し訳ない。貴方の物でありましょうか? わざとではなかったのですが、このようなことに……是非ぜひ弁償させていただきたい」

 令息はぷるぷると首を横に振った。彼より三倍は太い腕が電光石火でんこうせっかの速度で蜘蛛を破壊したのである。同じくぷるぷるしている母に、彼は目で語った。

 無理。

 今回のお見合いは、先方からどうしてもやむを得ない事情があるとされて破談になった。

 モリーはこの後のお見合いを、ことごとく文字通り粉砕してしまい、やがて軍属となった末に子爵として独立することになる。彼女に並び立つに相応しい婿殿が現れたかどうかは、また別の物語。

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