ダム湖の底に
藤原くう
ダム湖の底に
ドプン。
水音が響く。
気がつくと目の前に、女がいる。
裸の女。
彼女は毎夜やってきては、私にまたがってくる。
肉と肉とをぶつけ、跳ね、跳ね、しなだれかかる彼女は決まって
アイノコトバ。
いや違う。
「イッてほしいの」
どこへ。だれが。
「あなたに……ダム湖へ」
私はどうしようかと考える。これが夢だってことはわかっている。
次第に女のペースが上がり、意味のある言葉を発さなくなる。
荒い吐息。
緊張した私が、その緊張を解こうとした瞬間。
私は目を覚ます。
暗やみの中、広くなった四畳半の、不快感の中で
そんなことが、一か月も続けばイヤにもなってくる。
同僚に相談しても、いやらしい奴め、とからかわれるだけ。
といって、
どうしようかと悩みに悩んで、ダム湖へ向かうことにした。
そのダム湖はN県とS県の県境にあった。
山に囲まれた地味なダムである。黒部ダムほど立派ではなく、フーバーダムのように渓谷にあるわけでもない。
緑に囲まれた、静かで地味な湖だ。
なにがあるというわけではない――少なくとも、私はそう思っていた。
出るらしい。
幽霊が出る。
ダム湖に沿うようにして、車道が伸びており、その先にはトンネルがある。そのトンネルに、女の幽霊が出るそうなのだ。
女。
奇妙な偶然であった。必然であると、こじつけたいくらいには。
が、私は一度ここを訪れたことがある。しかも、幽霊が出るという
出たのはイノシシ。
幽霊なんか出なかった。
ちょうど、101回目の夢のあと。
私は車をかっ飛ばして、そのダム湖へとやってきた。
腹が立ったのだ。
なぜ私がこのような目に
――あっちが悪いのに。
駐車場に車を滑りこませる。
キーを抜き、ヘッドランプが消えると、あたりは闇に包まれる。
月のない夜。空には、星空がギラギラと目のように輝いている。
吹く風はぶよぶよと湿気ている。
「来るんじゃなかったか」
呟いた声が、濃密な闇のなかへと
駐車場にほかの車はなく、いかがわしいことをやってそうな人影もない。
本当に静かな夜だった。
車を降り、ドアを閉める音が、爆音のように響く。
「こんなところに何があるんだ」
私はライトをつける。カッとなっていても、そこが暗いってことは覚えていた。
前来たときには、四苦八苦したんだ。
重いものを肩に抱え、真っ暗闇のなか、足先に神経をとがらせて、ダム湖へと近づいていって――。
あの時と同じように、私は歩き出す。
闇はあまりに濃い。ブラックホールが目の前にあるかのよう。
文字通り
その端には手すりがあり、そこから
水は闇に溶けこんで、真っ黒。
私はしばらくの間、手すりから、闇とも水ともつかないものをじっと見つめていた。
ふと。
背中にやわらかいものが押し付けられた。
胸の前でクロスする腕、耳元を撫でていく吐息。
イヤってほど聞いた声。
「ホントに来てくれたんだ」
「……来いって言ったのはそっちだろ」
忘れかかっていた声が、ざらりと響く。
夢の中の女の声。
愛していた女の声。
「そして、あなたに殺された女の声」
「…………」
「ほかの女が好きになったんでしょ」
「…………」
「都合が悪いと、黙っちゃう。あなたの悪い癖……」
するり。
股間にしなやかな足が割り込んでくる。
背後にいるそいつが、私の耳へかぶりつくように顔を近づけてくるのがわかる。
生暖かい吐息が、くすぐったい。
「言ってくれたらよかったのに。わたし、あなたのそういうところ、かわいいって思ってたんだよ?」
「……許してくれ」
ひゅっと音がした。
ユルサナイ。
次の瞬間、私は空中へと投げ出されている。
ふわりと内臓が浮き上がって、
ドプン。
夢の中、何度も耳にした水音が、こだまする。
ああ。
私は彼女をここに投げ捨てた。
そして、何食わぬ顔をして、立ち去った。
彼女が眠る湖の底へと、わたしは沈んでいく。
ぬるりとした黒い液体の中、ヒレを有した何かが泳いでくる。
その顔に見覚えがある。
ソレに抱きしめられ、深く深く沈んでいく。
黒々とした、湖の底へ向かって。
ダム湖の底に 藤原くう @erevestakiba
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