4 雪

 寒くなったり、暖かくなったり。

 そんな毎日を数回繰り返して、外の空気がしんと冷たくなったころ、りんがいつもこう言う。

「そろそろ雪降るかな」

 私はそれを聞くたびに、この程度じゃまだ降らないよ、と呆れながら返事する。

「毎年言ってるよね、それ」

「だって降ってほしいじゃん、雪」

「私はあんまり」

「むう」

 りんはふてくされて、ソファのクッションをぎゅうと抱きかかえる。


 雪。

 そう、こんなに寒くても、雪なんてまだ降らない。

 あの日、あの子と雪の上に足跡をつけた日は、もっと、もっと寒かったから。


「ユキ、っていい名前だよね」

 何も知らないりんが、嬉しそうに言う。私はどう返事すればいいかわからず、曖昧に笑ってみせる。


 りんには、あの子のことはあまり話していない。

 私も、誰かに聞かれない限り、自分から口にはしない。

 だから、私の中のあの子の記憶は少しずつ削れていって、一緒に何をしていたのか、何を話したのか、そもそもあの子の顔すらも、正確に思い出せなくなっている。

 息が切れるまで雪合戦をして、雪の絨毯を滅茶苦茶に破って寝ころんだことも、幻だったんじゃないかって、そう思ってしまう。

 別れる直前、あの子とキスをしたことも、夢だったんじゃないかって、そう感じてしまう。


 でも、夢でも幻でもない。

 夢にしてしまうなんて、あまりにもあの子に、秋穂に失礼すぎる。


 今でも、あの時どうすればよかったのか、自問してしまうことがある。

 でも、私にはどうすることもできなかった。私たちは、同じ道を辿ることはなかった。つながることはなかった。きっと、それが運命だった。


 自分に言い聞かせている気がする。

 時が経って、りんと一緒に居れば、この感情は自然と溶けて消えていくものだと思っていた。

 そんなことない。あの子との記憶は、私の心の奥底で、溶けないままの塊になって、見えないところで留まり続けている。

 もうはっきりとは思い出せない。

 だけど、たしかに忘れられないまま、そこにある。


「ユキ」

 私をじっと睨むりんの視線に気づく。

「何か違うこと考えてたでしょ」

 勘が鋭いりんの発言に、私は返す言葉を失う。

 りんは自分の隣、ソファの空いているところを、ぼすぼすと強く叩いた。私がそこに座ると、りんは体を寄せて私の肩に両手を回す。

「私、別に自分に自信ないけどさ」

 りんの指先、甘いゼリーみたいに柔らかいネイルが、ゆるやかに光を反射する。ふ、と吐きだされた吐息。癖っ毛だけど、幼いころよりもずっと綺麗になった髪、引き寄せられるような花の香り。

「私は私なりに頑張ってるから。だから、今は私だけ見ててほしい」

 ささやくようなりんの声に、私は肺を押しつぶされるような苦しさを覚えた。

「ごめん」

「謝らないで」

 私の続きの言葉を、りんの唇が遮る。

 もう何度も重ねた、優しい口づけ。嫌われたっておかしくないのに。りんは、私の心に触れようとしてくれる。


 小さな頃から、ずっと一緒。

 ずっとそばにいる。

 だから、ずっと深いところまで、私たちはお互いを知っているはずなのに。それなのに、とても深く、まだ掴めないところにも何かが残されているような、そんな錯覚を覚える。どれだけ時間を重ねても、触れ合ったとしても、絶対に届かない、何かが。

 いつか、そこに触れ合える日が来たら。

 その日まで、一緒にいられたら。

 違う。

 一緒にいたい。

 私はりんと、ずっと一緒にいたい。

 溶けて消えることがないとしても、取り除くことができないとしても、それを受け止めてくれる大切な人の優しさに甘える愚かさを持っているとしても。


「そばにいて、ね」

 涙みたい零れた言葉と一緒に、強く抱きしめ合う。

 苦しく、呼吸ができなくなるくらいに強く。

 

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 【創作小説】みんなでSS持ち寄る会 Advent Calendar 2024

 12月17日担当

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いつか途切れる道の上で ななゆき @7snowrin

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