ただ決着をつけたくて
ヘルハウンド
第1話
かつてここには、立派な城があった。
その城下町は活気づき、いつまでもこの栄華が続くと思われていた。
だが。
剣戟の甲高い音が、廃城となった場所の中庭に響く。
一人は黒髪の男性、一人は金髪の女性。
ただ、二人とも目は赤に染め上がっている。
まるで血のような、赤色。
男性の方はバスタードソード、女性の方は双剣。
それを持ちながら、二人が一騎打ちをしていた。
曇天だった空は、今にも雨が降りそうなほど、より雲が厚みを増している。
男の名はウィル。この国の皇太子だった男。
女の名はフィーナ。ウィルの婚約者であった幼馴染。
なぜ、この二人が戦うことになったのか。
たった一つの焦り、たった一つの願いが、すべてを、変えてしまったのだ。
木剣による剣戟の音がする。
指南役の騎士が、剣を振ってきた。
上段。来たと思った。
そのまま左に避けて、指南役の騎士の首の横に剣を置く。
周囲がどよめいた。
ウィルは、ふぅと、一息つく。
「これでようやく五勝できた、といったところか」
「いやはや、一日ごとに力が増しておられますな、ウィル様。私の面目がこのままでは立ちませんよ」
指南役の騎士が苦笑する。その額には、汗が滲んでいた。
「念の為に聞くが、俺が皇太子だからって手加減した、とかそんなことないよな?」
「まさか。私はこれで全力ですよ。正直、ウィル様の実力は生半可ではありません。恐らく、今敵う相手は、この城にはほとんどおらぬでしょう。白銀の異名は、伊達ではない、ということです」
白銀。それがウィルの異名だ。
気づけばそう呼ばれている。
理由は簡単。『銀髪』だからだ。
単純だが、悪くはないと気に入っている。
「だが、まだ父には敵わないかな。もっと、強くならないとな」
ウィルは、力をつけたかった。
この国を繁栄させるために。
父王によってこの国は繁栄の時を迎えている。
そんな父王を超えた王となれと、父王からは口酸っぱく言われていた。
だからこそ、勉学にも剣にも励んだ。
そんな自分も、もう一六になる。そろそろ初陣があってもおかしくない年齢だった。
木剣を、一人の金髪の女性が取りに来て、代わりにタオルを渡した。
フィーナだった。
父王の側近の娘で、この城で育った幼馴染だ。
いつも慈愛に満ちた、それでいて芯の強い不思議な目をした少女が、ウィルは好きだった。
「でも、焦っていたら足元をすくわれるわよ、ウィル」
「それもそうだな、フィーナ。だが、強くならないと、俺はいけないんだ」
焦っている。それは、正直ウィルが一番自覚していた。
ウィルもフィーナも互いに一六になった。
二人の結婚についても内々に話が運んでいるらしい。
ウィルは、そんなフィーナを守れる存在になりたかった。
父王もまた、王妃を守るために強くなったのだと言う。
偉大すぎる父にも負けない、そんな王にウィルはなりたかった。
父王の二番煎じ。そう陰口を叩かれていることも知っている。
だからこそ、その陰口を見返せるように、強くなりたかった。
夜になって、ウィルは一人、中庭で剣を振るう。
剣は、本来自分が使っているバスタードソード。この重さに振り回されないように、身体を徹底的に鍛える必要があった。
意地。それが今の自分を支えている気がした。
「ほぅ、筋が良いですな。さすがは次代の王」
どくんと、心臓が唸った。
知らない声。だが同時に、邪心を感じる声だ。
「何者!?」
ウィルは周囲を見渡す。
周囲は、不気味な程静まり返っている。
おかしいと気づいたのは、ロウソクの炎のゆらぎが全く無かったことだった。
「まさか、時が……止まっている……?」
「そう、時を止めました。今動いているのは、私と、あなただけです」
その声の後、ウィルの眼の前に、黒いローブを羽織った男が現れた。
「まさか貴様、魔術師か!」
魔術師。古代の逸話にあった、不可思議な力を使い世界を混沌に巻き込んだ存在。
絶滅したと思われていたが、まだ生きていたようだ。
そう思ったとき、既にウィルの身体は動いていた。
大地を蹴り上げ、バスタードソードを中段に構えて魔術師に向かって走る。
縮地をした。
取れる。そう思った瞬間、自分の身体が、止まった。
まるで地面とくっついてしまったかのように、全く動かなくなった。
気づけば、魔術師は自分の真後ろにいた。
「あなたの時も止めました。私はあなたの敵ではありません。むしろ、力を授けに参りました」
「力、だと」
口だけが動く。だが、身体は全く動かない。
「ええ、力です。あなた焦っているでしょう。力を強くしたいと。故に、すべてを超える力を授けましょう」
「超える、だと」
「そうです。父王も、あなたが守りたいと願っているフィーナ様も守れる、立派な力です。恐れることはありません。委ねるのです、魔に」
その瞬間、魔術師の腕が、自分の体を貫通した。
黒い何かが、心のなかに広がっていく。
そしてその黒い何かは霧のように具現化し、自分を、城を、そして国を、すべて覆った。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
自分が、倒れていることに気がついた。
雨が降ったらしく、地面は濡れている。
今は空は曇っていた。
「夢……?」
だが、何かおかしい。
静かだ。城の喧騒が、全く聞こえない。
起き上がる。
その瞬間、身体の中を、何かが彷徨っているのを感じた。
瘴気。そうだとわかるのに十分だった。
水たまりを見て、愕然とした。
水たまりに写っているウィルは、黒髪に変わっていた。
目も、緑だったものが赤に染まっている。
「俺、なのか……?!」
だが、それと同時に浮かぶ。
「父上! 母上! フィーナ!」
駆けた。
だが、城中誰もいない。
本来、城の廊下は人でごった返している。
なのに、人っ子一人いやしない。
それどころか、どこか城が錆びついているし、ガラスもヒビがいっているものが多い。
何か、変だ。
「何が、何があった?!」
そして、こんなに駆けているのに、心音も、汗も、何も出てこないことが、一番ウィルを愕然とさせた。
それでようやく、昨晩のことが現実だと思い知った。
魔術師に、そそのかされた。
「そそのかすとは、いやそれは少し心外ですな。あなたが望むようにしたまでのことなのに」
声。あの魔術師の声だ。
案の定、後ろにいた。
「貴様! 他のみんなをどこへやった!?」
「どこへ? ああ、皆もう死んでいますよ」
「冗談も程々にしろ!」
「冗談ではありません。貴方は五〇〇年も眠っていたのですよ」
絶句した。
あの一人でバスタードソードを鍛錬していた夜から五〇〇年も経ったというのか。
しかし、この城の寂れ具合からは、どこか何故か腑に落ちるところがある。
膝から、崩れ落ちていた。
粉々になった木剣の欠片が、膝に見えた。あの時、訓練で使っていた木剣だった。
ああ、本当にそんなに経ってしまったのか。
そうなった瞬間、絶望が広がるのを、ウィルは感じた。
「俺は……俺は……」
「人間にとっては長いでしょう。しかし、我々魔術師にとっては一瞬だ。私はあなたを迎えに来たのです。もう人間としてはいられない、あなたを。もう貴方は不老不死の存在となったのです。魔術師の仲間としてあなたを迎え入れ」
その言葉の瞬間、魔術師の身体を、剣が貫通していた。
返り血が、自分の身体に滴り落ちるのを感じた。
「な……!?」
魔術師の絶句した声が響く。
「それ以上、喚かないで」
そして、首が一閃される。
瞬間、魔術師は雲散霧消した。
そこから現れた人物に、ウィルは呆然とした。
「フィーナ……?」
「五〇〇年ぶりね、ウィル」
変わらない、声色だった。
だが少しだけ、殺気が感じられた。
今までにはなかったような、そんな雰囲気を、フィーナは醸し出していた。
フィーナの目もまた、今の自分と同じように赤い。
だが、髪の毛は金髪のままだった。
「フィーナ、お前、なぜ……?」
「私もね、魔術師にそそのかされたの。貴方と同じように。そして私も、不老不死になった。わかる? 絶望して、首を自分ではねても死ねないって。それ以来、私は魔術師に対する復讐を続けているの。双剣の扱いも、その中で学んだ。もう、貴方に守ってもらうだけの、私じゃないし、昔の私でもない。だからね、ウィル」
直後、殺気。
右側から、剣戟が飛んでくる。
思わず、背中に背負っていたバスタードソードを引き抜いて防いでいた。
「フィーナ!?」
「ウィル。私は、魔術師を殺せる。魔術師になったあなたを、生かしてはいけないの。だから、私はあなたを殺す」
次、左から。
指で、左の剣を挟んだ瞬間、立ち上がってすぐに距離を取った。
「フィーナ、俺は、俺は……!」
バスタードソードを、ウィルは構えた。
フィーナは、強い。あの指南役の騎士など比にならないレベルだ。
それを瞬時に理解した。
構える。互いに駆けた。
互いに一閃。金属音が響くと同時に、廃城のインテリアが壊れる音が響き渡る。
三合ぶつかって、少し距離を取った。
やはりバスタードソードは屋内での戦闘には不向きだ。
そう思ったとき、窓を割って中庭に出ていた。
フィーナも窓を叩き割って中庭に出る。
互いに駆ける。
バスタードソードを振った。
重さからくる風切り音が聞こえる。
フィーナはそれをかがんで避けると、下段から双剣で一気に突いてきた。
体幹を後ろにずらして避けると同時に、反動で一気に上段からバスタードソードを振りかぶった。
タイルが割れる音がした。
双剣の突きが来る。片方はバスタードソードで、もう片方は白刃取りをして抑えた。
そして、互いに腹を蹴って、一気に距離を取る。
互いに、荒い息をしていた。
心音だけは聞こえないが、先ほど走ったときはまったくかかなかった汗が、そこら中から吹き出ている。
ひょっとしたら、今このときだけ、俺は人間なのだろうか。そんなことが、脳裏をよぎる。
恐らく、互いに後一合が限界だろうと、ウィルは思った。
互いにもう額は汗だらけだ。
フィーナは強い。ウィルはそう感じた。
同時に、なぜ俺は剣を振るう?
それが、不思議でならなかった。
だが、決着をつける。
何に?
自分のしたこと。そして、フィーナへの思いを伝えなきゃ。
それが、自分なりの決着だと、ウィルは思った。
そんな思いが、自分の中に渦巻いている。
互いに構え直した直後、疾駆する。
咆哮。誰に向けての咆哮か。
互いに上げていた。
そして、互いの剣が弾かれ、地面に突き刺さる。
二人して、地面に突っ伏した。
直後、雨が降り始めた。
「ウィルは、強いね、変わらず」
「フィーナは、こんなに強くなったのか、五〇〇年で」
少し息を整えてから、起き上がる。
「ウィルの剣先から、悲しみが伝わってきたわ。あなたはどうすればいいのか、わからずにいる」
「フィーナの剣からも感じた。俺を殺したいんじゃない。救いたいと、感じている剣だった。俺は、フィーナを守るために強くなりたかった。なのに、これじゃ全然、意味ないな。君は、強いよ」
「ううん。私は、あなたを倒せなかった。その地点で、私はまだ、ということ」
「本当に、なんでもっと前に、お前に話せなかったんだろうな」
雨が、涙を洗い流してくれればいい。
そう、ウィルは感じた。
「もう、誰もいないんだな。俺を、知っている人は」
「ううん、私がいる。私が、あなたを忘れずに、ここにいる」
二人とも立ち上がった。
「ウィル。まだ、生きたい?」
「俺は、何がどうなっているのかわからない。それで、死ぬかどうか決める」
それは決心した。
結果次第で死のうと、ウィルは決めた。
「まず、私達が魔術師にそそのかされた瞬間、この国の人は全員消えた。あの魔術師は言ってたわ。この国のすべての人の寿命を私達に分けた、と」
「つまり、もうこの国は滅んでいる、というわけか」
「そう。一夜にして、この国は滅んだの。それが、五〇〇年前」
「父上も母上も、皆同じく魔術の犠牲になった、ということか」
「そう。そして今は、魔術師がこの世界を支配しようとしている。人間が過ごしている世界は、もう少数なの」
「こうやって、俺達と同じような犠牲者が増えている、ということか」
沸沸とした、何か怒りのようなものが込み上げているのを、ウィルは感じた。
心が、動いている。そう感じた。
「ウィル。今のあなたの目からは、魔術師に対する憎しみがあるのが分かるわ。絶望も、していない。ならば、私達と、魔術師の討伐に打って出ない?」
「達? 仲間がいるのか?」
「そう。私達と同じような存在になってしまった者や協力してくれる人が、人間としてまだ生きている人たちを救うための組織。そこに、私は今いるの」
「魔術師と戦っている、ということか」
「そう、私達は一人でも多くの仲間がいる。もし、まだ死なないと思うなら、私達と一緒に来て。そう思えないなら、私があなたを殺してあげる」
フィーナの目を見た。
昔と、何一つ変わらなかった。
慈愛に満ちて、芯の強い目。
目が赤くなっても、それは変わらない。
元から、フィーナは自立していたのだと、ウィルは感じた。
守ってやるという自分の傲慢さがこの結果を招いたのだと、痛切に感じた。
だが、今更それを悔いても、五〇〇年前に戻るわけではない。
だけど、ウィルは感じるのだ。
フィーナと、二人で行けるなら、どこまででもいける、と。
生かされているならば、まだ死ねないと。
この惨状を招いた自分に、ケリを付けるためにも、まだ死ねないと。
魔術師に決着をつけるためにも、まだ死ねないと。
「変わらないんだな、君は。ならば、行こう。俺も、君と同じように、強くなりたいんだ。本当の強さを、今なら探し求められそうな気がするから」
雨が、止んだ。
雲から、陽光が差し込んでいる。
フィーナが、手を差し出した。
「ようこそ、ウィル。いえ、私の想い人。ようこそ、私達の組織『
ウィルは、フィーナから差し出された手を取った。
暖かみのある手だと、ウィルは思った。
これから二人は、多くの仲間と共に、魔術師に対する反抗を強めていく。
これは、その物語の始まりの一歩である。
(了)
ただ決着をつけたくて ヘルハウンド @hellhound
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