第10話 終わりは始まり
――さあ、次は俺が殺される番か。
智尋の左目には達成感があった。殺された家族の仇を果たせたことへの。
嫌悪感もあった。最後に、仇から施しがされたことへの。「余計なことを」と言っているようだった。
この2つだけではない。憎しみの炎は彼の左目にまだ灯っている。
その目は正雄を捉えていた。右手には薙刀を持ったまま、一歩ずつ近づいてくる。
横に「影」が現れた。
(嫌だ。イヤだ。死にたくない。死にたくない。殺さないでくれ。お願いだ。頼む。助けてくれ。死にたくないんだ)
地面に這いつくばって、ガタガタ震えながら、命乞いをし始めた。
その様を見てしまうと、なおさら心が冷める。
――覚悟は出来ている。
――ある意味、楽かもしれない。これから先ずっと彼の家族を殺した罪の意識に苛まれることは無くなるから。
――これからの贖罪の方法を探し求めなくてもすむ。
――心残りは息子の大志のことが分からないことか。
――大志も光村君と一緒に異世界に行っているなら、今も生きているだろうか。
――みんなと力を合わせて、生きているだろうか。
智尋の様子に意識を移すと、顔には大量の汗をかいている。呼吸も荒い。薙刀の石突を地面に突きながら、近づいてきているが、動きに合わせて、杖を使うように体重を薙刀に乗せている。
――紙一重の勝利だったんだな。
――光村君の体力は限界みたいだ。
(だったら、逃げよう! 追いかけられないんだろ? 早く逃げよう!)
「影」が正雄に縋りついてくるが、耳は貸さない。
逃げたら、惨めになるだけだ。
近づいてくる智尋の足が止まった。そこは彼の薙刀の間合い。
正雄はゆっくりと目を閉じた。
――ああ。これで楽になれる。
人を殺した罪の意識に苛まれることからも、息子を探し続ける苦労と、息子を早く見つけなければという焦りからも、妻と娘から見捨てられ1人になってしまった寂しさからも。
全てから解放される。
ざりっと地面を踏みしめる音がした。
次の瞬間、風を感じた。
痛みはない。何も感じない。
不思議に思ったが、
(あ? え? なんで、俺だけ?)
横から「影」の声が聞こえたから、閉じていた目を開けて見たら、切り裂かれた「影」の姿があった。そして、「影」が消えた。
思わず、正面を見れば、薙刀を振り下ろした智尋の姿があった。
「……なぜ?」
「うるさかったので、消しました」
なぜ「影」の姿が見えたんだ? 消すってどういうことだ? そんな疑問が浮かぶがすぐに消え、
「……俺を殺さないのか?」
「殺しません。私の神はあなたの命を求めていませんので」
目には憎しみの炎を灯しながらも、淡々と返事を返してくる智尋に、良心に痛みを感じる。
「……君はこれからどうするつもりなんだ?」
「生きます。それが私の神の望みですから。それに、私の家族も望んでいるでしょう」
良心に強い痛みを感じる。
見透かしたように、智尋は言葉を続ける。
「でも、この街からは離れます。思い出が多すぎますから」
これからどんな顔をして会えばよかったのか分からないゆえに、ホッと安堵してしまった自分に嫌悪を抱いてしまう。
だから、どこに行くのか、行くあてがあるのか、とは聞けない。
代わりに、こう思う。
――なら、俺は息子の行方を探し続けるか。
――異世界に行く方法なんか、全くあてはないが、それでも諦めなければ、どこかで手掛かりは得られるだろう。
――光村君のように諦めなければ。
と。
そんな正雄に智尋が淡々と告げる。
「そういえば、堂坂大志は堂坂さんの息子さんなんですよね」
10年間探し続けてきた行方を、最も望まない形によって。
「彼、死にましたよ」
「……な、なんだって?」
耳にしたものの、心が認識を許さず、もう一度聞き返してしまう。
対して、智尋は淡々と言葉を返す。冷酷に。
「堂坂大志は死にました」
その目を見て、正雄の中の驚きの感情が強制的に冷却される。憎しみの炎に酷薄さが加わった彼の目を見て。そして、
――こういう形で俺を殺しに来たのか。
――俺が一番望まない、一番残酷な形で。
「彼は私たちが異世界に転移して最初の頃に死にました」
淡々とした語りを聞かされる。
「私たちは人里離れた森の中にいました。周りの植物は見たことがない物ばかりでした。なにより、太陽が昇っている昼間なのに、月が見えました。2つの月が見えたんです。それで私たちは異世界にいることを知りました。この宇宙のどこかにある別の惑星だったかもしれませんがね。どちらにしても、今、私たちがいる地球ではなかった」
智尋が視線を外す。昔を思い返すように。
違う。苛立ちを抑え込むために。
「堂坂は言いました。『やった! 異世界召喚だ! 俺は勇者だ! 英雄だ! 最強だ!』と」
その左手が握りしめられる。
「勇者? 英雄? 最強? そんなこと知りませんよ。分かっているのは、知らない森の中に私たち35人が取り残されていることだけ。彼は目の前の現実を見ていなかったんです。そして、自分のことしか考えない。あれはイヤだ。こっちはやりたくない。自分にはふさわしくないとか言って、みんなの足を引っ張るばかり。森の中で野犬の群れに襲われた時なんか、真っ先に自分だけ逃げだしました」
「違う!」
耐え切れなくなった正雄は口を挟んでしまう。大切で自慢の息子だから。
「息子は、大志はそんなことをする子じゃない! 俺の息子は正義感とリーダーシップがある自慢の息子だ!」
でも、もしも、「影」がいたら、こんな正雄を嘲笑っていただろう。
その代わりは智尋が務める。「影」よりももっと冷酷な形で。
「周りをかえりみない正義感とリーダーシップをなんて言うか、分かりますか? 独りよがりの自己中って言うんですよ」
否定できなかった。そんな一面も息子には確かにあったから。
「結局、彼は逃げ出した先で死んでました。他の野犬に殺されたのか、別の動物に殺されたか、は分かりませんが。その死に様は本当に無様でした。『なんで、俺はここで死ぬんだ?』『俺は勇者じゃなかったのか?』 そんなことを顔に浮かべていましたね」
さらに話を聞かされると、今度は怒りが込み上げてくる。
――
それを見透かされる。
「なぜ、そんなことを言うのか、って顔をしていますね。それが事実だからです。もっとも、事実でなかったとしても、似たようなことを言ったでしょう」
そして、続いた言葉に愕然とさせられる。
「彼のせいで、私たちの結束が乱されましたから。知らない森の中で生き残るために一致団結しようとした私たちの仲を、彼は滅茶苦茶にしました。彼によって芽生えさせられた私たちの互いの疑心暗鬼は、彼が死んだ後も、私たちを悩ませ、時に死に追いやりました」
――俺が犯してしまったことと同じだ。
――子供たちの行方が分からなくなった後、残された家族をまとめてくれていた
智尋の言葉は、さらに、正雄の罪の意識を容赦なく責め立てる。
「結局、森を出るまでに19人が死にました。野犬に殺された人もいます。歩けなくなって置き去りにした人もいます。朝起きたら姿を消した人もいました。生きるのが辛くて、自ら死を選んだ人もいます」
耳を閉ざしたくても、許されない。
「森を出た後も大変でした。私たちは平和ボケして世間知らずの子供でした。そして、向こうの世界の人にとって、私たちは見知らぬ余所者でした。格好の鴨ですよ。騙されたのはまだマシです。直接危害を加えられたこともよくありました」
罪の意識が正雄の心を押しつぶしてくる。
「私がこの世界に戻る時に生き残っていたのは、私の他には1人だけでした。彼は、最初の頃に、裕福な商人に自分の頭の良さを売り込んで、自らその商人の奴隷になりました」
押しつぶされた心は逃避を図る。
「……君は過去のことを思い出せないのではなかったのかい?」
「そういうことになっていましたね」
言われて気が付いたという顔に智尋はなったが、
「でも、そもそも『異世界に行っていた』なんてことを言って、信じると思いますか?」
言葉を返せない。
「だから、私の言葉を信じるも信じないのも、あなたの自由です」
甘く囁かれる。けれど、その目は冷たいまま。
「あなたがあなたの望むことだけを信じることも自由です。何せ、私の言葉に証拠はないですから」
この言葉の裏にあるのは「自分に都合のいいことだけを信じる惨めな卑怯者になるのか。それとも、罪の意識を生涯抱え続けていくのか」の問いかけ。
だから、口走ってしまう。
「……なあ、俺を殺してくれないか」
――重い。
――辛い。
罪の意識を抱え続けられなくなった。正雄自身が8年前に犯した罪と、息子の大志が犯した罪の重さに耐えかねて。そして、一度であっても、全てから解放されることを望んだがゆえに。
大志がしたことは智尋が吐いた嘘かもしれない。
だけど、もう、息子を探し続けることに徒労感を抱き始めていた。手がかりもない。
心が折れる。
――異世界までなんて到底探しに行くことは出来ない。
少し前までなら、異世界の存在は信じなかったかもしれない。でも、今夜、彼の前で繰り広げられた光景は正雄に異世界の存在を信じさせた。
「ひと思いに俺を殺してくれ。……頼む」
懇願する。でも、
「断ります」
正雄を見下ろす智尋の左目は限りなく冷たい。
「私の神はあなたの命を望んでいません。私はただの殺人犯に堕ちるつもりはありません」
この言葉以上に、その左目は雄弁に語っていた。
「神を自称するナニカに罪を償わさせてしまった。これ以上、罪を償うのは許さない。私があなたに救いを与えることは決してない」と。
「私は復讐を果たす」と。
「あなたの『影』はもういません。悩みを打ち明けられる相手も、愚痴をこぼせる相手も」
――ああ、そうか。最初から「影」だけを消すつもりだったんだ。
「なにより、あなたの罪を押し付けられる存在はもういません」
智尋の意図を悟ってしまう。
「あなたは一人で罪を背負って、背負い続けて生きなければならない」
そして、彼は己の心の中の憎しみの炎に終わりを告げる。
同時に、それは正雄にとって贖罪のための永遠の旅の始まり。
二人のやりとりを見守るのは小望月のみ。
最後に、智尋が正雄の耳元で囁く。
「罪の意識を持たせたまま生かした方が、殺すよりよほど復讐になりそうです」
来るはずの人を待ち続けることにピリオドを打つ。
「神への供物」の始め方+終わり方 ~刑事と異世界帰りの元少年が紡ぐ因果のその先は C@CO @twicchi
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