フェルリンデの森II 〜氷雪の守護者と伝説の宝具〜

琳堂 凛

第1話 友を追って

 ヴォンが森の英雄と呼ばれるようになって、何度か季節がめぐった頃のことです。 


 今日もフェルリンデの森には温かな風が吹き、生命の息吹が満ちていました。


 木漏れ日の差し込む森の広場では、今日も動物たちが集い、楽しげに遊んでいます。


 年老いたシカの背に乗ったウサギの子が前のめりになって落ちそうになると、ふわりと冷たい風が吹き抜け、純白の影が颯爽と駆け抜けました。動物たちは見覚えがあるのか、笑顔で挨拶を送ります。


 それは、フェルリンデの森で一際目を引く、ユキヒョウのフルーでした。


 彼女はシカの元へと駆け寄り、ウサギの子をその背で受け止めます。


「あらあら、危ないわよ。いきなり飛び降りたりしたら、大怪我してしまうわ」


 フルーは子ウサギを優しく地面に降ろしてあげると、シカに歩み寄りました。


「フルーさん、いつもすまないねぇ。年を取ってしまってのう、昔みたいにしっかりと背中で支えられなくなってしまって……」


「なにも謝ることはないわ。あなたのおかげで、森の子供たちは楽しそうに遊べているじゃない」


 そう言って、フルーは優しく微笑みます。毛並みも美しいですが、彼女の瞳はさらに綺麗でした。何より、慈しむような眼差しが、その表情をひときわ輝かせています。


 

 以前より森に足を運ぶ機会が増えたフルーは、森に住まう年老いた動物たちの世話や、子供たちの遊び相手になるなど、ここではなくてはならない存在となっていました。


 そんな彼女を、大樹の根本でくつろぐヴォンとアズリーは子供たちと一緒に、微笑ましそうに見守っています。


「フルーったら、相変わらずみんなの世話を焼いてばかりね」


「ああ。彼女には本当に助けられてばかりだよ。もうすっかりみんなにお姉さんだ」


 二匹が話していると、一匹のリスが慌てた様子で駆けてきました。


「大変です! 谷で仲間が木に挟まって動けなくなってしまいました!」


「なんだって! よし、僕がすぐに助けに——」


「待って、ヴォン。その必要はないわ」


 アズリーは立ち上がろうとしたヴォンを制します。


「見て。もう行ってるわよ」


 アズリーが指差した先には、すでに駆け出していくフルーの姿がありました。彼女が山脈で培ったしなやかで柔軟な体なら、深い崖でも難なく動けるのです。


「はりきりすぎも少し心配だな……」


 ヴォンは感心しつつも、困った顔でフルーの背中を見送りました。



 それから、少し経った頃。


 そんなフルーの姿が、ある日を境に消えてしまったのです。


 最初、動物たちはいつものようにどこかで森の仲間の世話を焼いているのだろうと思っていました。ですが日が経つにつれ、フルーの姿が見えないことを不審に思う者が増えていきます。


「フルーのやつ、もう五日も姿を見せないぞ? ほぼ毎日のように森に来ていたのに」


 心配した様子でスカルポが言いました。


「うん、寝ぐらにも戻っていないみたいだった」


 フルーのすみかを見に山脈へ行ったヴォンも、彼女の気配がないことを確認してきたようです。


 その後二匹は他の動物たちと協力して森中を探し回りましたが、フルーの手がかりすら見つかりません。


 フルーと姉妹のように仲がいい、ヴォンの妹のリースも彼女の行方を知らないようでした。



 そして太陽が沈みかけた頃、疲れ果てたヴォンとスカルポは広場から離れた森の中で休んでいました。


 すると突然、冷たい風が吹き抜けます。目の前のが白く霞んだかと思うと、一匹のユキヒョウが姿を現しました。銀色の毛並みをした、老齢のユキヒョウです。


「驚かせて申し訳ない、フェルリンデの英雄殿……と、そのご友人」


 見慣れないユキヒョウの出現に驚く二匹を交互に見ると、銀色のユキヒョウは丁寧に頭を下げます。


「フルーを知っているのか!?」


 ユキヒョウの言葉に、スカルポが声を上げました。


「率直に申し上げる。フルー様のことはもう忘れていただきたい」


「な、なんだって?」


 突然の言葉に、ヴォンとスカルポは言葉を失います。


「あのお方がもうこの森に戻ることはない、と言っているのです」


「おい、話が見えないぞ! 詳しく説明しろ!」


 苛立つスカルポに、老齢のユキヒョウは鋭い目を向けました。


「我々の事情であるがゆえ、理由は申し上げられません。——ですが、これはフルー様がご自身の意思で決断されたことです。あなた方は今と変わらず、この森で暮らしていればいい」


 そう言い残すと、ユキヒョウは来た時と同じように白い霞の中へと消えていきました。


「ちょっ……」


「待てじいさん! ……くそっ、どういうことなんだ!!」


 スカルポは怒りと困惑を露わにします。ヴォンも複雑な表情を浮かべていました。


「フルーが自分から森を去るなんて……。そんなはずない」


「ああ、そうだ。どう考えてもおかしい。あいつはこの森と動物たちのことを大切に想っていたはずだ。リースと姉妹のように仲がよかったしな」


「きっと、なにか事情があるんだ。僕たちにも言えないような事情が」


 そう言って、ヴォンは北の空を見上げます。森を北に進むと、その先には万年雪を頂く白銀の山脈が聳えています。フルーのすみかもそこにあり、彼女はいつも、その方角から森へとやってきていました。


「スカルポ、北の山脈に行こう。フルーを探しに」


「……まったく、どうしようもない女王様だ。見つけたらこっぴどく叱ってやらないとな」


 スカルポは面倒だなとでも言いたげな表情ですが、やはりフルーが心配なようです。


「もうすぐ陽が沈んでしまうから、一度僕が住んでいた寝ぐらに向かおう。そこなら夜を明かせるし、山脈の麓だ」


「ああ、分かった。アズリーやリースにはなんて言うんだ?」


「そうだな……心配をかけたくないし、留守を頼むとだけ言っておくよ」


「嘘をついたことがバレたら、アズリーもリースもお前を引っ掻くだろうな」


「はは……そうなる前に帰ってくればいいさ」


 そうして広場に戻ったヴォンは、家族に「少しの間留守にする」とだけ言い残し、スカルポと共に北の山脈を目指すのでした。

 

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